ジュネの決断
リリエルは愛機の足にもたれかかって座り込んでいた。蓄積した疲労がドッと押し寄せてもいたが、それ以上に精神的ショックが大きい。
(タンタルを取り逃がした)
事実に打ちのめされる。
(あたしが足を引っ張った。その所為で絶好の機会を……)
ジュネはこの機を逃さないとばかりに周到に準備をしていた。タンタルが出現すれば一対一に持ち込めるようブラッドバウだけでヴァラージ掃討ができるよう作戦を組んでいたのだ。
(それなのに、場作りさえできなくて)
後悔ばかりが募る。
「お嬢、お休みになられませんと」
ヴィエンタが促してくる。
「どうしよう、ヴィー。あたし……」
「切り替えてください。いつでも戦える状態にしておくのが戦士の務めです」
「でも、マルチプロペラントまで失わせてしまって」
人類の切り札が破断され爆散する様が脳裏に蘇る。
「パーツです。ジュネが負傷したわけではありませんよ。作り直せるものです」
「言いつけを守れなかったから」
「それは省みるべき点かもしれませんが……」
副官も口ごもる。
今思えばわかる。確かにタンタルの大型ヴァラージの加速性を鑑みればフランカー装備状態のラキエルでなければ相手にならない。ジュネの判断は正しい。
それでも避難してきていた囚人を見捨てられなかった。敵に集中せず守りに回ってしまった。それがジュネから戦う術を奪う結果を招いている。
(もし、タンタルが撤退しなかったら今頃)
ジュネが戦死していたかもしれない。リリエルを助けるためにマルチプロペラントを犠牲にしたリュー・ウイングでは対抗できなかっただろう。
惑星規模破壊兵器システムを封じられ、スペックダウンした機体でどうして戦えようか。想像しただけでゾッとする。
(あたしが……、あたしの所為でジュネが死んでたかもしれない。そんなのあってはいけないこと)
リリエルの甘さがゆえに人類の希望が砕かれてしまうところだった。あまりの怖ろしさに震える身体を自ら抱きしめる。
「ねえ、ヴィー、教えて。あたしは非情に徹するべきだった? ル・マンチャスに収容されるような囚人なんか見捨ててタンタル討滅に全力を尽くすべきだった?」
「それはどうとも。ただ、お嬢が助けた人々の姿はこれです」
地上の様子が映される。現在は外見だけでわかる感染者の掃討も終わり、報告を受けた星間平和維持軍艦隊がやってきて囚人の感染チェックを行っている。
「出せ、こらぁ!」
「俺たちゃ攻撃受けて傷ついてんだぞ! ちゃんとした病院に連れてけ!」
GPF兵にも食って掛かる始末。武器で抑えていなければ暴動に発展しそうなほどだ。実際に殴り掛かって手錠をはめられている者も少なくはない。
「こんな連中のために彼の期待を裏切ってしまったの」
悔いが残る。
「なにが正しいかはわかりません。少なくともジュネであれば見捨てたであろうし、実際にそうしました。彼の立場であれば、囚人警護を優先してV案件を終結に導けるチャンスを逃すのは無理でしょう」
「そうよね」
「彼自身の願い、善人が善人であるほどに幸せである世界の実現には邪魔にしかならない犯罪者たちです。外に放てばヴァラージ因子だけでなく遵法精神をも蝕みかねない人を勧んで助けようとはしません」
改めて理路整然と説明される。
「善行を勧める神の視点だもんね」
「では、お嬢、あなたは同じことができますか? 同じことをしなくてはなりませんか?」
「あたし……、アシストリーダーとしてはできないと、いけない?」
迷いが混じる。致し方ない。心は違うと言っているのだから。どんなに悪人でも、抵抗する術を持たず蹂躙されるだけであれば、戦気眼を授かった戦士として助けられる人は助けたい。祖父と同じ生き方をなぞっていた。
