楽天的恋愛脳(3)
(あの身体の性能はレギュレーション違反みたいなものだもんね)
リリエルは兵士を憐れむ。
骨の強度、筋肉の性質、それを動かす反射神経、能力の熟練度、どれをとっても規格外である。さらには新しき子の能力による初動反応の早さまで加味される。目が不自由なハンデなど意味をなさないレベル。
「頑張るね」
兵士は吐瀉しつつも耐えている。
「こ……の……」
「それ以上はつらいだけだから寝てなよ」
下がっていた顎をジュネの拳が払う。テコの原理で脳を揺らされた相手は、エネルギー切れを起こしたロボットのようにくしゃりと崩れ落ちた。
「間抜けが。油断しやがって」
「待て。おかしな具合じゃなかったか?」
気づいた者もいるが、止めるほどの材料も持っていない。二人目が猛然と前に出てきた。「後悔しろ」と言いつつジュネに拳を飛ばす。
「まだぬるいね」
「くっ!」
パンチはフェイントで、青年が顔面に手をかざすタイミングで身をかがめて足を払いに行く。しかし、その攻撃も読んでいたジュネは足を上げて躱す。蹴りに変化した足刀が胸を狙うが両手で受けられた。
「うおっ!」
その重さに驚嘆している。
(加減してる。こいつもハズレ)
リリエルは彼の行動から工作員を選別している。
即座に足を引き、今度は回し蹴りを放った。なにかに勘づいた兵士が咄嗟に避ける。空気が爆発するような剣呑な音を残して空振りした。
「今の。正気か?」
「ちゃんと躱してね。当たると痛いじゃ済まないよ」
首の骨が折れかねない威力を秘めているとわかる。相手の反応速度を見切って避けられる程度の攻撃をしていた。
「締めていけ」
隊長が警告を発する。
「わかって……」
「遅い」
立ちあがって掴みにきた兵士は瞬時に懐に入られる。ジュネの裏拳が側頭を叩くと、ぐりんと白目に変わって後ろに倒れた。首が揺れもしなかったところを見ると、拳の持つエネルギーが全て頭へと伝わっているのだろう。
「生意気な!」
「っと」
後ろから掴みにきた腕を躱す。手首を握って逆に肘を極めに入った。しかし、それを察知した兵士は腕ごと持ちあげる。極められる前に身体を床に叩きつける気なのだ。
「ウェイトだけはどうにもできないね」
「んなっ!」
アームドスキンのように、いきなり重くすることなど不可能で引き抜かれる。ところがジュネはあっさりとあきらめ、反対に突き放しながら腕の力だけで跳躍。天井に逆さに足を着ける。
見上げた男の首に肘を絡めながら落下。そのまま絞め落とす。ぐったりとした巨躯を後ろ襟を掴んだ片手だけで持ち上げて放り投げた。
「あり得ん。なんてパワーだ」
「普通の人類種じゃないのか?」
「そうさ。この身体は人類の生みだした生物兵器みたいなもの」
自嘲している。この時点で兵士たちは喧嘩を売ったのが見た目どおりの若者ではないとようやく気づいた。
(もう! ジュネにあんなこと言わせないために、あたしがどれだけ苦労してると思ってんの、こいつら)
普通の男性として扱い、あまつさえ優れた点だと折りに触れささやく。異質さを際立たせないように接しているのに簡単にぶち壊してくれる。
「こいつはおかしい。まともに行くな」
「了解です」
隊長が命じる。
雰囲気を変える。顔つきから嘲りが消え、鋭い視線でじりじりと距離を詰めに掛かった。しかし、ジュネは態度を変えない。
軽い歩調で間合いを崩すと、地を抉るがごとく回転する。そこから伸び上がった蹴撃が一人の胸元を捉えて浮かした。ダイレクトに心臓に衝撃を与えられて空中で失神している。
(狙ってた。あいつは当たりのほう)
工作員だと目星をつける。
ダメージも大きい。当分は目を覚ましたりしないだろう。彼は命の灯りに映る心理の動きでただの兵士と紛れ込んだ工作員を選別しているのだ。
「ちぃっ!」
「自由にさせるな!」
