遅れてきた子(3)
ミレニティが次の攻撃に移ろうとしたであろう瞬間、戦気眼に映る全ての攻撃線が消失した。少女がリセットしたのだ。
(こういうのはさすがに耐えられないでしょ?)
リリエルは怯える相手を見つめる。
戦気眼使いであるだけに彼女は戦気の扱いにも長けている。それを少女に集中して浴びせたのだ。いわゆる「気当たり」である。
スポーツなどでは威圧感などと表現されることもある。戦闘では睨み一つで相手の動きを封じたりするのに使ったりもする。命の駆け引きの現場ではそう珍しいことではない。
「エル、それは子供相手にやり過ぎだ」
ジュネに注意された。
「う……! うん。このままじゃ負けそうだったんでつい」
「加減はしてあげなきゃ。負けたとしてもがっかりしたりしないよ。相性が最悪なんだから」
「認める。完全に手詰まりだった」
構えを解いた途端に腰から砕けた少女が床に崩れる。生の攻撃を浴びているに近いほどのリリエルの気当たりに耐えられなかったのだろう。
「ごめんなさい。いくらなんでも酷かった」
手を引いて立ちあがらせるが、彼女の瞳にはまだ恐怖の色がある。
「それだよ、それ。ミレニティに経験させておきたかった」
「ロシュ兄様?」
「この子が持っているのは技術だけで経験じゃないんだ」
半泣きですがりついてきた少女を受け止めながら言う。
「本物を知らないと大変なことになる。いざってときに動けなくなると危険な目に遭うしかない。知識として知ってれば戸惑わなくてすむからね」
「あたしは実験台?」
「僕では一級の戦士の気合いを教えてあげられないからさ。君に頼むしかなかった」
どうやらリリエルとの相性が悪いのも心得ていて手合わせさせたらしい。彼女なら実戦の怖さも教えてくれるだろうと。
(ユーゴおじさまの入れ知恵かしら)
そんな気もする。
生兵法は確かに危険である。中途半端では向こう見ずな決断をすることになってしまい、いつか命に関わる最悪の事態も予想できる。
「ミレニティが今後どんな道を選ぶにしてもさ、本物を知っていれば参考になる」
「そういうことだったのね」
ロシュは後見人として一時的に保護して教育するつもりなのだろう。しかし、将来はガルドワに縛り付けることなく自ら選ばせる気らしい。
(スケープゴートにされた。まあ、頼れる本物を探してあたしに思い当たったのは嫌じゃないけど)
いささか損な役回りである。
「ミレニティ、大丈夫?」
「……?」
少女は首をかしげて歩み寄ったジュネを見上げていた。
「君は色々と知らないといけない。ぼくとも手合わせしてみる?」
「んー」
「お願いしてみるかい? 僕には判断つかないんだけどね」
持ち直したミレニティにロシュは言う。彼もジュネのことはまだ理解できていないだろう。
「やってみなさい。きっとそのほうがいい」
リリエルも勧める。
「はい」
「ちゃんと手加減してくれるから心配ないし」
「よろしく頼むよ」
(この子、頭はいい。あたしを強者と認識してる。相手に殺意をぶつけるほどの本気の戦闘だったら勝てないと。そのうえで受け入れた)
こういうタイプは強くなれると思っている。
「いい? いつでもおいで」
少女はこくりと頷く。
リリエルと対したときと同じく構えるミレニティ。しかし、そこから動かなくなった。正確には動けなくなった。
(目に見えない攻防が始まってる。怖いとか、そういう次元を飛び越えてるでしょうね)
彼女は仕掛けるつもりだっただろう。最初は素振りを見せた。ところがジュネは何一つ反応しない。気当たりを浴びせるでもなく、立っているだけでどんな一撃も捌くと思わせている。リリエルとは違う威圧感を覚えているだろう。
「…………」
少女の目が丸くなっていく。
「来ない? こっちからいくよ」
「あ!」
