漁港の親分
「この辺りか?」
「どうやらそのようですね。広範囲に血が飛び散っていると聞いていましたが、わからないですね」
「あぁ、水で流したのだろう。あんまり見たいものじゃないから助かったな」
俺は転がっている桶を見て言った。フランも同意見らしく、何も言わない。
現場は作業小屋の横とわかっていたから、すぐ見つかるものと思っていた。しかし作業小屋が多く、その辺を歩いていたお婆さんに聞き、やっとたどり着いた。どうやら網などを補修している場所のようだが今は誰もいない。
「漁港に入ってすぐですね。真っ直ぐにこようと思えばですが」
「あぁ、しかし誰もいないな」
「隊長、今朝まで死体があった場所に近寄りたい人は少ないと思いますよ」
それもそうか。
「発見者は漁師と言っていたな。近くにいるといいんだが」
「誰かに聞いてみましょう」
フランが聞けそうな人間を探そうとしていたが、何しろ辺りに誰も居ない。少し動いて聞き回るかと思っていたが、それらしいのが向こうからやってきた。
四人で歩いてきているが、いかつい顔に、誰もが日に焼けている。そして顔と同じくらいの大きさはある太い腕にそれを支える丸太のような巨躯。正に漁師の風体だ。
そいつらは遠くから見て俺達の事が分かったか、真っ直ぐにこちらに近付いてくる。先頭にいた小柄だが年かさらしいのが大声を出した。耳元であの調子で叫ばれたくはない。
「憲兵さんだったか。まったく、あのばあさんは」
「悪かったな、期待を外したか?」
「あっいやそうじゃねぇよ。この辺で怪しい奴がいるって聞いてよ」
いかつい漁師達は少し安心した様子で、腕をさすったりしていた。年かさの漁師は普通だが、若いのは苛立っているようだな。
彼らは俺の前まで来ると年かさの漁師が口を再び開いた。今度は普通だ。わきまえているようでよかった。
「悪いな、今朝ここに死体があっただろ。見た目は土左衛門よりゃましだったがよ。人が殺されたんだから大事だ。で、俺達漁師は大騒ぎでよ。この辺の奴らはみんな気が立ってんのよ」
「そこに俺達がフラフラしてたから来たのか」
「あぁ、ばあさんに知らない男達にここを聞かれたって駆けて来てアワアワ言っててよ。まさか憲兵さんとは思わなかったが」
年かさの漁師は舌打ちしていた。聞くと俺達が道を聞いたお婆さんが漁師達に言ったらしいが、言葉足らずで憲兵だと思わなかったようだ。しかし俺達にとってはタイミングが良かったといえる。
「俺はアニード、こっちの若いのはフランだ」
「おれはミニッツ、こっちのはメイト、後ろのデカい二人はコアラとマーチだ。他にも仲間は居るんだが別のとこを回っている」
俺はミニッツと握手を交わした。近くで見てもゴツイ腕だ。素人相手なら腕力だけで圧倒できそうだ。それに若い頃に無茶をしていたんだろう。雰囲気が単なる漁師ではない。
なんとなく信用できそうな男だ。面倒見のいい顔役なんだろうか。ボルドーの大隊長を思わせる。
しかし他にもこの辺を回ってる仲間がいると言ったが、何かあったのだろうか。他の三人も別に明るい顔をしていない。単刀直入に聞いてみるか。
「他を回ってる? 何か他に揉め事でも起きてんのか?」
ミニッツは一瞬だけ躊躇した顔をしたが、俺達をチラリと見て一瞬だけ破顔した。憲兵は信用できないから教えられないと言われたら困るが。
「それがな、お前たち憲兵さんが死体を持っていった後なんだが、この辺を嗅ぎ回っている変な野郎がいるって聞いてよ。今日は仕事を無しにして見回ってるのさ。いや、お前さんらを疑っているわけじゃねぇ」
ミニッツは手を振り、違うぞとジェスチャーしながらさらに続けた。
「何せその変な野郎は子供を探してたって話だからよ。ここにいるのは皆、子持ちよ。まさかお前さん達が子供を探してる変な野郎ってわけじゃないだろ?」
「もちろんだ。衛兵に頼まないのか?」
「あぁ、衛兵も来るには来るんだがな。だからこういう時はさ、頼みたいところだがよ。若いのが身内は自分達で守るもんだって聞かねぇもんでよ」
そう言いながらミニッツは後ろをそっと見ると俺に囁いてきた。
「若いのはちょっと血の気の多い奴らでよ。自分達だけで守るって意地張ってんのよ。これも何かの縁だ。すこし協力しちゃくれねぇか? 見返りはするからよ」
俺が目だけで見上げるようにミニッツを見るとすまなそうな顔をしていた。
血の気が多いね……。なんの協力か分からないが、ここの情報と引き換えなら構わない。
俺が頷くとミニッツは顔を輝かせた。苦労していそうだな。俺は同情で苦笑しそうになった。
そのやり取りはつかの間だった。
「おい、おめぇら。自分達でここを守れるかテストしてくれるってよ。コアラにマーチ、やってみろ」
おいおい、なんの協力なのかちゃんと言え。まぁ何に期待してるかわかるが。
