ジャッジメント(2)
右目が紫で左目が緑の瞳。冗談かと思うような配色の顔立ちはずいぶんと整っている。リリエルと並んでもお似合いだと思えた。
「そんな無法は許さない」
激しくはないが決然とした声音。
音も立てずに近づいてきて放った裏拳はダミトフの腹に。苦しみから逃れようとフェイの髪を放して後ずさる。
倒れそうになったところを右腕で抱きとめられた。見つめる青年の顔は静かで微笑みを湛えている。掴みかかってくるシャートン主幹を一瞥もせずに止めた。
「うそ」
その手が胸ぐらを掴んでいる。驚くべきことに、その重そうな身体が浮いていった。青年は左腕一本だけで100kg近くはありそうな巨漢を吊り上げているのだ。
「愚者の極みだね。自らの罪を誤魔化すために女性に暴力を振るうなんてさ」
「う……ぐ」
「見てしまった以上はただでは済まさない」
そんなに力があるようには思えない。なのに男女二人分の体重を支えても彼はビクともしなかった。
「君は……」
「遅くなってごめん。エルが気にしてたんだけど、ここまで入るのもそれなりに手順が必要でね」
(エル? リリエルのこと? 彼女がわたしのことを頼んでくれたのね)
嬉しくて涙が出る。痛みのそれと相まって顔はぐしゃぐしゃだ。
立ち直ったダミトフが反撃に出ようとするが青年の一瞥で縫い留められた。それほど厳しい表情をしているわけではないのに妙に迫力がある。
「こ、こんなことが許されると思ってるか?」
主幹は苦しそうにしながらも訴える。
「なにがさ」
「暴行だ。ダミトフ、通報しろ」
「わかりました」
先輩記者が携帯端末を操作している。
「笑わせる。君たちのほうがよほど非道な行為をしていたのに?」
「そんなのはなんとでも。どうやって情報を仕入れていると思っている。各都市警察と太いパイプがあるからに決まってるだろう。お前一人逮捕させるのは造作もないことだ」
「できるかな?」
自信は崩れない。虚勢だとは思えない落ち着き具合が主幹たちを怯ませる。恐ろしく冷静だった。
「そんな馬鹿な。主幹、来れないと言っています」
ダミトフも慌てはじめる。
「なんでだ!」
「ぼくが止めてるからさ。暴行? これは君を拘束してるだけ」
「なんの権利があってだ」
彼も記者上がりだけあって理屈にはうるさい。
「これは職分だよ」
「どういう根拠で」
「立派な犯罪行為。フェイの正当防衛だけじゃなく君たちを裁く権利がある」
彼女を立たせた青年が胸元に指を伸ばす。フィットスキンの『BV』のロゴに触れるとそれが『GJI』に変わった。
「は、司法部巡察課?」
聞き慣れない部署名が出てくる。
「ま、まさか……。司法巡察官!」
「そう。司法巡察官、コードネーム『ジャスティウイング』。君たちを逮捕する」
「え?」
思いもよらない名前が聞こえた。驚いて青年を凝視すると悪戯げな笑いを返される。
「あのジャスティウイングなのか!? 謎の存在のまま犯罪を暴いてる」
「そうさ」
フェイも聞いたことがある。
「あれがお前なのか? 正体がわからないのは司法巡察官だから伏せられていたと?」
「記者にしては察しが悪いね。もっと勤しみなよ。まあ、当分は監獄に放り込んでやるけどね」
「なんと……」
シャートン主幹はようやく解放されるが抵抗する力もない。腰を抜かして青年を見上げている。
「星間法第一条第一項」
彼が読みあげる。
「『国家間などの国際貿易等の商取引、もしくは投機等の健全性を損なう行為を厳に禁ず。国家間の正当な取引においても、加盟国市民の利益を著しく損なうと認められる場合はこれに該当する。』」
「くぅ」
「基本じゃないか。ぼくが見逃すとでも思ってる?」
操縦用装具から投影されたパネルにはオシグ社の経理台帳。裏台帳と思われるそれには奇妙な収入が記録されている。
