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吸血鬼と狼女  作者: 松川スズム
第二章
11/45

第十一話 招かれざる客

 空は朝から色を失っていた。

 雲の層が分厚く、まるで地上に押し寄せてくるようだ。

 窓の外は灰色一色だった。

 夜になってもその憂鬱さは消えない。

 コーヒー豆を挽く手に、なぜかいつもより力が入る。

 胸の奥には、湿った綿を詰められたような感覚が残っていた。

 

 いつもどおりに常連客は来る。

 だが、私はふと、扉の向こうに得体の知れない何かが立っている気がしてならなかった。


「どうした、アデル? 今日はやけに無口じゃねぇか。腹でも壊したか?」

「いつものマスターらしくないねぇ。大丈夫かい?」

「……問題ありませんよ。心配をかけてすみませ――」

「やっほ~、みんなこんばんは~! 元気にしてる~?」


 重たい雰囲気を纏った扉を開けた人物、それはモニカだった。

 どうやら杞憂だったようだ。

 私はほっと胸を撫で下ろす。


「今日もお元気そうですね、モニカさん」

「毎晩テンションが異様に高いのぅ。本当におぬしの活力は底なしじゃな」

「えへへ~、元気だけがあたしの取り柄だからね~」

「皮肉のつもりだったんじゃが……」

「そうなのかい? いや~、それにしても赤椰はかっこいいね~。その執事服、似合ってるよ」

「えっ……?」

 

 モニカは先日赤椰に支給した執事服を褒める。

 その言葉を受けて、彼は一瞬きょとんとしたあと、背筋を伸ばした。

 顔つきは一段と引き締まり、キリッとして男の一面を覗かせる。

 

 さすがにメイド服のままだと可哀想だと私も思い、できるだけ彼の要望に応えた形だ。

 黒を基調とした端正な執事服で、白いシャツの襟元や袖口はきちんと糊が利いている。

 だが、それに対して、着ている本人の動きはまだぎこちない気がした。

 まだ、服に着られている、と言ったほうが近い。

 

 しかし、その不釣り合いさこそが、今の彼の初々しさを静かに際立たせている。

 そんな中、素直に褒められれば、誰だって嬉しくなるのは必然だ。 

  

「僕がかっこいい……? ありがとうございます、モニカさん!」

「礼を言われるまでもないよ。それとね、あたし気づいたんだ。あたしが毎日元気なのは、きみの美味しい料理のおかげだよ、青梅~」

「……そう言われて嫌な気はせんのぅ。今日も楽しみに待っておれ」

「ありがとう~!」


 鬼の姉弟は最初、モニカとは合わないんじゃないかと思っていた。

 だが、それも杞憂だったようだ。


「アデル~、まずはいつものをおくれよ~」

「もう準備はあらかた終わっているよ。すぐに提供しよう」

「さすがアデル~」


 モニカがカウンター席に座ると同時に、再び扉が開け放たれる。

 私は最初、ブルートさんが来店したと思っていた。

 しかし、今度の予想は大きく外れてしまうことになる。


「いらっしゃいま――」

「夜分遅くに失礼する。ここに『族滅(ぞくめつ)のアデル』はいるか?」


 店を訪れたのは、顔も知らない男女の二人組だった。

 男性のほうは、短めの金髪に褐色の肌。

 背丈は私と同じくらいの長身だ。

 上半身に服は着ておらず、身体のいたるところにベルトが巻かれており、黒いガントレットも装着している。

 下半身はオレンジ色のズボンに黒いロングブーツを履いていた。

 そのボディビルダーのような筋骨隆々の肉体は、嫌でも目に入ってしまう。

 

