表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
吸血鬼と狼女  作者: 松川スズム
第三章
30/45

第三十話 逢魔の宵祭 拾壱

 石を蹴るたび、乾いた音が響いた。

 風も水音も、すべてがサイガの蹴りの勢いによってかき消される。

 私はただ腕を構え、迫りくる足の軌道を必死に読んだ。

 

 横薙ぎ、膝蹴り、回し蹴り。

 どれも一撃で骨を砕く威力があり、受けるたびに腕が痺れる。

 こぶしを握る感覚が徐々に薄れていく。

 それでも退かない。

 退けば、その瞬間に終わる。


「ハァ!」

「くっ……!」


 サイガの動きは速い。

 濃縮血液を飲んだ私でも追いつけないほどだ。

 滑らかな身体捌きで、石を踏む音ひとつ立てない。

 

 ……だが、何かが妙だった。

 振り返ってみれば、今までの攻撃手段はすべて足技。

 こぶしを使う素振りが一度もない。

 構えが崩れた瞬間も、手が出てこないのだ。


 ――もしや、腕が使えないのか?


 疑念が脳裏をかすめた瞬間、脇腹に重い衝撃が走った。

 鋭い回し蹴り。

 間合いを見誤った。

 肺の奥から一気に息が漏れる。


「がっ……!」

「アデル!?」

「……ふっ……ふっ……!」

 

 だが、その息の音に混じって、サイガの荒い呼吸音が聞こえた。

 それは浅く、短い。

 蹴りを放つたび、徐々に息が続かなくなっている。


 祭りの二日目、彼はゴリラの面をかぶった異形と対峙した。

 あのときは、相手の一撃をわざと受け止めたのを覚えている。

 ビルさえ吹き飛ぶ威力の衝撃……。

 異形の言うことが真実であれば、たとえ薬で強化しても、耐久力には限界があるだろう。


 それに加え、私との初戦時は青梅の「氷霧(ひょうむ)」をまともに吸い込んでいる。

 青梅いわく、あの氷の霧を取り込むと、肺がズタズタになるらしい。


 疑念は確信に変わった。

 腕だけじゃない。

 呼吸も限界に近いのだ。


「……どうした? 私はその程度じゃ倒れんぞ?」

「ハァ……ハァ……。その虚勢、いつまでもつかな?」


 私は次の一撃をわざと遅らせ、あえて隙を作った。

 案の定、サイガは踏み込んでくる。

 蹴り上げが来る――速いが、先ほどよりもわずかに軌道が甘い。

 右腕で受け流し、重心を崩す。

 その瞬間に、渾身の一撃を叩き込んだ。


 こぶしが腹にめり込む感触とともに、彼の身体が後ろにのけぞる。

 息が詰まった音が聞こえ、肺を庇うように肩を丸めた。

 そこを逃さず、今度はこちらから踏み込んでいく。

 二撃目、三撃目と、こぶしが肉を打つ音が辺りに響き渡る。


「サイガ様!」

「やるな……! だが、まだまだ……!」

「まったく、タフだな君は……!」


 サイガは決して倒れない。

 彼の目は死んでいなかった。

 だが、私は知っている。

 もう以前のように蹴り続けることはできない。

 息を荒らげ、肩を震わせながら、彼は私を睨む。


 次第に私も息が続かなくなってきた。

 動けば動くほど、肺が焼けるようだ。

 腕を振るたびに視界が揺れる。

 

 一方、彼の連撃はとどまることを知らない。

 しかし、明らかに蹴りの精度が落ち、力任せになっているのがわかる。

 

