第二十話 逢魔の宵祭 壱
夜の海を抜け、港に辿り着き、船を降り立ったその瞬間、視界を染めるのは灯火の連なりだった。
同時に、夜風の向こうから祭囃子が押し寄せてくる。
闇を裂くように響く掛け声と笑い声、香ばしい屋台のにおいが潮の香りと混じり合い、まるで島全体が宴に浮かされているかのようだった。
「ここが逢魔ヶ島か……」
「やっと着いたか。座りすぎて腰が痛ぇぜ」
「同感じゃ、うちも疲れたのぅ」
「そうかな? 僕は何もかもが新鮮で楽しかったよ」
「メデューサ、船酔いは大丈夫?」
「お気遣いありがとうございます、お嬢様。陸に上がったら、だいぶマシになりました……」
「おお、盛り上がっているな。なんだか心が沸いてきたぞ。なあ、シャノンよ」
「ええ、私もワクワクしてきました」
「じゃあみんな、すぐに宿に向かおうじゃないか」
仲間たちは一見、元気そうに見えた。
しかし、さすがに長旅で疲れ果てたのか、動きがいつもより鈍い。
一方、その背中を横目に、ただ一人私だけは胸の奥でざわめく熱を抑えきれず、早足になる。
もちろん、祭りの熱気に当てられたわけではない。
復讐の炎に炙られたせいだ。
「皆様、ようこそいらっしゃいました。本日は遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます」
港から町の正面入り口へ向かうと、お面をかぶった人物たちが横一列にずらりと並び、私たちを出迎えてくれた。
不思議なことに、皆一様に半白半黒の狐の面をかぶっている。
おそらく、この方たちは町の役員なのだろう。
パンフレットに書かれていたので、それは承知済みだ。
しかし、歓迎の言葉を述べた人物のみ、半白半黒の狸の面をかぶっていた。
その人物は腰を曲げており、だいぶご年配の方だと察せられる。
「わざわざお出迎えありがとうございます。もしかして、この町の町長さんですか?」
「はい、私はこの逢魔ヶ町の町長、月野木と申します。お疲れのところ申し訳ありませんが、逢魔の宵祭での決まりごとをご説明させてもらいます」
「決まりごと?」
「逢魔の宵祭には多種多様な方々が訪れます。祭りの理念としては、どんな方々も平等であってほしいと私たちは望んでいるのですよ。そのために祭りの最中、外出する際は必ずお面をつけていただきたく存じます」
「お面……ですか?」
「お面はこちらにご用意しております。どれでも好きなものを一つ選んでください」
「のぅ、月野木とやら。持参した面でもよいのか?」
青梅はそう言って、青い鬼の面を取り出す。
それに続き、赤椰も赤い鬼の面を取り出した。
「はい、お面の種類は問いません」
「ほぅ、意外と融通が利くものじゃな」
「じゃあ、僕たちはこのお面を使わせていただきますね」
「では、私たちも面を決めようじゃないか。ご説明ありがとうございます、月野木町長」
「皆様、祭りを存分にご堪能くださいませ」
「ふぅ、やっと宿に着きましたね。皆さん、体調を崩してはいませんか?」
「俺は大丈夫だよ」
「私も問題ないな。君こそ大丈夫か、赤椰?」
「僕は元気いっぱいです! いつでもお祭りに行けますよ!」
「おっ、それは頼もしいな」
拠点となる宿に無事到着し、部屋に荷物を下ろす。
備え付けの浴衣に着替え、羽織りを重ねた。
畳が敷き詰められた広い部屋には、低い長机が置かれ、障子を開けると港の夜景が一望できる。
壁際には雉の描かれた屏風が立ち、どこか厳かな雰囲気を漂わせていた。
窓を開けると、海風を含んだ風が肌を撫で、潮騒がすぐそこに聞こえてくる。
趣のある造りで、肩の力を抜くには十分な空間だった。
私たちが宿泊する旅館の名は、汐見乃宿。
