神と人の狭間で(1)
惑星ペナ・トキアの空は夕暮れとは思えないほどに真っ白に染まっている。惑星そのものが彗星カフトトアの噴出ガスの中に取り込まれているからだ。
すでに塵の尾もイオンの尾も重力に囚われて薄くなっている。数多くの流星が観測され、その向こうに戦闘光がかすかに瞬いていた。
「も、もう駄目だ! 落ちてくる!」
「早く逃げなきゃ!」
肉眼でも彗星核が認識できるようになると人々は恐怖する。政府勧告でも、星間管理局からの通知でも対処が知らされているが、目に見えるプレッシャーは人の心を押し潰した。
道路には車が溢れ、交通システムの軛から逃れられないまま漫然と並ぶ。その隙間を人が埋めていた。そんな状態が惑星上全てに及んでいる。
「だから早く脱出しないとって言ったのに!」
「誰が大丈夫だって言ったんだ!」
パニックに陥った人間は容易に理性を失う。我先にと逃げ出そうとして他人を慮る余裕など頭から飛ぶ。目の前の人を障害物とばかりに押しのけて走ろうとした。
「静かになさい!」
宙港へと向かう人の波が一喝される。ろくに考えることもできなくなっていた頭に冷水を浴びせられた。ビクリと震えて見上げる。そこここの投影パネルに同じ人物の顔が映っていた。
その女性は豊かな赤髪を背に流し、緑の瞳で人々を見据える。視線には露骨に非難の色が浮かんでいた。
「ファイヤーバード……」
「司法巡察官『ファイヤーバード』だ」
なかなか表には顔を出さない有名人の登場に唖然とする。ほとんどの群衆が足を止めて見上げた。
「状況がわからないからっていうのは酌量の余地があるわ」
声音が緩む。
「だからってなにをしても緊急避難で逃れられると思わないことね?」
一部は反論に声を荒げるが、大多数は視線を逸らす。後ろめたい部分はあるのだ。
「現実を見せてあげる。あんたたちの頭上でなにが行われてるか」
投影パネルに映る映像が変わった。
「戦闘よ。彗星破壊を阻止しようとしてる敵と戦ってるの」
そこは宇宙空間。コマの霧で白っぽいが、暗い空間をアームドスキンが飛び交っていた。オリーブドラブの星間平和維持軍所属機に混じって鮮やかな緑の機体も見える。皆が懸命に戦っているのがわかった。
「敵はこいつ。『ヴァラージ』っていう怪物」
いきなり暴露される。
「それっぽい影は見たでしょ? あれはアームドスキンと同じくらいのサイズの特殊な生命体なの。人を、正確には有機組織を持つ動物を食うのよ」
異様な姿がクローズアップされる。灰色の甲殻を持つ人型の怪物。それがビームらしき光や光輝の鞭を振りまわしていた。
「あたしたち星間管理局はここ十年ちょっと、この怪物と戦い続けてきたわ」
重大な事実が告げられた。
「今はこのヴァラージ特殊対応部隊と司法巡察官『ジャスティウイング』がカフトトアの地上落下阻止を目してヴァラージを倒そうとしてる」
再び現れたファイヤーバードが戦闘状況のパネルを指さしている。厳しい顔で群衆を見つめた。
「自分を守るために武器を取れなんて言わない」
静かに続ける。
「それは彼らの役目。応援してとも言わないわ。だから、せめて自分の周りの人だけでも守りなさい。怪我させるようなことをしない。子供や女性、人生の先達に敬意を払って助けなさい。自分だけ助かればいいなんて考えを持つ人をあたしは絶対に許さない」
人々の目が後悔に染まる。そこら中で倒れている女性や老人を助け起こす姿や、家族とはぐれて泣いている子供を宥める様子が出はじめた。
「必ず助けるなんて甘っちょろい断言はしない」
心苦しそうに言う。
「でも、もしものときは上で人類のために戦っている皆はこの世にいないものと思って。そのくらいの覚悟で事に臨んでいるの。冷静に、そして助け合って結果が出るときを待って。それがあたしからのお願い。以上よ」
上を向く人が増えていく。誰からともなく応援の声が持ちあがりはじめた。徐々に広がっていき合唱になる。明日を、未来を望んで。
皆が白く染まった空を見上げていた。
◇ ◇ ◇
(しくじった。こんな終わり方)
フユキは下唇を噛む。
しかし、失われた力は戻ってこない。再びブラックホールシステムを使うには休息が不可欠だった。
「壊れてもいいから……」
振り絞ってもなにも出てこない。
「フユキ」
「ササラ、ぼくは……」
「全機、抜剣!」
(この声は!)
