[P-003-求めしカミ]
目の前にはでっぷりとまではいかないまでも、そこそこの肉付きの装飾華美な男が偉そうな態度でソファーにふんぞり返っていた。
「…?」
悠里は応接室に呼ばれこの男と対面していた。
侍女(教会で働く女性を何と呼ぶか知らない為こう呼んでいた)の方が申し訳なさそうな顔で呼びに来て、この部屋に入ると渋い顔をした教皇と、何人かのお偉いさんの様な人の後ろの方に先程話をしていたリカルドが居る。
「おお、貴方が聖女様なのですね?我が国にとってこれは素晴らしい僥倖だ。貴方のお世話はぜひ公爵家である我がグランドル家で致しましょう」
その言葉に教皇はますます苦虫を噛み潰したような顔になる。
悠里も処遇を勝手に決められそうな様子に眉を顰めた。
「さぁ、馬車を待たせております。歓待の宴も開かせますぞ」
「嫌ですけど」
何かまだ滔々と話をしそうな何とか公爵の声を切る様に悠里は言った。
「は?」
まさか断られるとは思っていなかった男はぽかんとした顔で声を漏らした。
「教会の方々が出て行けと言っているのでしたら判りますが、何故わざわざ移動してそちらに行かなくてはならないのですか?あと宴は必要ありません。沢山の人に囲まれるのは私は苦痛なので」
悠里ははっきり言って疲れていた。
むしろ御飯もいらないから眠りたかったのだ。
故にとても苛々していた。
その上『聖女様』と持ち上げてる割に、どこか人を見下すようなこの男が気に入らなかった。
「し、しかし、教会ではゆっくり出来ますまい」
「いいえ、教皇様はもちろん、そちらの…アンネローザさんとおっしゃるのね?アンネローザさんにも、リカルドさんにもとても良くしてもらっておりますので心配には及びません」
侍女の方はアンネローザと名のり、控えめに笑うと頭を下げ後ろに下がった。
悠里も苛々を押さえ、社会人必須の営業スマイルを浮かべ、何となく高貴っぽい口調で返す。
「リカルド…?ああ、お前がおったか。ふん、こういう時は役に立つな。ならばリカルドも一緒に行かせよう。お前もグランドル公爵家の端くれならば我が家の役に立て」
そう言われたリカルドは一瞬、視線でこの男を殺せそうな目をして睨むと口を開いた。
「いえ、私はグランドル家を出て教会に籍を置いておりますので、こちらでユーリ様をしっかりと御護り致します」
そう言うとうっすらと笑みを浮かべて返す。
「…っな、何を…貴様っ…、宰相でもあるこの私に逆らうのかっ!いいから聖女様を我が家に連れてこいっ!!」
その笑みに侮蔑の色を感じたのか、男は激昂して叫んだ。
「ゾーイ様、それくらいに…あの、ユーリ様もお疲れですのでここは…」
「ええい!黙れ!」
男は諌める教会の司祭を突き飛ばすように立ち上がって、悠里に近付き手を伸ばした。
「ッシャ――――――ッ!!!」
その瞬間、景虎がこの男程の大きさになり、威嚇の声を上げた後、爪を振りかざした。
爪はテーブルの端を捕えたが、そのまま振り下ろされるとまるで柔らかい物でもあったかのように斜めにスパッと切り落とされた。
「ひっ」
テーブルの材料は木だったが、それなりに厚みはあり、生半な剣や使い手の者ではこのような切り口になる事はない鋭さだった。
「れ、霊獣様…」
景虎はいまだギラギラとした目で男を睨みつけており、口元から牙を覗かせて小さく唸っている。
「宰相様とおっしゃいましたね。それではあなたは国王様の命令でこちらに来られたのですね?私の今はこの場に留まりたいという意向を無視して連行する様にと、この国の王がお決めになったという事でよろしいですね?」
悠里は唸る景虎を止める事なく、無表情で見つめて問う。
“意向”を“無視”して“連行”という、何気に厭味を乗せていたが。
「あ、いや、そうではない、のだが」
ゾーイ宰相が言葉に詰まって一歩下がった。
教会には様々な家から人が集まっている。故に宰相に繋がる信者がこの男に情報を流し、宰相は『聖女』を家に保護しているという名誉を手に入れあわよくば利用しようと画策して強行してきたのだ。
「まぁ、そうでしたの。貴方の一存での御親切でしたのね。でもごめんなさい。私もこの子もとても疲れておりまして。貴方の私を歓迎して下さるお気持ちはとても嬉しいのですけどもう一歩も動けそうにありませんわ。これでこの国の王様の命令で連れて行かれるのでしたら、私悲しくて神様にご報告してこの国から去ろうと思ってしまう程ですわ」
その言葉を聞いたゾーイ宰相は慌てて「これ以上聖女様を疲れさせてはいけないですな」などと言い、教会からそそくさと去って行った。
ゾーイ宰相の出て行った扉を少し虚ろな目で見つめ、
「あら、私『聖女』ではないですよって言い忘れた…それに、厭味を言うと疲れるわ…」
小さくため息を吐き、椅子に座り込みむと勝手に神様の名を利用してすみませんと内心謝った。小心者なのでたとえ心で口汚く罵倒しても、実際に口に出して相手にぶつけるのは怖いものだ。
