第十二話 兄妹の過去
私とミネットは、とある吸血鬼の一族に生を受けた。
我が一族はほかの吸血鬼とは違い、特殊な能力を有している。
それは自分の血を自由自在に操り、武器や防具として扱える、というものだ。
私たちはこれを血装術と呼んでいる。
私たちの父親は七人兄弟の末子であり、同時に落ちこぼれでもあった。
腕力も能力もほかの兄弟に劣り、一族からは爪弾きにされていたのである。
そんな父親を持つ私とミネットは、さらに冷遇されていた。
私の母は行方不明。
ミネットの母は病気で死別。
忌み子である半吸血鬼の私は、「異形を殺す血」を有していたため、軟禁されるだけで済んだ。
しかし、純血だが劣った腕力に、特殊能力を有していないミネットは、一族からいじめを受けるのが日常茶飯事だった。
加えて、彼女はいくら年月を重ねても、肉体は少女のまま。
それが病なのか呪いなのか、誰にもわからなかったが、彼女への扱いをさらに悪化させた。
一族の皆からは、とても同族に対して行うとは思えない、鬼畜の所業を受けていたようだ。
ある日心身ともにボロボロになり、この世と決別しようとしていたミネットの姿を見たとき、私の心に怒りの火が点いた。
私は怒りのままに一族をひとり、またひとりと殺して回ったのである。
正直、あのときのことはよく覚えていない。
毒があるとはいえ、身体的にも能力的にも圧倒的に勝る一族たちを、どうやって殺し尽くしたのかはいまだに謎だ。
だが気づけば、私は屍の山の上に立っていたのである。
そして、生き残った血族は父上とミネットのみとなったのだ。
しかし、私は大きな過ちを犯していた。
私はミネットと唯一仲の良かった親戚の吸血鬼を、誤って殺してしまったのだ。
あのときの彼女の哀愁がこもった表情は今でも忘れられない。
私は罪悪感に耐えきれなくなり、父上に彼女を託し、黙って彼女の前から姿を消した。
そして、私は故郷から離れ、長い時間放浪者として、世界各地を転々としたあと、最終的にツクヨミシティに移り住んだのである。
笑顔を浮かべたミネットが、目の前にいる。
信じがたい現実に、思考が追いつかない。
嬉しいはずなのに、胸の奥がひどく痛む。
どうして、そんな顔で笑うんだ?
私は、お前に笑ってもらえるような兄じゃないのに……。
「やっと見つけたよ、お兄ちゃん」
「……ミネット、どうして……こんなところに……?」
「ひどいなぁ、お兄ちゃんは。黙ってワタシの前からいなくなるんだもん。まさか、探すのに百年以上もかかるとは思わなかったよ」
「す、すまない……」
「お兄様!」
シャノンの叫び声が辺りにこだました。
振り返ると、彼女がこちらに向かって猛スピードで突っ込んでくる。
同時に、メデューサが即座に反応し、再び目から赤い光を放つ。
しかし、その光はシャノンの着るシスター服によって弾かれた。
「何っ!? お嬢様、わたくしの後ろへ!」
「お兄様! 大丈夫ですか!?」
シャノンはミネットとメデューサの前を通り過ぎ、ライアンのもとへと駆け寄った。
不思議なことに、ライアンは完全には石化しておらず、首から上は生身だ。
彼女は彼の容態を確認し、生きているとわかると、ほっとため息をつく。
そして、銀色の鍔のない短刀を取り出し、ミネットとメデューサを睨みつけながら戦闘態勢に入る。
「お兄様を元に戻しなさい。でなければ、殺しますよ?」
「あはっ、こわーい。メデューサ、やっちゃって」
「了解しました、お嬢様」
シャノンとメデューサが対峙する。
いったいこれからどうなってしまうんだ?
