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吸血鬼と狼女  作者: 松川スズム
第三章
27/45

第二十七話 逢魔の宵祭 捌

 その日の夕方。

 宿の中を散策していると、卓球台が置かれた広間に辿り着いた。

 ベンチには、浴衣姿のミネットが静かに腰を下ろしている。

 もちろん、浴衣姿のメデューサも一緒だ。


「あ、お兄ちゃん……」

「どうしたんだ、ミネット? 女性陣はみんなで温泉に入るんじゃなかったのか?」

「……今日はね、お風呂に入れない日なの」

「――っ!?」


 その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中に電流が走る。

 下手にこの話題に踏み込んではいけない。

 それを自分に言い聞かせた。

 私は平静を保ちながら、言葉を慎重に選んで会話を続ける。


「……体調は大丈夫なのか?」

「少し前までは悪かったけど、お兄ちゃんの顔を見たら良くなったよ」

「それならよかった。何か欲しい物はないか? そうだ、温かい飲み物でも買ってこよう」

「待ってお兄ちゃん。ワタシ今、お兄ちゃんと一緒にいたい気分なの。だからここにいて?」

「お嬢様、わたくしは席を外しましょうか?」

「メデューサもここにいて。あなたには審判をしてほしいの」

「ミネット、お前まさか……」

「お兄ちゃん、昔みたいに卓球で勝負しようよ」

「私はいいが、本当に体調は大丈夫なのか?」

「大丈夫、だからしよう?」

「メデューサ、君からも何か言ってくれないか?」

「お嬢様の命令は絶対なので……」


 メデューサは顔色ひとつ変えず、冷静に審判の位置に移動する。

 一方、ミネットは笑顔いっぱいで私に卓球ラケットを渡してきた。


「ちなみにだけど、ワタシが勝ったらお兄ちゃんにチューするね。もしお兄ちゃんが勝ったら、お兄ちゃんがワタシにチューだから」

「それはレディーとして、少し品がないんじゃないか……? メデューサ、君からも注意してやってくれ」

「お嬢様の命令は絶対です。でも、よかったじゃないですか。お嬢様とキスできるなんて羨ましいかぎりです」

「妬かないでメデューサ。終わったら、あなたにもチューしてあげるから」

「若旦那様! 早く始めましょう! そして、迅速に終わらせてください!」

「どうやら、君たちには話が通じないようだな……。だが、乗りかかった船だ、全力で挑ませてもらう」

「さすがお兄ちゃん。サーブ権はワタシがもらうね」

「両者準備はよろしいでしょうか? では、試合開始です!」

「いくよ、お兄ちゃん!」

「かかってこい、我が妹よ!」


 軽い音を立てて、白い球が行き交う。

 最初は穏やかなラリーだった。

 旅館の卓球台は少し歪んでいて、球が時折変な跳ね方をする。

 それが有利に働き、ファーストポイントは私のものとなった。


「一点目は若旦那様です!」


 メデューサの声が響く。

 ミネットは頬を膨らませてラケットを構え直した。

 

「もぉ、お兄ちゃん……。最初の一点はワタシにくれてもよかったんじゃない?」

「ふっ、勝負事にそんな情は不要だよ」

「そういうこと言うんだ? 絶対にチューしてやるからね……!」


 ミネットの目つきがガラリと変わる。

 その顔を見て、私も自然と姿勢を正す。

 遊びのはずが、いつの間にか本気になってしまっていたのである。


 点を重ねるたびにラリーは長くなった。

 お互い無言のまま、打球音だけが響く。

 乾いた音が空気に混ざる。  

 ミネットの目つきが鋭くなり、私の汗が額を伝う。

 ドライブをかけた球を打ち返すたび、木の床を踏む足音が鳴った。


「十対十、デュースです!」


 メデューサの声が合図のように響く。

 ミネットは軽く息を整え、視線を上げた。

 その目には闘志と、どこか楽しげな光が同居している。

 ……これは兄としての威厳を保つために、負けるわけにはいかないな。


 ラリーは続く。

 球が速すぎて、もはや白い光の軌跡にしか見えない。

 一瞬の油断が命取りになる。

 ミネットのスピンが強烈にかかり、私のラケットをかすめるように抜けていった。


「マッチポイント、お嬢様!」


 激しく心臓が鼓動する。

 私は深呼吸し、ゆっくりと構えた。

 

 ミネットのサーブ。

 低く速い。

 ギリギリで返す。

 互いに打ち合い、どちらも譲らない。

 時間の感覚が消える。

 打つ、返す、踏み込む――ただそれだけだ。


「マッチポイント、若旦那様!」


 最後の一球。

 ミネットのスマッシュを、身体を捻りながらなんとか返す。

 ラケットの縁をかすめた球が、ネットの上をわずかに越え、相手コートにぽとりと落ちて沈黙した。 


「ゲームセット――若旦那様の勝利です!」


 最後は呆気ない幕切れを迎えた。

 だが、この勝負、私の勝ちだ……!