「違うでしょう? できない方です。それこそがタンタルの狙いだったのです」
「まさか、監獄惑星を罠に使ったのは?」
タンタルはジュネが弱点を抱えていると言っていた。リリエルはそれを彼女の対ヴァラージの戦闘能力不足だと考えていた。
違ったのだ。覚悟の足りなさを問われていた。必要なら非情になり、仲間を踏み台にしてでも目的を達する姿勢、それがなければ届かない力の差があるという意味。
「ジュネとお嬢の違いを浮き彫りにする舞台。それに最適なのがル・マンチャスだったのです」
ヴィエンタははっきりと告げる。
「申し訳ございません。今になればわかるのですが、作戦開始前には予想もできておりませんでした」
「ヴィーが悪いんじゃない。あたしだって気づけなかった」
「ですが……」
首を振って遮る。
「まんまと策に乗っちゃった。見事に引っ掛かって、ハヤンをやられてカッとなって突っ込んで、囚人を守ろうと頼みの綱のフランカーをそっちに振り向けた。そこで詰みだったのね」
「おそらくは」
「情けない。どうして、あたしってこうなの? これじゃジュネの隣りにいるなんてできない」
涙が滲んできて視界が歪む。惨めな顔を隠すようにヴィエンタは抱き寄せてくれた。
「そう簡単に人は変われるものではありません。でも、今は」
「どうするの?」
「謝りましょう? そして、努力をすると伝えましょう。それしかありません」
「うん」
リリエルは副官の胸に甘えて嗚咽した。
◇ ◇ ◇
一晩が経過した。翌朝、リリエルはブラッドバウの本拠地バンデンブルクに連絡してハヤンの死を伝えている。総帥代理の伯父レーム・バレルには遺族に篤く報いるよう言い添えて。
(覚悟はできた。タンタル討滅までは仲間になにがあろうと戦い続けるって伝えよう。そうじゃないと足手まといにしかならない)
絶対の保証などできないが、敵がどこを突いてくるかはわかった。心の準備さえあれば完遂できるはずである。
「大丈夫っすよ、お嬢。ジュネは優しいっすから」
「ええ、一度の失敗を強く咎めるような人ではありません」
プライガーもヴィエンタも元気づけてくれる。
「あっしもちょっとジュネと話し合ってみやすよ。適所というものがあると思うでやんすし」
「ありがと、タッターも。心強い」
「ギクシャクしたら上手くいくもんもいかなくなるでやんしょう?」
隊長二人が背を押してくれる。その後ろにはタッターも控えている。家族に恵まれたとリリエルは感動していた。
(これからが大事なの。気合い入れて挑まないと。ジュネの使命はそういうものなんだから)
努めて毅然とした面持ちにする。
ヴィエンタが囁いてくれたとおり艦橋のスライドドアが開く。そこには青年の姿があった。
(あ、よかった)
口元にはいつもどおりの微笑みを湛えている。不機嫌さは欠片も感じられない。
普通の足取りで近づいてくると、一歩の近さで立ち止まった。笑みが深まると右手が上がってくる。彼女はその手を取ろうと右手を伸ばすがすり抜けていった。ジュネの手は頭に乗せられている。
「助かったよ。これまでありがとう」
柔らかな声音が耳に届く。
「うん?」
「別れよう。さよならだ」
「え?」
ジュネのσ・ルーンからアシスト契約の書式が表示される。彼女のサインが入ったものだ。青年の指は躊躇いもなく「解除」のチェックをタップした。
「なんで!?」
「これからの戦いに君は必要ない。だからさ」
「い、嫌! 嫌よ!」
彼は一瞥もくれずに振り向くと歩み去っていく。追いかけようとしたが、腰から下に力が入らず無様に転ぶ。
(捨てないで!)
リリエルの願いはジュネの背には届かなかった。
次は最終エピソード『神へといたる道』『彗星にひそむ影(1)』 「これよりの対応は星間管理局司法部巡察課に移行」




