第二十四話 逢魔の宵祭 伍
目が覚めた瞬間、世界がゆっくり回っていた。
胃の底に沈んだ酒が、まだ熱を持っている気がする。
昨夜――いや、正確には今朝まで続いた宴の名残が、頭の奥でまだ響いていた。
またしてもエルゼに付き合わされたのだ。
皆は必死に止めようとしていたが、彼女は絡み酒で、しつこく私に飲めと迫ってきたのである。
仕方ないので付き合うことにしたのだが、それが悪手だった。
結局、ザルの彼女に一晩付き合わされ、この始末である。
私は眠気を覚ますために、洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
しかしその後、水を飲んでも、吐息の中にはまだ酒気が残っていた。
すると突然、携帯電話が震える。
確認してみると、とある人物から連絡が来ていた。
『宿の入り口で待っておるぞ』
その一文のみが目に映る。
内容は昨日とほぼ同じだが、今日は相手が違う。
私は準備を整え、同室の二人を起こさないようにして、待ち合わせ相手のもとへと向かった。
「おはようなのじゃ。体調はどうかの、アデルよ?」
「おはよう、青梅。体調は……まあまあといったところだよ」
待ち合わせの相手は青梅だった。
彼女は心配そうな顔で、私の前に立つ。
首を少し傾げて、私の目を覗き込んでくる。
その視線がやけに近く感じられて、思わず目を逸らした。
「どうやら二日酔いのようじゃな。エルゼめ、何も知らないとはいえ、アデルに浴びせるように酒を飲ませおって……」
「私は平気だ。彼女を責めないであげてくれ」
「優しいのぅ、我が主人は。つらかったら言うがよい。いつでも介抱するぞ?」
「ありがとう。今日はよろしく頼むよ、青梅」
「うむ! うちに任せるがよい!」
「あ、ちょっと待ってくれないか?」
「どうしたんじゃ?」
私は昨日と同じように、特殊な香水を吹きかける。
今日は青梅にも必要なので、許可をとってから吹きかけた。
「……これが例の香水か? 今うちらは同じにおいを発しておる、ということじゃな? これでは皆に勘違いされてしまうのぅ……」
「では、行こうか」
「ぐぬぬ、さらっと流しおって……! あ、待つのじゃ! 置いていかないでくれぇ!」
早朝の商店街と境内を回ったあと、別の場所にも捜索の手を広げることにした。
今日青梅を連れてきた理由はもう一つある。
「青梅、もう一度頼む」
「了解じゃ。ではゆくぞ」
青梅はゴルフボールほどの、丸い氷の塊を作り出す。
その塊は建物の壁にくっつくと、まるで目玉のようにギョロギョロと動き始めた。
「この『氷目』は、うちと視覚を共有しておる。すでに街中の至るところに設置しておいたゆえ、標的を見つけるのは容易いじゃろう」
「ありがとう、青梅。これで安心して、街の外も捜索できるよ」
「ふふん、もっと褒めてくれてもいいのじゃよ? もちろん、街の外にも設置して、監視の目を光らせておくからの。どうじゃ、うちは有能じゃろ? 抱擁の一つや二つしてくれても構わんぞ?」
「さあ、行こうか。今日は忙しくなるぞ」
「またスルー……か。ふふっ、どうやら我が主人は、相当恥ずかしがり屋のようじゃな……。ああ、待つのじゃ! そう足を早めるな!」
私たちは郊外にあるパイナップル畑を通り過ぎる。
風が畑を撫でるたび、パイナップルの葉が刃のように光を弾いた。
辺りには熟れた果実の甘い香りが空気に溶けている。
もう秋だというのに、遠くでわずかに陽炎がゆらめいており、香りに群がった虫の羽音が、昼の静けさを震わせていた。
手を空にかざすと、じりじりと熱を帯びる。
どうやらこの島の太陽は、優しさと残酷さを両方兼ね備えているようだった。
「おお、美味そうなパイナップルがいっぱいじゃのぅ。ほぅ、あっちにはマンゴー畑もあるぞ。この時期でも獲れるとは驚いたのぅ」
「ふむ、やはりこの島は普通の島とは違うようだな……」
