第一話 運命の出会い
夜の帳が完全に下りきって、人々の往来が徐々に少なくなる頃、いつものように店を開く。
今はただ、古びた壁掛け時計が小さく時を刻む音だけが、店内の静寂に溶け込んでいた。
開店してから数分後、チリン、と控えめなドアベルの音が店内に響き渡る。
私は拭いていたカップを置き、客に笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは、マスター」
今夜最初に訪れたのは、常連客であるシノ・ユキヒラさんだ。
私はいつもシノさんと呼んでいる。
齢七十だと聞いてはいるが、年齢を感じさせないスタイルやお洒落な服装、赤いスカーフに赤いサングラスをかけているので、もっと若く見えるのは確かだ。
「いつものでよろしいですか?」
「ええ、お願い」
シノさんがカウンター席に座ると同時に、コーヒー豆を挽き始める。
いつもの手順を踏んだあと、カウンター上で真っ白のカップに濃い褐色のコーヒーを注ぎ、彼女の目の前にそっと置いた。
彼女はカップを手に取り、しばらく香りを楽しんだあと、ゆっくりとコーヒーを一口啜る。
「……今日も変わらず美味しいわねぇ」
「ありがとうございます。たまごサンドもすぐに作りますね」
「楽しみだねぇ」
数分後、シノさんが毎回注文する、「厚焼きたまごサンド」を完成させ提供した。
彼女はまるで食べ盛りの子どものように、サンドイッチにかぶりつき、幸せそうな顔をしながら咀嚼している。
あまりにも美味しそうに食べてくれるので、ついついこちらも嬉しくなってしまう。
「断言するよ。ここのたまごサンドはこの町で一番うまい」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、料理人冥利に尽きますよ。そうだ、よければ新メニューの味見をしてもらえませんか? もちろん、料金はいりません」
「そうなのかい? でも、タダはいけないねぇ」
「いつものお礼なので気にしないでください」
「じゃあ、美味しかったらお金を払わせてもらうよ」
穏やか雰囲気に浸っていると、突然頭に電流のようなものが走った。
……はぁ、またか。
「すみません、シノさん。今日はもう店仕舞いにします。新作はまたの機会に」
「……またこの街に異形が来たのかい? 毎度毎度、マスターも大変だね。気をつけなよ」
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしています」
とある公園を訪れると、さっきよりも気配が濃くなる。
どうやら今回の来客は一人じゃないようだ。
深夜の公園は静まり返り、風の音さえほとんど聞こえない。
月の光も少なく辺りは闇に覆われていて、不気味な雰囲気を醸し出している。
「がるるっ!」
「があっ!」
次の刹那、静寂を切り裂いて獣のようなうなり声が公園内に響き渡る。
目を凝らして見ると、公園の中央では二匹の男女の半獣人が激しい戦闘を繰り広げていた。
男のほうは灰色の髪に褐色の肌で、腹が見える白いトップスの上に丈が短い黒色のジャケット。
黒いボトムスには鎖のアクセサリーを身に着けている。
一方、女のほうは髪色と肌は男と同じで、髪型はくせ毛の強い長髪。
へそが見える黒いトップスにホットパンツ、茶色の穴空きニーハイという服装だ。
もしや、あいつらは狼人間の類いじゃないか?
