フォニオックの空気(2)
父ジノはそんなに大柄ではない。十八歳になって170cmあるジュネはもうほとんど追いついている。あと数cmというところだろう。
しかし、纏う空気は全く異なる。リリエルはその冷酷かつ凶暴な雰囲気に当てられている。一向に警戒心が薄れないのを灯りの色に示していた。
「そんなに怖がらなくたって、なにもしないよ」
言っても彼の陰から出ようともしない。
「比喩でもなんでもなかったのね、本当の恐怖って」
「なんの話?」
「ドラーダの姪っ子さんの人物像」
聞いたジノはニヤリと笑う。
「あの娘ね。最後まで逃げまわってたが、外じゃ言いふらしてくれてるじゃん」
「まさか。相談できる相手なんて父さんのこと知ってる伯母さんにだけじゃない?」
「なんだ。秘密も守れないなら、もう一回鍛え直してやろうかと思ったのに」
(絶対に来ないさ。必死に頑張って二年で卒業していったんだから)
ジュネは心の中で苦笑する。
特応隊隊長のオルドラダ・フォーゲルの姪がファイヤーバードのアシストとして入ったのは彼と入れ替わりくらいのタイミングだった。なので、どんな関係性だったのか知らない。どうやら父に怯えていたようだ。
その後、高等捜査官の資格はすぐに取得したとは聞いている。しかし、高等司法官のほうは難儀しているらしい。仕方あるまい。彼のように幼い頃から星間法の英才教育を受けていたわけではないのだから。
(母さんっていう教師は同じでも一緒にいた期間が二年じゃね)
多くのアシストを育ててきた母ジュリアでも、その全てが司法巡察官になれるのではないのだ。割合でいえば30%いかないあたりか。それでも優秀なほうであろう。
(これ以上減らしたくなければ、ぼくが早めにタンタルをどうにかするしかないだろうね)
ヴァラージ対応で星間銀河圏の秩序維持に支障が出るのはジュネの本意ではなかった。
◇ ◇ ◇
頭髪は白銀というよりは白髪と呼ぶべきだろう。あまり艶がないのだ。無造作な感じで襟元で刈られた髪は歩に合わせて揺れもしない。なにより上体も揺れず足音もしない。
(まるで獣みたい)
リリエルは強く印象を受ける。
(そんなに大きくもないのに、巨大な肉食獣が歩いているみたいな空気。見てわからない奴なんて素人だし)
並み居る腕自慢が彼女の周囲には揃っていたが比較にならない存在感。傍にいるだけで威圧感で足がすくみそうになる。祖父である剣王リューンの気当たりに慣れていなければ気絶していたかもしれない。
(当たり前だった。こんなのが家族だったらお祖父様を怖がったりするわけがないもん)
最初からリューンに親しげに接するジュネが当時は不思議でならなかった。意気がる若造が祖父を前にして尻尾を巻いた犬みたいになっているのを見続けていたリリエルには新鮮だったのだ。
(肝が座ってるとか、そういうのじゃない。慣れてたんだ)
特別に「リトルベア事案」関連の資料は見せてもらっている。普通の感性なら眉唾ものの内容だが今なら納得できる。それだけのことをしてきたとしても変じゃない。
(推定八百万人を殺した男。世紀のテロリスト)
そんな文字を思い起こす。
(そう、テロリストだったのよね。快楽殺人者じゃない。この殺気が向く先は決まってたはず)
ルジェ・グフトという名の企業の策略により改造された身体を持つジノは被害者でもある。御される形で放免されているのだ。
(この人の中にも情はある)
先の戦闘でその一端には触れた。
(だとしたら気後れしてたら変じゃない。受け入れられなきゃジュネと続かないもん)
「生意気な小娘は嫌い?」
話し掛けてみる。
「気合いが足りないよりはよほどいい」
「もし、ジュネの邪魔になるようだったら背中からでも剣を突き立てるつもりだったとしても?」
「それくらいじゃないと居ても居なくても同じじゃん。意味のない人間なんて殺してしまうにかぎる」
表現はともかく、認めてくれてはいる様子。
「あなたにとって意味のある人間以外を滅ぼせばどうなるの?」
「惑星一つ分くらいに収まるか。それ以外は盛大な無駄さ。でも、人類はその無駄を重ねて発展してきてる。選別ってのは失敗するもんらしい」
「英雄の子が英雄に育つわけじゃないもん。むしろ逆の事例のほうが多いかも」
リリエルの例え話にジノは爆笑している。理解しているということ。思ったよりも遥かに思慮深い人物であるとわかった。
「人の呼ぶ英雄の中に本物の英雄がどれくらい混じっていると思う、エル?」
ジュネが質問してきた。
「どういうこと?」
「わからないほうが幸せなのかもしれないね」
「もー、教えてよ」
腕を引いても笑っているばかりで答えてはくれなかった。そうしているうちに中央通路は終わって操縦室に繋がるスライドドアの前にいた。
(なんて思われるかしら?)
内心強がってはいられない。
中にはジュネの母親がいる。できれば嫌われたくはない相手だ。しかし、息子への愛情が優れば、まとわりついている女をどう思うかは自明の理。
(そんなタイプじゃないと思うんだけど)
ファイヤーバードについてはリトルベアより熱心に調べた。
同じく理念の人である。星間法を正しく理解し、その根本にある秩序維持という通念を大事にしているとわかる。そう運用すべきと考えているはず。
しかし一面、理屈も重視しているとも思える。人として正しくあれと訴えている。罪を罪とするだけでなく、法が宗教理念のように人の道を説くものであるとも考えている節があった。
(情に偏らず、自らの道を堂々と歩く女性)
リリエルはそう結論づける。
運命のときがやってきてドアがスライドする。まるでスローモーションのように感じていた。ジノの背の向こうに見事な赤い髪が広がっている。
道が譲られ、なにも言わずに歩み寄ってきたその人はジュネの身体をしっかりと抱きしめた。口元が歓喜に震えている。
(溺愛してたー!)
危険な兆候に焦る。
次に向けられるのは敵視だろう。邪魔になる小娘は蹴りだされる。ジノのフォローも望めない。おそらく面白がるだけだ。緊張して身構える。
「ありがとう」
ところが次にやってきたのは抱擁だった。息子から身を離した彼女は続いてリリエルのことも抱きしめている。耳元にそんな言葉が投げ掛けられた。
「難しい子でしょう?」
柔らかな声音。
「柔軟に思えて、決して自分を曲げないもの。なんて言ったって決めた目標に一直線に向かうだけ。振りまわされて疲れるんじゃなくて?」
思いもかけていなかった言葉に固まる。どう答えて良いものか咄嗟にわからない。喉につかえたものを形にするのが難しかった。
(この感じ、まるでお祖母様みたい)
フィーナの深い愛に包まれているかのようだ。
自然に涙がこぼれた。緊張が緩んだ所為もあるが、自分が意外にも愛情に飢えていたのに気づかされる。
「いいのよ」
囁きとともに背中を撫でられる。
「本当は甘えていたい時期から宇宙を駆けまわっているんだものね。背伸びしたいと思ってはいても、足りないのを押し隠して踏みとどまってる感じ。危ういバランスを補ってやれるほどジュネも大人ではないわね」
「そんなことは……」
「強がらなくてもいいわ。我慢してくれるくらいにこの子のことを想ってくれているんだもの。あなたを歓迎します、リリエル・バレル」
(なんて素敵な女性)
リリエルは尊敬できる大人との出会いに感動していた。
次回『フォニオックの空気(3)』 「父さんで手一杯な母さんを煩わせないためにさ」




