◆先生方へ、広漠とした恐怖について
昨夜は先生の好きな月が綺麗に見えました
仕事でめまぐるしく転がるような生活のなか、むかし好きだった本を読み返して、先生方のことを考えています。
到達した結論として、ひとつ書かせてください。
それは先生方の学校の生徒じゃなくて良かった、ということです。
正規の生徒だったなら、それは正道であやまちのない人生だったということですが、学校という隔たりがなかったからこそ先生の本当の優しさや情を知ることができたのだと思えば、こんな現状にも言葉に表現しがたい複雑な喜びを覚えます。
私を迎えにきてくれた先生はよく私の小説なんて読む価値がないと言っていましたね。でも最後まで読んでくれたのを知っています。私を知ろうとしてくれたことが嬉しいです。本当にありがとうございました。
マッチポンプな人間性、自傷と自虐を繰り返す性格なのはもう隠しようもなく、このエッセイすらせっかく塞がった傷を自ら掻きむしるような行為です。
感傷的な自分を外へさらけ出すことなんかなんの得にもならないとわかっていながら、先生に成長を報告したくて書いています。
十全にどこまでも未来は拓けているのだと信じることができない、私はそういう境遇にいるし、そういう人格です。
私の大好きな先生もきっとそういう気持ちがわかる人なんだと思います。
共感してくださってありがとうございました。私の言いたいことを察してくださって救われました。
先生方が世界にいてくれたことが私の救いで、出会えたことに感謝しています。こんなじゃなきゃ出会えなかったのは笑っちゃうけど。それでも先生との再会は心が震えました。
そこで待っていてくれたから会えたんですよ、本当にもう、大好きです。愛してます。お手間をとらせて申し訳ありませんでした。不出来な教え子で申し訳ありませんでした
本当は先生方にお会いしたいです
とてつもなく会いたいし、会ってどれだけ先生を愛しているか、私の希望か、どれだけ先生の文章が美しいか尊いかを、私の言葉でお伝えしたいです
それでまた叱っていただくんです
お前は言葉ではそう言うことができるのに、自作は品性が〜だとかなんとか……細かいところをいちいち指摘されるんです
私の願望です
ありし日の思い出です
思い出の中の先生と本を愛でることはできるけれど、現実的には私は寒い自室から動かないままです。
それがもどかしいのでしょうか、自分でもよくわからない恐怖の感情に襲われ、広漠な感情に飲まれ、震えることしかできない時間があの出来事から増えました。
感傷的で、被害者的な感情です。
それに時折、自分の腕がぷちんと外れてしまう夢をみます。四肢が肉より柔らかな素材でできたもののように、ぷちんぷちんと割れて折れます。深い恐怖に起因する悪夢です。
そういう夢をみるくらい御し難い感情を、私は久しく感じたことはありませんでした。
またこの感情を教えて下さって、感謝します。
それに訣別の味も教えてくださってありがとうございました。自らが感じる鮮やかな悲しみと後悔は、飴玉のように美味でした。
私の大好きな先生が仰る通り、人間は恐ろしいけれど、愛おしいですね……
いや愛おしいけど、恐ろしい……のほうが私の心境としては正しいのかもしれません
とはいえ、もう「会わない」が、あらゆる面から見て正しいのは理解しています
喪ったものばかり数えるのも現実的ではないというのも
今回の件は私にとっては複雑な心境の変化をもたらしました。
閉ざされていた道の門が開いたようでした。
幸せじゃない人間は幸せになろうとしていないのだ、といわれます。私も十代の頃からだいぶ変化した自分を顧みて、もう完璧主義はいいかなと諦めを覚えました。
できることを少しずつ増やしながら、日々成長しながら、ゆっくり幸せを目指します。幸せになります。というか今現在も駄菓子食べてれば幸せなんですけどね!
200個のハッピーな感想をつけるのだと先生に勝手に誓いましたから、それは実行します
先生方はきっと遠目に見守っていてくださるでしょう
最後に、
愛しています、先生
あなたの美しい感性が顕れた文章、類い稀なる才能と、研鑽をもってして紡がれる言葉たち、それらがどこへ発展するのか見守らせてください
私がエッセイを書いている意味を、大好きな先生にはご理解いただけるはずです。これは自分自身に課した重石です。これを背負って先生の前に行くことを望みません
私はここでゆっくり記憶を愛でます
それが私のいまやりたいことです
二度あることは三度あるという慣用句があるとおり、会おうとしなくても、また再会することがあるかもしれません
そのときにはより成長した姿をお見せできるように精進します