第二話 最悪の因果
「……すまん、今日も世話になる」
エルゼは今日も喫茶店を訪ねてきた。
これで一週間連続である。
何事もなかったおかげなのか、全身に負っていた傷もすっかり癒えているようだ。
その様子を見て、胸を撫で下ろす。
「おかえり、エルちゃん。今日も美味しいお菓子を持ってきたから一緒にどうだい?」
「おい、シノ。昼夜逆転生活は身体に悪いぞ。それはそうと、今日はどんな菓子なんだ?」
この一週間でエルゼとシノさんの距離はかなり縮まった。
やはり同性だからなのであろうか、もうお互い私よりも親密な呼び合いをしている。
仲良くお菓子を食べながら雑談している二人に、気を利かせてコーヒーを提供した。
「サービスです」
「さすが太っ腹だね、マスターは」
「おいおいシノ~、こいつの腹は全然太くねぇぞ。むしろガリガリだ」
「あはは、それもそうだねぇ」
「だろだろ~? 今ならアタシの腹のほうが太いかもな~」
「おやおや、こんなに立派になって……。いったい誰の子かしらね~?」
「父親がいないのに子どもだけできちまったのか? お菓子だけにおかしいな、なんてな!」
「ふふっ、いいジョークだわ」
「おかしいな」はこちらのセリフだ。
この店でアルコールは取り扱っていないぞ。
二人とも完全に深夜テンションになっている。
だが、雰囲気に飲まれるな。
私だけは正気を保たないといけない。
そんな調子で二時間も茶番に付き合わされ、やっとシノさんが帰ることになった。
正直、今日だけは東洋の妖怪のっぺらぼうになって、会話に入れない状態を強制的に作り出したかったところだ。
「それじゃ、また来るよ」
「またいつでもお越しください」
「おい、シノ。本当に送っていかなくても平気なのか?」
「大丈夫さ。今はお天道様も高いだろ? それに、こんな婆さんを好き好んで襲うやつなんていないさ」
シノさんが帰ったあと、店内は静寂に包まれる。
さっさと寝るとするか。
今日は無駄に疲れたからな。
「……大丈夫かな、シノ」
「考えすぎだ。お前はさっさとね――」
そう言いかけて、何者かの気配を感じ取る。
この感覚は知っているぞ……。
もしや、狼男か!?
喫茶店から急いで飛び出し、曲がり角を曲がると、そこには血だらけのシノさんが倒れていた。
近くのマンホールには大量の血痕がこびりついている。
まさかやつは下水道に潜んで、機会をうかがっていたのか!?
「おい、どうしたんだよ、アデ――」
「エルゼ! この携帯電話ですぐに救急車を呼んでくれ! 私はやつを追う!」
「シ、シノ……!?」
「頼むぞ!」
マンホールの蓋を外し、下水道内に突入する。
中はひどいにおいで鼻がきかないが、夜目がきく私にとっては暗がりなど意味はない。
「出てこい、狼男! 狙うのなら私を直接狙え! この臆病者め!」
『そこまで激昂するとはな。やっぱりあのババアを狙って正解だったぜ』
下水道内には、狼男の声だけが壁を反射して響き渡る。
いくら周りを見回してもやつの姿は見つけられない。
『オレに構ってる暇があるのか? もうすぐ死ぬぞ、あのババアは』
「貴様覚えていろ! 必ずこの手で八つ裂きにしてくれる!」
『そうなるのはてめぇだバーカ! 完全体になれさえすれば、てめぇなんて目じゃねぇからな! あばよー!』
完全に狼男の気配を見失った。
この街の下水道は迷路のように入り組んでいる。
こちらから探すのは悪手だろう。
ここはいったん退いたほうがよさそうだな。
今はシノさんの安否確認が先だ。
先ほど救急車が到着し、離れる音が聞こえてきたのは承知している。
急いで下水道から出ると、シノさんが運ばれるであろうツクヨミ病院へと向かった。
ツクヨミ病院での手術が無事に終わり、シノさんは一命を取り留めた。
しかし、術後から六日経ったがまだ意識が戻らない。
医者に理由を訊いてみると、年齢の影響もあると言われた。
これ以上意識が戻らなかったら、また再検査をする必要があるらしい。
面会時、穏やかな顔をして眠っている彼女が妙に印象的だった。
今すぐにでも元気に飛び起きそうな顔色をしている一方で、彼女の周りに設置されている無機質な機械と、全身に付けられているさまざまな種類のチューブが、どれだけ大変な事態なのかを想起させる。
