ル・マンチャスの惨劇(1)
息苦しさでとうとう足が止まってしまう。そうでなければ、どこまでも逃げ出したいのに身体が言うことを聞いてくれない。鼓動は途切れを知らぬ目覚ましベルのよう。脇腹はキリキリと痛み、吐き気までする。それでも意識は遠くを求めていた。
(ありゃ、なんなんだよ)
囚人は苦しみの中に思う。
彼が逃げているのは看守からではない。そもそもがここ、監獄惑星ル・マンチャスには看守などはいない。いるのは、わずかな数の管理者のみである。
その管理者も囚人の監視をしているのではなく、物資供給システムの管理とメンテナンスを行っているのみ。直接囚人と接触することはない。
(死人だらけだってのになにしてんだ)
ル・マンチャスで死者が出ることもたまにはある。ただしそれは老衰や病死、あるいは転落などの事故が原因であって殺人などが起こった結果ではない。
人を殺してもおかしくないような人種が集められているのは確か。だが、厳重な監獄システムの監視下では、ちょっとした諍いにも警備ドローンが飛んでくる。抵抗する間もなく昏睡させられるのがオチだ。
(警備ドローンだって役立たずだったが)
彼とて海賊行為で何人殺したかわからない。普通に裁かれれば死刑は確実だが、捕らえた相手が星間平和維持軍だった。
星間法には死罪がない。なので彼も生き延びていられる。ただし、この囚人しかいない惑星で生涯を送る予定になっていた。
(似たような境遇だからって、あんな死に方)
彼が放ったビームで起こる爆炎の中で何人の人が死んだか。自身が撃ったレーザーガンで血の海に沈んだ人間だって少なくない。
そんな彼でも人が侵蝕されて溶けていく様など初めて目にした。行いを悔いることはあっても、死なせ方を詫びる気持ちなどない。なのに、あんな死に方だけは嫌だと思った。
(どこまで自分でいられたんだ? まだ意識が残ってたのか?)
体組織が泡立って人の形を保つのも怪しい状態で別の人間にまで感染させていく。どこまでが人でどこからが人でなくなったのか不明だ。
それだけならまだしも、最終的には怪物に食われてしまう。身長が25mもあるような、アームドスキンより大きい甲殻に覆われた人型の怪物の餌になってしまうのだ。彼を追っていた感染者が触手に巻き取られて引っ張り上げられるのを見ると、助かったという気持ちよりは恐怖のほうが先に立つ。
(地獄絵図だ。誰がこんな惨状を想像できるってんだ)
監獄惑星ル・マンチャスには警備ドローンだけではなく、当然防空装置も備えられている。間違っても囚人を解き放たれたりしないように。
それどころか惑星自体が宙図に載っていない。脱獄の幇助を防ぐため。収監されるときも釈放されるときも宇宙さえ見えない航宙船を用いられる。
(あんな怪物がやってくるなんて管理局も思ってないだろうし)
防空装備が沈黙させられるまで時間は必要なかった。怪物の放つ白光は防御フィールドどころか力場盾まで貫通してくる。
(で、結局この惨劇の舞台で死ぬことになんのか)
いくら人権が保護されて衣食住が保証されていようが囚人は囚人である。彼らを助けるために管理局が動くわけないだろうと思っていた。
「お、おい! 助けだ!」
「マジか! おーい、おーい! 早く助けてくれ!」
「まだ生きてるのよー!」
同様に逃げ回っていた囚人たちが空を見上げる。艦隊が降下してきてアームドスキンが発進するところだった。
「嘘だろ、見てみろ!」
「じ、星間軍だって!?」
「まさか天下のGFが来るなんて! 助かったぜ!」
彼も救助を確信した。
ところが、その希望は打ち砕かれる。白いビームが着弾したアームドスキンが爆散する。リフレクタを掲げているのに貫通したビームが対消滅炉に達して爆炎の玉になる。
