眠れる姫(3)
「ふっ」
笑いの発作にジュネは鼻から息を漏らしてしまう。
くすくすと笑い続けるのは失礼だと思いながらも我慢できなかった。声の主は怒りを表すのでもなく待っている。こんな場所で眠り続けていた彼女からすれば時間など意味を為さないものなのだろう。
(ほんとに多種多様なんだな)
そう、彼女だった。深みのある透き通った声。高くもなく低くもなく、聞く者に落ち着きを取り戻させるような響きを含んでいる。
(力か知識か、ね。自分を求めてくる者はそういう相手だけだと思ってるのかな? それなら誤解を解いておいたほうがいいね。そのほうがゆっくり眠れるだろうし)
彼は告げるべき言葉を整理する。
「では、君がここで眠り続けていられるような世界であることを望みます」
沈黙は長かった。どう受け取ったかはうかがいしれないが、彼女が予想だにしてなかった答えなのは察せられる。意図を証明するかのように背を向けた。
『あなたを新たな主とします。わたくしの全ての力をもってあなたの望みを叶えるとしましょう』
「ん?」
伝わらなかったか。
「世界が落ち着きを取り戻した頃に誰かが君に目覚めの口づけをしに来るかもしれません。それまでは安寧のときを」
『いいえ、わたくしは義務を果たすべきときが来たのだと知りました。あなたの力となりましょう』
「でもね……」
『ファトラ! あんた、こんなとこでずっと眠ってたっての?』
けたたましい声が割り込む。ジュネのσ・ルーンから飛びだしてきたのは当然朱髪のアバターだった。
『マチュア、この方はあなたの主なのですか?』
『いや、協定者じゃないんだけど』
現れたのは金髪紫眼の美女。長い布を体に巻き付けただけの、トーガのような衣をまとっている。額にはサークレットが輝き、神格を想起させるような出で立ちだった。
『協定者?』
間が空く。
『ああ、そういうことなのですか。あなたたちはそうやって現人類との接し方を定義しているのですね』
『わかった? あんたが眠りこけている間も人は歩みを進めてるの。しかも、わたしたちにとっても緊急時の真っ最中』
「彼女は現状を理解してくれたかい?」
一瞬の間に情報交換が行われたらしい。
『ひととおりは』
「そういうことなんだ。この戦いは君を苦しめるだけだと思う。またの機会に会いに来るよ。ぼくが生き残っていられたらね」
『いいえ、マチュアが主としていないのであれば、わたくしがあなたを協定者といたします』
(思ったより強情だな。人を遠ざけてたところを見ると、あまり興味がないんだと感じたけど)
その反応は想定と違っていた。
『わたくしはファトラ。あなたの力です。望みをともにいたしましょう』
譲るつもりはなさそうだ。
「わかったよ」
『とんでもないのを掘り当てたわね、ジュネ。彼女が誰だか知ってる?』
「知るわけないさ。君たちの中じゃ有名なのかい?」
マチュアは呆れたというジェスチャーをしている。
『ファナトラ博士の遺産。始源の下僕。失われた知識の蔵。あの方の死後、今の今までどこにいるのかも知られていなかったゼムナの遺志よ』
『わたくしはヒュノス……、アームドスキンの発明者たるギナ・ファナトラ博士の人工知性をしておりました。彼女を最後の主として喪に服していたのですが、目覚めねばならないときが来たようです』
「なにか理由が?」
言葉の端々から使命感のようなものを感じる。それがファトラの強情さの源だと思えた。
『ギナ様は死の前にこの身体を遺してくださいました』
この埋蔵物のことらしい。
『わたくしに如何なる選択肢をも可能としてくださったのです。その意味を今知りました。かの方の慧眼に従わないわけにはまいりません』
『そうよ。のほほんと寝こけている場合じゃないの。これはわたしたちの戦いでもあるんだから』
『そうですね。情報遮断をしていたのを悔いています』