勝負は一瞬で決まった。
シャノンが短刀で斬りかかったと思いきや、すぐに彼女は気絶してしまったのだ。
「いったい何が……?」
「お疲れ様、メデューサ。じゃあ、行こうよ、お兄ちゃん?」
「ど、どこに……?」
「ワタシたちのお家に決まってるじゃん」
「おい、お前。アデルから離れろよ」
ミネットは腕を組んでくる。
だが間髪入れずに、エルゼが割り込んできた。
「え、誰、この獣臭い女は……?」
「彼女は眷属のエルゼだ」
「待って、お兄ちゃん。いつからこんな趣味になっちゃったの? 昔はワタシみたいな女の子がタイプだ、って言ってたのに? もしかして、あそこにいるのもお兄ちゃんの眷属なの?」
「皆を愚弄するのはやめてくれ。私の新しい家族なんだ。だから、ミネットにとっても――」
「気持ち悪い! お兄ちゃんはワタシだけの物なのに! やっちゃって、メデューサ!」
「はい、お嬢様」
「ま、待て、ミネット……!」
メデューサはミネットの指示を受け、エルゼたちに向かって赤い光を放つ。
その結果、皆はあっという間に全身が石化してしまったのである。
「あ、ああ……! ミ、ミネット、なんてことを……!」
「メデューサ、お兄ちゃんも静かにさせて」
「了解です、お嬢様」
メデューサは私に近づくと、顔に向かって息を吹きかけてきた。
すると、耐えきれない眠気に襲われる。
知らなかった、まさかメデューサの吐息に催眠作用があると……は……。
「おやすみ、お兄ちゃん。またあとでね」
私はかろうじて拾えたミネットの言葉を聴きながら、意識を失った。
目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。
私は天蓋つきのベッドに寝かされている。
部屋の壁はくすんだ紅の壁紙で覆われ、家具はすべて重厚なアンティーク調だった。
ベッド脇のサイドテーブルには古風なランプと、一輪挿しの薔薇。
微かに甘い香りが鼻をかすめる。
窓は厚手のカーテンで締めきられており、時間すらわからない。
そのうえ、室内は妙に静まり返っている。
頭が重く、身体が思うように動かない。
身体を動かそうとして、気づいた。
ベッドの右側、わずかな呼吸の気配を感じる。
視線を向けると、私のすぐ隣で、可愛らしいパジャマ姿のミネットが眠っていた。
綺麗な長い髪が枕に流れ、無垢な寝顔をこちらに向けている。
彼女の腕が、まるで抱きしめるように私の腕に絡みついていて、逃げ場などなかった。
「ふわぁ~、あ、おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、ミネット。起きたばかりで申し訳ないが、私の腕から離れてくれないか?」
「なんで? 昔はよく一緒にこうやって寝てくれたよね?」
ミネットはうっすらと笑みを浮かべている。
しかし、目はまったく笑ってはいない。
「わ、私はお前に合わせる顔がない。私はお前の友人を……」
言葉を最後まで紡ぐ前に、ミネットが私の唇に自らの人差し指をそっと当てる。
そのせいで、反射的に口を閉じてしまった。
「今その話題を持ち出すのは禁止ね。わかった、お兄ちゃん?」
ミネットの威圧感に圧倒され、私は黙って頷くことしかできなかったのである。
そのときにやっと気づいた。
切り落としたはずの右手が再生している。
そのうえ、脇腹の傷までも塞がっていた。
「あ、気づいた? さっき濃縮血液をお兄ちゃんに飲ませたんだ。やっぱりあれはすごいね。あっという間に治っちゃったよ」
「そ、そうなのか……? ありがとう、ミネット」
なぜ濃縮血液のことを知っているかは謎だが、とりあえず呑み込むことにした。
今はちゃんとミネットの相手をしないと、彼女に何をされるかわからないからだ。
気づくと、ミネットはこちらをじっと見つめていた。
互いの視線が交わったあと、彼女は少し頬を赤らめながら、上目遣いになる。
「ねぇ、お兄ちゃん。もっと甘えてもいい?」
「……なんだって?」
ミネットは幼い頃のままの笑顔を浮かべると、なんのためらいもなく、私の胸に身を預ける。
細い身体が勢いよく胸に飛び込んできた瞬間、ふわりと、あの頃と変わらないにおいが鼻をかすめた。
花でも香水でもない。
どこか懐かしくほんのり甘くて、澄んだ香り。
それは彼女との思い出を、音もなくよみがえらせる。
ミネットは最初、まるでガラス細工を扱うかのように、遠慮がちに私を抱きしめていた。
しかし、すぐに遠慮は消え、息もできないほどの強さで抱きつかれる。
その腕が、細い肩が、胸元に縋りついた瞬間、熱と想いに、心がぐらりと揺れ、息が詰まった。
私は耐えきれずに、彼女の肩に手をかけ、その身体を乱暴に引き剥がしてしまう。
優しくなんてできなかった。
今はただ、逃げるように彼女を強く拒絶する。
「お兄ちゃん、なんで? やっぱり、雰囲気変わったよね? もしかして、あの眷属たちのせい? ワタシはもういらない子なの?」
「ち、違う……! そんなことはない!」
「ここにはワタシとお兄ちゃんしかいないよ? だから、今はワタシだけを見て?」
「……申し訳ございません、わたくしもいます」
いつの間にか、ベッドのすぐ側にはメデューサが立っていた。
先ほどの格好とは違い、今はメイド服を着ている。
私たちのやり取りを見て、気まずくなっているのか若干目を泳がしていた。
「メデューサ? なんで勝手に入ってきてるの? せっかくの兄妹水入らずだったのに……」
「も、申し訳ございません! ノックをしても反応がなかったので、つい……。で、ですが、お風呂の準備が整い次第、声をかけてほしいとおっしゃったのはお嬢様です……よ?」
「……ふーん? ま、今回は許してあげる。さ、お兄ちゃん、一緒にお風呂に入ろ?」
「な、なぜ、私が……?」
「え、だって、昔はよく一緒に入ってくれたよね?」
「いったいいつの話をしてるんだ? ミネットはもう立派なレディーじゃないか。たとえ兄妹でも、大人になったら普通は一緒に風呂なんて入らないものだよ」
「え、待って、お兄ちゃんってワタシをこの世で最も素敵なレディーだと思ってるの? すごく嬉しいんだけど?」
ミネットは急に、若者のような反応を見せた。
これでも百歳は優に超えているというのに……。
まさか、精神まで少女のままなのか?
