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吸血鬼と狼女  作者: 松川スズム
第三章
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第二十四話 逢魔の宵祭 伍

 目が覚めた瞬間、世界がゆっくり回っていた。

 胃の底に沈んだ酒が、まだ熱を持っている気がする。

 昨夜――いや、正確には今朝まで続いた宴の名残が、頭の奥でまだ響いていた。

 またしてもエルゼに付き合わされたのだ。

 皆は必死に止めようとしていたが、彼女は絡み酒で、しつこく私に飲めと迫ってきたのである。

 仕方ないので付き合うことにしたのだが、それが悪手だった。

 結局、ザルの彼女に一晩付き合わされ、この始末である。


 私は眠気を覚ますために、洗面所で顔を洗い、歯を磨く。 

 しかしその後、水を飲んでも、吐息の中にはまだ酒気が残っていた。

 すると突然、携帯電話が震える。

 確認してみると、とある人物から連絡が来ていた。


『宿の入り口で待っておるぞ』


 その一文のみが目に映る。

 内容は昨日とほぼ同じだが、今日は相手が違う。

 私は準備を整え、同室の二人を起こさないようにして、待ち合わせ相手のもとへと向かった。







「おはようなのじゃ。体調はどうかの、アデルよ?」

「おはよう、青梅。体調は……まあまあといったところだよ」


 待ち合わせの相手は青梅だった。

 彼女は心配そうな顔で、私の前に立つ。

 首を少し傾げて、私の目を覗き込んでくる。

 その視線がやけに近く感じられて、思わず目を逸らした。

 

「どうやら二日酔いのようじゃな。エルゼめ、何も知らないとはいえ、アデルに浴びせるように酒を飲ませおって……」

「私は平気だ。彼女を責めないであげてくれ」

「優しいのぅ、我が主人は。つらかったら言うがよい。いつでも介抱するぞ?」

「ありがとう。今日はよろしく頼むよ、青梅」

「うむ! うちに任せるがよい!」

「あ、ちょっと待ってくれないか?」

「どうしたんじゃ?」


 私は昨日と同じように、特殊な香水を吹きかける。

 今日は青梅にも必要なので、許可をとってから吹きかけた。


「……これが例の香水か? 今うちらは同じにおいを発しておる、ということじゃな? これでは皆に勘違いされてしまうのぅ……」

「では、行こうか」

「ぐぬぬ、さらっと流しおって……! あ、待つのじゃ! 置いていかないでくれぇ!」


 早朝の商店街と境内を回ったあと、別の場所にも捜索の手を広げることにした。

 今日青梅を連れてきた理由はもう一つある。


「青梅、もう一度頼む」

「了解じゃ。ではゆくぞ」


 青梅はゴルフボールほどの、丸い氷の塊を作り出す。

 その塊は建物の壁にくっつくと、まるで目玉のようにギョロギョロと動き始めた。


「この『氷目(ひめ)』は、うちと視覚を共有しておる。すでに街中の至るところに設置しておいたゆえ、標的を見つけるのは容易いじゃろう」

「ありがとう、青梅。これで安心して、街の外も捜索できるよ」

「ふふん、もっと褒めてくれてもいいのじゃよ? もちろん、街の外にも設置して、監視の目を光らせておくからの。どうじゃ、うちは有能じゃろ? 抱擁の一つや二つしてくれても構わんぞ?」

「さあ、行こうか。今日は忙しくなるぞ」

「またスルー……か。ふふっ、どうやら我が主人は、相当恥ずかしがり屋のようじゃな……。ああ、待つのじゃ! そう足を早めるな!」






 

 私たちは郊外にあるパイナップル畑を通り過ぎる。

 風が畑を撫でるたび、パイナップルの葉が刃のように光を弾いた。

 辺りには熟れた果実の甘い香りが空気に溶けている。

 もう秋だというのに、遠くでわずかに陽炎がゆらめいており、香りに群がった虫の羽音が、昼の静けさを震わせていた。

 手を空にかざすと、じりじりと熱を帯びる。

 どうやらこの島の太陽は、優しさと残酷さを両方兼ね備えているようだった。


「おお、美味そうなパイナップルがいっぱいじゃのぅ。ほぅ、あっちにはマンゴー畑もあるぞ。この時期でも獲れるとは驚いたのぅ」

「ふむ、やはりこの島は普通の島とは違うようだな……」

 

