フォニオックの空気(3)
総帥という先導者として定めている理想像はあったが、女性として目標にできる姿は定まっていなかった。その理想形に触れられたとリリエルは思う。
「ジュリア・ウリルは通名よ。本当の名前は家族になったら教えてあげる」
「はい、頑張ります」
耳元に囁きかえす。
(これくらいの包容力がないとリトルベアみたいな獣は御せないかも)
狡猾な肉食獣相手である。
「ただいま、母さん」
「ん!」
もう一度頬を寄せている。
「心配してなかったけど変わりないね?」
「老いたわよ。心配してよ」
「どこが?」
公表はされていないが、聞いた話では四十五歳のはずである。とてもそうは見えない。ジノもそうだが若々しさを維持していた。
艶のある真っ赤な髪は豊かに波打ちながら背中まで流されている。ジュネも受け継いでいる地黒の肌も張りがあって瑞々しい。緑の双眸も煌々と覇気を放っている。
(仕事に燃えている限り、いつまでも衰えなさそうな感じ)
そんなところにも憧れを覚える。
「待っても待っても帰ってこない息子を焦がれてたら心労がたたってね」
冗談めかした口調で言う。
「その割にしっかり仕事は振ってくれてると思ったけど?」
「しょうがないじゃない。確実なハンターは『剣』の他には『翼』しかいないんだもの。合間に浮気しなきゃ帰れるくらいの余裕はあったんじゃなくて?」
「まあね」
口を尖らせている母親をくすくすと笑っている息子。
「彼女にご奉仕してるほうが忙しかったんでしょ」
「父さんで手一杯な母さんを煩わせないためにさ」
「ジノならもう落ち着いて……、ないわね」
白髪の男は肩をすくめている。
(普通に家族っぽい。これがジュネの家である警備艇フォニオックの空気感なのね)
ようやく飲み込めてきた。
「お帰りなさいませ、ジュネ」
もう一人女性が顔を出す。
「ただいま帰りました、サンテナ。両親が我が儘を言って困らせていませんか?」
「とんでもない。拙い私を立ててくださいますので」
「いつでも言ってくださいね。エル、彼女が今の艇長のサンテナ・オルカッツェン。星間保安機構の三星捜査官」
フィットスキンの階級章を示す。
「流星ってことは高等捜査官なんだっけ?」
「そうだよ」
「高等といっても星一つの駆け出しですので」
サンテナのエンブレムは星の斜め右上に鏃のマークが付いて流星を示すもの。その数が一つというのは高等捜査官でも一番下の階級を示す。しかし、高等捜査官資格を持つエリートであるのは間違いない。
二星捜査官になれば二つ、一星になれば三つに増えていく。逆順で紛らわしいが、昔からの習わしなのでそう理解するしかない。
「若く見えるけど前から?」
年配にはとても見えない。
「いいや、四年前からだね。ぼくも会ったのは一回だけ」
「ああ、あのとき」
「はい、ど新人の頃でしたのでお恥ずかしいかぎりですけど」
三年前に一度ジュネだけ戻ったことがある。
「その前は別の艇長がいたんだ。その人が引退してから替わりに彼女が着任したのさ。たしか、まだ三十歳だったかな」
「そうなの。よろしく」
「はい、よろしくお願いします、リリエル。似たようなお立場として仲良くしてくださいね?」
司法巡察官のサポートリーダーとして意味。腰が低くてとてもそうは見えないが優秀なのだろう。ジュリアも信頼しているのを示して肩を抱く。
「それと、新しいアシストの人はぼくも初めて」
男が一人、身を乗りだしてくる。
「ウルクス・ヴェードだ。よろしく頼む、ジャスティウイング」
「ええ、よろしく」
「虚勢を張るのはよしときなさい。この子と肩を並べるにはまだまだよ」
ジュリアが皮肉そうに口端を上げる。
「そういっても七つも年下相手にへりくだるのはプライドが許さないんですよ、ファイヤーバード」
