第十八話 夜明けの赦し
メデューサの背後には、シャノンが立っていた。
表情はベールでよく見えないが、月明かりを反射した二対の短刀が、不気味に光っている。
「ここで死になさい、醜悪な異形たちよ!」
「逃げろ、メデューサ!」
次の瞬間、メデューサの胴体には、短刀が突き刺さっていた。
シャノンが勢いよく短刀を引き抜くと、夜の闇に血飛沫が舞う。
メデューサはその場に膝をつき、吐血した。
「メデューサ!?」
「ごふっ……! お、お嬢様……お逃げくだ……さい」
「まず一匹……!」
シャノンは無慈悲に短刀を振り下ろす。
まずい!
このままでは、メデューサが絶命してしまう!
「シャノン! メデューサを殺せば、ライアンの石化は一生解けなくなるぞ!」
「――っ!?」
シャノンはメデューサの首すれすれで、短刀をピタリと止めた。
こちらを振り向くと、その冷徹な表情のまま口を開く。
「……それは本当ですか?」
「ああ、本当だ! それに、君がミネットとメデューサを殺す必要はない! 私たちは和解したんただ! 頼めばきっと、石化だって解いてくれるだろう!」
「私は言いましたよね、五日間だけ待つ……と。ですが、もう時間は過ぎてしまいました。あなたとの約束は、反故になったのですよ」
「なんだと……!?」
「融通が利かねぇな、このハイレグシスターはよ……」
「何度でも言わせてもらいます! 元はと言えば、あなたたちに原因があるのですよ! 弁えなさい、この異形風情が!」
シャノンは顔を紅潮させ、鬼気迫る勢いでメデューサの身体を斬りつけた。
そのままメデューサは崩れ落ち、赤黒い血の海に身を沈める。
地面を染める鮮血の中、微かに震える指先だけが、彼女がまだ生きていることを告げていた。
「ああ……メデューサ……」
「安心してください、まだ生きています。そうやすやすと地獄には送りませんよ。お兄様が味わった苦しみは、こんなものではありませんからね」
シャノンは血溜まりの中を歩きながら、ゆっくりとミネットに近づいていく。
私はエルゼから離れ、ミネットとシャノンの間に割り込んだ。
「シャノン、冷静になるんだ! 暴力では何も解決しない! 話し合えば、きっとわかりあえるはずだ!」
「――っ!? どの口が!」
シャノンは激昂し、今度は私の胴体に短刀を突き刺した。
この焼きつくような痛み……まさかこの短刀にも太陽の加護が……?
彼女はそのまま何度も、私の身体を刺し続けた。
「がはっ……!」
「アデル!」
「お兄ちゃん!」
「あなたもこれで終わりですね。兄妹仲良く地獄に送ってあげますよ。……いえ、まずはミネットを痛めつけるほうがいいかもしれません。そうすれば、メデューサも石化を解いてくれるかもしれませんからね……」
「やめ……るんだ……シャノン……。まだ間に……合う……」
私は吐血し、その場に膝をつく。
シャノンは先ほどより勢いをつけて、再びミネットを狙って突っ込んできた。
「――やらせるか!」
「お兄ちゃん!?」
「アデル! ミネット!」
咄嗟に私はミネットを庇い、盾となる。
公園内には悲痛のこもった、ミネットとエルゼの声が反響した。
もうダメだ……!
そう思った瞬間、私とシャノンの間に何者かが割り込んでくる。
次の刹那、短刀が肉に突き刺さる鈍い音が聞こえた。
しかし、それは私の肉体から発せられたものではない。
「……なんとか間に合ったようだな」
私たちを庇ったのは、石化して動けないはずのライアンだった。
彼の身体には、二本の短刀が深々と突き刺さっている。
だが、彼は笑顔を浮かべていた。
それはまるで、皆を心配させまいと平静を装っているようにも見える。
「お、お兄様……!? わ、私は……なんということを……!?」
シャノンは激しく狼狽していた。
その顔は絶望の色に染まっている。
ライアンはそのまま何も言わずに、取り乱す彼女を優しく抱きしめた。
「俺のために怒ってくれてありがとう、シャノン。だが、これでもう全部終わりにしよう」
「で、ですが、お兄様……! 私……私……お兄様を傷つけて……!」
「これくらい平気さ。お前なら知っているだろ、俺がタフってことを。本当によく頑張ったよ、お前は」
「お兄様……。こんな愚か者の私でも、赦されるのでしょうか?」
「まずはみんなにしっかりと謝罪をしないとな。もちろん、俺も一緒に謝るよ。大丈夫、俺はいつでもお前の味方だからな」
「ありがとう……ございます……お兄様……」
公園には、夜の静けさが満ちていた。
風ひとつなく、ただ穏やかに時間だけが流れていく。
その中心で、血塗れの兄妹がそっと身を寄せ合っている。
淡い月明かりが、二人の影を静かに地面へ落とす。
抱き合う姿は、言葉にできぬほどの温もりと、どこか神秘が宿っていた。
「いやあ~、なんとか間に合ったようだねぇ」
暗闇の中から、モニカが姿を現す。
この現状を見ても、彼女は普段と変わらず、飄々とした態度だった。
「モニカ、いったいこれはどういうことだ? 説明してくれないか?」
