第二十五話 逢魔の宵祭 陸
私たちは広大な河原に到着した。
川面の陽は、細かな光の粒を撒き散らしていて、辺りの空気がひんやりと肌にまとわりつく。
海が近いせいか、潮のにおいを含んだ川風も吹いている。
この場所だけ、静かに澄んでいるようだった。
私たちは怪しまれないように、離れた場所から二人を監視する。
「綺麗な川じゃな。心が洗われるようじゃ」
「ああ、そうだな……」
張り詰めた緊張を緩和しようとしたのか、青梅がぽつりと呟く。
一方、サイガとキセラは穏やかな雰囲気を醸し出しながら、河原の景色を眺めている。
水を差すような行為で少し気が引けるが、フウガの居場所を特定する絶好の機会だ。
ここは利用させてもらおう。
すると突然、サイガが振り返る。
そして、そのままこちらに向かってきたのだ。
私と青梅の間に緊張が走る。
「こんにちは。あなた方は地元の方ですか? この川の名を知りたいのですが……」
爽やかな口調でサイガは話しかけてくる。
私たちはすぐさま人間になりきる決断をした。
「こんにちは。申し訳ないですが、私たちもよく知りません。ですが今ちょうど、娘とその話題で盛り上がっていたところなんですよ」
「すまんのぅ、うちらはこの国の人間じゃが、今はただの観光客なんじゃよ」
「そうですか! やはりこの島の自然は素晴らしいですよね! わたしと妻はこのような場所を巡るのが趣味なんですよ!」
「それは素敵ですね」
「夫婦揃って趣味が一緒とは羨ましいのぅ」
「質問にお答えいただきありがとうございます。最後に一つだけよろしいですか?」
「なんでも質問するがよいぞ」
「不躾な質問で恐縮ですが……なぜあなた方は自分たちのことを人間だと偽ったのですか?」
「……え?」
「お二方、どちらも我々と同じ異形の者ですよね? なぜ人間の真似をしたのでしょうか? わざわざにおいまで隠して?」
和やか雰囲気から一転し、一気に周りの空気が凍りつく。
私は瞬時に青梅を片腕で抱き、サイガとの距離を取る。
「その反応、やはり我らを狙う不埒者だったか……。不安の種はここで潰しておくのがよさそうだな」
サイガの語気が強くなり、思わず昨日の出来事を思い出す。
彼は今、あのチンピラ共を蹴散らしたときと同じ眼をしている。
次の瞬間、距離を詰められ、彼の足が鋭く空を裂いた。
青梅を後方に下がらせ、反射的に腕で受け止める。
その結果、骨の軋む音とともに、想像以上の衝撃が肩まで突き抜けた。
「ぐっ……!」
「下がるのじゃ、ご主人!」
後ろで青梅が叫んでいる。
しかし、その声は怯えを隠しきれていない。
私は一歩も下がれなかった。
次の蹴りが来る。
横薙ぎ、回し、そしてすぐに反転の連撃。
防ぐだけで精一杯だ。
踏み込む隙がどこにもない。
さらに河原の石が足裏を不安定にした。
砂利で滑るたびに膝が震える。
彼はそれを見逃さない。
低く沈んだ姿勢から、足が迫ってきた。
腹に衝撃が走り、胃の奥の空気が一気に押し出される。
このままではまずい……!