自然に伸ばされた手がミレニティの突きだした拳を払おうとする。彼女は瞬時に拳を引いて飛び退った。大きく間合いが離れる。
それが呼び水となる。床を「キュッ!」と鳴らせて低く忍び込む小さな身体。普通なら一番対処が難しいそれにも青年は動じない。
(苦し紛れね)
足払いを跳ねて躱すでもなく下がりもしない。逆に踏み込んで膝上辺りに足を入れている。回し蹴りはそこで止められた。
少女が床で回転する。踏み足を変えて鋭い蹴りが円弧を描く。それをジュネは手で受けた。ミレニティはもう組み立てに入っているだろう。
(ほんとに変幻自在。とんでもない鍛え方をされてる)
剣王さえ怖れた魔王の底知れなさを感じる。
徹底して蹴撃が続く。大人相手では拳の攻撃などパワー不足でフェイントにしかならないと知っている。受けさせて組み立てるなら足技しかないと覚っているのだ。
ジュネは逸らしたり躱したりしつつ下がっていく。しかし、それはミレニティの手のうち。逃げられない場所に追い詰められていっている。
(ここ)
第三者視線で見ているとよくわかった。
膝から先が振り子のように下から伸びて青年を襲う。彼は上体を反らして躱した。その分重心がずれて動きが制限されている。崩されているのだ。
そこからミレニティの身体の向きが変わる。重心が逃げた方向に追い打ちをかけるような膝蹴り。これを躱すにはリリエルのように無様でも転がって躱すしかない。
(柔らかい。少女の身体とはいえ、股関節の可動域がとんでもなく広くないとこんな芸当できない)
普段からそんな動きができるよう準備している。
ジュネは回避しなかった。動きだしの膝に軽く手を添えただけ。ストローク足らずの威力がまだ増していない蹴りの起点を押さえる。それだけで回転は止まってしまう。
「あ……!」
「まだ崩しきれてないよ」
転がって逃げたのは少女のほう。足を取られればそれで勝負は決まってしまう。大人の力を嘗めてはいない。
「もっと深く」
ジュネが求める。
トントンと床を叩く軸足のリズムがまるで音楽のよう。しかし、現実は可愛らしいものではない。軸足が生む反動は蹴りとなって青年を攻めている。
今度は合間に肘まで織り交ぜている。人体の中でもっとも攻撃力が高い部位。鋭さまで備えた鋭利な一撃が低い位置から飛んでくる。
「んくっ!」
「悪くない流れだね」
ミレニティは肩に触れられている。それほど力が加えられていないでろう動作。それなのに彼女の身体はもう動かない。完全に要所を押さえられていた。
「ふっ!」
少女は小さい身体に見合わないスタミナで攻め続ける。しかし、最終的な結果は変わらない。詰めの一撃を放とうとしたところで止められ続けている。
覚っている頃だろう。つまり、組み立ては読み切られていると。本来なら詰めの攻撃を止められたところから取り押さえられ、生殺与奪の権利まで奪われていると。
「…………」
漏れてくるのは吐息だけ。今やミレニティの目は真ん丸に見開かれている。格違いを実感しているだろう。
「すごい……」
いつしか彼女の攻撃はやんでいる。どれだけ続けても敵わないのは明白。それを感じたとき彼女は折れてしまうのだろうか。
「どうしたらそんなことができるの?」
なによりも疑問が先に来たらしい。
「そうだね。絶え間ない努力で、常に自身の身体を思いどおりに動かせるようになること。これはできているね」
「うん」
「あとは相手がなにを思って放った攻撃なのか読み取ること。こういう手合わせ然り、戦闘って会話みたいなものだからさ、なにを語りかけてきてるのか耳を傾けることだね」
組み立てを読む方法を教えられている。
(そんな簡単じゃないけど。あたしがジュネに一度も勝てないのも相性の問題なんだもん)
感動した少女はジュネに抱きついていた。
次回『遅れてきた子(4)』 「宙区を出る気ないなら、いい働き口あるけど?」