港町にそびえるこの旅館は、周囲の家々よりも一段高く、瓦屋根と白壁が重厚な趣を見せ、潮の香りと共に、遠くから船の汽笛が届く。
この宿の一番の売りは、名前の通り、どこの部屋からでも海を見渡せることである。
窓の外を見ると、港に並ぶ漁船の灯りが水面に揺れ、まるで星空が海に落ちたようにきらめいていた。
「それにしても広いお部屋ですね。モニカさんには感謝しないと」
「予約もすべて彼女が手配してくれたと聞いている。太っ腹だな彼女は」
「ライアンさん、女性に太っ腹だなんて言ったら怒られちゃいますよ?」
「すまんすまん、本人の前では言わないように注意しないとな」
「アデルさんも気をつけてくださいね?」
「……ああ、わかっている」
思わずドスのきいた、苛立ちを帯びた低い声で返事をしてしまう。
その瞬間だけ、部屋の空気が端に追いやられ、気まずい沈黙が辺りを包む。
「……す、すみません。アデルさんにとって、この旅行の目的は復讐ですもんね。空気を読まない発言をして、本当にごめんなさい」
「……こちらこそ、巻き込んでしまってすまない。私のことは気にせず、君たちは存分に楽しんでくれ」
「は、はい……」
「とりあえず、女性陣のところへ行かないか?」
「……そ、そうですね」
「そうだな」
「アデル、夜はエルゼと一緒に祭りを楽しむんだろ? だったら、そんな辛気臭い顔をしていてはダメだ。そんなんじゃ、すぐにバレるぞ?」
「……善処するよ」
「おい、野郎共! これから祭りに乗り込むぞ!」
「ちょうどよいタイミングでお姫様が現れたようだ」
「……では、行こうか」
皆集まったのを確認して、宿を出る。
私の面は東洋の妖怪烏天狗、エルゼも同じく東洋の妖怪である赤い顔をした天狗。
青梅は青鬼、赤椰は赤鬼、モニカは狼の面をかぶっている。
ミネットは黒猫、メデューサは白猫の面。
ライアンは東洋の神である雷神の面、シャノンも同じく東洋の神である風神の面だ。
「へっ、なかなかイカした面じゃねぇか」
「怒ったときのエルゼにそっくりじゃな」
「同感でーす」
「なんだと!?」
「大丈夫、似合ってるよ、エルゼお姉ちゃん」
「赤椰はほんといい弟だな」
「エルゼお姉ちゃん、みんながいるときに頭を撫でるのはやめてよ……」
「微笑ましいですね」
「ああ、まったくだ」
私たちはまず、祭りの開催宣言を見学するため、小山の上に鎮座する神社へと向かった。
その途中の商店街では、白黒の提灯が通りの両脇にずらりと吊り下げられ、色とりどりの屋台が軒を連ねている。
商店街を埋め尽くす人波は、夜の熱気そのものだった。
季節は秋だというのに、額にじっとり汗が滲み、浴衣の襟足が湿るうえに、喉が渇く。
さまざまな屋台の食べ物のにおいと、異形と人間のにおい、笑い声と呼び込みの声が夜風ともに入り交じり、港にいたときよりも祭りというものを肌で感じられた。
屋台の人も皆一様に面をかぶっている。
しかし、それは町の役員がかぶっている狐面ではない。
どうやら、その屋台に合った面を、店主自らが選んでいるようだった。
商店街の賑わいを抜け、参道に出ると、そのまま人の群れが変わらずに続いていた。
石畳の上を歩き、石段をのぼるにつれ、下界から聞こえていた笑い声や、屋台の喧騒は徐々に遠ざかる。
その代わりに、太鼓と笛の音色が澄んだ夜空に広がっていく。
やがて小山の頂に、光に包まれた神社が姿を現した。
「やっと着いたぜ……」
「暑くてかなわんのぅ」
「ここだけまだ真夏のようだね」
「お嬢さま、これで汗を」
「ありがとう、メデューサ」
「皆さん、見てください! 櫓の上に町長さんがいますよ!」
夜空の下、神社の境内は人と異形で埋め尽くされ、足の踏み場もないほどだ。