「お嬢様、若旦那様もこう言っておられます。レディーたるもの、お一人でお入りになるのが嗜みでございますよ?」
「……うん、そうよね。じゃあ、待っててね、お兄ちゃん。お風呂のあとに、また楽しいことをしましょう?」
「ああ、ごゆっくり……」
ミネットは納得したのか、嬉しそうに笑顔を見せながら、部屋から出ていった。
ここから逃げるのならば、今がチャンスだ。
「若旦那様、今なら逃げられるとお思いで?」
ベッドから降りようとした次の瞬間、私の下半身は石化し、そのまま動けなくなった。
さすがは伝説の怪物メデューサ。
抜け目はないようだ。
だが不思議なことに、両足にはまだ血が巡る感覚が残っている。
なぜか石化しているのは、着用している衣服のみだ。
私はいつでも逃げられるように準備し、機を窺うことにした。
「若旦那様、よろしければお嬢様がお戻りになられるまで、わたくしとお話ししませんか?」
「……今はそれしかなさそうだな。ちょうど君には訊きたいことがあったからね」
「ご理解が早くて助かります」
「では、まずはこちらから尋ねてもいいかな? ……私の眷属たちは無事なのか?」
一瞬、緊張感が走る。
返答次第では、私自身の命を削ってでも、彼女をどうにかしないといけない。
「安心してください。お嬢様からの命令で、もうすでに石化は解いています。あのライアンとかいう男を除いて」
「そうか、ならよかった。しかし、なぜ彼だけ石化を解かないんだ?」
「あの男の持つ『太陽の加護』が付与されたガントレットは、わたくしたち異形の者にとっては脅威となるからです」
「……彼の妹であるシャノンはどうしたんだ?」
「彼女はただ眠らせただけです。彼女の服が持つ『月の加護』はどんな異能も防げますが、単純な力比べならば、わたくしの足元にも及びませんからね」
「そうか……。それならば、なぜ彼女は眠ってしまったんだ? 催眠効果のある息も異形の能力ではないのか?」
「それは存じ上げません。ですが、ある程度予測はできます。おそらく、露出している部位は能力を無効化できない、または弱めるだけなのでしょう。それを踏まえても、彼女はわたくしに遠く及びません。もし再び相見える際には、能力など使わずに膂力だけで圧倒してみせますよ」
メデューサはどこか余裕のある笑みを浮かべながら、淡々と語った。
現状、私たちでは彼女に歯が立たないので、その態度にも頷ける。
すると、突然石化が解けた。
思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。
「なぜ石化を……?」
「もうすぐお嬢様がお戻りになられます。若旦那様には能力を使うなと、口酸っぱく言われているので……」
「そうか、君は優しいんだな。そういえば、まだ礼を言っていなかったね。今までずっとミネットを見守ってくれてありがとう」
「すべて旦那様の言いつけに従ったまでです。ですが、一応受け取っておきますね」
「ああ、そうしてくれ」
一瞬、部屋が沈黙に包まれる。
先ほどとは違い少し心地の良い沈黙だった。
しかし、また疑問がいくつか生まれる。
今言った「旦那様」というのは、やはり父上のことなのだろうか?
そもそも、なぜ彼女ほどの高次の存在が、一介の弱小吸血鬼の眷属に……?
私はそれを尋ねようとしたが、彼女のほうが先に口を開く。
「若旦那様、一つお願いがあります」
「……聞かせてくれ」
「お嬢様は、わたくしの妹のような存在でもあります。お嬢様の幸せは、わたくしの幸せでもあるのですよ。なので、もうお嬢様を悲しませることは――」
「見つけましたよ、メデューサ!」
「――っ!?」
次の刹那、窓が大きな音を立てて割れ、部屋中に太陽光が充満する。
同時に、両手に銀色の短刀を持ち、ガスマスクを装着した人物が現れた。
このにおい……まさかシャノンか?
「この異形風情が! 一刻も早く、お兄様の石化を解きなさい!」
「それはできない相談ですね。とりあえずここから出て、屋根に移動しましょう。わたくしに勝ったら石化を解いてあげますよ」
「その言葉……二言はないな!?」
「ええ、もちろん」
メデューサとシャノンは約束を交わしたあと、部屋を出て、屋根へと向かう。
今なら逃げられるのではないか?
そう思い、割れた窓から外に出ようとした。
だが、急に意識が朦朧とし、足元がおぼつかなくなる。
まさか、これは濃縮血液の副作用か……?
おそらく、ミネットはあれをわざとたくさん飲ませて、私が逃げられないように算段をつけていたのだろう。
まったく、我が妹ながら末恐ろしいな……。
私は這いつくばりながら、なんとか窓のほうへと移動した。
しかし、あと一歩のところで意識を失いかける。
そのとき、誰かが私の前に立ちはだかった。
まずい、もしやメデューサがもう……?
一瞬、絶望しかけたが、すぐにその見知ったにおいから、誰なのかが判明した。
「よお、アデル。助けに来てやったぜ」
目の前に現れたのは、私の大切な家族であり、そして何より頼れる相棒――エルゼだった。