今回起きたことは、すべて私の油断が招いた結果だ。
エルゼの件は他人事だと思っていたが、今は完全に深入りしてしまっている。
私は責任を取らないといけない。
やつに復讐するのだ。
「ううっ、お願いだから起きてくれよ、シノ……」
現在私たちは病院の屋上にあるベンチに座っている。
泣いているエルゼの肩を優しく抱いて慰めながら、私はあの男について考えていた。
そして、エルゼが泣き止んだタイミングで話を切り出す。
「エルゼ、私も君に協力したい。二人であの男に復讐しよう」
さっきまでぐしゃぐしゃに泣いていたエルゼだが、その言葉を聞いた途端に表情が厳しくなる。
彼女はベンチから勢いよく立ち上がり、私の顔を覗き込むようにして睨みつけた。
「ダメだ。この件はアタシが自力で解決しないといけないんだよ」
「シノさんが傷つけられたんだ。もう君だけの問題じゃない」
「ダメなんだよ! もしアデルまで傷つけられたらアタシはもう……!」
「エルゼ……」
エルゼは表情を崩し、また泣きそうになる。
私のことをそこまで大切に思っていたのは意外だった。
だが、ここで挫けていられない。
あの狼男を始末するためには、どうしても彼女の協力は必須だ。
「わかった。だが、これだけは聞かせてくれないか? あの狼男と君の関係を」
「えっ……?」
エルゼは困惑の表情を見せる。
しばらく腕を組んで空を見上げ続けたあと、真剣な目つきでこちらの瞳をまっすぐに捉えた。
「まあ、話をするだけならいいか。アデルはもう大切な友達だしな……」
「ありがとう。感謝するよ」
エルゼはまた私の隣に座った。
彼女は肩を少しだけ私に預けながら語り始める。
「あの男の名前はロウガ。アタシの兄貴だ。といっても、血は半分しか繋がってない。ロウガの母上は純血だが、アタシのお袋は人間なんだ」
「……なんだと?」
まさかエルゼが半狼だったとはな。
どうりでほかの狼人間たちより独特のにおいが薄いわけだ。
「なぜ君は実の兄を殺そうとしてるんだ?」
「兄貴は……ロウガは狂ってしまったんだ。あの女の肉を食らったことでな」
「あの女……?」
「ロウガには妻がいたんだ。だけど、約一か月前病気で亡くなった。死に際にあの女はこんな遺言を残していったんだ。『私は死んだあとも、あなたの一部になりたいの。だから、私を食べて』とな」
「共食いだと……!? だけど、そんなことをしたら――」
「なんだ、知ってるのか。ならわかるだろう? 狼人間が共食いするとどうなるか……」
狼人間同士が共食いをするとどうなるかはよく知っている。
なんでも一定の量を摂取すると脳に異常をきたし、理性がなくなり、本能的な言動しかとれなくなってしまう病気になるらしい。
しかも厄介なことに、その病気は死ぬまで一生治らないというのだ。
……ということは、今までのやつの言動はすべて本能的に行ってきたということか。
ますます、放っておくことはできないな。
「待てよ? 今の説明と君がやつを殺す理由が繋がらないぞ? いったいどういうことだ?」
「簡単なことさ、一族の掟をロウガが破ったから、唯一の肉親であるアタシが処刑人として選ばれたんだよ」
「それはあまりにもむごすぎる! 君はそれでいいのか!?」
「共食いは最大の禁忌とされてきたからな。仕方ないさ」
「しかし――!」
そのとき初めて気がついた。
エルゼの身体が震えていることに。
「大丈夫か、エルゼ?」
「あ、あれ、おかしいな? ちょっと前までロウガを殺すことに迷いなんてなかったのに、今は怖くてたまらないんだ。改めて説明してみると、なんでアタシは兄貴を殺さなくちゃいけないんだ? 全部あの女のせいなのに……。嫌だよぉ、お兄ちゃんを殺すなんてしたくないよぉ……。でも、シノを傷つけたのはお兄ちゃんだし、やっぱり殺さないと……」
エルゼの身体はガタガタと激しく震え出し、滂沱の涙を流し始める。
そんな彼女の姿を見て、私は優しく抱きしめることしかできなかった。
大丈夫だ、私がなんとかしてみせる。
こんなクソみたいな因果も全部だ。