 女性のほうは、サイドで三つ編みにされた金髪がまず目に入った。

 肌はやけに白く、背丈はモニカより少し高い。

 上半身だけ見れば、ごく普通の青いシスター服だ。

 しかし、こちらは下半身の露出が激しく、膝上までしかないスカプラリオから、青いガーターベルトと白いハイレグがちらりと覗いている。

 脚線美は見事なもので、白いニーハイストッキングに青いハイヒールが、それらを際立たせていた。


「ぞくめつのアデル? なんだそりゃ?」

「ふむ、キミは人間ではないね? 狼女か……? 眼鏡の女性もキミと同じようだ。奥にいる少年と少女からも人の気配がしない。東洋の鬼のような雰囲気を纏っている。だが、ご婦人は人間のようだ。そして、残るはこの店のマスターだが……。キミが『族滅のアデル』で間違いないな?」

「なっ……!?」


 金髪の男性は、私たちの正体をピタリと言い当てた。

 その瞬間、店内に緊張が走る。

 ここまで異形の者を見分けられる人間はそうそういない。

 もしかすると、この二人は「異形(いぎょう)ハンター」の可能性がある。


「この感じ……。どうやら、俺の予想は的中したみたいだな」

「さすがです、お兄様」

「お、おい、アタシの質問に答えろよ! その『族滅のアデル』ってなんなんだ!?」


 エルゼは怯まずに質問をぶつけた。

 二人組はなぜか異様なオーラを纏っている。

 そのせいか、モニカ、青梅、赤椰は一方的に呑まれており、一歩も動けず口もきけないようだった。


「分を弁えなさい、この異形風情が。あなたのような蛮族が、お兄様に言葉をかける資格などありません」

「そう高圧的になるな、我が妹よ。それではこちらの品性も疑われるぞ? すまない、異形の者よ」

「お、おう……。それで、その族滅っていうのはなんなんだよ?」

「そこにいる吸血鬼、いや、アデルは過去に自らの手で、血を分けた一族を滅ぼしたんだ」


 次の瞬間、店内には世界が音を失ったかのような静寂が訪れた。

 同時に、私の胸の奥で黒いものが溢れたような感覚が広がる。

 私の消せない過去を、皆に暴露されてしまった。

 心の奥にしまっていた猛毒が、じわじわと全身に広がっていくような感覚に陥る。

 

「アデルがそんなことするわけないだろ? いい加減なことを言うなよな。なあ、アデル、こいつに何か言ってやれよ」

「……彼が言っていることは事実だ」

「……は?」


 エルゼは目を見開いたまま、言葉を失った。

 そのまま瞬きもせず、固まったように立ち尽くしている。

 モニカ以外の皆は、エルゼと同じようなリアクションを取っていた。


「今の反応で確信したよ。やはり眷属たちには、何も知らせていなかったようだな」

「……こちらから質問してもいいかな? 君たちは異形ハンターだろう? もしや、ここにいる異形全員を殺しにきたのか?」

「さすがは吸血鬼だ、察しがいい。だが、安心してくれ、俺たちの目的はキミの首だけだよ、アデル。そちらから手を出してこないかぎり、眷属を傷つけたりはしない」

「その言葉、どこまで信じられる?」

「疑うのも無理はない……か。ほかの同業者は金か妙な正義感に駆られ、異形を根こそぎ狩り尽くすからな」

「そうだ、ハンターは善悪関係なく異形の者を殺し回っている。そんな奴らの言葉は信じられない」

「そうか……。やはり、信じてもらえないか……」


 ライアンは腕を組みながら、悩む素振りを見せた。

 数分後、底に沈む静寂を破り、彼は口を開く。


「ならば、妹を人質に出そう。約束を破ったら彼女を好きにしてくれて構わない」

「何……?」

「さすがお兄様。賢明なご判断です」

「……はぁ!? お、おい、あんたはそれでいいのかよ!?」

「愚問ですね。お兄様の言うことはすべて正しいのです」

「はぁ……?」

「よし、話はまとまったな。それではこれから郊外にある公園で、俺と一騎討ちをしよう、アデルよ。俺が勝っても、眷属は見逃す。俺が負ければ、妹をよろしく頼む。では、先に行って待っているぞ。粗相のないようにな、我が妹よ」

「はい、お兄様」

「ま、待ってくれ……!」

「そういえば、こちらの紹介がまだだったな。俺は異形ハンターのライアン。彼女は妹のシャノンだ」


 ライアンは笑みを浮かべながら、店から出ていった。

 一人残されたシャノンは、嫌な顔ひとつせずに店の入り口に立っている。

 ハンターは、吸血鬼の恐ろしさを身を持って知っているはずだ。

 

 しかも、今は夜だぞ。

 生身の人間が勝てると思っているのか?