 一通り見回ってみたが、農家の方々以外見つからない。

 この一帯に氷目を設置したあと、私たちは次の捜索場所へと向かった。

 

 次に訪れたのは広大な牧草地。

 暖かい風がそよぐ中、一面の牧草は波のようにうねっていた。

 草の香りに混じって、獣と乳のにおいが辺りに漂う。

 緑の大地の上には、白と黒の斑点が無数に散り、まるで誰かが筆で塗りつぶしたように、牛たちが群れている。

 牛たちはゆったりと草を食み、太陽光を背に受けて影を長く伸ばす。

 どこまでも続く青と緑の境界。

 風の音と低い鳴き声が混ざり合い、時間の流れがゆっくりと進む感覚に包まれる。


「のどかな場所じゃな~。それに、この感覚……。どこか故郷を思い出すのぅ……」

「君の故郷も趣のある土地のようだな。一度、行ってみたかったよ」

「むむっ、それはどういう意味じゃ? ……やはり、おぬしはうちのことが好きでたまらないようじゃな?」

「どうやら失言だったようだ……」

「故郷を訪れて何をする気だったんじゃ? 父上に改めて挨拶かのぅ?」

「それより、ここにも氷目を設置してくれないか?」

「ふふっ、我が主人は照れ屋さんじゃのぅ。言われなくても、もう設置してあるぞ」

「ありがとう。君のそういうところは頼れるよ」

「い、今なんと言った……? す、好きと言ったか?」

「……ハァ、もう突っ込まんぞ?」







 次に訪れたのは「宵闇(よいやみ)の森」。 

 事前情報によると、この森は島にとって神聖な場所のようで、入り口には巨大な鳥居が連なっている。

 ただ完全に立ち入り禁止ではなく、入り口から奥にある祠までは一般人でも入れるようだ。

 足を踏み入れ進んでいくと、木々の間から差す光は細く、紫がかった霧が足元を流れていた。

 葉の擦れる音が囁きのように重なり、空気には湿り気と、古い血のような鉄の匂いが混ざっている。

 この森だけは、島の時間から切り離されているように思えた。


「……ここは神秘的な場所じゃのぅ。じゃが、どこか恐ろしくも感じるぞ」

「私も同意見だ。ここは異形が、安易に足を踏み入れてはいけない場所のようだな。すぐに戻ろう」

「のぅ、アデルよ。森の入り口にあった茶屋でいったん休まぬか? うちは少し疲れた……」


 そこで初めて気づく。

 青梅は大量の氷目を操っている。

 それが負担になるのは当然だ。

 私は彼女をお姫様抱っこし、茶屋へと向かう。

 何か言ってくるかと思ったが、彼女はうつむいたまま静かに腕におさまっていた。





 


 茶屋に到着する頃、青梅はすでに元気を取り戻していた。

 店内は人と異形でいっぱいだ。

 仕方ないので、私たちは外にある長椅子に横並びに座る。

 頼んだ団子とお茶が運ばれるまで、なぜか彼女は静かなままであり、どこか気まずい雰囲気が漂う。

 耐えられなくなった私は、ゆっくりと口を開いた。 

  

「気にかけてやれなくてすまない。君に負担をかけすぎたな」

「……おぬしのためならこれくらいどうってことはない」

「ありがとう。だが、今日の捜索はここまでにしよう」

「うちはまだまだいけるぞ?」

「……では、あと一か所に氷目を設置したら宿に戻ろうか」

「任せるがよい。では、冷めないうちに団子を食べるとするかのぅ」

「ああ、そうしよう」


 私はみたらし団子、青梅は紅芋団子を手に取った。

 串を持つ手の先で、みたらしのたれが陽に透けて黄金色に光る。

 面をずらして一口かじれば、焼き目の香ばしさとたれの甘辛さが舌に広がっていく。

 

 隣では彼女が、紅芋団子をゆっくり噛み締めている。

 ほのかな芋の香りが風に混じり、鼻をくすぐった。

 私も紅芋団子を手に取り頬張る。

 しっとりと優しい甘みが喉を通りすぎた。

 

 私は団子の甘みがまだ舌に残るうちに、湯呑みの縁を唇に寄せる。

 ほろ苦い緑茶がゆっくりと流れ込み、喉を通るたびに、疲れが薄れていくようだった。

 