一通り見回ってみたが、農家の方々以外見つからない。
この一帯に氷目を設置したあと、私たちは次の捜索場所へと向かった。
次に訪れたのは広大な牧草地。
暖かい風がそよぐ中、一面の牧草は波のようにうねっていた。
草の香りに混じって、獣と乳のにおいが辺りに漂う。
緑の大地の上には、白と黒の斑点が無数に散り、まるで誰かが筆で塗りつぶしたように、牛たちが群れている。
牛たちはゆったりと草を食み、太陽光を背に受けて影を長く伸ばす。
どこまでも続く青と緑の境界。
風の音と低い鳴き声が混ざり合い、時間の流れがゆっくりと進む感覚に包まれる。
「のどかな場所じゃな~。それに、この感覚……。どこか故郷を思い出すのぅ……」
「君の故郷も趣のある土地のようだな。一度、行ってみたかったよ」
「むむっ、それはどういう意味じゃ? ……やはり、おぬしはうちのことが好きでたまらないようじゃな?」
「どうやら失言だったようだ……」
「故郷を訪れて何をする気だったんじゃ? 父上に改めて挨拶かのぅ?」
「それより、ここにも氷目を設置してくれないか?」
「ふふっ、我が主人は照れ屋さんじゃのぅ。言われなくても、もう設置してあるぞ」
「ありがとう。君のそういうところは頼れるよ」
「い、今なんと言った……? す、好きと言ったか?」
「……ハァ、もう突っ込まんぞ?」
次に訪れたのは「宵闇の森」。
事前情報によると、この森は島にとって神聖な場所のようで、入り口には巨大な鳥居が連なっている。
ただ完全に立ち入り禁止ではなく、入り口から奥にある祠までは一般人でも入れるようだ。
足を踏み入れ進んでいくと、木々の間から差す光は細く、紫がかった霧が足元を流れていた。
葉の擦れる音が囁きのように重なり、空気には湿り気と、古い血のような鉄の匂いが混ざっている。
この森だけは、島の時間から切り離されているように思えた。
「……ここは神秘的な場所じゃのぅ。じゃが、どこか恐ろしくも感じるぞ」
「私も同意見だ。ここは異形が、安易に足を踏み入れてはいけない場所のようだな。すぐに戻ろう」
「のぅ、アデルよ。森の入り口にあった茶屋でいったん休まぬか? うちは少し疲れた……」
そこで初めて気づく。
青梅は大量の氷目を操っている。
それが負担になるのは当然だ。
私は彼女をお姫様抱っこし、茶屋へと向かう。
何か言ってくるかと思ったが、彼女はうつむいたまま静かに腕におさまっていた。
茶屋に到着する頃、青梅はすでに元気を取り戻していた。
店内は人と異形でいっぱいだ。
仕方ないので、私たちは外にある長椅子に横並びに座る。
頼んだ団子とお茶が運ばれるまで、なぜか彼女は静かなままであり、どこか気まずい雰囲気が漂う。
耐えられなくなった私は、ゆっくりと口を開いた。
「気にかけてやれなくてすまない。君に負担をかけすぎたな」
「……おぬしのためならこれくらいどうってことはない」
「ありがとう。だが、今日の捜索はここまでにしよう」
「うちはまだまだいけるぞ?」
「……では、あと一か所に氷目を設置したら宿に戻ろうか」
「任せるがよい。では、冷めないうちに団子を食べるとするかのぅ」
「ああ、そうしよう」
私はみたらし団子、青梅は紅芋団子を手に取った。
串を持つ手の先で、みたらしのたれが陽に透けて黄金色に光る。
面をずらして一口かじれば、焼き目の香ばしさとたれの甘辛さが舌に広がっていく。
隣では彼女が、紅芋団子をゆっくり噛み締めている。
ほのかな芋の香りが風に混じり、鼻をくすぐった。
私も紅芋団子を手に取り頬張る。
しっとりと優しい甘みが喉を通りすぎた。
私は団子の甘みがまだ舌に残るうちに、湯呑みの縁を唇に寄せる。
ほろ苦い緑茶がゆっくりと流れ込み、喉を通るたびに、疲れが薄れていくようだった。
彼女も同じように湯呑みを傾けている。
湯の表面がわずかに揺れ、映り込んだ空が波のように歪む。
そんな我々二人の間を、生暖かな風がすり抜けていった。