しかし、私のすぐ後ろには青梅がいる。
その存在が、逃げるという選択肢を殺していた。
次の瞬間、足が視界をかすめ、頬を裂く痛みとともに世界が傾いた。
即座に立ち上がるが、すでに脚が震え、呼吸も浅くなっている。
彼女を守るという意識だけが、かろうじて身体を動かしていた。
「ここまで耐えるとは……。敵ながら感服するよ」
一方、相手は一息も乱れてはいない。
砂利を踏む音すら、律儀に一定の間隔を保っている。
私はその音に、死の確信を覚えた。
それでも、背後を守るように腕を広げる。
青梅の怯えた息づかいを聞きながら、私はまた一歩、前へ出た。
「息を止めよ、アデル!」
青梅の叫び声が聞こえた瞬間、辺りに銀箔の霧が立ち込める。
私は彼女の指示どおり息を止め、後ろに下がった。
そして、そのまま彼女の身体を抱きかかえ、瞬時に逃げる選択肢を取る。
「ごほっ……待て……! なんだ……この霧は……肺が……!?」
「サイガ様っ!?」
予想外の出来事に驚愕するサイガの声。
それが遠くなっていくのを感じ取りながら、無我夢中で走り抜ける。
そして気づけば、すでに街中まで辿り着いていた。
「ぷはっ……! ハァ……ハァ……」
面を外し、この世に生を受けて初めて息を吸う赤子のように深呼吸する。
同時に力が抜け、青梅の身体を手放した。
幸い、彼女に怪我はない。
「なぜうちを庇った? おぬしなら反撃できたじゃろ?」
青梅はムスッとした表情で腕を組んでいる。
その瞳は明らかに怒りの感情を孕んでいた。
「……下手に反撃すれば、君にも危害が及んでいたかもしれない。元々これは私の問題だ。これ以上、大切な家族を巻き込むわけにはいかない。それに、君の傷は簡単には治せないが、私は血を飲むだけで治る」
「格好つけよってからに……。まあ、おぬしのそういうところに惚れ込んだのじゃがのぅ」
「……それは光栄だよ」
青梅は面を外し、くしゃりとはにかむ。
今日は彼女の笑顔を守れただけでも、収穫があったというものだ……。
「……アデルさん、一緒にお風呂に入りましょう」
宿に戻ったあと、赤椰がそんな提案をしてきた。
しかし、その気軽な発言とは裏腹に、表情は真剣そのものだ。
そのあまりにも意志の固い顔に気圧され、二人きりで露天風呂に浸かることになった。
「……アデルさん、僕から言いたいことがあります」
「どうしたんだ? そんなに改まって……」
露天風呂には私と赤椰、二人だけだ。
温泉の熱気のせいなのか彼の表情は一瞬緩むが、すぐにまた元へと戻る。
彼のそんな姿を可愛らしいなと内心思いながら、話に耳を傾けた。
「姉さんから今日のことを聴きました。それを踏まえて、この際はっきりと言っておきます」
赤椰は喜怒哀楽を同時に内包したような表情をしながら、私と真っ直ぐに目を合わせる。
そんな彼の姿を見て、私も姿勢を正す。
彼は勢いよく立ち上がり、私を見下ろす形で口を開いた。
「正直言って、僕は復讐には反対です! ですが、あなたには協力したいとも思っているんですよ! 僕たちを信用して、エルゼお姉ちゃんのことを任せてくれたのは嬉しいです! ですが、もっと僕たちを頼ってください! 僕たちを家族と思っているのならなおさらです……! 矛盾したことを言っているのかもしれませんが、今の僕が言えるのはそれだけですね!」
赤椰の声が辺りに響く。
これが室内だったら、鼓膜が破れていたかもしれない。
だが、彼の想いは伝わった。
私はその勇気ある発言に対して、敬意を示さねばならない。
彼の両肩を優しく掴み、ゆっくりと口を開く。
「正直な意見を言ってくれてありがとう、赤椰。君に迷惑をかけてしまってすまないと思っている。それを承知で、もう一度お願いしたい。エルゼを頼む。これは君にしかできないことでもあるんだ」
「アデルさん……。正直、僕は今でも心から賛成はできません。でも、あなたがそこまで覚悟しているなら、わかりました。協力します。エルゼお姉ちゃんのことは任せてください。やるなら……最後まで、貫き通してくださいね」
「ありがとう、赤椰」
「……最後に、もう一つだけお願いがあります」
「それは、何かね?」
「家族に迷惑をかけたくない……その気持ちは十分にわかります。でも、家族だからこそ、迷惑をかけてもいいんですよ。それだけは、ちゃんと覚えておいてください」
「……ふっ、そうだな。君の言うとおりだ」
私は照れ隠しで、赤椰の頭をくしゃくしゃにした。
彼は頬を赤らめながらも、抵抗を一切せずに受け入れる。
温泉と相互理解によって火照った身体が、確かにその場に存在することを実感した。
「どうしたんだ、アデル? もうへばったのか?」
今宵の夜はツクヨミシティには存在しない、この国独自のアミューズメントスポーツクラブで汗を流す。
昼の出来事をつゆ知らず、エルゼは躍動し、もっと動けと私を焚きつけてくる。
「ふっ、ここからが本番だ……!」
「受けて立つぜ、かかってこい!」
彼女に勘づかれないためにも全力で応える。
私の身体はどうなってもいい。
今は愛しい彼女と遊戯にふける。
そんな夜を、私は心から楽しんだのであった。