 いやしかし、あの背筋が凍るほどのオーラの持ち主だ。

 彼は普通の人間ではないのか……?


「どうしたのですか、そんな顔をして? 余計な心配は無用ですよ。あなたは絶対に、お兄様には勝てませんから」


 シャノンは一切曇りのない目でそう言い切った。






 

 一時間後、待ち合わせ場所である公園に到着する。

 今この場にいるのは、エルゼ、青梅、赤椰、モニカ、そして人質であるシャノンだ。

 みんなにはまだ、私の過去について詳しくは話せていない。

 そのせいか、移動中の空気がまるで葬式のようだった。

 一応、後で話す、とは言ってはいるのだがな……。

 ちなみに、今回は危険だと判断したので、シノさんは家に帰ってもらった。


『マスター、無事に帰ってきておくれよ。マスターにはまだ貸しがあるんだ。それをわたしに返す前に死んだら、ただじゃおかないからね』

 

 シノさんは帰り際にそんなことを言っていた。

 無論、私もまだ死ぬつもりはない。

 しかし、今回はどっちに転んでも傷つく者が出てくる。

 なんとか穏便に事を進められないか悩んでいたが、結局、解決策を見つけられなかった。


 広場に着くと、ライアンがハキハキと準備運動をしている。

 周りに人の気配はない。

 どうやら、本当に一対一で戦うつもりのようだ。


「おっ、来たな! キミも準備運動をしたほうがいいぞ!」

「さすがお兄様! 異形にも優しく接するその寛大な御心、素敵です!」


 ライアンの言うとおり、私も準備運動をする。

 しかし、彼とは違い、私への声援はまったく聞こえない。

 当然の報いだ。

 やはり、家族に隠し事をしたのがまずかった。


「さあ、始めよう。最期に何か言い残すことはないか?」

「私は死ぬ気など毛頭ない。戦わずに済む方法はないのか?」

「俺の人生は、吸血鬼を滅ぼすためにある。たった一匹も生かしはしない」


 ライアンは先ほどの同じように、異様なオーラを纏う。

 表情からは笑みが消え、獲物を狩る肉食動物のような目つきに変わった。

 同時に、その逞しい肉体からは蒸気が噴出し、さらにパンプアップした状態になる。

 

「争いは避けられそうにない……か」

「理解が早くて助かる。では、世のため人のために死んでもらうぞ、族滅のアデル!」


 開始早々、ライアンがこちらに向かって突っ込んできた。

 しかし、その速度は狼人間にも劣る。

 私は難なく避けるが、なぜか着物の裾が焼き切れていた。


「何っ……!?」

「さすが吸血鬼! だが、これならどうだ!」

「お兄様! その調子です!」


 ライアンはボクサーのようなポーズを取りながら、急激に距離を詰めてきた。

 最初のタックルのときよりも速度は上。

 だがしかし、目では追えている。

 私は彼を殺さないように手加減して、右こぶしを突き出した。

 彼も私に合わせて右こぶしを突き出してくる。

 二つのこぶしがかち合うと、辺り一帯に謎の光が散乱した。


 私とライアンはお互いのこぶしを擦りつけつつ、いったん停止する。

 手加減しているといっても、普通の人間だったら腕が折れていても不思議ではない。

 しかし、彼の腕はまったくの無傷だった。

 やはり異形ハンターは一味違うな……。 

 すると突然、私の右こぶしがいきなり燃え始めた。


「ぐっ……!? なんだ!?」

「相手が人間だと侮るなよ、吸血鬼」

「きゃー! お兄様、かっこいいー!」


 右手の炎は徐々に腕まで燃え進む。

 いくら腕を振っても、炎の強さは変わらない。

 私は左手で血を纏った手刀をつくり、躊躇なく右手を切り落とした。


「アデル……!」

「判断が早いな! だが、これで俺が有利になった! 吸血鬼は皆、俺たち人間を見下している! だから、最初は手加減をするのだ! しかし、キミは強い! 大抵の吸血鬼ならこの一撃で終わるところだ!」


