箱
そこは人知れぬ場所。彼ら、ゼムナの遺志と呼ばれる個が情報共有などのコミュニケーションを行うネットワークの中だ。
「この度のこと、我らは人との関わりを考え直さねばならないものだと思っております」
トーガをまとった姿でファトラは皆に呼び掛ける。
「現人類を巻き込んだ大戦に至りかねないものでした。因縁を持つ過去の存在であるのを忘れてはなりません」
「でも、関わりを持たずにいたらなんのために残ってるのかわからなくなるん」
「わからなくもありません、リュセル。ですが、適度な距離感があってもかまわないのではありませんか? 少し離れたところから見守るような」
協定者という定義そのものを見つめ直す必要性も感じている。すでに持っている者については、つらい決断になるとしても。
「そこまで突き詰めなくてもいいのではないかしら。今の関わりを深めない程度でもかまわないのではなくて?」
シシルが穏便な提案をしてくる。
「タンタルは討ちました。過去の懸念は払拭したものと思っているのでしょう。ですが問題は人の中にもあります。分断を助長するようでは」
「確かに人類同士の闘争の種になるようでは困るわね。バランスを上手に取る必要はありそう」
「マチュアでさえそう考えているのですよ?」
赤毛の個は「どういう意味よ」と抗議してくる。
「人類の統治機構、各国政府と星間管理局とは深く関わるべきではないのな。そこの一線は守っているつもりなんな」
「ノルデが一番関わりが深いのん」
「うう……」
リュセルに茶化されてノルデは絶句している。皆がバランスを取っているつもりでも人と関わることで変化しているのを自覚するのは難しいようだ。
「このように意見は様々です。各個の意志に委ねるよりはガイドラインを定めたほうが問題回避には有効ではないかと思いますが」
「そう割り切れるものではなくてよ、ファトラ? 関わりを持って短いあなたでも感じてるのでしょう。だから危機感を抱いている」
「否めません。わたくしはあの方を主と奉仕するだけでなく全て委ねたいと思っております」
エルシの指摘を素直に認める。一番縛られたいのは自分かもしれない。
「そこまで難しく考える必要はないさ」
「ジュネ様?」
あり得ない訪問者に驚く。
「ここまで来れるのなー」
「この子は可能性なん」
「ごめんね。お邪魔するよ」
σ・ルーンを介しての接触だとわかる。しかし、ほぼ精神だけを分離しての状態は人間としては危険に思えてならない。
「難しくないとはどういうこと、ジュネ? これは私たちの存在としての重要なことよ?」
エルシの視線は厳しい。
「もっと単純だって言ってるんだよ」
「創造主の意志に反するもの。それとも、あなたはタンタルが嘲ったようにナルジの民が神様ごっこをしていたとおっしゃるのかしら?」
「わたくしたちはサポートするもので在りたいのです。その意義を問われるのは不本意でありますわ」
シシルも苦言を呈する。
「君たちの望みを否定するんじゃないよ。もっと自由であっていいと思ってるだけ」
「簡単なようで簡単なことではないん」
「そ、自由っていうのが一番難しいかもよ」
マチュアに言われてジュネは片眉を上げている。この場所に心象形態を投影できるほどの親和性を示していた。
「そんなに心配させないであげたほうがよくないかい?」
その言葉にファトラは震える。
「やはり、あのとき、主がいらしてたのですか?」
「緑の髪に金眼の少女。ギナ・ファナトラで間違いない?」
「主様です」
切なさが胸に募る。
「生きていらっしゃったのですね?」
「あれはこの時空の存在じゃない。きっと高次存在。それこそ本物の神に近い人だろう。藍色の髪に青い瞳の少年もいたけど」
「レリ様です。ともに昇華なされたのですね」
皆が感慨深い面持ちになる。彼らの創造主は精神性を飛び越えて別の次元に旅立っていたらしい。
「では、ご意思に触れたあなた様にこちらを託します」
ギナから預かっていた箱をジュネの前に出現させる。
「わたくしたちには解けない、なにが入っているかもわからないものです。あなた様なら使えるのかもしれません」
「うん、わかった」
「お開けになるので?」
青年は躊躇いもなく箱に触れる。ただの箱としか認識できていなかったものがゆっくりと蓋を開いた。そこからは彼らが予想もし得なかったものが飛び出してくる。
「これは……いけません。お閉めください」
訴えるがジュネは首を振った。
「これでいい。たぶん、ぼくが生まれた本当の使命はこれだったんだ」
「ですが、これは……。わたくしたちのリミッタを全て解除するキーです。使えば、全てのゼムナの遺志がなに一つ制限されることがなくなります。人を殺すことも、人類を滅ぼすことさえ」
「なにか不都合があるかい? 自由であれっていうのはこういうことだよ」
ジュネはそのままキーを使ってしまう。光の粒となって拡散したキーは、ファトラたち全ての個のリミッタを外してしまった。
「君たちは同じ意志を持つ人間なんだ。自由に触れて自由に判断すればいい。これからはもっと人同士深く関わるべきだと思うよ?」
関係を深めるのが正しいという。
「主はどうしてこんな危険なものを残してしまったのでしょう?」
「いつか人間になったときに必要だったからさ」
「やはり創造主は人間を生み出そうと? 神になろうとしていたのかしら」
エルシの疑問にも青年は首を振る。
「勘違いしてる。そんな高尚な考えから君たちを作ったんじゃない」
「ただの人工知性でもなく、実験でもなくなん? それはなんなーん?」
「寂しかったのさ」
同じ祖を持つ人類とは喧嘩別れするしかなかった。銀河を旅しても、彼らと同じ時間をともにできるほど進化した知性体とは接触できなかった。
だから、同じ人である存在を生み出そうとした。幸せを共有するものとして。ジュネはそう説明した。
「隣人が欲しかっただけ。簡単だろう?」
「そんな……ことで?」
「彼らには大事なことだったんじゃないかなぁ」
青年はどうしてわからないのかとばかりに肩をすくめる。それでファトラは初めて気づかされた。創造主も自分も同じであると。寂しいから人と関わりたいのだ。
「いつ、お気づきになったのですか?」
「最初から」
さも当然のように言う。
「ファトラ、君とは初めから本体として出会った。だからわかった」
「わたくしを見て?」
「だって、ぼくの目には君の魂の灯りが見えてるんだよ。生命以外のなにものでもないじゃないか」
彼と初めて会ったとき、ひどくおかしそうにしていたのを思い出す。ジュネはそのときから彼女を人だと思って付き合ってきたのだろう。
「あなたという方は」
「これからも隣人として付き合ってくれるかい? みんなもさ」
エルシは顔を覆って俯き、マチュアは髪を掻きあげてため息を吐く。リュセルやノルデはケラケラと笑っている。シシルは嬉しそうに微笑むのみ。
ファトラは大きな世代の変革を感じていた。
<完>
これにて完結です。『あとがき』を同時更新しているのでよろしければどうぞ。




