「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」追想
「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」
斜線堂有紀先生の本を読みました
人生に完璧な正解というのが存在するのかどうかーー
人の感情の証明はできるのかーー
私も思春期のころ、それらを知りたいと考えていたのを思い出しました
十代のころ、私は最適解というのものが気になって気になって仕方なかったようです。「正しい人生」に強く憧れました。自分の生き方に悩んでいたせいでしょう。また「こうあるべき」という思い込み、あるいは理想が強かったのだと思います。「人生に正解がないこと」に絶望も覚えていました
当時は深刻でしたが、今思えばかわいらしい悩みだと思います
実際の人生の確定イベントは、産まれたなら死ぬよねーーという論理的思考で導き出される一本道なので、人の人生の解をあえて断定的に決めてしまうとしたら「死」のみです。人は死に向かって生きていると多くの人が言い、歌詞になったり論文が書かれたりしています。死ぬまでどれだけの希望を持って生きることができるかが、幸福のヒントかなあとなんとなく曖昧に今は思ったりもします。
「幸せ」とはなにか
お金の有無が幸福かどうかを決めるのかーー?
進路希望調査票、進学、就活、親からの圧迫がありました。
またクラスメイトや教師からの一定の職業への差別的な意見など、たえず波に揺れていました。
親の言うとおりの職業について、良い人を見つけて結婚をして……という雑な人生プランニングには、自分の意志が介在しているのかわかりませんし、欠陥が多い気がして、とにかく不安でした。
自覚があったか謎ですが意識していてもいなくても、悩みが私の中にあったのは確かです
青いなあ……と思います(笑)
人生にはチェッカーみたいな解はない。そのことに今は不安はありません。今はなにかになれないから不幸とか、なにかを遺さなければ無価値とか、そういう意思が自分の中になくなりました。私も歳をとりました。勤務終わりにカプリコを食ってるだけで毎日ちょっと幸せで、ストーンチョコをドラッグストアの駄菓子売り場で見つけただけで嬉しくなっちゃう。ただなんとなく生きてても満足しちゃうようになっちゃったんです。大人になりました。なれたんです。思春期の頃、打ちのめされるようなことがたくさんあって夢も希望も抱けなくて、大人になれないんだって思い込んでたけど、なれた。これは結構すごいことだと思います。
「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」は青春の痛みを思い出させてくれました
同時に今の私が、思春期の私が知らなかった「解」を得たことを自覚させてくれた一冊でした
人の気持ちに価値はあって、
それは時に金塊よりも重くて、
好きな人といっしょにいられる時間に価値はつけられなくて、
誰かの想いと行動ひとつが他人を救うことはあって、
それらが積み重なって未来に続いていく
絶賛思春期の読者に刺さる本だと思います
青くて痛くて脆く揺れる、そんなイメージの本です