あちこちから笑い声や子どものはしゃぎ声、聞き慣れない言語などが重なり、ひとつの巨大なざわめきとなって夜を震わせていた。
境内の中心には背の高い櫓が建設されており、その上には先ほど会った月野木町長がマイクを握りしめている。
「皆様、ただいまよりご挨拶を申し上げます。どうぞご静聴くださいますように」
櫓の上に立つ町長が、狸の面の下から朗らかな声をマイクに乗せる。
その声は提灯の光とともに広場中に広がり、誰もが顔を上げた。
次の瞬間、太鼓や笛の音が止み、町長の声が夜空に朗々と響き渡る。
「皆様、遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます! 本日は四年に一度の祭りにようこそお集まりくださいました! お面をかぶれば、人も異形も関わりなく、皆が同士でございます! どうか心ゆくまで楽しんでいってください! それでは、ただいまより祭りの幕を開かせていただきます!」
町長が開催宣言を終えた瞬間、太鼓と笛の音が再び響き渡る。
同時に、地響きのような歓声が辺りを覆い尽くした。
その熱に当てられたせいなのか、周りの人々だけではなく、私の仲間たちも一斉に腕を掲げながら歓声を上げ、周りと一体化する。
しかしなぜか、先ほどまで高鳴っていた私の心臓は落ち着きを取り戻し、この場にふさわしくない感情が、静かに身体の中で渦巻いていた。
すぐ隣ではしゃぐエルゼの姿を見て、仲間たちに懸命に頼み込んだときのことを思い出す。
『ねぇ、お兄ちゃん。ワタシたちに頼みたいことって何?』
エルゼが一人で買い出しに行った隙に、仲間たちを全員喫茶店に集めた。
彼女にはあえて大量の買い物を頼んでいるので、すぐに戻ってくることはないだろう。
『実は――』
私は仲間たちにエルゼの過去と、今回の旅行の真の目的を話した。
そして、私はその場で膝を折り、床に額を擦りつけるようにして、仲間たちに懇願する。
『自分勝手なことは重々承知している! だが、頼む! 目的を達成するためには、君たちの協力が必要なんだ!』
『ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?』
仲間たちの顔は見えないが、皆沈黙し、明らかに重苦しい雰囲気に包まれているのがわかる。
本来ならば、皆にも秘密にしたほうがよいのかもしれない。
しかしそれでは、エルゼに勘づかれてしまう。
目的を無事に遂行するためには、仲間たちの協力が必要不可欠なのだ。
『……俺は協力するよ、アデル』
『私もお兄様と同意見です』
『ほ、本当か……? ライアン、シャノン……』
『うちも手を貸すぞ、アデルよ。愛しい家族のためなら当然じゃ』
『僕もエルゼお姉ちゃんのためなら、いくらでも手伝いますよ』
『青梅……赤椰も……』
『あたしも改めて協力させてもらうよ』
『妹であるこのワタシが、反対することは絶対にないわ。エルゼのことは少し気に食わないけど、お兄ちゃんのためなら仕方ないわね』
『わたくしはお嬢様に従いますので……』
『モニカ、ミネット、それにメデューサまで……。みんな……本当にありがとう……』
私は感謝の意を述べながら、再び床に額を擦りつけた。
誰か一人は反対すると思っていたが、全肯定されたことにより、思わず嬉し涙を流してしまう。
『お、お兄ちゃん、もしかして泣いてるの?』
『あ、頭を上げてください、アデルさん!』
『ありがとう……本当に……ありがとう』
『泣くのはまだ早いぞ、アデルよ』
『青梅の言うとおりだ。その涙は最後までとっておいたほうがいい』
『……そうだな。では、当日はよろしく頼む、みんな!』




