第二十二話 逢魔の宵祭 参
部屋の窓から夜が明けた港町を見渡すと、やけに澄んで見えた。
明け方まで飲み続けた結果、気づけば空が白んでいたのである。
酒は苦手なわけではなく、むしろ好きなほうだが、今回のメンバーは割りとザルが多い。
昼間に活動するため、控えめにしていたのだが、結局エルゼに付き合わされてしまった。
だが眠気などはなく、少し頭に熱を持つだけだ。
浴衣から外出着に着替え、面をかぶる。
気づけば、もう午前八時を回っていた。
携帯には一通のメッセージが届いている。
『宿の入り口で待っています』
たったそれだけの単調な一文だった。
私は自分の頬を叩き、気合いを入れる。
そして、同室の赤椰とライアンを起こさないようにしながら、部屋を出ようとした。
「……行くのか?」
ライアンは寝たまま、目も開けずに話しかけてきた。
一瞬驚いたが、すぐに平静を保つ。
「ああ、エルゼを頼む」
「わかっているさ。上手くごまかしておくよ」
「……すまない、頼りにしているよ」
「おはようございます、アデルさん」
「おはよう、シャノン」
待ち合わせの相手はシャノンだった。
彼女も同じように面をかぶり、外出着に身を包んでいる。
昼間の捜索には、必ず女性陣が付き添うことになっていた。
今日はシャノン、明日は青梅、明後日はモニカの予定だ。
一人で動くより、そのほうが周囲の警戒を招きにくい。
昼はフウガを探し、夜はエルゼとの思い出を重ねる――そんな二足のわらじを履く日々だ。
「身体は大丈夫か? 君も結構飲んでいたようだが……」
「問題ありませんよ。お酒には強いほうなので」
「なら、よかったよ」
「では行きましょうか」
「ちょっと待ってくれ」
私はスプレータイプの香水瓶を懐から取り出し、自分に吹きかける。
それを見たシャノンは、不思議そうな表情をしていた。
「もしや私に気を遣っているのですか? これからデートをするわけではないでしょう?」
「いや、これは特殊な香水なんだよ」
「……特殊な香水?」
「狼人間はにおいに敏感なんだ。いくら祭り中とはいえ、吸血鬼のにおいがしたら警戒されてしまう。それを避けるために、昨日から使っているんだ。これのおかげで、私のにおいは、人間のものとほぼ同じになる。狼人間は基本的に、人間を見下している奴が多い。だから、脅威とは感じにくくなるんだよ」
「確かにそうですね。経験上、そういう傾向にあることは頷けます」
「ちなみにこれは、モニカの一族が営む会社の製品らしい」
「……一番謎が多いのは彼女なのかもしれませんね」
「では、行こうか。今日はよろしく頼む」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
朝の光が照り返す商店街は、人と異形、音とにおいで満ちていた。
呼び込みの声、子どもたちの笑い声、遠くから響く太鼓の音、様々な屋台から発せられる香り、歩くだけでそれらに包まれる。
まだ朝だというのに、人の波が絶え間なく押し寄せ、肩がふいに触れ合うたび、互いに軽く身を引いた。
そんな中私は血眼になって、フウガの姿を探す。
もちろん、シャノンも同様に、辺りを注意深く見渡してくれていた。
数時間後、いったん休憩をとるため、大通りから一本外れた場所にあるベンチに、二人で腰を下ろす。
「疲れてないか? 何か飲み物でも……」
「大丈夫です。少し休むだけで事足りるので」
「そうか……」
「そういえば、なぜあなたは昼間でも行動できるんですか? 日中に動ける吸血鬼なんて反則ですよ」
「……それが詳しくはよくわからないんだ。だが、いいことばかりでもないぞ。半吸血鬼は純血の吸血鬼よりも、身体能力が数段劣る。毒の血と濃縮血液がなければ、狼人間にすら敵わないよ」
「そうですか……。それにしても、なんだか普通すぎませんか、このお祭り?」
「確かに屋台の数こそ多いが、それはあくまで人間の常識の範疇だ。君はこの国の祭りを知っているのか?」
「お兄様と何度も足を運んだのでわかるのです」
「……そうか」
「みんな広場に集合だ! 喧嘩が始まるぞ!」
突然、大通りからそんな声が聞こえてきた。
急いで戻ると、大通りに面する広場に人だかりができている。
なんとか人混みをかき分けて、広場を目視できる距離まで移動した。
そこには、猿の面をかぶった黒スーツ姿の集団と、灰色の髪に褐色の肌を持つ、それぞれ黒と白の柴犬の面をつけた、東アジア風衣装の男女が対峙している。
