第十九話 復讐の芽
薄暗い階段を下っていくと、薬品のような刺激臭が鼻を突くようになる。
階段を下りるごとに、心臓の鼓動が徐々に高鳴っていく。
一番下まで着くと、外界の音は一切消え、自分の荒い呼吸音だけが聞こえるようになった。
モニカが扉を開けると、いつもの地下室が姿を現す。
同時に、さっきよりも強い薬品のような刺激臭が鼻を突く。
久々に訪れた地下室は、きちんと整理整頓されていた。
だがその清潔さの裏に、微かに獣臭が滲んでいる。
床に敷かれた白いタイルは最近新調したようで、ヒビなどはなくなり綺麗になっていた。
手術台のような金属製の台には拘束具が取り付けられ、そこには乾いた血のようなものがこびりついている。
「モニカ、例の人物はどこにいるんだ?」
「そう焦るなよ、アデル。今隠し扉を開けるからさ」
モニカそう言って、白く塗られた棚にある本を触る。
すると、カチッという音とともに白い棚が真下に潜り込む。
そして、頑丈そうな黒い扉が姿を現した。
「こんな仕掛けがあったのか?」
「そういえば、アデルには言ってなかったね。隠し事をしてごめんよ」
「いや、気にするな。誰にだって秘密の一つや二つあるものだ」
「そう言ってくれると嬉しいよ。……心の準備はできているかい?」
「……大丈夫だ」
「事前に言っておくけど、中にいる奴は絶対に殺さないでくれよ? あたしの大切な被験体なんだからね」
「……善処するよ」
「なんか怪しいな~? まあ、今はきみを信用するとしよう。さあ、中に入ろうか」
モニカは黒い扉を重たそうに開ける。
扉を開けた瞬間、むせ返るほどの獣臭が襲ってきた。
まるで激しい運動をしたあとに、一日風呂に入らなかったエルゼの体臭のようだ。
いや、これはそれをもっと煮詰めたようなにおいだな……。
やはり捕らえた者は狼人間のようだ。
部屋の中は、どこか刑務所の独房を思わせる造りだった。
薄暗い室内の天井近くの壁には、換気扇が一つだけ取り付けられている。
部屋の中央には、灰色の髪に褐色肌、黒のパンクファッションに身を包んだ、がっしりとした体格の男が座らされていた。
椅子に両手両足を縛られ、目隠しまでされている。
その頭上では、冷たい光を放つ裸電球が、わずかに揺れていた。
「てめぇ、この野郎! よくもオレをこんなところに閉じ込めやがったな!」
「おー、威勢がいいね、コウガ。でも、それがいつまで持つかな?」
「モニカ、彼が関係者なのか?」
「チッ、今日はボーイフレンドも一緒なのか? 頼むから、ここでおっぱじめないでくれよ?」
「彼女とはそんな関係ではない」
「アデル、彼の名前はコウガというんだ。彼は最近まで、エルゼの一族の一員だったんだよ」
「……なんだと?」
「おっ、あんたが半吸血鬼のアデルか? 姿は見えねぇが、においでわかるぞ。オレはキセラからあんた宛ての手紙を預かっているんだ」
「キセラ? 手紙?」
「なんだよキセラのことも知らねぇのか? キセラはな、族長の孫娘で、今は婿入りしてきたサイガの妻でもあるんだ」
「アデル。一応補足するけど、キセラはかつてのロウガの妻であったミアの妹なんだよ」
「何……?」
つまりキセラは、以前エルゼの件の真相を手紙で教えてくれた人物だったのか。
しかしながら、彼女はなぜ今になって手紙を……?
