第三十一話 逢魔の宵祭 拾弐
フウガの身体が一気に膨張していく。
身体からは大量の蒸気が吹き出し、それが辺りを包み込み何も見えなくなる。
蒸気が消えると同時に、目の前に巨大な化け物じみた狼男が現れた。
銀色の体毛に、ギラギラとした黄金色の目。
体長は三メートルを優に超えており、身体中の筋肉が赤黒く膨張している。
顔は完全に狼そのものに変わり、凶悪そうな鋭く厚みがある牙と爪を携え、背後には複数の巨大な尻尾が揺らめいていた。
これがフウガの完全獣人形態……。
あのときのロウガと少し似ている。
しかし、今夜は満月ではない。
「やっぱり、完成してたんだ……」
「何か知っているのか、モニカ?」
「フウガが飲んだのはおそらく、『皇狼剤』。効果は見てのとおり。月がなくても、完全体の狼人間になれる代物だ。けれども、あの薬はまだ研究段階だったはず……。もしかして、あたしの姉が横流しした……?」
「なんだと……?」
「おい、モニカ。あれは、アタシらでなんとかなるのか?」
「君らは以前、完全獣人形態のロウガを倒したんだろ? なら、大丈夫さ……たぶん」
モニカは笑顔で答えた。
しかし、その表情はかなりひきつっている。
あのときは、私の毒が知られておらず、エルゼも狼女へと覚醒していた。
今回はそのアドバンテージがない。
だが、今はかけがいのない仲間たちがいる。
「では、ゆくぞ……。圧倒的実力差を前に、絶望するがよい」
「かかってきやがれ、この老害が!」
「いつまでその態度でいられるか楽しみだ……」
次の瞬間、超スピードでフウガが目の前を通り過ぎる。
奴の狙いは私でもエルゼでもない。
後方にいた、ミネットだったのだ。
「ひっ……!」
「お嬢様!」
二人の声が聞こえた瞬間、肉を切り裂く音が辺りに響く。
皆一斉に後ろを振り返ると、そこには血溜まりに沈む、ミネットとメデューサの姿があった。
二人はピクリとも動かない。
大きく裂かれた傷口からは、血が泉のように溢れている。
明らかに瀕死の状態だ。
「モニカ、二人の応急措置を! 皆、構えるんだ!」
「もうやってるよ!」
フウガの背中にはシャノン、脇腹の辺りにライアンがすでに取りついていた。
シャノンは銀の剣を左肩に突き刺し、ライアンは左脇腹にこぶしをめり込ませる。
しかし、奴はそれを意にも返さず、二人を豪腕でなぎ払い、勢いよく弾き飛ばす。
二人は声も発せられずに、物凄い速度で川に突っ込んだ。
激しい水飛沫が上がったあと、二人の身体は、赤く淀んだ川面に浮かんだまま動かなくなった。
「どうやら、奴から聞かされた情報は確かだったようだな……。さて、これで厄介な奴らはいなくなった。残りの戦闘要員は四人だな? この体たらく、儂は心配になってきたぞ。貴様らは、どこまで儂を楽しませることができるのだ?」
「エルゼ、青梅、赤椰! 最初から全力でいけ! 出し惜しみをして、勝てる相手ではないぞ!」
「ああ、わかってる!」
「いくぞ、赤椰よ!」
「わかった、姉さん!」
私は濃縮血液、エルゼは強狼剤を飲んだ。
青梅と赤椰は角を生やし、自らリミッターを解除した。
手始めに、青梅がフウガの下半身を凍りつかせる。
動けなくなったところを、赤椰が頭から灼熱の業火を浴びせた。
私は血を銃弾のように発射するが、その膨張した筋肉にすべて弾かれる。
それをすぐに理解し、迅速に次の行動に移った。
私は腕に血液を纏い、エルゼも腕に力を込める。
そして、二人同時に、胴体への渾身の一撃を放つ。
手応えはあった。
しかし、業火の中から腕が伸びてきて、私とエルゼをがっちりと掴む。
奴は強靭な握力で私たちの骨を何本も砕き、そのまま地面に叩きつけた。
その衝撃で意識が飛びそうになる。
「ぐあっ……!」
「あがっ……!」
「大丈夫か、アデル!?」
「エルゼお姉ちゃん!? よくも……!」
「……遅い」
薄れゆく意識の中で、衝撃的な光景を見た。
なんと青梅と赤椰は、フウガの尻尾に串刺しにされていたのだ。
その尻尾を素早く振り下げ、鬼の姉弟も地面に叩きつけられる。
私は咄嗟に濃縮血液を飲み、なんとか意識を保ち、立ち上がる。
エルゼもふらつきながら、必死に立ち上がっていた。
「残るはおぬしら二人のみだ。さあ、儂をもっと楽しませろ! まだまだ暴れ足りんぞ!」
「エルゼ、奴を撹乱するんだ!」
「了解!」
エルゼは思いきり地面を蹴って、フウガと肉薄する。
なぎ払われる腕や不規則な尻尾を華麗に避けてみせた。
私はその隙に、シャノンが突き刺した剣の傷口に狙いを定め、血弾を命中させる。
「咲け、血の華よ!」
私は腕を突き出し、握りこぶしを作る。
次の刹那、フウガの左肩に紅い血の華を開花させた。
「なんと……!? ぐうぅ……!」
これで体内に毒が回れば、私たちの勝ちだ!
