◆書く理由について
2022/04/20
こちらは個人的なブログになります。とても個人的なお話ということをご理解いただける方のみ、読んでくださいますようお願い致します。
職場の人たちもこのアカウントを知っているので、こういうエッセイめいたものはちょっと恥ずかしいです
1ページ目は「書く理由について」
いきなりぶっ飛ばしますが、私は記憶の連続性があまりありません。いままで自分の記憶が欠けていることなど気にも留めずに雑に生きてきました。記憶があろうがなかろうが、日常生活やお仕事に支障はありませんので、正確に書くと、その不連続の危うさの自覚がありませんでした。
学生時代はリアル友人に某漫画の記憶を取りこぼしがちなキャラみたいだね〜とか、みーまーのまーちゃんみたいだね、と言われたことがあり、薄らとした違和感みたいなものは覚えていました。
記憶がないので、なぜ自分が原稿を公募に出さなければならないと考えているのかも忘れていたのですが、最近ふとした出来事で記憶が蘇りました。
私が書いているのは、先生が書けと仰ったからだと。
先生は私の精神状態の深刻さを私よりも理解している上で「もっと書け」と仰いました。
記憶が飛んでいる状態で先生を先生として認識できていなかったのですが、記憶がおぼろげに戻ったいまはその言葉に込められた深い情を感じとることができます。
先生、ありがとうございました。
書くことによって私は先生との繋がりを確かめることができ、先生が導いてくださったから道を違えず生きていけるようになりました。
私が先生から教わったのは愛です。
言葉は騙るためにあるとしても、先生から受け取ったのは違えようもなく愛です
先生が私を愛してくれたように、私も先生が大好きです
先生を安心させるために、私の現状をもう少し書きます。職場の方たちは私の趣味に理解があり、よく創作のお話をしていて、物語という箱庭が私の精神の治療に役立っているのではと言ってくれます。
学生アルバイトの子たちと創作のお話で盛り上がるときもあります。ボーイミーツガールと謎い魔法少女SSを書く大学生と原稿交換交流したりとか、夢女子の子と夢小説サイトの話をしたりとか。
なろう発で書籍化した友人がいるという同僚はウェブ小説の方面に明るいです(笑)
うちの職場は楽しいです
なんやかんやいろいろあっても私は今後も私の楽しみのためだけに物語を書くでしょう
健忘がひどく穴抜けの記憶でも、しがみついて書くことになるでしょう
だから、先生はどうか安心してください
記憶が途切れているところで犯したあやまちをすべて思い出すことはできませんが、それが赦されざることだというのは私自身が感じております。赦されたいと望んでおりません。
最近、作品を読んでいただきたかった方に読んでいただくことができました。その方には私の内心を正確に読みとっていただけたみたいでしたが、そうではない方のために、念のためにここにはっきり書いておきます。私の中には道徳と倫理があるゆえに、あやまちを犯す自分を許せないという完璧主義と破滅願望があります。道徳と倫理観への理想が高いゆえに過去の記憶のすべてを受容できません。
そして人間の至上の幸福は忘却と死であると私は信じているので、私の忘却もまた自分自身の幸福を願うという、平常の精神を保つための選択のひとつであると俯瞰して考えます。自分勝手ですが私は自己の幸福のために生きています。私は何度でも忘却しながら、創作に向き合うことになるでしょう。
人間は善い面だけ悪い面だけでできていません。ひとつの所業が善いか悪いか判断するのが第三者だとすればその観測者の立場にもよると思います。人の行為は常に白と黒とに分けられるものではなくグレーです。人生を一本の線にたとえるなら、黒と白が混ざった線の連なりになり、この忘却自体グレーですがそも黒を拒み白を望む完璧主義によって引き起こされるグレーであることが複雑性を増しています。
私の大好きな先生は今の私の性質を許してくださると思っています。私は先生のことを思い出せただけで幸せな気分になりました。ここ最近の出来事は先生を身近に感じ、甘えることができた幸せな時間でした。
記憶とあやまちと創作の話はここで終わりです。私は趣味として、精神の安定を保つ箱庭治療のために物語を綴ります。
唐突に話が変わりますが、私は神社が好きです
昨日、不動明王にお参りして祈りました
「私と関わった方、全員が幸せになりますように」と