神意の領域(6)
女のヴァラージの卑怯な手段に頭の中は煮えくり返っているのにリリエルの腕は動いてくれない。なんの罪もない民間人、フィットスキンもまとわない生身のままの人質を目の前にすれば。
「大口のわりに姑息な手を使うじゃない?」
かろうじて口を動かす。
「許せないんですわ。わたくしにこれほどの苦渋を味わわせたんですもの」
「自分が犯罪者だって自覚がない?」
「自覚はありましてよ。強者だとね!」
宙を舐める力場鞭から機体を逃がす。追ってきた生体ビームをからくも躱し、海面に衝撃波の線を刻んだ。
ビームを使えないのでフレニオンフランカーを戻し、ついでにチャージする。機動性も上がったので回避に苦労はしないが攻め手もない。
「た、たす……!」
振りまわされる若い男。
「可愛い顔してるから調教して下僕にしてあげるつもりだったけど変なとこで役に立ってくれるわ」
「それで別にしていたとでも?」
「言わずもがなですわよ。名誉に思いなさいな」
本人はそれどころではなく悲鳴を撒き散らしている。
「変態!」
「ものを知らぬ小娘ですこと。これから快楽を身体に刻み込んであげるわ」
「冗談じゃない」
防戦一方になる。本体と違ってcm刻みのコントロールが難しいフレニオンフランカーは論外だ。かといって斬り込む隙を作る筋道も見えない。
(引き付けておけばジュネが来てくれるかも。でも、保証のかぎりはない。長引けば誤って握りつぶされる可能性もあるし)
吟味しつつ回避に専念する。
「んひぃっ! なにを!」
「マズっ!」
ヴァラージの手首から細い触手が伸びていく。男を絡め取ろうとしていた。
「さっさと放して。そいつから食われちゃう」
「なあに? あら?」
「ヴァラージが食おうとしてるのよ!」
女も気づいた。
「これはヴァラージというのね。なかなか愉快な性質だこと」
「笑い事じゃない! それは触れただけで……!」
「はい?」
触手が巻き付く。痙攣した男の悲鳴は途絶え、白目をむいた。痙攣が激しくなると、皮膚に泡立つような変化が現れる。
「あらら」
もったいないと言わんばかりの声音。
「こっちへ渡して。今ならまだ治療すれば間に合うかもしれない」
「だったら、こっちへいらっしゃい。渡してさしあげ……」
「無駄さ」
青白い光束が男を飲み込む。一瞬だけ影を残し、蒸発して消えた。女のヴァラージの指ごと失われている。
「ああっ! どうしてよ、ジュネ!」
声の主に訴える。
「因子に感染してる。手遅れだった」
「なにか方法があったかもしれないのに?」
「エル、どうしたんだい?」
(方法がないのはわかってる。そうじゃなきゃ無理してまでヴァラージを撃滅してまわる必要なんてないもん。でも……)
リリエルは唇を噛む。
「因子に侵されたからって、なんの罪もない人をあなた自ら撃たなくてはならなかったの?」
眼の前の惨事を割り切れない。
「それ以外にないよ」
「いくらヴァラージを天敵と考えていても、こんな酷いこと」
「どんな場面でもぼくは撃つさ」
断言が頭を揺さぶる。しかし、心を落ち着けている時間はない。生体ビームが眼前へと迫っている。
(しまっ!)
身体の反応がワンテンポ遅い。
(直撃!)
横殴りの慣性力に内臓が軋みをあげる。夜色の機体がラキエルをさらっていた。
「なにしてる?」
冷たい声が耳に染み込む。
「お前はなにがしたい?」
「あの人を助けられればって」
「助けられるか?」
結果はわかり切っている。
「例え低温治療とかで侵蝕を遅らせたとしたって因子は取り除けない。そんなのを送り返すのか?」
「うう……」
「ヴァラージ化して自分の家族を食うんだ。わずかに残った意識の中で狂いながら貪る。それでも帰すのが正解だって?」
間違いなのはわかっている。それでもリリエルは守るべきものを持たなければ戦えないのだ。
「あれの毒に当てられたか。気負けしたんだな」
ジノは容赦ない。
「交代だ。女の相手は僕がする。お前はジュネのアシストにまわれ」
「あたしでは駄目なの」
「あいつに引き上げてもらえ」
蹴りだされる。二機が分かれた間隙を生体ビームが貫いていった。ジノに任せてリュー・ウイングを見る。ジュネは二体を相手に立ちまわっていた。
(引き上げてもらう?)