「……ふぅ、美味であった。やはり団子を食べると故郷を思い出す。のぅ、アデル。エルゼのことなんじゃが……」
「どうかしたのか?」
「今回の件は本当に秘密にしていてよいのか?」
「エルゼに同族殺しはさせたくない。彼女には綺麗なままでいてほしいんだ」
「ふむ、それも一理あると思うんじゃが、あのエルゼじゃぞ? 真実を知ったら、喜んで協力すると思うんじゃが?」
「それはそれで問題だ。同族を殺すあの感触……あれは決して経験してはならない」
「説得力があるのぅ……。わかった、この話についての是非は問わん。うちはただ、全身全霊で協力すると約束しよう」
「そう言ってくれて助かるよ」
話が終わると、青梅は私にそっと寄り添ってくる。
そのまま頭をこちらに預けてきた。
「どうしたんだ、青梅?」
「……すまぬ、少しだけこうさせてくれんか?」
青梅は面を外し、私の身体に頭を擦りつける。
そのさまは、まるで甘えたがりの犬か猫のようであった。
数分後、彼女は面をかぶり、私と距離を取る。
「……満足したか?」
「ああ、実によかったぞ」
「なぜあんなことを……?」
「アデルよ、うちはおぬしに惚れておる」
「……そうか」
「ふふっ、あまり驚いておらぬな?」
「過去の言動を考えればな……」
「だがしかし、異性としてではない。うちはおぬしの父性に惚れておるのじゃ」
「私の父性……?」
それにしては際どいアピールがあったような……。
いや、今それを訊くのは野暮だろう。
「おぬしには感謝しておる。一族の厄介事を解決し、行き場のないうちらに衣食住を与えるだけでなく、仕事と給料まで与えてくれた。それだけではなく、今は家族として迎え入れてくれている。おまけに魚の食べ方が綺麗ときた。これで惚れないほうがおかしいじゃろ?」
「そ、そういうものなのか……?」
「初めは異性として好きだったのかもしれん。じゃが、今では親愛の情のほうが強い。これはおぬしの父性が好きということじゃろ?」
「そ、そうか……?」
「異性の好きはエルゼにくれてやる。おぬしとエルゼはお似合いじゃからの。じゃが、父性はうちものじゃ。じゃから、たまにはこういう風に甘えてもよいかのぅ?」
若干話が明後日のほうを向いている気がしなくもないが、今は呑み込もう。
要するに彼女は、私に威厳ある父親のように振る舞ってほしいのだ。
以前聞いた話では、紫琉殿は常に里のことで忙しく、二人はあまり構ってもらえなかったらしい。
しかし、もう里との縁は完全に切れてしまった。
青梅と赤椰には、もう私しかいないのだ。
家族として迎え入れたのなら、父親としての役割を全うしなければならない。
これは私に課された義務でもあるのだ。
私は彼女の頭の上に手を置き、優しく撫でる。
「……わかった。またいつでも甘えてきてくれたまえ。しかし、エルゼの前では控えてくれると助かる」
「ほ、本当か……!? さすがアデルじゃ! 安心せい、時と場所は弁える! エルゼはああ見えてバリバリ嫉妬するからのぅ……」
「ああ、そうしてくれ」
「ア、アデルよ。早速お願いを聞いてくれぬか?」
「ああ、父である私になんでも言ってくれ」
「こ、今度一緒に風呂に入らぬか? 実は父上とは一度も入ったことがないのじゃよ……」
「どこの世界に、成人済みの娘と風呂に入る父親がいるんだ? もちろん、却下だ!」
「ぐ、ぐぬぬ、まごうことなき正論……。さすがに無理があったか……」
「この先、君と暮らすのが少しだけ不安になってきたよ」
「店主、実に美味であったよ。ごちそうさま」
「また来ますね」
店内から仲良く腕を組んだ二人組が出てくる。
灰色の髪に褐色の肌、黒と白の柴犬の面、そして東アジア風の衣装……。
間違いない、サイガとキセラだ。
青梅も私の顔を見て何かを感じ取ったのか、表情が真剣なものに変わる。
私たちは二人の後をつけることにした。