「おっと、今はそれどころじゃないだろ? とりあえず、怪我人をあたしの家に運んで治療をするのが先さ」
「珍しく真面目じゃねぇか」
「そりゃ、これでも医者の端くれだからね。まずはメデューサの止血をする。そのあと、彼女を家まで運ぼう」
「私が運びます!」
「じゃあ、頼んだよ、シャノン。アデルとミネットは、この濃縮血液で傷を癒してくれ。ライアンは、短刀を抜かずにそのまま家に来てくれよ? エルゼは……特に問題ないよね?」
「なんかアタシだけ雑じゃねぇか? こう見えて結構重傷なんだぜ?」
「じゃあ、アデルにお姫様抱っこでもしてもらえば?」
「モニカ、軽口はそのへんにしておけ。もうすぐ夜が明ける」
「それもそうだ。じゃあ、みんな、急いで家に帰ろうか」
東の空が淡く滲み、夜の帳がゆっくりと上がっていく。
長くて短い夜が、ようやく終わる。
もう、争いの音はない。
あとは朝の光がすべてを洗い流すだけだった。
数日後、モニカの懸命な治療により、怪我人全員が元気を取り戻す。
ライアンとシャノン、ミネットとメデューサは互いに誠意を込めて謝罪したことで和解した。
石化していた者たちも無事に解放され、ミネットとメデューサは巻き込んだ者たちにも謝罪をし、最終的に赦されたのである。
「おい、ミネット! この埃はなんだ!?」
「エルゼこそ、お皿に汚れが残っているわよ!?」
「落ち着いてよ、二人とも」
「まだまだ青いの~。やっぱり、アデルと釣り合うのはうちだけじゃな」
「は?」
「あ?」
「この喫茶店も賑やかになって嬉しいねぇ」
「火種が増えただけのような気がしますけどね……」
「すみません、お嬢様がご迷惑をかけて」
「アデル~、コーヒーまだぁ?」
「君は本当にマイペースだな」
シノさんの言うとおり、この喫茶店はだいぶ賑やかになった。
ミネットが正式に働くことになり、店としては助かっている。
まだまだ覚えることはたくさんあるが、彼女ならば問題ないだろう。
一方、メデューサは自慢の怪力を活かして、建設現場で日々汗を流している。
ヘルメットとサングラスで素顔を隠せるのも、その仕事を選んだ理由の一つらしい。
店員に華があるおかげなのか、最近は常連客だけではなく、新規の客も徐々に増えている。
地道に積み上げてきた成果が、今やっと実ってきたようで内心喜んでいるのも確かだ。
「アデル! 今日も野菜を持って来たぞ!」
「もちろん、果物もありますよ!」
扉が豪快に開かれると同時に、ライアンとシャノンが大荷物を持って入ってきた。
現在二人は異形ハンターを引退し、ツクヨミシティで暮らしている。
二人は農業に従事しており、今は見習いとして、とある農家にお世話になっているのだ。
人並み外れた力を持つ二人の労働力は、後継者不足が懸念される農家にとっては、貴重な存在だろう。
二人は頻繁にここを訪れ、お裾分けしてもらった大量の野菜や果物を持ってきてくれる。
ちなみに「太陽の加護」には植物の成長を早め、生産量を高める効果があるらしい。
それを利用して独自の色を出した、一人前の農家になるのが、将来の夢だと二人は語っていた。
「いつもありがとう。今コーヒーを淹れるよ」
「おお~、美味しそうな野菜と果物だね~。そういえば、身体の調子はどうだい?」
「モニカのおかげでこのとおり元気だよ」
「改めて感謝します、モニカ」
ライアンとモニカの会話を聞いていると、あのときのことを思い出す。
なぜライアンが石化を解くことができたかというと――。
『私の血を使った?』
『うん、そうだよ。アデルの血は異形にとっては猛毒だ。だけど、人間には効果がないということは、前々から言っていたよね? でも、実はそれだけじゃなかったんだ』
『……というと?』
『きみの血は、異形の力を退ける効果もあるみたいなんだ。試しに、少しだけライアンに投与してみたところ、一部分だけ石化が解け始めた。そこで、今度は濃縮したきみの血を投与したんだ。すると、たちまち石化が解けていったんだよ』
『……なんだと? そういえば、あのとき私の血がライアンの顔をかすめていたな……。だから、彼は完全に石化しなかったのか。……それなら、もっと早く言ってほしかったな』
『これは大きな博打だったんだよ、アデル。もしかしたら、副作用でライアンは死んでいたかもしれない。まあ、幸運にも今回は賭けに勝てたけどね』
『……そうか。ありがとう、モニカ。君のおかげで助かったよ』
『えへへ~、どういたしましてぇ~。じゃあ、次回からは、もっとディープな研究に協力してくれるかい?』
『現金なやつだな、君は』
こうして、今回の事件も無事に幕を下ろす。
喫茶ヴァンピールには、賑やかだが、どこか穏やかな時間が流れていた。
閉店後、私はモニカに店の外へ連れ出される。
どうやらまだ何か話があるようだ。
二人きりになると、彼女は真剣な面持ちで口を開く。
「アデル、よく聴いてくれ。きみに頼まれていた、『あの事件の関係者』を捕らえることに成功した。今その人物は、あたしの家の地下にいる」
その言葉を聞いた瞬間、私の心臓はひどく高鳴った。