「申し訳ございません、ユーリ様…」
リカルドがまるで歯を食いしばってようやく出した様子で言った。
「気にしないで下さい。別に貴方の所為じゃないでしょう?」
「しかしあの男は…」
なおも言い募ろうとするリカルドを手で遮る。
「いいのです。ただ貴方が嫌でなければ明日にでも訳を話してくれると嬉しいです。何も知らないままじゃ、下手な事をしておかしな事になりかねないですし」
利用されるのはまっぴら、と言う様に目を一度強く瞑った後立ち上がった。
「教皇様もすみません、そちらに何も訊かずお断りしました。それとテーブルも…」
それなりに高そうなものだったので弁償できるか気になっていた。
「いえ、むしろユーリ様の手を煩わせてしまいました。無論こちらもお断りするつもりでしたのでお気になさらないで下さい。国の政治と信仰は別の物なのですが、心得違いをする者は一定数おりますでな」
ちらりと誰かの顔を見て言った。おそらくゾーイ宰相にリークした者なのだろう。
これ以上はたとえ国王様でも通さないとまで言われ、悠里はようやく部屋に戻った。
部屋に着くと夕食が用意されており、先程は何も食べなくてもいいから眠りたいと思っていたものの、この世界に来る前は夕食前だった事もあり、それを見れば途端に空腹を覚え、有難く頂く事にした。給仕も断り、景虎と二人だけにしてもらう。
「景虎ちゃんのご飯はどうしようか。何か用意してはくれてるけど、これって薄くだけど味付けしてるよね。食材もよく判らないし。玉ねぎとか食べちゃいけないもの系が入ってたら困るな」
この世界の食べ物が地球とどう違うのかも判らない為、景虎の食事をどうしたらいいか困った。変な物を食べさせて猫に毒だったらと思うと迂闊にあげられない。人間用の味付きの物は論外だ。
「僕食べられるよ!」
「え?そうなの?」
「うん、神様においしくごはんが食べられますようにってお願いしたでしょ?だから悠里と同じもの食べても大丈夫になったにゃ!今度連れてくる仲間たちもみーんなおいしくごはんが食べられるにゃ!」
どやっという顔で景虎は悠里を見上げた。
そしてごはんを早く食べたいっという顔をした。
「そっか、よかった。この世界にキャットフードなんてないもんね。前見た手作りごはんも、地球のキャットフードに比べるとバランスはどうしても及ばないって言うし。じゃ、景虎ちゃんは私と同じものが食べられるんだね。いっぱい美味しい物食べようね」
「食べるにゃー!」
景虎が喜んでいる事で、元気を出した悠里はさっそく夕食をとる事にした。
煮込んだ肉と野菜のシチューの様なものと、何の肉と何の魚か解らないが塩とスパイスで味付けをして焼いた物と日本のよりは固めのパン。後は何だか判らないがおそらく果物を絞った飲み物だった。
少し強めの味付けに、普通の水が欲しいと思いながら温めの果実水で流していく。果実水は優しい甘さの、葡萄の様な味で冷えていればもっと美味しかっただろう。
「景虎ちゃん美味しい?」
「お水が欲しいにゃ」
奇しくも同じ感想になってしまったと思い、一緒に付けられていたポットの中身が普通の水だった事に安堵して景虎と分け合った。
食べ終わり、片付けてしまうと後は寝るばかり。明日からどんな事が待ち受けているか不安はあるが、何とか景虎と乗り越えていくしかない。
「と、その前にトイレトイレ」
場所は簡単に説明を受けていたので、その扉を開ける。
そして閉めた。入らずに。
「…」
どうしていいか判らなかった。トイレは判る。いわゆるボットン便所だ。どうやってまたぐのか微妙ではあるが、それはいい。
問題はトイレットペーパーだ。いやペーパーではないのが問題なのだ。
布だった。
布が置いてあって、それで拭けというようなのだ。
判るんだ。判るのだ。中世。マリーアントワネットの時代はなんとトイレがなく、その辺の庭に垂れ流しだったと。本当かどうかは知らないがヴェルサイユの庭はトイレだったと言っても過言ではないかもしれない。そしてハイヒールはウンコを踏まない為に出来た代物だというのを。それより前か、別の国(日本含む)だかではなんと板を利用していたというのを聞いた事があるのだ。
判るのだ。文化は中世くらい?と神は言っていた。嘘など吐かれていない。
でも…。
「うわぁ~無理無理無理無理。あの布って殺菌してんの?その布使った後置いておくの?後で洗うの?誰が?どうしようどうしよう。トイレットペーパープリーズ!現代日本のトイレプリーズ!ウォシュレットなんて贅沢言わない!紙を!我が家のトイレを!今ここに――――っ」
焦りながら叫ぶ。その途端、見慣れたドアが目の前に現れた。
ドアだけが佇んでいる。どこでもドアよろしくぽっかり浮かんでいた。
「え…まさか…」
おそるおそるドアを開けると、そこは悠里が暮らしていた家のトイレだった。
「…」