「あーあ、負けちゃった……。でも、少しはお兄ちゃんの役に立てたかな?」

  

 ミネットはラケットを下ろし、微かに笑った。

 もしや彼女は、溜まった私のストレスを発散させようとしてくれていたのか?

 

 私もラケットを置き、じっとりと汗で濡れた手のひらを見つめる。

 思った以上にのめり込み、熱くなっていた。

 達成感と勝利の余韻が心地よい。

 

「久しぶりに血が滾ったよ。ありがとう、ミネット。お前のおかげで、少し気が晴れたよ」

「えへへ、ならよかった~。お兄ちゃん今にも死にそうな顔してたんだよ? そんなんじゃ、エルゼにもバレちゃうわ」

「お二方とも、素晴らしい試合でしたよ」

「審判をしてくれてありがとう、メデューサ。じゃあ、お兄ちゃんには私にチューをする権利を与えます。場所はどこでもOKよ。おすすめは唇の辺りね。してくれなかったら、お兄ちゃんのこと嫌いになるから」

「……ほ、本気なのか?」


 私は思考を巡らし、必死に正解を探る。

 その結果、疲れた脳みそはとある答えを導き出した。


「……ミネット、恥ずかしいからこのアイマスクをつけてくれないか?」

「え、それって……!? もうお兄ちゃん、ワタシのこと好きすぎ。……つけたわ、これでいいの?」

「ああ、ありがとう。では、いくぞ?」

「う、うん……」


 ミネットは顎を上げ、とても他人には見せられないキス待ち顔をさらしている。

 私はメデューサを手招きして、彼女に小声で囁いた。


「……君がやるんだ」

「――っ!?」


 メデューサは顔を赤くしながら、頭を激しく上下に振った。

 私はミネットの顎にそっと手をやり、形だけ偽装する。


「ではいくぞ、ミネット」

「は、はい……」


 声を発した瞬間、メデューサがミネットの頬に口づけを落とす。

 しかも、その場所は唇にかなり近い。

 その光景は厳かで、どこか神秘的だった。

 最後に頭を優しく撫でたあと、アイマスクを丁寧に外す。


「……これで満足か?」

「ひ、ひゃい……! あ、ありがとうございましゅ……! お、お兄ちゃんの唇って意外と柔らかいんだね……?」

「嫌だったか?」

「ううん、そんなことない! むしろ、好き……。ワ、ワタシ、喉渇いちゃった! ちょっと飲み物買ってくるね!」

「ああ、気をつけてな」


 ミネットは顔を赤らめながら、全速力で走り去っていく。

 その必死な姿を見て、思わず可愛らしいと思ってしまった。


「あ、あの、わたくしがキスをしてもよかったのでしょうか? お嬢様にバレたら大変なことになりそうですが……」


 メデューサはか細く、申し訳なさそうな声色で口を開いた。

 しかし、その顔は明らかに恍惚としており、あろうことかよだれまで垂らしている。

 一瞬だけ、彼女がミネットの従者で本当にいいのかと悩んだが、とりあえず呑み込んだ。

 

「君がバラさなければ大丈夫だろう。これは私たちだけの秘密だぞ?」

「じゅるっ……。わ、わかりました。安心してください、わたくしは口が堅いほうなので……。あの……若旦那様、少しいいですか?」


 メデューサの顔と口調が元に戻り、真剣な雰囲気に変わる。

 その温度差に風邪を引きそうになるが、彼女の声に耳を傾けた。


「本当に日中の付き添いをしなくてもよいのでしょうか? わたくしも若旦那様の力になりたいのですが……」

「すまない、決して君が劣っているとかではないんだよ。むしろ逆だ。君は異形としての格が高すぎる。事実、あの香水では君のにおいを消しきれなかっただろう?」

「そ、それはそうですが……」

「あれは人間に近い異形ほど効果を発揮する。狼人間はともかく、純血の吸血鬼や君のような真の異形には効果がないんだよ」

「し、しかし……」

「理由はもう一つあるんだ。君にはミネットの傍を片時も離れてほしくないんだよ。彼女の精神はまだ幼いから心配なんだ」

「……若旦那様、差し出がましいですが、無礼を承知で申し上げます。お嬢様はすでに立派なレディーですよ。ご心配される気持ちは理解できますが、お嬢様への過度な干渉は必要ないと思います」


 メデューサの表情は至極真剣だ。

 明らかに嘘は言っていない。

 どうやら私は勘違いをしていたようだな。

 