「待てよ、待て待て! よしてくれ!」
「あたしが見てるの現実なの!?」
「あり得ない。あの星間軍だぞ?」
星間銀河圏最強の呼び声高い軍隊である。確かに噂が独り歩きしている感は否めない。しかし、星間管理局が保有する最強の戦力であるのは間違いない。普段接する星間平和維持軍より上のはずだった。
それが見るも無惨に破壊されていく。アームドスキンが次々と爆散してしまい、離脱しようとした戦闘艦も白光に薙がれて光を噴き出した。
「冗談じゃないぜ!」
「ひぃ、逃げろ!」
半ば溶けた金属部品が雨あられと降ってくる。押しつぶされて形を失う者。小さめの破片が直撃して真っ二つに裂かれる者。そこまでいかなくとも熱で火達磨になる者。死体と怒号と悲鳴だけが満ちていく。
(なんだよ、これ。俺の想像してた地獄より悲惨な有様じゃねえか)
囚人は愕然とする。
(どんな罪を犯せばこんな罰を受けなきゃなんねえんだよ。あんまりじゃないか)
自分のことを棚に上げてと言われればそうかもしれない。しかし、そんなことを考える余地もないほどの惨状なのだ。
「シュー」
「……んぐ」
恐怖に足が固まって動けなくなっていた。気がつくと背後から巨大な影が降ってくる。紅玉の目が彼を狙っていた。餌を見る視線が。
「あ、う……」
首元から触手が飛び出す。腰が抜けて尻餅をついた身体が浮いた。肌を刺すような刺激が身体の内へ内へと浸潤していく。
(痛みとかそ……)
囚人の意識はそこでぷつんと途切れた。
◇ ◇ ◇
「V案件ですか?」
ゼレイが訊いている。
「そう。出動要請があった。目的地が目的地だけあって確認が必要なんだ」
「どこなんですか、居候?」
「監獄惑星ル・マンチャス。所在はかなり機密度が高くなってる。ぼくたちには縁が深いのにね」
彼らが捕らえた罪人も収監されているかもしれない。
「監獄惑星。話だけ聞きました」
「ゴート宙区にはない仕組みですからね。効率的だとは思いますけど。やはり機密情報ですか」
「そうなんだ、ヴィー。だから追加の契約が必須になるのさ。高度な守秘義務が生じるからね」
リリエルにも理解できる。ブラッドバウはあくまで民間組織。司法巡察官ジャスティウイングのアシスト契約はしているが、星間管理局直下の機関ではない。都度契約を求められるのも当然である。
「今さら感満載です。ヴァラージのことだって街中でバラそうものならGSOの警官が飛んできて連れてかれちゃうんでしょ?」
ゼレイは不平を漏らす。
「それはないよ。捜査官だってヴァラージのことを知ってるのは上のほうを除けばごく一部だけ。捕まえるとしたら、ぼくかな?」
「触ったら痴漢行為で逮捕してやりますよ?」
「それは困るなぁ。じゃあ、最低限にしないとね」
ジュネはくすくすと笑っている。
「安心なさってください、ジュネ。そのときはわたしが縛り上げてお渡しいたしますので」
「裏切ったな、ヴィー隊長!」
「契約違反をしたら被害をこうむるのはブラッドバウです。当たり前の措置ですよ」
冷たく言い放たれて妹分は怯えている。なぜか青年が執り成しに入っていた。
「それどころじゃないんじゃない? 急がなくていいの、ジュネ?」
緊急事態だと思う。
「それがね、ちょっと面倒なことになっちゃってて」
「囚人が逃げ出したとか?」
「いや、出れない。出れないから助けに行かないといけなかったんだけど、それに星間軍を当てちゃってさ」
聞き慣れない単語が出てきた。
「星間軍ってあれ?」
「管理局の直轄軍。全滅させちゃってる」
「全滅!?」
さすがにリリエルも声が裏返ってしまった。
次回『ル・マンチャスの惨劇(2)』 「やらかした感満載なんだけど」