「これがその手紙だよ。安心してくれ、あたしはまだ読んでないから」
「ああ、ありがとう……」
モニカから手紙を受け取って封を開ける。
内容を確認すると、思わず私は驚いてしまった。
そこには一族の長「フウガ」の居場所が書かれてあったのだ。
なんでも東洋にある「逢魔ヶ島」という島で、四年に一度開かれる祭り「逢魔の宵祭」に姿を現すらしい。
その祭りは、五日間も続くというのだ。
フウガの一族は拠点を転々とするらしく、そのせいで今までなんの成果もでなかった。
だが、キセラのおかげでとうとう奴の尻尾を掴むことができたのだ。
これでやっとあの老害に復讐ができる。
「これでオレの仕事は終わりだ。さっさと外に出してくれよ」
「それはできないね。きみにはもう人権などないんだ。一生あたしの被験体なんだからね」
「……ふざけんじゃねえ! とっとと離しやがれ! いくら同じ種族でもぶっ殺すぞ!」
私は最初、この狼男を解放するつもりだった。
だが、手紙を読んでいくうちにそんな気分ではなくなったのである。
このコウガという狼男は、過去に人間たちを惨殺したというのだ。
そのせいで、一族から永久に追放されたらしい。
そして、手紙の最後の一文にはこう書かれていた。
『エルゼは、コウガから酷い仕打ちを受けていました』
一瞬にして頭に血が上り、気づけば私はコウガに詰め寄っていた。
そうか……こいつはそういう奴なのだ。
「質問がある。ロウガとエルゼという狼人間に覚えがないか?」
「ロウガとエルゼ……? ああ、あの追放された兄妹か。いつもベタベタして気持ちが悪かったぜ。だから、オレは指導してやったんだ。ロウガには敵わねぇから、隠れてエルゼを徹底的に指導してやったぜ。あのときの泣き顔は、今でも覚えてる。叩けばいい音が鳴る、遊びがいのある玩具だったぜ?」
その言葉を聞いた瞬間、私は手刀を構え、そのまま奴の太ももに突き刺していた。
コウガは何が起こったかわからずに、苦悶の表情を浮かべながら叫ぶ。
「いってぇ! てめぇ、何しやがる!」
「アデル、殺すのはダメだよ?」
「ああ、わかっているさ……」
私はこぶしを強く握りしめ、そこから滴ってきた血を一滴ずつ、傷口に垂らしていく。
最初は暴れていたコウガも異変を感じたのか、徐々に大人しくなる。
数滴、また数滴と血を垂らしていくうちに、身体を痙攣させ、口から泡を吹き始めた。
「あ……がっ……! やめて……くれ……ぐるじい……」
「これはロウガとエルゼの分だ。きっちりと受け取るがいい」
「てめぇ……覚えて……おけよ。ここから出たら……真っ先に殺して……やるから……な」
「それは無理な相談だよ。きみは一生、あたしの被験体なんだからね。髪の毛一本無駄にせず、実験動物として生きてもらう。最終的には解剖とかもするかもね」
「ひっ……!? や、やめてくれ……!」
「さらばだ、コウガよ。自分の犯した罪の重さを地獄で償うんだな」
私は濃縮血液を飲み、力を増幅させ、コウガの腹に勢いよくこぶしをめり込ませる。
奴は白目を剥き、舌をだらんと垂らしながら、声を発することもできずに気絶した。
「これで少しはスッキリしたかい?」
「ああ、本当に少しだがな……」
「とりあえず、今日はもう帰ったほうがいい。もうすぐ仕込みの時間だろ? 祭りの件については、またあとでじっくり話そう」
「ありがとう、モニカ。君には感謝してもしきれないよ」
「これはギブアンドテイクだよ、アデル。よかったら、また研究に協力してくれると嬉しいな」
「……君は本当に現金なやつだな」
「わかりやすい性格でいいだろう?」
「ふっ、そうだな……」
「もう、これ苦手~」
開店前、ミネットがエプロンを結ぶのに苦労していた。
私が手伝うよりも先に、エルゼがそっと近づく。
「これはこうすると簡単なんだ」
「ちぇっ、せっかくお兄ちゃんの気を引こうと思ったのに……。まあ、いいわ。……ありがと」
「お前が礼を言うなんて珍しいな。明日は槍でも降るのか?」
「何よ、その言い方? ワタシが素直だといけないの?」
「いや、そういうところ可愛いと思うぜ」
「ふ、ふん、ちょ、調子に乗らないで……!」
エルゼとミネットのやり取りを聞いていると、なんだか心が穏やかになる。
このまま仲良くなってくれると、非常にありがたい。
「ふふっ、良い雰囲気じゃな、アデルよ」
「あの二人を見てると癒されますよね」
青梅と赤椰は腕組みをしたまま頷いている。
どうやら二人も私と同じ気持ちのようだ。
「私たちは家族なんだ。仲が良くて困ることなんてまずない。青梅、赤椰、いつもありがとう。ミネットを新しい家族だと受け入れ、優しく接してくれることに感謝してるよ」
