[P-005-令嬢と御渡り]
「あれは私の父なのです」
重苦しい空気を纏わせながらリカルドが言った。
「お父上…」
「はい。一応血の繋がった父です」
義理ならまだしも、実の父という事に少し驚く。
「ゾーイはグランドル家の一人娘だった私の母、クラウディアの婿として親戚筋から迎えました。そして私と二つ下の妹クラリスを儲けましたが、私が6歳の頃母が亡くなると、親戚筋だった事もあり正式にグランドル公爵となりました。その後ひと月もしない内にあいつは妾だった女と、その女が産んだ息子と娘をグランドル家に入れ、そして正式な後継の私が邪魔だったのでしょう。私が8歳の時に後継の資質なしとして教会に追い出したのです。以後10年、私はここで勉強と修行をしてきました」
…くっそ重い話だった。
「自分で追い出しておいて、都合のいい時はグランドルを持ち出して利用する、そういう男です」
…恨み骨髄だよ。
「そんな話、私にして大丈夫ですか?」
物語の話なら気軽に頑張れ負けるなと簡単に言えるけれども、現実に苦しんでいる人が目の前に居るというのは何とも辛い物である。どんな顔をすれば、どんな声を掛ければいいのか判らない。
「皆知っている事です。秘密でもなんでもありません。正式な手続きを踏んでいますし、子供だった私達に同情こそすれ、手を貸す義理もない。それに相手は公爵。同情だけで刃向えるような簡単なものでもありません。近付いてくる者も居ましたが、それも結局公爵家の力を利用して今度は自分が同じように乗っ取ろうとするような輩ばかりだった」
それもあの男に潰されましたけどね、と苦々しく笑った。
…あの宰相、宰相になるだけあって意外とうまく立ち回れるんだ。昨日の、あのすぐ怒る様からは想像がつかないな。計画通り公爵家簒奪して調子こいちゃってるのかな。俺様に怖い物はないんだぜぇ状態か。下手したらリカルドの母ももしかして暗殺…なんていう想像までしてしまっていた。
「あの、妹さんは…」
そんな奴の元に、女の子一人残して大丈夫なのかが気になった。
クソな親父と愛人と、その子供に乗っ取られた家に、一人残される女の子。
アウェイなんて生易しいものじゃないのでは…とまたしても想像が妄想の域に達する。
悠里は昔から妄想が得意だった。
「クラリスは、今は教会で私と共におります」
妹の話をした途端、彼の目が陰った。
無力感に捕らわれている、そんな目だった。
「ユーリ様、妹に、会ってくれませんか?貴方様たちに会えれば少しは元気に…あ、いえ、申し訳ございません。お忘れ下さい。これでは御使い様の力を利用しようとしたあの男と変わりない」
最後はとても小さな呟きで、自分に投げつけている様な言い方だった。
「本日はこの大聖堂の神域に行ってみませんか?御使い様が降臨された時は意識がありませんでしたしご覧になってみて欲しいです。この国、ローンデルヴァイト王国の霊脈が集結している所です」
辛い心を隠すように、努めて平静を装った、むしろ明るい口調で悠里に訊く。
「その後は、この大聖堂や王都の街並みも見学しませんか?ご案内しますよ」
にっこり笑って言う。
その心遣いがありがたく、少しでも力になりたいと思った。
何せ目の前に居るリカルドはとてもしっかりしていたが、まだ18歳。なんなら自分の子供でもおかしくない年齢の子なのだ。
「そうですね、ではその神域を見てみたいです。それとクラリスさんも私と景虎に紹介して下さいな。私、ここに来たばかりだし、お友達になれるかもしれないです」
その言葉を聞いたリカルドは一瞬顔をこわばらせたが、すぐに解け、泣きそうな笑顔で頷いた。
「はい、ありがとう、ございます」
「まぁお礼を言われるものじゃないですよ。私も誰も知り合いのいない所に来たので、親しくしてくれる方が出来るのは嬉しいです」
神域という所は字のごとく神聖な場所で、地下にあるそこは普段は出入りを厳しく制限されているのだが、今回はユーリの願いでもあるのでクラリスも入るのを許された。
豪華な彫刻が施された、人が横に5人は並んで入れそうな程の大きな扉が開くと、そこは洞窟になっており、中心に泉が湧いていた。中の水は聖水なのだそうだ。
周りは極力人の手を加えてないらしく、ごつごつとした岩肌だ。
しかし泉を囲むのは岩ではなく水晶だった。
日の光が入っていないのに、それらは光っており、よく見ると水晶の中で光の粒子が舞っている。