……いや、あれはどちらも人間ではない。
においでわかる。
あそこにいるのは全員異形の者だ。
「キキ、そこのお姉さんよ。そんな男なんかほっといて、オレたちと楽しいことしようぜ?」
「い、嫌です……」
「色目を使うのはやめたまえ。彼女はわたしの妻だぞ?」
「人妻だと? 余計に燃えるじゃねえか」
「くだらない。さっさと宿に戻ろう、我が妻よ」
「はい、そうしましょう」
「キキキ、逃がさないぜ!」
「喧嘩だ! 喧嘩だ!!」
猿の面の集団は、去ろうとする二人を囲い込み、逃げ場をなくす。
二人がピンチに陥る一方、周りの野次馬は声を張り上げ、勝手に盛り上がっている。
気づけば、私の身体は自然と前に出ていた。
だが、シャノンが私の手を掴み、野次馬の集団に引き戻す。
「何をする? あの二人を助けなければ……」
「ここで騒ぎを起こし、下手に目立ってしまうと、目的に支障が生じてしまいます。ここは堪えてください。大丈夫です、いざとなったら私が代わりに助太刀に入るので」
「う、うむ……そうだな。感謝するよ」
「本当にあなたはお人好しですね」
シャノンの言葉で我に返る。
いったんここは静観しよう。
見たところ、あの男性は身長も体格も、チンピラ共より圧倒的に格上だ。
簡単に負けるとは思えない。
「……しょうがない、相手になる。ただし、我が妻に危害を加えるのはよしていただきたい」
「なんだぁ? ずいぶん余裕そうじゃねぇか? 野郎共、躊躇せず一気にやれ!」
「キキーッ! 了解しやした、兄貴!」
「愚かな……」
猿の面の集団は一斉に、柴犬の面の男性に飛びかかる。
次の瞬間、男性は姿を消した。
当然、チンピラたちは男性を見失う。
だが、私にはわかる。
あの男性は、すでにチンピラたちの後方で構えをとっていた。
「こっちだ、猿共」
「て、てめぇら、後ろだ、後ろだ!」
次の刹那、チンピラたちは全員地に伏していた。
その中心にはあの男性が悠然と立っている。
そして、チンピラたちの兄貴分に向かってゆっくりと歩みを進めた。
「ひ、ひぃ、こっちくんな! そんなブスいらねぇから! 許してくれぇ!」
「……今、なんと言った?」
「へ……?」
「妻を愚弄したな! この畜生めが!」
男性は明らかに怒りを露にしている。
これは至極当然の反応だ。
「腕の一本や二本で済むと思うなよ」
「ひ、ひぃぃ! 美人なお姉さんは諦めますぅー!」
「お前ら、いったい何してんだ?」
チンピラの後方から、野太く通る声が響いてくる。
すると、ゴリラの面をかぶった白いスーツ姿の大柄な異形が姿を現す。
「ボ、ボス!」
「ようやく話のわかる御仁が来たようだ」
「ウチの若いもんが世話になったようだな。しかし、あんたやるなぁ。あの数を一瞬で……。どうだ、ウチの組にこねぇか?」
「断る。それよりも、我が妻を愚弄したことに詫びを入れてもらおう」
「ウチに来れば、そんな貧相な嬢ちゃんより抱き心地のいい女が山ほどいるぜ?」
「……貴様も我が妻を愚弄するのか? 命はないと思え!」
「ハハッ、いい度胸だお兄さん! このおれに勝てると思ってやがる! ウチに来ねぇなら、ここで死んでもらおうか!」
柴犬の面の男性は構えをとる。
ゴリラの面の男性は上裸になり、ボディビルダーのような身体を見せつけた。
すると突然、男性はドラミングを始める。
すると、身体が一回りビルドアップし、三メートルを優に超えるゴリラの異形へと姿を変えた。
「どうだぁ、お兄さん。さすがに怖じ気づいたんじゃねぇか?」
「……的が大きくなっただけだな」
「ほざけっ!」
ゴリラの異形は、その巨大なこぶしを柴犬の面の男性へと振りかざす。
柴犬の面の男性は、当然のようにそれをかわす。
地面には大きなクレーターができていて、その衝撃の威力を物語っていた。
ゴリラの異形は、巨木のような腕を振り回すが、柴犬の面の男性は華麗にすべてをかわしていく。
「ちっ、うろちょろしやがって!」
「おい、逃げてないで真っ向勝負しろや!」
「そうだ、つまんねぇぞ!」
野次馬からも怒号が飛び込む。
そんなアウェーな状況でも、柴犬の面の男性は逃げに徹している。
「こんな軟弱な野郎だとは思わなかったぜ! これじゃ、嬢ちゃんが可哀想だ! ブスな上に弱者が夫なんて泣けるじゃねぇか!」
「……なんだと? 今なんと言った?」
柴犬の面をつけた男性は、ゴリラの異形と正面から向き合った。
そして、胸元から黄色い液体の入った小瓶を取り出し、中身を飲み干す。
まさか、あれは強狼剤……?
