夜色の男(1)
そこはリリエルの知らない宇宙だった。分子など稀にしかない空間なのに、闇は深く濃密な気配が身体を圧する。油断すれば精神ごと潰されそうだ。
(なんなの、これ。尋常じゃない)
久しぶりに感じる怯え。彼女にとっては数えるほどしかない経験である。昔、祖父に連れていってもらった戦場で剣王の本気の戦気を感じたときくらいだろう。
(いったい、なにがいるの?)
そんなはずではなかった。気晴らしの散歩のつもりでレイクロラナンを発進して、探しものの手伝いをしていただけなのに。
(ヴァラージ? 違う。あんな猛々しい気配じゃない。全てを凍らせるような冷たい殺気)
なにかに似ているといえばそうなのに上手く思いだせない。知っているのに記憶にない、もどかしい感じがする。しかし、身体は危機だけを訴えてくる。それも最大級レベルで、だ。
(逃げるのが正解。なのに動けない)
フレニオンフランカーを射出するのが精一杯だった。動かせずに周囲に浮かせているだけだがいち早く対処はできる形を作っている。
「んんっ!」
意識のみで察した。力場刃を発生させたフランカーが背後を突こうと一斉に向いている。なにかの気配がそこに結晶していた。
「反応したか。なにもできなきゃ、そのまま殺してやろうかと思ったんだけどさ」
話しかけられて初めて人間だとわかる。
「……誰?」
「探しもの」
「嘘でしょ?」
気づけばそこには深い藍色、夜色のアームドスキンが現れている。肩の固定武器の筒先がピッタリと背中に突きつけられていた。
「それくらいにしといてもらってもいいかな?」
救いの声がする。
「もう少し遊ばせてくれてもいいじゃん」
「彼女を玩具にしないでって言ってるんだけどさ?」
「だからってそんな闘気を向けてくるか?」
ジュネと会話している声は若々しく感じる。
「面白みがないな」
「悪戯が過ぎるよ、父さん」
(え、この人が?)
リリエルは混乱した。
(確かに探しものの相手なんだけど、こんな化け物だなんて)
この宙域で隠密航行中の航宙船を探していたのだ。おおよその場所はわかっていたのだが、いかんせん広すぎる。事情があって無闇にレーザースキャンは打ちたくなかったので捜索していた。
「噂はかねがね、ジノ・クレギノーツ」
「君がリリエル・バレルかい? 面白い気当たりをしてくるね」
(ここまでとは思わなかった。とんでもないとは聞いていたけどお祖父様以上だなんて。戦気じゃなくて殺気の塊みたい)
明確な区別は付けづらいが感覚的にわかる。勝とうとしているか殺そうとしているかの違いだ。しかし、これほどわかりやすいのは産まれて初めて感じる。
「フォニオックはこの近く?」
「ちょっと離れてる。迎えに来たのさ」
そうとは思えない登場だったが。
「珍しく母さんが人選を間違えてるね」
「ジュリアにもマチュアにも言ってない」
『馬鹿ぁー! フレニオン受容器を切っていいなんて誰が言ったかぁー!』
聞き慣れた声がする。彼のところでマチュアが騒いでいるようだ。どうやら本当に悪戯らしい。
(全然気配を感じさせなかった)
リリエルは信じられない思いで眼前の夜色のアームドスキンを眺める。
電波レーダーを控えていればこの深い藍色をシステムに検知させるのは難しいかもしれない。宇宙に馴染んでしまう。誤射を避けたければ軍でも採用しない色だ。
『制御してるのは安全も考えてって言ってるでしょ? 機体親和性が高いからって簡単に奪ってくな』
「ちょっとは遊ばせな。普段は大人しいもんじゃん」
ゼムナの遺志を出し抜くほど機体親和性、つまり機械的な感応力が高いらしい。戦気や殺気、更には機体制御と、自身を完全に制御できるパイロットなど稀。ほとんどいないと言っていい。
「マチュアを困らせないでよ、父さん」
ジュネが注意を与えている。