「ふむ、そう言われるとますます優しくしてやりたくなるのぅ。もちろん、アデルにもな」
「アデルさんもいつもありがとうございます。こちらも感謝してもしきれないですよ」
二人ともまっすぐに瞳を向けてくる。
そのせいで、少し恥ずかしくなってしまう。
「のぅ、アデル。折り入って、相談があるんじゃが……」
「ん? なんでも言ってくれて構わないよ」
「……明日は休みじゃろ? もしよければ、明日うちとデートしてはくれないかのぅ? もちろん、『大人の』デートじゃぞ?」
「……え?」
「ああーっ! またあの色情鬼がお兄ちゃんにセクハラしてるーっ!」
「おい! いい加減諦めろよ、青梅!」
「ぷぷっ、青い二人をからかうのは実に愉快じゃのぅ……」
「姉さんはなんでそう火種を蒔くかなぁ……」
「ははは……」
「みんな~っ、こんばんは~!」
次の瞬間、玄関の扉が大きく開かれる。
入ってきたのは、案の定モニカだった。
しかし、様子がおかしく、身体はふらついており、顔も赤い。
それだけではなく、身体中からアルコール臭を発している。
どうやらかなり酔っているようだ。
「おい、モニカ。まだ開店前だぞ?」
「ふふ~ん、常連にそんなことを言ってもいいのかい? ここでお金を落とす客が減ると、困るのはそっちだろ~?」
「ぐっ……足元見やがって……」
「君が開店前に来るなんて珍しいな? 何か用事でもあったのか?」
「早くアデルに会いたかったんだよ?」
「……え?」
「この喫茶店には色情魔しかいないの?」
「……これは嘘じゃな。うちにはわかるぞ」
「あは~、バレたか~。とりあえず、いつものコーヒーを淹れてほしいな~。走ってきたから、喉がカラカラでさぁ~」
「……わかった。まずは席に着くといい。疲れているだろう?」
コーヒーとオムライスを平らげたモニカは、バックから大型のタブレット端末を取り出し、画面をこちらに向けた。
画面上には、とある旅行サイトが載っている。
そこには先ほど話した、逢魔ヶ島で行われる「逢魔の宵祭」について書かれていた。
「これはなんなんだ、モニカ?」
私は初めて聞いたフリをして質問をする。
モニカはチラッとこちらを見たあと、すぐにエルゼたちのほうを向いた。
「みんな、夏の間忙しくて疲れただろう? そんな疲労困憊のみんなのために、あたしがご褒美を用意したんだ。一週間後に東洋のとある島で、五日間のお祭りが開催される。そこにみんなで行こうよ。もちろん、旅行費はあたしがすべて負担する」
「おいおい、ずいぶん太っ腹じゃねぇか? 何か良いことでもあったのかよ?」
「何か裏がありそうじゃのぅ……」
「確かに怪しいですね」
「この人、本当に信用できるの?」
「そ、そんなこと言わないでよ、みんな~……」
ダメだ、モニカでは説得が難しそうだ。
ここは私が気を利かせなければ……。
「旅行、いいじゃないか。私は賛成だ。ちょうど私もみんなを労いたかったんだよ。今回は素直に甘えようではないか。こんな機会、めったにないぞ?」
「まあ、アデルがそう言うなら……」
「気を遣ってくれて嬉しいぞ、アデルよ」
「アデルさん、ありがとうございます」
「お兄ちゃんのおかげで、なんか楽しみになってきたかも……」
「あ、あれれ~、なんでアデルにだけお礼を? 提案したのもお金を出すのも、全部あたしなんだけどなぁ……」
苦しまぎれの言い訳だったが、なんとかフォローになったようだ。
日頃の行いの良さが幸いしたな……。
酔ったモニカのせいで少し計画が狂ったが、なんとか旅行に行く口実ができた。
もしも、私単独で旅行に行くと言っていれば、皆から怪しまれていただろう。
ならばいっそ、一緒に連れて行くほうがごまかしやすいはずだ。
ようやく復讐への第一歩を踏み出せた。
あとはエルゼに気づかれないように、ロウガの仇討ちを実行するだけである。
できれば、彼女の手を汚すことはしたくない。
たとえ相手が兄の仇でも、一族の長をその手にかけることは、いくら彼女でも躊躇するはずだ。
今回はその躊躇が命取りになると睨んでいる。
だから、これはフウガに対して、なんの良心の呵責もない私が背負うべき案件なのだ。
エルゼには何も背負わせず、残りの人生を謳歌してほしいと強く願っている。
これはロウガを殺めたときから、私が決意していたことだ。
そのためにも、計画を念入りに練って、確実に奴を仕留める。
待っていろ、フウガよ……。
ロウガとエルゼの人生を狂わせた報い、必ず受けてもらうぞ。
こうして、秋の夜はより深みを増していくのだった。