救いの女神の到来の鐘だ。
「殲滅する。突貫なさい!」
力強い響きがコクピットに木霊する。
「見せ所っすよ? 張り切っていくっす」
「二斉射。飛散型弾頭を混ぜるのです」
「合点!」
朱色カラーの機体が飛び込んでくる。そこに黄色、ピンク、青鈍色のゼキュランと続いた。ルシエルにパシュランタイプがなだれ込んでくる。
「ブラッドバウ!」
「生きてるんなら抵抗するの! フランカー!」
初めて見るリリエルのアームドスキンから子機が発進した。縦横無尽に駆け巡り人型ヴァラージを圧倒していく。手数を削られた個体は忍び込んでくるアンチV弾頭をもろに食らっていた。
「リリエル、ヴァラージ船を沈められる?」
「あのデカブツ? 任せなさい」
フユキはヴァルザバーンを立て直す。パワーマージンは戻り切っていないが普通に動かす分には支障なさそうだ。
「硬いよ?」
「全部が? そんな訳ないでしょ」
「案外」
接近するとまた鱗が開く。砲塔触手が伸びてくると生体ビームを撒き散らしはじめた。多少は削れていようが、大きな分だけ内容物に余裕があるか。
「うわ、気持ち悪っ!」
彼は「ね?」と返す。
「で?」
「え?」
「潰せばいいじゃない」
前に出たリリエルは生体ビームの隙間に機体をねじ込むとアンチVランチャーを鱗の裏に向けた。彼女な放つ弾頭はスルスルと抜けて着弾する。触手は奇妙な踊りをしたかと思うと溶けて崩れた。
「上手い」
「任せろって言ったでしょ? さて、どうしてくれようかしら」
虚勢ではなかったようだが打開策があるわけでもなさそうだ。触手は潰していっているがそれまで。
「こっち」
「なんかあるの?」
ヴァラージ船の挙動が変わる。危機感を覚えたか、螺旋力場をくねらせて動きはじめた。
(逃さない)
リリエルを後ろに誘導する。
「あそこに出入り口ある」
「そうなの、リリエルさん。確か哺育嚢って」
「どこ、ササラ? あの筋かしら?」
よく見れば筋があった。鱗の大きさも配置も変わっていて開口しそうな感じがする。
「開けられれば中を直接攻撃できる」
中は軟らかいのではないかと思う。
「どうやって開けよう」
「斬ればいいじゃない」
「んー」
いつもながら単純明快である。
「ついてきなさい」
「うん」
「ヴィー、ラーゴも。片づいたらこっち!」
周囲の触手も簡単に潰したリリエルは閉じた口に向かう。ゼレイのアームドスキンを従えて無造作に接近した。
「斬れ!」
「斬りまーす!」
長大なブレードで二機続けて裂いていく。フユキは呆気にとられて眺めているしかできない。
「開く。で、突入」
「はーい!」
「あ、ぼくも」
中はピンク色の壁に包まれた空間。ところどころに瘤がある。
(産まれそう。撃っとこ)
優先的にアンチVを撃ち込む。
二人は撃ちまくっているし、続けて侵入したブラッドバウ機もアンチVをばら撒く。壁が蠕動し泡立つように崩れてきた。
「ヤバい。出るから」
「逃げるっすよ」
促されて哺育嚢から飛び出すと鱗の剥離が始まっていた。
「決まったな」
「うん、たぶん。みんなは、ギィ隊長?」
「手痛い損傷だが全員無事だぞ」
「よかった」
フユキの目の前を巨大な鱗が漂い、液化した組織が方々で球体を作っていた。
次回『神と人の狭間で(2)』 「トリックスターはぼくの特技さ」