なにを言われたのかピンとこない。
(気持ちを引き戻すって意味じゃないよね)
確かに戦意はしぼんでいる。だからって戦闘の真っ最中に慰めてくれなどとは言えない。
(違う。今の心の置きどころだと戦えない。割り切れない)
モチベーションを作らないといけない。
(意識のステージを変えなきゃ。もっと高いところへ。眼の前の一人だけじゃなく大勢を守れる場所へ)
ここで彼女が折れれば均衡が崩れる。その結果としてジュネとジノのうち一人でも失われれば、その向こうにいる数万数億の人を救えなくなる。
(神の視点。そう、今は神意の領域に行かないといけない。ジュネは最初からそこにいたから撃てたのね)
彼だけではない。
(ジノもなんだ。狂戦士の所業なんて記録されているけど、そんなんじゃない。神の荒御魂に近いもの。あの人も破壊神だった)
神の側面である。和御魂と荒御魂。古今東西、どこの神も創造を司りもすれば破壊を行うものでもある。創造の前には破壊があるのだ。
ジノの在り様は破壊神のそれであり、ジュネは創造神と破壊神の両面を持っている。同じステージに立ってなければ、ともに戦うなどといえない。
(だから引き上げてもらうのね)
理解したリリエルはリュー・ウイングの元へとラキエルを飛ばした。
◇ ◇ ◇
ヒュナリヤの前には今度は濃藍のアームドスキンが浮いている。先刻までの小娘と違って落ち着き払っていた。
(この気配、厄介だこと)
彼女もよく知っているものだ。
(手練れの戦士。それも、どれだけ殺してきたのか想像もできないような者が放つ空気。こういう輩は少々突っついたくらいじゃ揺らがないのよね)
機体の形状からして、小娘のようなギミックを備えているようには見えない。手のビームランチャーを除けば、大ぶりのショルダーユニットの載せてある固定武装の大口径砲だけ。
(まだ与し易い)
失われた右手の指は断面から触手が絡まり伸びて甲殻を成した。元どおりに治って普通に動くようになっている。肩の斬り傷も然り。
「よろしくて?」
挑発を仕掛ける。
「見掛けないものだけど、それほど高性能機には見えませんことよ? あなたたちがヴァラージと呼ぶこれは星間管理局が目をつけるほど危険なものなんでしょう?」
「とびきりね」
「だったらお仲間を呼んではいかが?」
(そうしてくれれば逆に隙になるはずですわ。人質は効果がなくとも、味方ぐらいは庇うでしょう)
誘い掛ける。
「知らないほど若くはないだろうな」
どこ吹く風だった。
「なにを?」
「リトルベアを知ってるか?」
「りとる……べあ?」
記憶を探る。思い当たる事件が一つだけ。属している裏社会だけでなく、まだ少女だった頃の彼女をも震撼させた事案だ。たった一人で幾つもの宙区にまたがる超巨大企業をたった一人で潰したテロリストの名前。
「まさか……」
「そのまさかだったら?」
空気が冷たく冴えていく。相手の放つ狂気に近い気配に、氷柱を直接飲まされたみたいに心が凍えた。
「なに、なんなの」
コクピットスペースが小さく震えている。
「どうしたの? もしかして怯えてらっしゃるの?」
手を置いたクリスタルの周囲から糸のように細い触手が伸びて覆う。アームレストから、否、シート全体から同様の触手が彼女の全身を這っていった。
「ああ、わたくしと真の同化を望むのですね?」
意識は徐々に溶けていく。
ヒュナリヤが感じていたのは恐怖でなく恍惚であった。
次回『破壊神の心(1)』 「あなたのそんな声、久しぶりに聞いたかも」