まったく、この街はまた面倒なやつらを迎え入れてしまったようだな。
「お前たち、こんなところで何をしている! ここは人間たちの領分だぞ! さっさと元いた場所に戻れ!」
「うるせぇぞ、人間! オレたちは今、命のやりとりをしてるんだよ!」
「そうだ、アタシは絶対にこいつを殺さないといけないんだ!」
「邪魔すんなら、てめぇから食い殺してやる!」
男の半獣人は標的をこちらに切り替えて襲いかかってくる。
しかし、その速度は私にとって速いとはいえず、難なくかわすことができた。
即座にがら空きの胴体に膝を叩き込む。
半獣人は腹を抱えたまま、後退りをした。
「ぐっ……!? てめぇ、人間じゃねぇな……? もしや、吸血鬼か!?」
「答える義理はない。これ以上続けるなら、殺していくぞ?」
「チッ、今のままじゃ分がわりぃ! 着物を着た吸血鬼……! てめぇの顔とにおい、覚えたからな……!」
「あ、おい、待て! うっ……!」
男の半獣人は夜の闇に消えていった。
もう完全に気配を消しているので、追っても徒労に終わるだろう。
それよりも今は、目の前でうずくまっている女の半獣人の安否を確認せねば。
「おい、大丈夫か?」
「くそっ! またやつを殺しきれな――」
女の半獣人はそう言いかけて意識を失った。
彼女の身体をよく見てみると、全身傷だらけで大量に出血をしている。
どうやらかなり深刻な状態のようだ。
「仕方ない、いったん連れて帰って治療してやるか」
意識のない彼女を抱きかかえ、そのまま喫茶店への帰路についた。
翌日の夜、新メニューの再調整していると、二階にある客間からドタドタと走る音が聞こえてくる。
そして、全身包帯だらけの半獣人が一階の喫茶スペースに姿を現した。
今は昨日生えていた耳も尻尾もないので、見た目は普通の人間のようにも見える。
「てめぇ、よくもアタシの邪魔をしやがったな!」
彼女は怒鳴り声を上げながら、カウンター越しに私の胸ぐらを掴んできた。
その力は凄まじく、且つ身長差があまりなかったためか、両足が浮きそうになる。
「……なんでいきなり喧嘩腰なんだ? まずは礼を言うべきじゃないか?」
「あ……そ、そうだよな……。ア、アリガトウゴザイマス……」
彼女はすぐに手を離し、深々と頭を下げる。
一応、話のわかるやつのようだ。
「昨日、お前たちはなぜ同族で殺しあ――」
そのとき、店内にグゥーという大きな音が鳴り響いた。
その音の主は顔を赤くしながら、お腹をおさえている。
「あ、あはは、悪いな。最近ろくにメシを食ってなくてさ……」
「とりあえず、これを食え。話はそれからだ」
私は完成させたカレードリアを提供する。
彼女は「あんがと」と言ったあと、目の前のカウンター席に座り、脇目もふらずに一瞬でドリアを平らげた。
「……うまかったよ。だけどちょっとアタシには辛すぎたかな」
「忌憚のない意見に感謝する。食後にコーヒーでもいかがかな?」
「あいにく苦いのは苦手なんだ」
「ならばカフェオレはどうだ? 生クリームたっぷりだぞ?」
「じゃあ、それで頼む」
「暇だったら、そこにある新聞や雑誌を自由に読むといい」
「ありがとさん」
店内にラウンジ音楽を流したあと、コーヒーの準備に取りかかる。
一方、彼女は肘をついてあくびをしながら、新聞を一枚一枚ゆっくりとめくっていた。
「私の名はアデル。この喫茶店『ヴァンピール』の店主だ。どうして君はツクヨミシティに来たのかな?」
数分後、完成したカフェオレを提供すると同時に自己紹介をした。
ちょっといまさらな気もするがな。
「……エルゼだ。アタシは昨日の男を追ってここに来た。目的はやつをこの手で殺すことだ」
彼女は受け取ったカフェオレを啜ったあと、白いヒゲを生やしながら返答する。
見た目とは裏腹にかなり物騒なことを言っているが、気にしないことにしよう。
「心配しないでいい、目的を達成したらすぐにこの街から出ていくさ」
「……そうか」
「そうだ、訊きたいことがある。次の満月はいつ頃になるか知ってるか?」
「次の満月は二週間後だ」
「二週間か……」
エルゼは呟きながら、ゆっくりと席を立つ。
そのままふらふらと歩きながら、玄関のドアに手をかけた。
「世話になったな」
「待て、そんな状態で行くつもりなのか?」
「急いでるからな」
「私には止める義理もないが、これだけは言わせてくれ」
「なんだよ?」
「もし今夜あの男を見つけられず朝になったら、またここに来い。食事と寝る場所くらいは提供してやる」
「どういうつもりだ? もしかして、アタシに一目惚れでもしたのか?」
「ただのお節介さ。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「そうか、頭の隅に置いておくよ。じゃあな」
「またのお越しを」
チリンチリンとドアベルの音が店内に響き渡る。
少しだけ心配になったが、いつもどおりの日常を送ることにした。