「まあ、いいわ。いつまで続くか見届けてあげる」
「ぐ……」
いつもやり込められている雰囲気だ。あまりに格違いの人間に囲まれて、意地を通さないと自分を保てないのだろう。
「アシスト同士よろしくな?」
リリエルが一番見てきたタイプの男。
「いいけど」
「それも無理よ。その娘も比べ物にならないわ。それくらい一目でわかるようになってくれないと卒業させてあげられないじゃない」
「勘弁してくださいよ」
コテンパンにされている。
「はぁ……、一警のエンブレムが泣くな」
「鏃三つってことは一般捜査官で一番上でしょ? 気骨見せなさい」
「っても、冗談みたいなメンバーに囲まれてみてくれ」
「あたしが最も思い知ってるから」
一般捜査官である三警から一警までは鏃のみのエンブレムだ。それが三つまで並ぶということは国家支局であれば警務課長クラス。二十五歳でトップの椅子に座れるのなら同年代でも出世頭か。
(まだ上を狙いたがるくらいには優秀ってことね。もう少し年季が必要っぽいけど)
苦笑いの顔を合わせつつ握手に応える。
「コルト」
ジュネが呼ぶと操舵士シートから青年が立ちあがる。
「紹介するよ、彼女がリリエル。彼は幼馴染のコルト。母さんを除けばペピタの次に古株になる。大切な友人なんだ」
「幼馴染? 古株? どして?」
「一緒に育ったんだよ」
GSO警備艇の中の話としては妙だ。
「彼はコルト・トキシモ。前の艇長のトグル・トキシモと、整備士チーフだった奥さんのアデリタ・トキシモの子供なんだ」
「俺は妹のメリルとジュネと兄弟みたいにフォニオックで暮らしてた。だから幼馴染ってわけ」
「子供にいい環境だなんてお世辞にも言えなかったんだけど、あたしがオグルとアデリタの二人を手放せなかったからそうするしかなかったの」
ジュリアが弁明する。
ほぼ同時期に産まれたジュネとコルトは本当の兄弟のように育ったという。社会性の醸成のために登校が推奨される初等学校の期間もジュリアたちを師として教育を受けていたらしい。逆に言えば、コルトがいなければジュネは同年代の子供を知らずに成長するしかなかったので都合が良かったとも考えられる。
「あたしもバンデンブルク、機動要塞の学校に通ってたから似たようなものかも」
警報が日常の特殊環境になる。
「妹さんは?」
「船を降りて、親父とお袋と一緒にメルケーシンで隠居暮らし。あいつもやっと夢を作って目指せる環境に落ち着いたって感じなんじゃね?」
「そう。あなたは?」
彼一人ここに残っている。
「俺はジュリアさんに恩返ししたくて、役に立ちたい一心で公務官試験に合格して残ってる」
「あら、殊勝だこと」
「恩返しなんてこっちがしたいくらいなのに聞かないのよ、この子。物騒な生活を卒業できるチャンスだったのに」
(ほんとに仲良いんだ)
仕草でわかる。
ジュネは彼に視線を向けようともしない。気遣いであるのはお互いに知っている。必要ないほど気の置けない仲だということ。代わりに何度も拳を合わせている。触れ合うのが彼らの交流なのだ。
「操舵士資格取得おめでとう。やっと直接言えたよ」
ジュネの祝いの言葉。
「やっとだぜ。二年もサンテナさんに手間掛けちった」
「大丈夫よ。それより十六歳で公務官資格と操舵士資格を取るなんて立派だわ」
「でもさ、隣に十五で司法巡察官になるような奴がいると凹む」
褒められた気がしないという。
「悪いね」
「言うなって。お前がどんだけ頑張ってたのか俺が一番知ってんだぜ」
「そうだね。お互い夢が叶ったんだから良しとしようか」
またグータッチをする。
(あたしが一番って言えないのがちょっと悔しいかも)
リリエルはフォニオックの和やかな空気に浸っていた。
次回『ジュネとジノ(1)』 「暗闇の中でもがいてたのね」