「綺麗…」
ひんやりとした空気なのに、泉の周りだけ暖かい。どうやら水晶が光と共にぬくもりも与えている様だった。
そしてこの聖水というのはこの世界のあらゆるポーションの材料のベースとなるものなのだそうだ。聖水は教会だけではなく一応外の聖域などからも湧いてはいるのだが、それも霊脈とつながっている。そして霊脈の乱れている今、聖水の量が少なくなっているとのことだった。
確かに囲む水晶の様子から見ると、水位は下がっている様に見えた。
ただそれにも関わらず、静謐な雰囲気を生み出してはいたが。
その泉を一人の少女が暗い目で見つめていた。
悠里はその少女を見て、ため息を吐きたくなるのを堪えていた。
少女はとても美しい顔立ちをしている。アーモンド型のすこし吊り目がちだが豊かなまつ毛に縁どられたアイスブルーの瞳。金髪の巻き髪はたっぷりとして、まるで輝いている様だった。
しかしその表情はとても暗く、この美しい眺めにも心が動かされる事がない程に絶望している。
(重いわ。軽い気持ちで会ってみようとか言うんじゃなかった。こんな自分の事もままならない私の様なものが力になるなど 烏滸がましかった。私のバカ)
あからさまにジロジロ見ないように気を付けたが、一目見た時は心臓が跳ねあがるほど動揺した。
少女、クラリスは今、車椅子に乗ってここに居る。
簡素ではあるが仕立ての良いドレスの裾の先からは、片足しか出ていない。
彼女の足は膝の下、ふくらはぎの辺りから失われていた。
魔物に襲われ、喰われてしまっていたのだ。
名家の子女が、その身を欠損するという事がどういう事なのか、この世界の貴族の常識などが、どういうものかを知らない悠里でも何となく想像はつく。一般市民、平民にとってはもっと死活問題だろう。だが一人の人間が味わうものは、どの身分であっても辛いに違いない。
まさか平民だったら食べていけない所だったよ、よかったね貴族で。などとは言ってはけない事位、いくらなんでも判ると言うものだ。
(重いよ…空気が重い)
そんな風に内心悶えていると、景虎が悠里の腕の中から飛び降りて、泉の中に入っていった。
「景虎っ!?危ないよ」
そう言って抱え上げようと手を伸ばした瞬間、泉全体が輝きだした。
「!」
「なっ!」
「何ですの?」
悠里は導かれる様に景虎が居る泉の中に降りる。
泉の水は、入ってすぐはとても冷たく、でもすぐに心地良いぬくもりになって悠里の足を包んだ。
(なんだろう、水の中なのにふわふわする。ああ、それに何か来る?ああそうだ、待っていたものだ。おいで、今度は幸せになろう)
咄嗟に両手を組んで祈った。辛い事は忘れ、今度こそはあたたかく、優しいものに包まれますように。
景虎と悠里の周りの水が徐々に渦を巻いて、光の量も多くなっていく。
「来た」
そう口にした瞬間、光はかつてない程膨れ上がり弾けた。
その場にいたリカルドやクラリス、少し離れた所に居た教皇も目も開けていられない程の光で、神域全てが白金に塗りつぶされた。
「にぃ~にゃぁ~にゃあ」
「わっわわわ」
子猫の鳴き声に、悠里は必死に目をこらす。
まだ光はおさまっていないものの、徐々にその光に慣れてくる。悠里と景虎の周りの水が渦を巻いたまま、足元に現れた子猫たちを避ける様に囲んでいるが、光が薄くなってくるにつれ、その渦の幅が狭まり悠里たちの方へ戻ってくる。
「早く!この子達を受け取って!」
悠里は、小さくてふにゃふにゃな、まだ心許ない子猫を抱えてリカルド達に渡していく。
「はっはい!え?これは?」
リカルドも言われて反射的に子猫達を抱えていく。教皇も慌ててその中に入り、もうすでに猫まみれになっていて、他の司祭たちを呼んでいた。
「待って下さい。どうしたらいいんですの?この子達は一体」
「話は後!溺れちゃうでしょ!」
「はいっ!」
悠里は困惑しているクラリスにも容赦なく子猫を渡していく。座っている膝の上にぽふんぽふんと乗せていき、クラリスは膝から落ちないように、もぞもぞうにうにと動く子猫を必死に抱きとめていた。
教皇に呼ばれて神域に入ってきた司祭たちも、この様子に驚いたものの、言われるままに子猫を受け取って行き、全てをようやく泉の中から拾い上げ、景虎と共に泉から出ると聖水は渦巻くのを止め元に戻った。
「ユーリ様、このものたちは一体?」
猫を両手いっぱいに抱えながら教皇が問う。
「えーと、猫です」
「ネコ…?」