「これ以上、妻を愚弄すると後悔するぞ!」
「へっ、ドーピングかよ? ますます弱者に拍車がかかったな!」
「来い! 正面から叩き潰してやる!」
「それじゃ、遠慮なくいくぜぇ!」
ゴリラの異形は腕を大きく回しながら、勢いをつけて渾身の一撃を放つ。
柴犬の面をかぶった男性は、腕を交差し、文字通りそれを正面から受け止めたのだ。
その衝撃の余波で、周りの野次馬は皆一様に腰を抜かしていた。
しかし、彼の身体には傷一つついていない。
その様子に、ゴリラの異形は激しく取り乱していた。
「な、なぜだ!? ビルさえ吹き飛ばすオレのこぶしを――」
「遅い!」
「――がっ!?」
ゴリラの異形が動揺している隙に、柴犬の面の男性は懐へ踏み込み、みぞおちを狙って渾身の蹴りを叩き込んだ。
内臓を打ち抜かれた衝撃に、異形は白目をむき、赤い泡を吹きながら、大きな音を立てて崩れ落ちる。
「うおおおっ! あの兄ちゃんが勝ちやがった!」
「すげぇぜ! おい、お前! 次は俺と喧嘩しろよ!」
「ボ、ボスーッ!? この異形殺しが!」
「安心しろ、殺してはいない。しかし、治るまでリハビリが大変だろう。さあ、宿に戻ろう、我が妻キセラよ」
「は、はい、サイガ様……」
……キセラ?
まさかあの手紙の送り主か?
「何をしている? サイガ、キセラよ」
「……申し訳ありません、族長」
「――ッ!? あいつは……!?」
人混みの中から姿を現したのは、翁の面をかぶった灰色の髪に褐色の肌を持つ老人だった。
服装は緑色の着物に黒い袴、茶色の羽織を着ていて、少し腰を曲げながら、杖を携えている。
間違いない、奴は「フウガ」だ。
一度姿を見ているので、見間違えるはずがない。
「サイガよ。おぬしはいずれ族長となるのだ。ゆめゆめそれを忘れるでないぞ」
「今回はわたくしの不徳の致すところでございます。誠に申し訳ございませんでした。以後、気をつけるようにいたします」
「お爺様、サイガ様は悪くないのです」
「わかっておる、一部始終を見ていた。大事になる前に去るぞ」
「わかりました」
「……はい」
「待て! フウガ!!」
三人は人混みの中に溶けるように消えていく。
必死に後を追おうとするが、人と異形の波に飲まれ姿を見失ってしまう。
それならばと、私は周囲の人だかりを力ずくで押し退けようと決断した。
懐から濃縮血液を取りだそうとした瞬間、首元にヒヤリと冷たいものが押しつけられる。
シャノンが銀の短剣を、私の喉に突きつけていた。
「さっき言いましたよね? ここで騒ぎを起こせば、支障が生じてしまうと。ここは我慢をする選択も必要です。それに、無関係の人々を巻き込むことは,私が許しません」
「しかし……! ……いや、君の言うとおりだ」
シャノンの剣幕に押され、フウガたちを見逃してしまった。
だが、まだあと三日ある。
事を急ぎすぎても、上手くはいかないだろう。
彼女には感謝しないといけないな……。