「セドーに頼まれて革新党が政権奪取するよう扇動するよう言われてるね? ダミトフ、君が主に担っていた案件だよ」
もはや壁に縫い付けられたように動けない先輩記者。
「観念するんだね。君たちは革新党議員と同じく逮捕される運命にある」
「そんな馬鹿な……」
「馬鹿はあなたたちです。なんてことをしてるんですか! トリゴーを代表する報道社なのに自国民を売っていたのですか! 信じられない!」
激情のあまり糾弾する。
「勝手を言うな。個々が自由に情報発信する社会で報道社を運営するのは容易ではないのだぞ」
「だからってユーザーの期待を裏切っていい理由になどなりません!」
「彼女の言うとおり。静かな場所で省みるんだね。時間はたっぷりとあるさ」
再びドアがスライドし、星間保安機構の制服を着た捜査官が入ってくる。青年に敬礼すると二人を拘束していく。
「わたしも同罪ですね」
女性捜査官に引き渡される。
「いいや、事情を知っていた者だけ。君は立派な働きをしてくれたじゃないか。エルが喜んでるよ」
「良かった」
「彼女を治療して。綺麗に直してさしあげてね。お願い」
フェイが見た青年の姿は終始静かに微笑んでいるものだった。
◇ ◇ ◇
「フェイ」
「待った、リリエル?」
呼び掛けてくるリリエルはいつもどおり。むしろフェイのほうが人目を気にしなければならないほど。どうにも逆のような気がしてならない。
「オシグ社、廃業するんだって?」
「事実上は倒産みたいなもの。事業継続は困難だし、融資してくれてた銀行は全部資金を引きあげる姿勢だもの」
報道社など資産と呼べるものはない。情報やコネクションがそれに当たるのだろうが信頼は著しく損なわれた。売り物にならない。
「どうするの? どっかに転職する? それとも会社を立ち上げる? 援助してもいいけど」
ありがたい申し出をもらえる。
「ううん、フリーで頑張ってみる。色々と自信ついたし」
「いいかもね。今や大人気だもん。名前も顔も売れて善意のネットユーザーたちが熱心に拡散してくれたもんね?」
「からかわないでよ。あの映像が際限なく拡散されるのすっごく恥ずかしいんだから」
だが、止めどもない。
「心配しなくても実績はあとからついてくる。フェイにはそれだけの情熱があるし」
「それだけで許されているうちに勉強するわ。自前の情報網作って自分でレポートもこなせるようになったら仲間を増やしてもいいかな」
「その頃には援助なんて必要なくなっちゃうじゃない」
ひとしきり笑い合う。
今回の一件でもう一度ルーエン・ベベルが注目されたが思ったほどでなかった。それよりもフェイのほうが注目を浴びているほど。そこには星間管理局の作為を感じなくもない。
(ハイパーネットをコントロールされてる。これほどに効果的だなんて改めて実感させられちゃった)
「ねえ、リリエル」
目を細める。
「あなたって本当にジャスティウイングの相棒だったわけなのね?」
「それは内緒」
「こっちのジャスティウイングは司法巡察官だものね」
公言できない。
「ロッドも負けず劣らず驚いてた」
「え、ロドニー・ベイザーも知ってるの?」
「彼もジュネに助けられてるもん」
内緒の話を教えてくれる。記者に話すのはどうかと思うが、それだけ信用してもらえているものと受け取った。
「はぁ、この世には一般人の知らないことがいっぱいなのね?」
ジャーナリストの発言ではない。
「まだ、可愛いほう。もっとすごい秘密もあるけどそっちはさすがに教えてあげられない」
「うーん、社会を追うよりあなたを追ってたほうがジャーナリズムっぽいと思っちゃうからやめて」
「身のためよ。深淵を覗いたら帰れなくなるから」
(謎めいているから面白い。わたしたちジャーナリストにもまだ仕事がありそう)
フェイは身を乗りだして友人を問い詰めに掛かった。
次はエピソード『ゴート宙区へ』『機動要塞バンデンブルク』 「素晴らしい人だったよ」