 ライアンは再び肉薄してくる。

 今ので理解した。

 本気を出さねば、こちらが先に死んでしまう、と……。


 私は血で生成した剣を、勢いよく彼の顔に突き出した。

 だが彼は間一髪で身を引き、頬にかすり傷を負わせただけだ。

 次の瞬間、私の右脇腹を狙ってくる。

 そう感じた私は、こぶしの軌道上に強固な血の鎧を瞬時に纏う。

 しかし、予想外の出来事が起こった。

 なんと彼の一撃は、血の鎧ごと右脇腹を大きく抉ったのだ。


「がはっ……!?」

「能力を過信したな、吸血鬼!」

「アデル……!?」

「さあ、お兄様! そのままとどめを!」


 まさか、あのガントレットに何か秘密が……!?

 次の刹那、傷口を直接火で炙られるような、壮絶な痛みが襲いかかってきた。

 あまりの苦痛に、思わずその場に膝をついてしまう。

 ライアンはその隙を見逃さない。

 容赦なく襲いかかってきた。


「最期に教えてやろう! このガントレットには『太陽の加護』が付与されているのだ! さらばだ、吸血鬼よ!」

「アデル……!」


 私は死を覚悟した。

 だが、ライアンのこぶしは私の目の前で止まっていた。

 突き出された右こぶしが、石に変わっていたのだ。

 ライアンは目を見開き、信じられないものを見るように後ずさる。

 

「な、なんだ……これは……?」

「やっと見つけたよ。危なかったね、お兄ちゃん」

 

 気づけば私とライアンの間に、白髪のツインテールを揺らした少女が立っていた。

 赤と黒のゴスロリ衣装を纏った、小柄な影だ。

 彼女はなんのためらいもなく腕を振り抜き、そのこぶしを彼の腹部に叩き込む。

 ライアンは白目を剥き、泡を吹きながら、そのまま背中から地面へ倒れ込んだ。

 ぴくりとも動かない。


「お兄様っ!?」

「メデューサ、罰としてこの男を石にしちゃいなさい」

「わかりました、お嬢様」

 

 白い和装を纏った女性が、いつの間にかその場に立っていた。

 次の瞬間、彼女の両眼が赤く光る。

 ライアンの身体が、足元から音もなく石へと変わっていった。

 よく見れば、彼女の頭から垂れ下がっているのは髪ではない。

 無数の白い蛇のようなものがうごめき、舌をちらつかせながら周囲を探っている。

 

 石化の力。

 そして、蛇のような髪……。

 

 まさか、本当にメデューサなのか?

 あの、伝説に語られるゴルゴーン三姉妹の?


 それにこの少女はまさか……?

 まさか――。


「き、君たちはいったい……?」

「お兄ちゃんひどーい! このワタシを忘れちゃったの? あ、でも、髪を下ろせばわかるよね?」

 

 少女は静かに言葉を落とすと、そっと髪をほどいた。

 ゆるやかに解けた髪が肩を滑り、夜の帳のようにその輪郭を柔らかく包み込む。

 見慣れたはずの、懐かしくも遠い面影が、目の前に現れた。


「……まさか……いや……まさか、そんな……ミネット……なのか?」


 震える声で問いかけたその名に、少女はわずかに微笑みを浮かべる。

 そして、確かに頷いた。


「そうだよ。ワタシはミネットだよ、アデルお兄ちゃん」


 その響きが胸の奥深くを打ち、凍った記憶がじわりと溶けていく。

 私は、その名を心の中で何度も反芻する。

 ありえない、と打ち消す声はすぐにかき消えた。


 あの深紅の瞳、あの仕草、そして、あの声――。


 ……間違いない。

 彼女は、私の妹だ。

 

 血を分けた、けれど遠く離れた存在。

 腹違いの妹、ミネットだ。

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