普通に入って普通に用を足して焦がれていたトイレットペーパーを使用し水を流した。
「…」
パタンとドアを閉めると、ドアは消えた。
「うん、神様ありがとう」
誰に見せるでもないが、頷いて爽やかな笑みを浮かべる。
これはアレだ。四つ目の願い。財産だ。
悠里が地球で住んでいた家は、北海道に平均的にある一戸建ててある。両親が住んでいた家を相続したもので、一人で住むにはちょっと大きいと思っていた家だった。
2階建てで、1階に居間・キッチン・トイレ・バス・両親の部屋と客間。2階に2部屋あり、ひとつは物置となっていたが、一つは悠里の部屋だった。二親が亡くなった後も片付けはしていたが荷物はまだまだいっぱいで、物置だった一つをようやく本だけを置く部屋に改造し図書室だ、と贅沢気分を味わっていた。
「松橋家、を呼び出したらこの部屋からさすがにはみ出る。さっきのトイレみたいに部分召喚」
玄関を思い浮かべて、松橋家松橋家、と呟く。
間もなく今度は玄関のドアが現れた。北海道によくある硝子のフードが付いた玄関だ。
「ふおぉ」
中に入って色々と見て回る。それは慣れ親しんだ家だった。死ぬ寸前と何ら変わらない家がそこにあった。
窓から見える景色は所有する敷地内の庭までで、それ以上先は白くぼんやりしていて何も見えなかったが、庭木はそのままで春先に植えた花と、プチトマトやキュウリが実っている。
「あ!車がある!」
自分の部屋の窓から車が見えた。一昨年買い換えたワゴンタイプの軽自動車。特にこだわりもなかったので前の車を購入したディーラーに行って即決して一括で買った車だ。
「え、もしかしてこの世界で車乗れるの?オーバーテクノロジーも甚だしくない?いや、御使い様の不思議パワーでいけるか?」
この時代の馬車で世界中まわるとかよりはいいだろう。たぶんサスペンションもないし、馬はそんなにスピード出して馬車も曳けないし、動ける時間もそれ程多くないのだ。隣の町まで3日とかはざらにある。道の出来が判らないのでそこは不安だが。
「あ、でもガソリンないか。それにトイレットペーパーも家の在庫使い終わったらもうない。どうしよう、まじか…トイレットペーパー」
買えない、と絶望感に捕らわれていると、突然パソコン画面が立ち上がった。
「わ、何?」
ネットに繋がっている筈もないのに、画面が変わりネットショップになった。
「kamizon…」
見た事のあるようなロゴを模したネットショップ。しかし熱帯雨林ではなく神ZONEだった。そこに悠里がよく買っていたメーカーのトイレットペーパーが載っている。
「よし。買ってみよう」
数量を1と入れて購入ボタンを押す。すると足元に商品がポンッと現れた。
「すごい。あ、代金。代金は?」
画面にはちゃんと値段が載っている。それはどこから取られるのだろう。財布の中身がいつの間にか減っているのだろうか?
「あ、引き落とされましたってメールが届いている。もしかして…」
通帳を探して見てみると、そこにはいつの間にか引落先が書き込まれており、商品代金が差し引かれていた。
通帳も、悠里は複数持っていたし、定期にも入れていた。親からの遺産・保険金も相続していたのでそれなりの額がある。それらが全てまとまって残金になっていたのだ。
「通帳の銀行名、よく見たら『ヴァトリスバンク』になってる」
そして引き落としたというメールに、まだ別の文章があるのに気付く。
『このショップでは悠里が今までの人生で購入した事のあるもののみを買う事が出来ます』
「おお、トイレットペーパーがこの先も買える。神様ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
涙を流さんばかりに喜んでいた。相当布が嫌だった様だ。
感動しつつメールを閉じるとパソコン画面に文字が現れる。
『このパソコンは、悠里が過去呼び出した事のある情報のみ閲覧出来ます』
「そっかぁ。新しく知りたい事は検索出来ないのか。じゃあの続きはもう見られないんだね」
過去何を見た事があるか、考えてみたが、それ程大層なものを見た記憶はないのでどこまで役に立つか解らない。それに読んでいたネット小説の続きや、本の続刊は手に入らないらしい。そこだけはとても残念だった。
『ただし霊脈を浄化すると、悠里の求める動物と共に、地球の新規のものをポイントに合わせて取り寄せる事が出来ます』
「ままままじっ?!うわ、頑張る!頑張って浄化するよ!やった。やったよ。あの漫画や小説の続刊でしょー?あ、アニメも、来年二期が始まる奴も配信部分やDVDなら買えるのでは?」
悠里は中々のオタクだった。欲しい物がそれらというので判る通り残念な大人だった。
「神様!私頑張る!猫の為!この世界の為!」
しかしモチベーションはかつてない程爆上がりした。
そして景虎はそんな悠里を余所に、慣れ親しんだネコトイレでふんばっていた。