第二十六話 逢魔の宵祭 漆
今日はなんの成果も得られなかった。
フウガ一族は、青梅が設置した氷目にも引っ掛からない。
おそらく、昨日サイガとキセラに接触したせいで注意深くなっているのであろう。
何をしているんだ、私は……。
手がかりを見つけたと浮かれて、現地まで足を運んだ結果がこれか。
ここまで追って、身を削り、血反吐を吐くような思いで辿り着いたのに、結局何も掴めなかった。
ようやく掴んだと思った手がかりが、再び霧のように消える。
あと少しだった……。
あと一歩で、奴の首を掴めたはずだったのに。
どれだけ探しても、奴は影一つ残さない。
焦りだけが徐々に積もっていく。
復讐なんて言葉を口にする資格もないほど、私は無力だ。
風が吹き抜けるだけの路地裏で、胸の奥に空洞ができたように息が詰まる。
……それでも、諦める気にはならなかった。
追わなきゃならない。
ロウガの無念のためにも――。
「アデル……少し休憩しよう。あまり根を詰めすぎてもよくないからね」
「いや、私はまだ――」
「アデル!」
「――ッ!?」
モニカは大声で私の名を叫ぶ。
その声は人気のない路地によく反響した。
突然のことだったので、私は思わず目を丸くする。
「この一週間、ろくに寝ていないだろう? 今のきみじゃ、フウガを見つけても復讐するのは難しいと思うよ? それにまだ一日ある。今日は充電日と考えよう」
彼女の目はいつになく真剣だ。
同時に、どこか不安げな表情を見せている。
おそらく、今の私は目に見えてやつれているのだろう。
不甲斐ない、あのモニカにここまで心配されてしまうとはな……。
「……そうだな。ありがとう、モニカ」
「OK、とりあえずそこのカフェにでも入ろうか?」
「ああ」
通りの角に、小さな木製の看板が立っていた。
手書きの文字で「珈琲」と書かれている。
それが喫茶店だとすぐにわかった。
ガラス越しに中の様子はうっすら見えるが、外よりもわずかに暗く、照明が柔らかい。
分厚い木製の扉を押すと、鈴がチリンと鳴った。
店内はこじんまりとしていて静かだ。
店全体を淡く照らす、古風なステンドグラス。
テーブルや椅子は少し硬いが、どこか温かみがある。
奥からは小さなジャズの音、カウンターの向こうでは、梟の面をかぶった壮年のマスターが手を止めてこちらを見ていた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「ええ、そうです」
「どうぞ、お好きな席へ」
「じゃあ、ここにしようか」
「ああ」
私たちは窓際のソファー席に座る。
席につくと、マスターは水の入ったグラスとおしぼりを乗せたトレーを私たちの右側に置く。
「初めてのご来店ですね。この国の言葉はわかりますか?」
「はい、読み書きは一通りできます」
「では、メニューはこちらになります。コーヒーが好きなら、うちのブレンドをおすすめしますよ」
「そうなんですか」
「では注文が決まったら、ベルを鳴らしてください。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
店内の客は二人。
雑誌をめくる男性と、ノートに文字を書き連ねている女性。
誰も話していないのに、居心地はそこまで悪くない。
メニューを手に取ると、食べ物の欄には「ナポリタン」、「ピザトースト」、「プリンアラモード」などが記載されていた。
どれもこの国独自の家庭的で、懐かしさを感じさせるものばかりである。
私たちはとりあえず、おすすめされたブレンドコーヒーを頼んだ。
マシンで淹れるのではなく、サイフォンの器具で湯気を立てながらゆっくり抽出している。
「こちらブレンドコーヒーになります」
「ありがとうございます、マスター」
運ばれてきたカップは、厚みのある陶器でできていて、取っ手の形が少し歪んでいた。
コーヒーの香りは深く、口に含むと、上品な濃い苦味の中に少しの酸味があり、後味はすっきりとして飲みやすい。
この一杯の中に、この店の味が凝縮されているような気がした。
自国では、喫茶店もといカフェは人と会話を楽しむ場所だ。
もちろん、この国では沈黙そのものを味わう場所であることを理解している。
その静けさを破らぬように、もう一度カップに口をつけた。
「いや~、実はこの国のカフェに入るのは初めてなんだよ。それにしても、みんな静かだね。だけど、なんかヴァンピールと共通点が多いような? 店の雰囲気といい、メニューといい……」
「それはそうだろう。なんせヴァンピールは、この国の喫茶店を参考にしているのだからな」
「えっ、そうなの?」
「前にも言ったが、昔私はこの国に住んでいたんだ。そのとき喫茶店にはよく通っていた。その影響で、私は地元のカフェより、この国の喫茶店に憧れを持つようになったんだよ」
「へぇ~、そんなことがあったんだね!」
「モニカ、声が大きいぞ。もう少しボリュームを下げろ」
「あ、ごめんごめん……。それにしても、メニューには初めて見る料理もあるねぇ~」
モニカは目を輝かせてメニューを眺めている。
私は食欲が湧かなかったので、コーヒーをもう一杯頼むことにした。
「このカツサンドを頼もうかな。でも、このフルーツサンドってやつも気になるな……」
「両方食べればいいだろう。どちらも美味いぞ」
「そうなのかい? じゃあ、どっちも食べよう。ヴァンピールにはどちらもないからね」
「……新メニューとして考えておこう」
不意にモニカの視線が窓の外に移った。
外には二匹の猫が喧嘩をしている。
一通り喧嘩し終えたあと、猫たちは互いの体をペロペロと舐め合う。
二匹とも柄がそっくりだ。
もしかしたら、兄弟なのかもしれない。
モニカはカップを両手で包みながら、何か考え込むようにして、その姿をぼんやりと眺めていた。
外の光が淡く差し込み、彼女の髪を透かし、頬の輪郭を優しくなぞる。
なぜだか彼女の横顔が、いつもよりやけに穏やかに見えた。
「ん? どうしたんだい?」
「いや、別に……」
「もしかして、まだ何か隠し事でもあるのかい? まったく困った奴だなぁ、アデルは……」
「ふっ、そういうわけではないよ。それよりも、品が決まったのなら早く注文したまえ」
「はいはい、わかりましたよ~。そんなこと言うなら、アデルが注文してくれてもよかったのに……」
「失敬、疲労困憊で失念していたよ」
「えっ、大丈夫かい……?」
「……そんな心配そうな顔をするな。いつもの軽いジョークだよ」
私は口角を上げながら、一杯目のコーヒーを飲み干した。
モニカはどこか不満げな顔をしながら、深く
ため息をつく。
その後すぐにベルを鳴らし、マスターに新たなメニューを追加で注文した。
この店のコーヒーのおかげで、少しだけ疲れがとれたような気がするな……。
今回は彼女のマイペースさが、良い方向に働いたようだ。
私はこの場の静謐なひと時を堪能しながら、二杯目のコーヒーを首を長くして待つことにした。