 彼女も同じように湯呑みを傾けている。

 湯の表面がわずかに揺れ、映り込んだ空が波のように歪む。

 そんな我々二人の間を、生暖かな風がすり抜けていった。

 

「……ふぅ、美味であった。やはり団子を食べると故郷を思い出す。のぅ、アデル。エルゼのことなんじゃが……」

「どうかしたのか?」

「今回の件は本当に秘密にしていてよいのか?」

「エルゼに同族殺しはさせたくない。彼女には綺麗なままでいてほしいんだ」

「ふむ、それも一理あると思うんじゃが、あのエルゼじゃぞ? 真実を知ったら、喜んで協力すると思うんじゃが?」

「それはそれで問題だ。同族を殺すあの感触……あれは決して経験してはならない」

「説得力があるのぅ……。わかった、この話についての是非は問わん。うちはただ、全身全霊で協力すると約束しよう」

「そう言ってくれて助かるよ」


 話が終わると、青梅は私にそっと寄り添ってくる。

 そのまま頭をこちらに預けてきた。


「どうしたんだ、青梅?」

「……すまぬ、少しだけこうさせてくれんか?」


 青梅は面を外し、私の身体に頭を擦りつける。

 そのさまは、まるで甘えたがりの犬か猫のようであった。

 数分後、彼女は面をかぶり、私と距離を取る。


「……満足したか?」

「ああ、実によかったぞ」

「なぜあんなことを……?」

「アデルよ、うちはおぬしに惚れておる」

「……そうか」

「ふふっ、あまり驚いておらぬな?」

「過去の言動を考えればな……」

「だがしかし、異性としてではない。うちはおぬしの父性に惚れておるのじゃ」

「私の父性……?」


 それにしては際どいアピールがあったような……。

 いや、今それを訊くのは野暮だろう。


「おぬしには感謝しておる。一族の厄介事を解決し、行き場のないうちらに衣食住を与えるだけでなく、仕事と給料まで与えてくれた。それだけではなく、今は家族として迎え入れてくれている。おまけに魚の食べ方が綺麗ときた。これで惚れないほうがおかしいじゃろ?」

「そ、そういうものなのか……?」

「初めは異性として好きだったのかもしれん。じゃが、今では親愛の情のほうが強い。これはおぬしの父性が好きということじゃろ?」

「そ、そうか……?」

「異性の好きはエルゼにくれてやる。おぬしとエルゼはお似合いじゃからの。じゃが、父性はうちものじゃ。じゃから、たまにはこういう風に甘えてもよいかのぅ?」

 

 若干話が明後日のほうを向いている気がしなくもないが、今は呑み込もう。

 要するに彼女は、私に威厳ある父親のように振る舞ってほしいのだ。

 以前聞いた話では、紫琉殿は常に里のことで忙しく、二人はあまり構ってもらえなかったらしい。

 しかし、もう里との縁は完全に切れてしまった。

 

 青梅と赤椰には、もう私しかいないのだ。

 家族として迎え入れたのなら、父親としての役割を全うしなければならない。

 これは私に課された義務でもあるのだ。

 私は彼女の頭の上に手を置き、優しく撫でる。


「……わかった。またいつでも甘えてきてくれたまえ。しかし、エルゼの前では控えてくれると助かる」

「ほ、本当か……!? さすがアデルじゃ! 安心せい、時と場所は弁える! エルゼはああ見えてバリバリ嫉妬するからのぅ……」

「ああ、そうしてくれ」

「ア、アデルよ。早速お願いを聞いてくれぬか?」

「ああ、父である私になんでも言ってくれ」

「こ、今度一緒に風呂に入らぬか? 実は父上とは一度も入ったことがないのじゃよ……」

「どこの世界に、成人済みの娘と風呂に入る父親がいるんだ? もちろん、却下だ!」

「ぐ、ぐぬぬ、まごうことなき正論……。さすがに無理があったか……」

「この先、君と暮らすのが少しだけ不安になってきたよ」

「店主、実に美味であったよ。ごちそうさま」

「また来ますね」


 店内から仲良く腕を組んだ二人組が出てくる。

 灰色の髪に褐色の肌、黒と白の柴犬の面、そして東アジア風の衣装……。

 間違いない、サイガとキセラだ。


 青梅も私の顔を見て何かを感じ取ったのか、表情が真剣なものに変わる。

 私たちは二人の後をつけることにした。

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