さよならの理由(2)
リリエルの頭の中は雑然としていた。自らの不甲斐なさと、平然と別れを告げられたつらさで感情の持っていきどころを失っている。
自分を一概に責める気にもなれない。変えがたい芯なのだから。ジュネが悪いわけでもない。彼にも限界があるだろう。
(タンタルが悪い。言っても詮無いけど)
敵なのだ。相手の弱いところを狙うくらいする。生きるか死ぬかの勝負なのだから。スポーツみたいに正々堂々としろとは言わない。
(どうすればいいの? 追いかけていってこのまま別れるのは嫌ってすがる?)
なんの解決にもならないと思う。
(アシスト契約なんてどうでもいい? それも違う。彼の隣りにいるのに相応しいと思える自分じゃなきゃ駄目。つまりアシストというパートナーとしても認めてもらえるくらいでないといけないんだもん)
だからジュネの背中を追う力が出なかったのだ。アシストとして不合格を突きつけられて足元が崩れてしまったかのごとく感じたから。立ち上がる気力をごっそりと持っていかれた。
(鍛え直す気力も湧かない。だって心の問題なんだもん)
生き方は変えられない。目の前に救える相手がいれば手を差し出してしまう。仲間が窮地に陥れば一も二もなく駆けつけてしまう。それは彼女を作り上げるベースであって揺るがないもの。
(あたしも恋と天秤にかけられるくらい乙女だったらな)
戦士であろうとした。志は今も変わらない。ただ、ジュネと出会ってからの乙女な自分も嫌いではなかった。全部を埋められるほどではなかっただけ。
(忘れられるのかな? それとも自分の糧にできるのかな?)
まだわからない。
(これが大人になるってこと? だったら、なんてつらいのかしら。みんな、こんな苦しいのを乗り越えて大人になったの?)
尊敬できる大人は周りにいっぱいいる。これまでは自分に精一杯で、彼らの背景まで尋ねる気になれなかった。これからは皆の経験値も吸収すべきなのだろう。
(でも今は無理。これ以上は壊れちゃう)
心の悲鳴がずっと頭を揺さぶっている。
『これで終わるのかしら?』
その声はσ・ルーンから聞こえてきた。
『だとしたら私の買い被りね。お別れしないといけないのは彼だけでなくなるのではなくて?』
聞き間違いようがないエルシの声。ベッドで横になっているリリエルから見えない位置にいるのだろう。動く気にならなければ姿さえ見せないと言わんばかりに。
「追い打ちなんてされたら、ほんとに終わっちゃう」
泣きごとを言う。
『もうあきらめたの。甘やかしすぎたかしら』
「エルシの所為じゃ……、ないもん」
『酷い顔』
挑発されて身体を起こしてしまった。
『見せられたものではないわね』
「見せる気ないし」
『あらあら、困った子だこと』
不貞腐れている彼女をさらに責める。効果的なのを熟知されているのだ。赤ん坊の頃から知られている相手では誤魔化しようがない。
「放っといて。どうせエルシまでいなくなるんだったらこのまま潰れてやるんだから」
甘えが含まれるのを止められない。
『身体ばかり女っぽくなっても、てんで子供ね。情けないこと』
「ふん、どうせ箱入りよ」
『完全にいじけてしまってるのね』
美女の二頭身アバターは処置無しとばかりにため息をつく。リリエルもかまってもらえているうちは見捨てられないというのをわかってやっていた。
『教えないよう口止めされてるのだけれど、仕方ないかしら』
「ん?」
もったいつけて言う。
『これを聞きなさい』
「なに?」
『リュー・ウイングに残っている彼とタンタルの会話の内容よ』
彼女は飛び起きた。エルシがそこまで言うのなら、重大ななにかが含まれているはずなのだ。傾聴せずにはいられない。
『あり得んのだ、そんな人形を崇めるなど』
『だが、その文明を誰が牛耳ってる。たかが人形が、だと?』
『ましてや神扱いされてるなど考えられん。片腹痛いわ。人形風情がなにを勘違いした?』
『人形を崇める猿も愚かしいが、それに乗る人形どもが我慢ならん。まずはそいつらを消してからだ』
エルシを含めたゼムナの遺志を侮蔑するタンタルの台詞ばかりが耳に残る。憤りに頭がカッと熱くなった。
(ジュネは抗弁してくれてるけどタンタルは聞く耳持ってない)
悔しさに下唇を噛む。
「でも、これがなんで?」
『よく聞いてご覧なさい』
人形というのがゼムナの遺志を指すのはわかる。並々ならぬ憎悪を抱いているのも。しかし、タンタルが敵対感情を持っているのは新たな事実ではない。ジュネ自身が予想して語ってくれたことがある。
(間違ってた点がある? どこ?)
まとまらない頭を一生懸命働かせる。
「『崇める』とか『神』ってキーワード? そういうのは初めて聞いたかも」
『辿り着いた?』
エルシは訳知り顔をする。
「でも、それがなに? 誤解はしてないと思う」
『常識すぎて気づかないのね。でも、ジュネはいち早く気づいてしまったわ』
「常識……」
(ジュネとあたしの常識の違い? ゼムナの遺志に関わる部分?)
リリエルは首をひねる。
(全然違う。親しいからあたしは家族みたいに感じて気安くしてるけど、ゴート人類なら神みたいに感じるのは当然。でも、ジュネはファトラがかしずくように接してきても止めようともしない)
「あ……」
徐々にわかってきた。
『ええ、星間銀河圏の人にとって私たちは神ではなくてよ。神格化しているのはゴート人類のみだわ』
「タンタルは見下しているエルシたちが神扱いされているのが我慢ならない? それをしているのは……」
『あなたたちだけ』
改めて説明されたが、いつかは気づいただろう。
『動機の大きな部分を占めてしまっているのよ。つまり、タンタルが起こした騒動の発端はゴート人類の常識の所為』
「まさか、それを気に病むと思って?」
『気にならない? そんなことはないのではなくて? だって、大勢亡くなっている原因を作ったのは一部のゴート人類だけ。それに気づいたとき、あなたは責任を感じずにいられて?』
長い付き合いの中で彼女の思考プロセスをジュネは熟知している。真相を知ったときにどんな行動をするのかも。
「あたし、きっと無理をしちゃう。それなら、なんでゴート人類を狙わないのかって。自分でどうにかすべきだって考える」
それが彼にはすぐにわかってしまったのだ。
『あなたの今の実力ではスワローテールには勝てない。でも、責任を覚えてしまったからには動かずにはいられない。結果はわかるわね?』
「自滅する……」
『遠ざけたくもなるわ。それはなに?』
ジュネの優しさだ。
「あたし、そんなに愛されてたの? 追っかけてばかりだと思ってたのに」
『勘違いよ。自分を押し殺してでもお別れを言えるくらいに愛されているなんてね。羨ましいこと』
「なんで? どうして?」
(考えるまでもないじゃない。それがジュネなんだもん。人の殻を脱ぎ捨てないとタンタルに勝てないって言ってても、どこまでも人に優しく在れるのがジュネなんだもん)
もう枯れ果てたと思っていたと思っていた涙がシーツに新たなシミを作っていく。ただし、そこに含まれる成分は嬉しさや悔いであった。
「追いかけないと」
『ええ、やることはわかっていて?』
「あたしがすべきこと。ジュネをこっち側に引き戻すこと」
(一歩踏み出しちゃった彼は、神へといたる道に入り込んじゃってる)
リリエルは慌てて部屋着を脱ぎ捨てた。
次回『彗星落とし阻止作戦(1)』 「ササラ、ぼくは……」