しかし、フウガは瞬時に左腕を自切した。
しまった、これでは毒が回らない。
「隙を見せたな、エルゼ!」
「まずい……!」
さすがに疲れが出たのか、エルゼは一瞬だけ立ち止まってしまう。
それをフウガは見逃さなかった。
鋭く尖った尻尾がエルゼを狙う。
もうダメだ……!
そう思った瞬間、フウガの身体が全身氷漬けになる。
「うちを舐めてもらっては困るのぅ……」
間一髪、青梅がエルゼを救った。
だが、青梅自身、無事というわけではなく、ふらつく身体を赤椰に支えてもらっている。
「よくやった、青梅!」
「アデルよ、じきに奴は動き出す! うちらには足止めが限界……! おぬしがこの戦いに終止符を打つのじゃ!」
「わかっている! 準備が整うまで、耐えてくれ、みんな!」
私は最後の濃縮血液を飲み干した。
それから、かろうじて折れていない右腕で、狙いを定め、自分の血液を圧縮させる。
その影響で、私の肌はうっすら赤みを帯び、身体からは蒸気が発生した。
まだだ、まだ血が足りない……!
「青梅頼む! エルゼのサポートをしてくれ!」
「承った! エルゼ、死ぬでないぞ!」
「ああ、わかってる!」
「おのれ、この死に損ないめが!」
氷を砕いてフウガが再び現れる。
先ほど自切した腕は戻っていない。
しかし、傷口から新たな腕が今、再生しようとしている。
「させるか!」
赤椰は力を解放し、その業火で傷口をさらに穿った。
すかさず、青梅が傷口を凍りつかせる。
これで左腕は使えないはずだ。
「小童共が! 小癪な真似を!」
フウガは尻尾を数えきれないほど増やし、一斉に鬼の姉弟へと畳み掛けた。
勢いよく伸びる尻尾が二人を貫く寸前、突然尻尾が石化し、ぼろぼろと崩れ落ちる。
青梅と赤椰の背後には、モニカとミネットに支えられたメデューサの姿があった。
「貴様ら、卑怯だぞ!」
「てめぇにだけは言われたくはないな!」
「アデル、これを……!」
モニカがこちらに何かを投げる。
それは、喉から手が出るほど欲しかった濃縮血液だった。
「もうそれしか残ってない! だから、次の一撃で決めてくれ!」
「ナイスだ、モニカ!」
私は最後の濃縮血液を飲み干した。
身体からは、よりいっそう蒸気が吹き出し、肌が赤く染まる。
その赤を右腕に一点集中させ、一撃必殺の準備を整えた。
「エルゼ、準備完了だ! 今すぐそこから離れろ! 巻き込まれるぞ!」
「了解だ! まだ死にたくないからな!」
「――させるか!」
「なっ……!?」
フウガはエルゼを掴み、盾にする。
しかし、それは覚悟の上だ……!
「アデル、お前を信じてる! だから、アタシごとやってくれ!」
「安心しろ! 決して君を見捨てたりはしない!」
私は、先ほどライアンが放ったこぶしの跡に、狙いを定める。
おそらく、太陽の加護であそこだけ皮膚が薄くなっているはず。
私はそれに賭けて、極限まで圧縮した血液を、エルゼに当たらないように放つ。
無事に着弾した血液は、フウガの体内に侵入した。
「しまった! あやつの血が体内に……!」
「爆ぜろ、我が血よ!」
次の瞬間、フウガの体内で毒の血が炸裂し、身体中から無数の血の針が飛び出した。
いくら頑強な肉体を持っていても、内側からの攻撃には耐えられないはずだ。
間一髪、エルゼにはその針が届いていない。
サボテンのような姿になったフウガは、身体中から血を吹き出し、元のサイズに戻る。
奴の身体は弱々しく痩せ細り、肌も白くなっていて、まるで死人のようだった。
「これで終わりだ、フウガよ」
「ま、待て……! 儂は……考えを改めた! もう悪さは――!」
「御託はいい。早くやっちまおうぜ、アデル」
「ああ」
「エルゼよ、考え直せ! 血の繋がった一族を殺めると、いつか不幸が襲いかかるぞ! 断言する! 貴様らには、いつか、天の裁きが下るだろう!」
「何が天の裁きだ! 全部てめぇのせいだろ!」
私とエルゼは最後の力を振り絞る。
風が止まり、辺りのざわめきが遠のく。
すべての音が削ぎ落とされていく中で、奴の吐 く息だけがやけに鮮明に響いた。
こんなにも、静かだったのか。
命を奪う瞬間というのは……。
一族を滅ぼしたときとはまた違う感覚だ。
諸悪の根源である老害の頭を、二つのこぶしで容赦なくかち割った。
その瞬間、達成感と勝利の余韻が身体中に染み渡る。
これで、ロウガやミアの魂も救われるだろう。
「……やっと終わったな、アデル」