この世界に猫という動物がいないのか、猫と言っても通じなかった。
「霊獣の眷属にゃよ!大事にしてにゃ!」
「おお、霊獣様の眷属…」
司祭たちも子猫を抱えて感動している様だった。
「ちょっと、景虎ちゃん、何でこんな事判ったの?それにこの子達30匹はいるけど…」
こそこそと景虎の耳元に小さな声で訊く。
「神様から教えてもらったにゃ。子供たちはホントはもっといるけど今は神様の所で魂をやすめてるにゃ。あとから少しずつくるにゃ」
悠里も景虎の他に2匹抱えている。うにうに動く子猫につい、にまぁ~と笑いそうになる。むしろもう笑っているのだが、これ以上崩れないようにしていた。本音は全ての子猫を体中に乗せてじっと寝転がっていたかった。
あこがれの猫まみれである。
「教皇様!ご覧ください、あれは…」
司祭の一人が指を差す所を見ると、泉の真ん中に大きな水晶がせり上がってきて、その中心から水晶自体を覆うほど勢いよく聖水があふれ出ていた。
中心の水晶は泉を取り囲んでいるものと同様に光る粒子が舞っている。しかしそれは他とは比べ物にならない位、銀や金、七色に色を変えながら光を放っていた。
「なんと美しい…。それに聖水が、かつての量、いやそれ以上に湧き上がっている。おお、奇跡が…これが御使い様の御力なのですね」
今にも全員が跪きそうな勢いだったので、悠里は慌てた。自分よりも年上(元の年齢)の人達に崇められるのは気まずい事この上なかった。
「聖水元に戻ってよかったです!あの、この子達を落ち着ける場所に連れて行きたいんですけど、私がいる部屋に運んでもらっていいですか?」
ぴあぁ~にゃ~と鳴きながらうにうにうろうろする元気な子猫をはやく安定した場所へ連れて行きたかった。
何しろこの神域は岩肌もそのままで、所々に水晶が突き出ているので子猫が動き回るには危険だった。
急いで皆で抱えながら部屋に行く間に、悠里はクラリスの様子も目に入れていた。
膝の上で動く子猫をなんとか腕で落ちないようにしている。そして車椅子は一人で動いていた。なんと階段も浮き上がって移動しているのだ。
(ああ、魔法で動かしてるんだ。風の力?すごい、まるで超能力みた…あ、魔法だもの『超』能力っちゃ超能力だよね。私も出来るかなぁ。空飛びたい。あ~でも可愛い子が可愛い物を一生懸命に落とさないようにしてるの可愛い。あんまり小さいから手でつかむのもおそるおそるって感じだ。でもとっても優しく扱ってる)
子猫の爪はとても細くて鋭い。きっとちくちくと痛いに違いない。でもクラリスだけじゃなく、皆が嫌がるそぶりもなく大事に抱えている。それだけで悠里は嬉しくて仕方なかった。
部屋に着くと、石造りの床では冷たいだろうと、絨毯を敷き、どこかに行ってしまわないように、ぐるりと囲む柵を用意してもらい、中に入れると皆ようやく一息つく。
今その囲いの中には悠里と景虎、リカルドに車椅子からおろしてもらったクラリスが座っている。
子猫たちは鳥の肉を柔らかく煮た物を細かくしたご飯をにゃーにゃー鳴きながら食べている。
「美味しい物いっぱい食べるんだよ~」と語りかけながら、悠里は食い入るように見ながら世話をする。
(あ~かわいいかわいいか~わ~い~い~)
今や頭の中にそれしかなかった。景虎も、頭ごとご飯につっこんで夢中で食べている子猫の口の周りを舐めてあげたり、他の子にはじきとばされた子を元に戻して「仲良く食べにゃさいね」と言ったりと中々の面倒見の良さを発揮している。
その様子を見て、見よう見まねでクラリスも、絹っぽい高そうなハンカチで拭いてあげたりと、たどたどしい手つきながらもお世話をしている。
「かわいい…」
ポツリとクラリスが呟いた。
その言葉を聞いて、悠里もだらしない笑顔をさらにだらしなくして、
「でしょー?」と頷いた。
「クラリス…」
あまりにも小さくて、手を出すと潰してしまいそうだと言って柵の外で控えていたリカルドが、クラリスの様子に目を瞠った。
ここしばらくは、感情を失った様子で殆ど口も利かず、部屋から見える景色をただ見つめるばかりだったのだ。
それが今、眷属である『ネコ』というものに触れて、マイナスではない感情を出しているのだ。
これが神の力というものなのだろうか、とユーリ達御使いを縋る様な思いで見つめる。
「あ、あら、どうしましょう、登ってきてしまいましたわ」
ご飯を食べ終わった子が一匹、クラリスの膝の上に登り、更に上へと進んでいる。