騒いでも手遅れだ。放たれる拳も蹴りも全て叩き落としている。兵士の間を泳ぐように動きまわり、一部に戦闘不能必至の一撃を与えていく。新たに三人が床に転がっていた。
(だいたい怪しい分は片付いたかしら)
リリエルは動きから推測する。
「もういい。下がってろ」
「ずいぶんだね。部下に働かせておいてさ」
「楽しみを奪うわけにはいかんだろ。相手が牙を持つ獣だとわかるまではな」
その兵士こそ野生の獣のような気配を放っていた。細身ながら威圧感は半端でない。明らかに統率力でなく腕っぷしでまとめているタイプの隊長だ。
「牙をへし折るのがあなたの仕事?」
「わかってるじゃねえか」
「それは無理かな」
衝撃波を伴っているのではないかという速度で拳が振り抜かれている。だが、それをジュネは体捌きと手刀で軽く撫でるだけで逸らしていた。
ひるがえった手刀が剣のように振るわれる。瞠目した隊長は、間合いが短いながらも空気を鳴かせるほどの速度の斬撃を躱すしかない。
「なんつーヤバい奴なんだよ」
「だったら手を引きなよ」
「そうもいかんだろう」
敵ながらあっぱれと言える動体視力で避けた隊長がローキックを飛ばしてくる。威力はそれほどでなくとも、こういう接近戦では極めて有効な牽制。なのに、足は地に張り付いたようにびくともしない。逆に引かれた手刀が貫手にと変わった。
「ぬう!」
直線的であれど鋭さを凌駕した攻撃は躱しきれない。隊長のフィットスキンの上半身が各所で窪む。衝撃が身体を貫いているだろう。
「ご! が! うっ!」
「頑張るね」
(さすがに隊長は違うわけね。本気ならフィットスキンも穴だらけにされてるもん)
手加減をしている。
それに、別の要素が否定材料になっている。隊長の苦戦をよそに、リリエルの脳裏を金線が貫いていたからだ。
「それでいいわけ?」
メンツもなにもない。黙って彼女に襲いかかる兵士が一人。仲間が無力化されて青年の意図を察したものと思われる。
「残念だけど」
「寝てろ!」
リリエルが相手の腕をひねりながら引き込む。完全に体勢を崩したところで、彼女の影から飛びだしたゼレイの回し蹴りが首元に吸い込まれた。
それだけでも頭を揺らしていた兵士だったが、横合いから飛んできたジュネの拳が顔の下半分を粉砕する。嫌な感じに歪んだ顎を震わせるとその場で昏倒した。
「しまった。これはやりすぎかな?」
顔面から落ちそうになる兵士を青年の腕が受け止める。
「さすがにご家族に報告と謝罪が必要かもしれないね」
「確かにそうね」
「悪いけど、身分証を確認させてもらわないとさ」
小芝居である。寝かせた兵士のポケットから持ち物を抜きだし、その中からタグチップを選びだすとデータをスキャンした。
「おやおや、変だね」
わざとらしい素振り。
「アイザバの軍人だって聞いていたのに、どうしてウイフェルの人が混じっているんだい? あなた方は外人部隊?」
「そんなわけねえ」
「でもさ」
投影パネルを回転させる。
痛みに顔をしかめていた隊長も、異常事態に手を止める。のそのそとやってきて表示を覗き込んだ。
「名前は合ってる。作りもんじゃねえか」
彼らは名さえ知らない。
「ウイフェル国籍だと? どこから紛れ込んだ? 最近解体された35小隊の……」
「それで?」
「まさか……!」
床に転がっている隊員の出身が共通しているのに気づいたのだろう。部下に指示してタグチップを回収させる。
「全員がそうか。だが、転属の段階じゃそれぞれ地方出身者になってるのは確認したぞ?」
不審げにつぶやく。
「改竄されてるんだろうね。ちゃんと身体検査した?」
「そこまでは。上が決めることだからよ」
「じゃ、上が関わってるんじゃない?」
ジュネの指摘に隊長は瞳を泳がせた。
次回『楽観的恋愛脳(4)』 「ヴィーは本当にあのタイプ嫌いよね?」