 もうとっくに限界を超えているだろう。

 それでも止まらない。

 互いに一歩も引けなかった。


 こぶしと脚がぶつかるたびに、空気が震える。

 風も、水音も、すべてが遠のく。

 もう、痛みの感覚すら曖昧になる。

 ただ目の前の相手だけが、世界のすべてになっていた。


 私のこぶしが頬をかすめ、彼の回し蹴りが腹部を打つ。

 身体が一瞬浮き、口の中には鉄の味。

 だが、倒れたら終わる。

 膝を地につけた瞬間、もう立てないとわかっていた。


 サイガが一気に距離を詰める。

 力を込めた蹴りの構えをとり、重心が沈む。

 ――来る、最後の一撃が。


 私は思いきり息を吐いた。

 次の瞬間、世界がスローモーションになる。

 彼の軸足のわずかなぶれ、蹴りの軌道の甘さ――その瞬間だけ、すべてが可視化された。

 反射的に踏み込み、腹を狙った蹴りを、身体をずらしてかわす。


 その反動のまま、全体重を乗せてこぶしを振り抜いた。

 それは彼の腹部を確かに捉える。

 肉にめり込む音とともに、手のひらが痺れた。

 衝撃が腕を伝い、背中まで抜ける。


「がはっ……!」

「サイガ様!?」


 サイガの身体がぐらりと揺れ、ゆっくりと後ろに倒れる。

 河原の石に背を打つ音が、やけに静かに響いた。


 私はその場に膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。

 いまだにこぶしが震えている。

 汗と血が混じり、冷たい風が肌を刺した。

 

 川の流れが、再び耳に戻ってくる。

 正直、勝った、という実感はない。

 ただ、終わったのだと――それだけが確かだった。


「……良い仕合だった。完敗だ。認めよう、きみの覚悟を……」

「完敗かどうかは、君が決めることじゃない。私はただ必死に食らいついていただけさ」

「ふっ、謙虚だな。きみと戦えて光栄だよ」

「それは私も同じさ」

「……もうわたしの意識は限界だ。その前に、これだけは言っておこう。わたしが意識を取り戻す頃に、族長がどうなっていようと構わない。一族の皆に尋ねられても、わたしはよくわからない、知らないとだけ答えておくよ……」

「ありがとう。君のその心意気に感謝するよ」

「サイガ様! ご無事ですか!」

好敵手(とも)よ。我が妻、キセラを頼む……」

「ああ、任せておけ」

「……ありがとう」


 サイガの気配が沈黙する。

 その穏やかな顔は、この場にはふさわしくない。

 これから本当の最後の戦いが始まるのだから……。


「キセラ、この場から離れるんだ。ここは再び戦場になる」

「……わかりました。サイガ様はワタクシが運びます」


 キセラはそう言うと、サイガをお姫様抱っこした。

 小さな身体に似合わず、怪力の持ち主のようだ。


「アデル殿、フウガを必ず……」

「ああ、わかっている。ミアとロウガ、エルゼのためにも奴はこの手で始末する」

「ありがとうございます。では……」


 キセラはそう言い残し、この場を離れる。

 同時に、遠くで見ていた仲間たちが私を囲んだ。

 私は最後の力を込めて、もう一度立ち上がる。


「大丈夫か、アデル?」

「問題ないよ、エルゼ」

「そうじゃないと困るぜ」

「ふっ、そうだな。……あとはお前だけだ、フウガよ」


 私たちは一斉にフウガを睨みつけた。

 圧倒的に不利な状況だというのに、奴は冷や汗一つかいていない。

 ……何か策があるのか?


「所詮こんなものか、サイガの力は……。どうやら、少し買い被りすぎていたようだな」

「おい、ジジイ! てめぇ、自分の立場がわかってんのか!」

「……わかっているとも。雑魚がどれほど群れようと、儂には絶対勝てんということをな……」

「なんだと?」


 フウガはニヤリと笑いながら、懐から黄金色に光る液体の入った小瓶を取り出す。

 そして栓を開け、中身を一気に飲み干した。


「おい、待ってくれよ? まさかあれは……?」

「おぬしらに教えてやろう! 決して届かない世界があるということを! これが儂の完全獣人形態だ!」


 フウガは勝ち誇った顔をしながら、禍々しい異形へと姿を変えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