「ああ、長かったな、エルゼ……」
不思議なほど心が静かだ。
復讐は必ずしも救いになるわけじゃない。
それでも、今回はやらなければ前に進めなかった。
ここから先は、彼らのためではなく、自分のために人生を歩むつもりだ。
気づくと、仲間たちが私を囲んでいた。
満身創痍でひどい有り様だ。
しかし、皆は笑顔で祝福してくれた。
「みんな、この一週間付き合ってくれてありがとう。君たちのおかげで、目的は達成できた。本当に、ありがとう」
「感動的なシーンに水を差すようで悪いけど、みんな結構重傷なんだ。早く宿に戻って治療しないと、手遅れになるよ」
「す、すまない……。みんな、本当にお疲れ様。さあ、帰ろう」
私たちの戦いは終わりを告げる。
皆は互いの肩を支え合いながら、ゆっくりと歩き出した。
誰も口を開かない。
傷の痛みよりも、終わったという実感のほうが重かったのだろう。
私はそんな仲間たちに改めて感謝し、新たな未来を見据えながら帰路についた。
部屋の障子を開けると、潮風が一気に流れ込む。
すでに祭りの閉会式が終わり、これから最後の花火大会が始まる。
仲間のほとんどが治療中であるため、今回は部屋から見ることしかできない。
海沿いの闇の向こうで、ひと呼吸置くようにして最初の大玉が咲く。
次々と打ち上がる火の花が、空を大きく照らし、その眩しさに目を細めた。
皆は黙って空を見上げている。
言葉を挟む隙もないほど、空に咲いた花々は華やかで、美しかった。
最後の連発が、夜を塗りつぶすように打ち上がった瞬間、部屋中が昼のように明るくなる。
やがて光が消え、闇が戻った。
耳に残るのは、潮の音と、仲間の小さな息だけ。
胸の奥がじんわりと温かい。
祭りが終わった寂しさと、皆で同じ瞬間を見届けられた嬉しさが、静かに重なっていた。
「……なあ、アデル」
「……なんだ、エルゼ?」
「いろいろあったが、お前と過ごしたこの五日間、めちゃくちゃ楽しかったぜ」
「……それはよかった。私もだよ、エルゼ」
エルゼは、花火のように目を眩ませるほどの満面な笑みを浮かべる。
私は目を細めながら、同じように笑顔で返した。
祭りが終わってから数日後、皆の体調も落ち着いてきたため、帰国することになった。
港で船に乗り込む際、サイガとキセラが姿を現す。
「好敵手よ、今回の件はすまなかった」
「我が一族がご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。心よりお詫びいたします」
「もう終わったことだ。気にしなくていい」
「アタシは気にするけどな」
「エルゼ、あなたには取り返しのつかないことをしてしまいました。なんとお詫びすれば……」
「お前らは悪くねぇ。悪いのは、あのくそジジイだ」
「本当にごめんなさい。ワタクシにできることならなんでもします」
「好敵手よ、困り事があったらいつでも頼ってくれ。わたしたちが力になる」
「では今度、私たちの営む喫茶店に来てくれないか? もちろん、客として」
「お安いご用だ。近日中に訪れることを約束しよう」
サイガは力強く頷いた。
私はいくつか気になったことを質問する。
「そういえば、フウガの死体はどうした?」
「ワタクシが河原の端に埋めておきました。極悪人ですが、一応祖父なので……」
「それでいい。生きていた頃の罪も、土の下でようやく動きを止めた。ただの肉塊に、怒りを受け止める器はないからな」
「正直言うと、アタシはまだ割り切れてねぇ。お前のそういうところはすげぇと思うぜ」
「割り切れないのは当然だ。私も君と同じ立場ならそうなる。……それで君たちはこれからどうするんだ? フウガの件については、一族と揉めそうだが……」
「わたしたちはもうしばらくここに滞在するよ。この島の自然が気に入ったんだ。元族長の件なら問題ない。すでに一族の大半は、わたしに従っているからな」
「ふっ、そうか……」
「二人ともー、船が出発するわよー」
後ろでミネットの声が聞こえる。
私たちが乗り込むと、船は出発した。
「好敵手よ、また会おう」
「ああ、次に会うのを楽しみにしているよ」
「エルゼ、絶対に会いに行くから」
「おう、喫茶ヴァンピールで待ってるぜ」
二人はずっと手を振ってくれていた。
私たちも二人が見えなくなるまで、手を振り続ける。
こうして、私たちの復讐劇は幕を閉じたのだった。