「ふっ、そうか……。君が言うのであれば、きっとそうなのだろう。では、また用があれば君とレディーを頼ることにしよう。期待しているよ、メデューサ」

「任せてください、若旦那様」

「おまたせ、お兄ちゃん、メデューサ。じゃあ、みんなが戻るまで、また卓球をしましょう。もちろん、今度は勝っても負けてもワタシがお兄ちゃんにチューできる権利を得ます」

「前言撤回だ。頼むから、勘弁してくれ……」

「ふふっ、仲睦まじくて何よりです」






  

 気持ちのいい疲労感に包まれながら、自室へと戻る。

 そこに赤椰とライアンの姿はない。

 部屋を見回すと、机の上に書き置きがあることに気づいた。


『港で待っています』


 その一文のみが書いてあった。

 途端に心臓が跳ねる。

 すぐに浴衣から外着へと着替え、急いで旅館から飛び出した。


 外はもう真っ暗で、街灯が灯っている。

 賑やかな商店街の入り口を通過し、まっすぐに港へと向かう。

 無事港に到着するが、辺りに人気はない。

 ただ穏やかに波が打ちつけ、わずかな飛沫を上げる音しか聞こえなかった。


「ご足労いただき感謝いたします。しかし、ここでは目立つので、もっと奥のほうへ行きましょう」

「――なっ!?」


 女性の声が聞こえた瞬間、急に手を掴まれた。

 そのまま私は港の奥へと連れ去られてしまう。


「……ここならいいでしょう」

「き、君はいったい……?」


 女性は手を放し、こちらを振り返る。

 銀髪で褐色の可憐な女性は、自分の胸に手を当てながら口を開いた。


「ワタクシはキセラといいます。やっと会えましたね、アデル殿」

「……君がキセラか。会えて光栄だよ」

「それはこちらも同じ気持ちですよ。申し訳ありませんが、ワタクシには時間がありません。あまり遅くなると、サイガ様に見つかる恐れがあるので……」

「あの御仁はこちら側ではないのですか?」

「実はまだ詳しくは話していません。ですが、サイガ様は正義の心を持つ聖人です。きっと今回の件も理解していただけるでしょう」

「そうですか……」

「早速ですが、要件を伝えますね。明日の宵の口、ワタクシが我が祖父フウガを河原へと誘い出します。――そこで奴を葬っていただけませんか?」

「元からそのつもりです。もしよろしければ、あなたの胸の内を、もう少しお話しいただけないでしょうか?」


 キセラは一瞬だけ視線を下げる。

 しかしながら、すぐに覚悟を決めた目でこちらを見上げた。


「我が姉ミアは、生まれながらにして病弱でした。姉はかねてより一族の役に立ちたいと意気込んでいましたが、それは叶わず長年病床に伏していたのです。姉は悔しさのあまり、毎晩泣いていました。それを知ったうえで、フウガはとある計画のために姉の弱みに付け込み、懐柔したのです。最終的に、姉は身も心も実の祖父に捧げてしまいました」

「なっ……!?」

「その要因は、ロウガが頭角を現してきたことにあります。元々フウガとロウガは、水と油のような関係でした。加えて、フウガは婿入りした、お気に入りのサイガ様を族長にしたいと考えていたのです。そして、フウガは計画を実行に移しました」

「まさか……!」

「お察しのとおりです。ロウガを排除するためにフウガと姉は共謀し、あの事件を引き起こしたのですよ。ついでに忌み子であるエルゼも、同時に排除しようと企てたのです」

「フウガめ……! あの老害だけは絶対に許さんぞ……!」

「お、おい、今の話は本当なのかよ……?」

「――ッ!?」


 振り返ると、そこにはエルゼがいた。

 なんという最悪なタイミングだ。

 これではせっかくの計画も台無しじゃないか……。


「アデル、今までお前はアタシを騙してたのか? まったく、冗談きついぜ。アタシは全然信用されてなかったんだな……」

「ち、違うんだ、エルゼ……」

「何が違うんだよ! この裏切り者! もうアタシに関わらないでくれ! この嘘つき野郎が!」


 エルゼは一方的にそう言い放ち、走り去ってしまう。

 あの表情、明らかに怒りを露にしていた。

 すぐに彼女を追おうとするが、突然身体に衝撃が走り、吹き飛ばされる。


「ぐっ……!?」

「我が妻よ、今の話は本当か? だとしたら、なぜわたしよりもこの男を優先したのだ」


 目の前には、同じく怒りの表情を隠しきれていないサイガが仁王立ちしている。

 なんてタイミングが悪い……。


「アデル殿、サイガ様はワタクシが引き受けます! あなたはエルゼを追ってください!」

「離すんだ、キセラ!」

「サイガ様、話を聴いてください! そうすれば、納得していただけるはずです!」

「すまない、キセラ……!」


 私は駆け出し、エルゼのあとを追う。

 しかし、街の中をくまなく探し回ったが、彼女の姿を見つけることはできなかった。

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