「それより合流しよう。偶然でも見つかりたくはないからさ」
「仕方ないな。ジュリアにどやされたくない」
「もう手遅れだと思うよ」
くすくすと笑い合っている。
(この親子、怖っ)
リリエルは思いだした。ジノの発する戦気はジュネが静かに怒っているときにそっくりなのだ。変なところで血縁を感じてしまう。
『別の意味でも手遅れ』
マチュアが不機嫌な声を出す。
「時空間復帰反応か。見えてるな」
「まいったね」
「わざとじゃない」
空とぼけてジノが応じる。
「わかってる。でも、連絡させるわけにはいかないね」
「手蔓を付けるにはまだ早いか。なら制御針を使う」
「うん。じゃ、エルとぼくで陽動掛けるからよろしく」
視認できる位置に虹色の泡、転移フィールドが生まれる。中には武装商船と思われる船体を孕んでいる。相手の性質からして、即座に周囲警戒をしていると考えるべきだ。
「エル、時空界面動揺が収まるまでにフレネティを接触させる。ぼくらは露払い。いいね?」
「了解だけど」
(その後どうするつもり? タイプからして、腹の中にたんまり機動兵器を抱えていそう)
彼女は迷う。フレニオン受容器経由ですぐに連絡すればレイクロラナンは間に合うだろう。制圧も容易になる。しかし、ジュネが明言しないということは必要ないということか。
「考えてないでついてこい」
ジノに指摘された。
「応援は不要?」
「なるほど、教育受けてるじゃん。指揮官の考え方だ。心配するなって」
「ジュネがなんにも言わないのは、あたしで事足りるって意味ね」
きっぱりと言ってくる。非常に判断が早い。しかも、ジュネの性格を完璧に把握していると思っていい。噂とは人物像が違うと感じられる。
(もう、なるようになれ)
リリエルはあきらめた。
夜色のアームドスキンが先行してジュネのリュー・ウイングが追う。一直線に突っ込んでいくのを、彼女もラキエルで続くしかない。
「中身がわかるまで沈めたら駄目だからね?」
「はっ、優しいことで」
久しぶりの親子の再会とは思えない会話が続く。このあたりは縁薄い父との関係性が垣間見えなくもない。
(なんか複雑。だからジュネはなかなか両親に挨拶させてくれなかったのかも)
多少は理解できてきた。
武装商船のハッチが全開放されると我先にと機動兵器があふれ出してくる。内容はごった混ぜだ。どれがアストロウォーカーでどれがアームドスキンかもわからないほど。
「フランカー」
能動的防御を意識する。
「近寄せない」
「へぇ、これは便利」
「後ろ気にせずやっちゃって」
一息に接近し、武装商船が視界いっぱいに広がる位置まで来た。夜色の機体が腕を向けると手首からなにかを射出する。難なく命中したが爆発もなにもしない。
『制御奪取。中身は、と? これもハズレ』
マチュアがため息をつく。
『ジュネ、船内モニター掌握しました。これを』
「お客さんはいないようだね、ファトラ。潰してもいいよ、父さん」
「お許しが出たか。じゃ、遠慮せず」
ジノが小うるさい砲門を黙らせていく。リュー・ウイングも攻撃が苛烈になった。彼女のフランカーに翻弄されていた機動兵器群が慌てはじめる。
(これなら簡単に制圧できそう)
突進してくるアームドスキンの頭、腕と斬り飛ばしていく。戦闘不能だと思ったのに止まらない。その行動が理解できず眉をひそめる。
「なにする気?」
ブレードの切っ先に怯まずハッチが開かれてハイパワーガンを向けてくる。
「イカれてる!」
「気抜くからさ」
背後にジノの機体。突きれられたブレードが背中から貫く。そして、力場の切っ先はフィットスキン姿のパイロットをも両断した。
(生身の相手を躊躇いもせず!)
リリエルはその光景に唖然とした。
次回『夜色の男(2)』 「言うね。さすがジュネが選んだ娘だ」