「あはは元気だねー、さあ、クラリスさん、抱っこしてあげて下さいな」
はちわれ模様の白黒の猫は、今や胸元まで登ってきている。
「まぁ、変わった毛の模様ね。まぁなんて小さい爪でしょう」
「鋭いから気を付けてね。引っ掻かれちゃうよ」
そういう悠里の手はもう既に何匹かに小さな傷をつけられている。
悠里が触りまくっている所為でもあるが。
「はい、気を付けます。あ、大変ですユーリ様、こちらの子倒れてしまいましたわ」
ご飯を食べ終わり、側にいた子とじゃれあってた子が急にぱたんと倒れ、クラリスは悠里に助けを求めた。
「うん、お腹いっぱいになって遊んだから疲れて寝ちゃったんだね。この位の小さい子は急にぱたんと寝ちゃうから」
「そうなんですのね、驚いてしまいましたわ」
それから柵の隙間から無理矢理出ようとするのや、柵をよじ登ろうとしてぽてんと落ちる子、ご飯に顔を突っ込んだまま寝ちゃっている子に、クラリスは過剰に反応しては悠里が説明して宥めていた。
そうこうしている内に、子猫の殆どが眠りについた。
団子になって寝ている様子に、悠里もクラリスもうっとりと眺めていた。
「なんて可愛いのでしょう。見て下さい、ユーリ様。この子わたくしから離れませんわ」
とても嬉しそうに子猫の小さな額を指先でそっと撫でていた。
一番最初にクラリスの膝の上に登ってきたはちわれ模様の猫は、その指が気持ちいいのか小さくゴロゴロと喉を鳴らしている。
「ユーリ様、この子から鳴き声じゃない音が聞こえてきております。どこか悪いのでしょうか」
「ああ、大丈夫大丈夫。その音は気持ちが良いと出るの。喉がなってるんです。クラリスさんの指が気持ち良くて、安心してるんですよ」
「そうなのですか、まぁ…」
小さな命が、自分の膝の上で全てを預けて眠っている。その事にこの上ない喜びがクラリスの胸に湧き上がっていた。
「それじゃあ、クラリスさん、この子は貴方に任せてもいいですか?」
「え?」
きょとんとして、クラリスが悠里を見つめた。
「教皇様や、司祭様達にもお願いがあります」
そこで猫たちを見守る様に同じ部屋にいた教皇と、何名かの司祭達にも声を掛けた。
「何でしょうかな?」
「この子達は、神様の元から霊脈の浄化の為、私の助けになるべく遣わされました。そして聖水を運ぶと共に殆ど力は使い果たし、ここに現れた時点で余生と言っても過言ではありません。私は霊脈の浄化の他は特に使命も能力も持っておりませんし、昨日の方の言う様に聖女などではありません。そしてこの子達も繁栄をもたらす豊穣の使いでもありません」
目を伏せて重々しく言う。
「そんな、霊脈の浄化に、聖水の復活。それだけでも充分なのですよ。御使い様。私どもはそれ以上の神託は授かっておりませんし、それ以上を求めてもおりません。不心得者には私共も厳しく諭していきます」
深刻そうな悠里の言い方に、教皇たちも慌てて答える。
「ありがとうございます。それでも私たちが今後霊脈の浄化をすれば同じように眷属としてこの子達は遣わされます。そうですね、それ程長くない寿命ではあるのですが、こちらに顕現した後の面倒を見なくてはならないのです。それをお願いしたいのです」
悠里はシリアスな顔と、もったいぶった言い方で、猫の里親募集をしていた。
貰い先の選定は大事なのである。
大事にしてもらえる人に渡すのが本当に本当に大事なのである。
「我々に霊獣様の眷属を与えて下さるのですか?」
意外と光栄です!といった感触に、悠里は驚きと安堵の両方が訪れていたが、顔には出さず神妙な顔で頷いた。
「はい。眷属と言っても力は聖水を運ぶのに殆ど使い果たしました。もうただの獣といっても過言ではありません。それでもよろしいですか?」
「もちろんです」
迷いのない言い方に、悠里もようやく笑顔になった。
ここへ来てから教皇たちが見る、初めての笑顔だ。
神に作られた悠里の顔は本人の自覚以上に美しい物だった為、皆聖母を見る様な眼差しで見惚れていた。
「ああ、ひとつだけ間違いのない力がありました。それは“可愛い”というものです。見るだけで癒されるんです!」
悠里の精一杯の「可愛い笑顔」で断言した。
悠里は猫の貰い手をゲットした。
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聖水と猫の事はうっすらなんとなく判っていたりはったりだったり。