ファトラは彼ら独自のネットワークからも距離を取っていたという。
「そこまで言うならお手伝いをお願いしようかな。とはいえ、君たちに関してもわりと情報通なほうだと思ってるんだけどさ」
『あなたのことをお教えください。わたくしになにができるか考えます』
『ジュネの身体データをあげるわよ』
マチュアが手間を省いてくれる。もしかしたら、彼女のほうがジュネの身体に関しては詳しいかもしれない。
『マチュア、あなたはなにをしているのです』
咎める色を含んでいる。
『突飛な行動言動が多いあなたでもジュネの能力が示す意味はわからないはずがないでしょう?』
『わたしにだって正解が見えてないの。ファトラにも、ううん、あんただからこそ与える知識の重さの意味をわかってるはず』
『わたくしたちをも迷わせるのですか』
ファトラのアバターが頬に手を当てて見つめてくる。
「ぼくはそんなに変かな?」
『変といえば変ですが、ギナ様ほどでもございませんし』
「主を捕まえてずいぶんじゃないか」
意外な台詞だった。現人類との接し方と違って、絵に描いたような従順をイメージしていたがそうでもないらしい。
『敢えて言えば、ギナ様にも劣らず……』
『ファトラ、それって?』
マチュアが息を飲むのを初めて見たかもしれない。
「珍種を見る目だね」
『試さねばなりません。少々、準備の時間をいただけますか?』
「惑星系の対処以外にとりわけ急ぎの案件はないよ。小鳥との約束もあるしね」
肩をすくめる。
『約束?』
「幼虫を掘りだす簡単な仕事さ。ついでに君の身体も綺麗にしておこう」
『……?』
踵を返す。お腹も空いてきたし、来た道を戻ってトリオントライのコンテナを漁らないといけない。
『マチュア、あの方は?』
『ナルジの民に最も近い子よ』
そんな会話がジュネの背を追ってきた。
◇ ◇ ◇
レイクロラナンは広角電波レーダーで障害物を探知しつつ短い超光速航法をくり返して調べている。というのも、ここがまともに探査されたこともないような惑星系であるのが理由。
資料からうかがえるのが、それほど年経ていない恒星に惑星が七つばかり並んでいること。うち三つが固体惑星で二つがガス惑星、残り二つが氷惑星だということだけ。
「あまり外側まで飛んでく能力はないと思うんだけど」
リリエルが言ったのは時間的な話だ。
「と思うでやんすが、急ぐのもマズいでやんしょう? 取りこぼせば二度手間になるでやんす。無駄に時間を浪費する羽目になりやすよ」
「そうなのよね。惑星系の外まで行けるような時間は与えてない。どこかに隠れてるはずなのに」
「正確には待ち伏せしてるのですよ。彼らはレイクロラナンのような航宙船舶を必要としています。奪いに来るか、あるいは」
ヴィエンタが指摘する。
「救難信号を出させるような形で襲う。他の船舶を呼び込ませるために。そこまでの知恵があるかしら?」
「知恵はなくとも経験はあるでやす。徐々に戦術が高度化している様子を見ると、なんらかの形で知識共有している節がありやすね」
「超光速通信をする能力はないんだから、タンタルが植え付けてるってことよね」
以前はそこかしこに出現するだけだったヴァラージが増殖することを憶えている。指揮型である人型と、兵隊型であるナクラ型に分化することも。
(両者で部隊を組むことも憶えはじめてる。早めに駆逐しないと、それも高度化していくと思っていい)
想定はしておくべき。
(進化する前に殲滅しないと組織化した侵略者に化けてしまう。制御する方法があるってこと? それとも野放図に拡散してもいいって考えてる?)
タンタルの意図が読めない。
「第五のガス惑星を舐めるように調べたら、前にレーダーに掛かった小惑星群を覗きに行くから」
「合点でやんす」
リリエルは惑星系モデルの一箇所を指さした。
次回『眠れる姫(4)』 『準備ができましたのでいらしてください』