俺はミニッツを睨んだが素知らぬ風で顔を背けやがった。まぁ捜査に協力してくれるってんなら少しくらいは構わないか。
「よし、フランいけ」
「えええええぇ」
「情けない声を出すな。別に困らねぇだろ。訓練の一つと思え」
「あぁ、はいはい。分かりましたよ。まったく隊長は人使いが荒いんだから」
フランが下げていたショートソードと背嚢を外して俺に渡すと、軽く筋を伸ばすように身体を動かしながら軽く腰を落とし徒手空拳の構えを取った。俺は少し離れる。
それを見ていたミニッツの後ろの二人が前に出てきた。コアラとマーチと言ったか。どちらも中々の体格だ。凄んだだけで大概の奴は尻込みして逃げるだろう。喧嘩になるか怪しいくらいだ。
だがミニッツと違って生粋の漁師のようだな。手を前に出すだけでなんの構えもなく立っている。顔だけは怖いモノがないって感じで微笑ましいが。
「いつでもいいですよ」
フランの声が合図となった。二人は顔を見合わせると、若い方らしいマーチが飛びかかってきた。直線的な動きだ。まるでイノシシの突進だな。
さて、フランはどう動くか。そういえばフランがこういった手合いを相手するのは見たことがない。
そのフランは横に躱すと片足だけを残し、マーチの足を引っかけた。上手いな。だがあんなので終わったら、マーチってのは機嫌が悪くなるぞ。
心配は杞憂に終わりそうだ。見事にこけるかと思ったマーチだが、なんとか耐えた。さすがに漁師だけあって足腰の強さは半端ないようだな。
しかし、立ち直るのがちょっと遅かったか。フランはすでに決めに入っている。
マーチが転びそうな体制で耐えている間に、フランは真後ろに周りこんでいた。
身体が持ち上がるタイミングに合わせて首を持ち、後ろに引き倒した。俺達が裏投げと言っているやつの変形だ。いやまて、地面に叩きつけるのはマズい。大けがする。
そう思っていたらフランは相手が背中から落ちるように加減をしていた。
「なっ!?」
マーチは背中から落ちた後、衝撃に驚いたのか目を見開いた。何で自分が倒れているか分からないようだ。
上手い勝ち方だ。マーチは既に戦意を喪失している。気が付いたら倒されていたのだから当然か。
「マーチ、勝負あったな。コアラいけ」
マーチはミニッツの声のする方に振り返る。何かあったかも分からなかったが、負けたことだけは実感した。そんな顔で悔しがることもなく立ち上がった。
「おいらの番だ。今のはマーチの不意をうまくついたんだろうが、おいらはそうはいかねぇ」
コアラと呼ばれた男が両腕を高く上げてフランと対峙した。
大きいな。フランは小柄だ。対するコアラは頭二つ分は大きいだろう。これだけの体格差はその差の分だけ実力差を埋める。
さらに、そのままの体勢で飛び掛からずに様子を見ている。完全に待ちの体勢だ。悪くない方法だ。
「さっきの若いのと違って慎重なようだね」
フランが言い、薄く笑った。そして少しだけ真面目な顔になり動いた。
フランはステップを踏むようにゆっくりとコアラに近付いた。コアラの挙げた両腕を警戒するように見ながら慎重に近付いている、ように見える。
「消えっ……」
フランがフェイントをかけるように瞬時に動いた。いや、コアラの瞬きを狙ったんだろう。フランの動きをコアラの目は追えていない。すでにフランはコアラの目の前に屈んでいる。コアラが気づき下を見るが、遅い。
「はっ」
加減はしている。とは思う。フランは両手を使った掌底をコアラの下腹にたたき込んだ。身長差があるからかフランの手が鳩尾ではなく下腹部なのが面白い。大人と子供の喧嘩みたいだ。
コアラは身体をくの字に曲げ、青い顔をして膝をついた。
「フランやりすぎだ」
「す、すみません。大丈夫ですか?」
コアラは何とか耐えている。手をフランの前に出して平気だよとジェスチャーして精一杯強がっているが、あれは苦しいぞ。
「終わったな。これでわかったろ。いくら俺たちでも人を倒すことまでも仕事とする奴には勝てねぇ。だからよ自分達だけで守るなんて肩肘なんて張るもんじゃない。わかったか」
ミニッツが若い二人に言うと、二人はうなだれた。
俺はミニッツに言った。
「おい、すまんな。うちのがやり過ぎたか?」
「いや、いいって事よ。おれらは漁師だ。そりゃ喧嘩をちったぁしてもよ、本職には勝てない。それが分かればいい」
ミニッツは豪快に笑い出した。
「予想以上だ。これで調子にのって馬鹿な理由で怪我をする事もないだろうよ。ありがとよ」
俺はフランと顔を見合わせた。まぁ憲兵を信用して貰えているって事だ。
「親方、約束を忘れずに」
野太い声に振り返ると。もう一人の男、メイトと言ったか。今まで喋りもしなかったから忘れていたが、その男がミニッツに約束を果たすよう言っていた。
漁師が四人いることを作者が忘れてました。あと、格闘シーンは妄想です。
多忙につき、更新が遅くなります。