わたしの目星
「私でいいのか……?」
「もちろん。よろしく、ルークス君」
ルークス君は目を丸くしながらわたしを見ていた。それでも屈託なく微笑みかけると、ルークス君は小さく頷いてくれる。屈強なうえに言葉少なでとっつきにくい雰囲気だけど、根はいい人だ。
今日の最後の講義は体育で、内容は剣術だった。普段、わたしは体育を欠席して教室で課題をやっている。
それはニルスが病弱だからだし、さすがにしょっちゅう運動着で男の子達に混じって活動することに不都合を感じたからだ。
でも、たまには実技にも参加しないと成績が危ぶまれる。座学での代用にも限界があった。
講義内容自体は簡単だ。単純な準備運動で体を温めてから基礎の練習に入り、人形相手に剣の打ち込みをして、最後にペアになって模擬試合をする。それだけ。模擬試合の時間になって、教師の号令で生徒達が次々と二人一組を作っていく中、わたしも同じ寮の生徒に声をかけた。わたしと同じくぼっち仲間のルークス君に。
入学早々ロキ殿下に声をかけられたということで、わたしまで周囲から若干畏怖の視線を向けられるようになっていた。それはこの一ヵ月で嫌と言うほどわかっている。祖国にいた時から男の子達とよく一緒に遊んでいたので、男の子とかかわること自体は苦手でもなんでもないから、少し寂しくはあるけど……不用意に近づかれないというのは、男装を隠し通すうえで都合もいいので仕方ない。
ルークス君も、周囲から避けられるタイプの人だ。主に、体育の模擬試合限定で、だが。理由は簡単、彼が強すぎるから。
ルークス・ベルハント。ノルンヘイムの名門侯爵家の嫡男で、父親はそれなりの地位にある騎士らしい。ルークス君自身も、その血筋にふさわしい実力を持っている。
だから、誰も模擬試合でルークス君とはペアになりたがらない。誰だってこてんぱんにやられるのは嫌だろう。苦痛も挫折も味わうことのなかった王侯貴族の子息ならなおさらだ。
「手加減無用。こんななりだが、僕にだってプライドはあるからね」
木製の剣を構えて笑う。するとルークス君の口の端がほんのわずかに上がったような気がした。
強面の彼だが、ちゃんと笑うときは笑うのだ。ついでに、普段オールバックにしているその深い緑色の髪を下ろせば雰囲気が幼くなって年相応の見た目になる、というのも『記憶』を通して知っている。
ルークス君との模擬試合は、当然わたしの惨敗だ。同世代と比較するとかなりたくましいルークス君と女の子のわたしでは、まず勝負にならない。護身術程度なら身についているけれど、それは剣術の講義に持ち込めるたぐいのものでもないし。
手を抜いたり演技をしたりするまでもなく、決着はすぐについた。でも、周囲の誰もが「ルークス・ベルハントが相手なら当然だろう」という目をしている。うん、やっぱりルークス君をペアに選んで正解だ。
「すごいねぇ、ニルス殿下。よくうちの室長と組もうって気になったじゃん、勇気あるなぁ」
試合を終えて、ルークス君と礼を交わす。声をかけてきたのは糸目で青い髪のおかっぱ頭の少年、ボリス君だった。彼もわたしと同じヴィゾーヴ寮生で、ルークス君と同室だったはずだ。
「どうせなら、自分をより成長させてくれそうな人と組んだほうが有意義じゃないか。ありがとう、ルークス君。色々と学ばせてもらったよ」
「……そう言ってもらえるなら、ありがたい」
王族が掃いて捨てるほどいるこの学園で、わたしのことまで―からかい半分だとしても―殿下と呼ぶのはボリス君ぐらいのものだろう。背が小さくてやせぎすのボリス君はまだ十歳ぐらいに見えるが、わたし達と同い年の十四歳だった。
ボリス君と喋るようになったのは、入学から数日経った頃からだろうか。ボリス君は社交的な性格で、わたしにも物怖じせずに話しかけてくる。
すでに彼の交友関係はわたしやルークス君のような同じ寮だけにとどまらず、別の寮生や上級生のほうにも広がっているらしい。ボリス君は抜け目がなく要領のいい性格だから、人脈を広げることで利益を得られる機会を増やしたいのだろう。
鐘が鳴って講義が終わった。小さなボリス君を間に挟み、ルークス君と寮に戻る。しばらくボリス君とたわいのない雑談に興じていると、それまでずっと黙っていたルークス君が不意に口を開いた。
「ニルス殿。貴殿にこういうことを言うのは、おこがましいかもしれないが……」
「かしこまってどうしたんだい?」
ルークス君はまっすぐにわたしを見た。灰色がかった蒼い瞳がじっとわたしを見下ろしている。
「ユリウス殿下とロキ殿下にはあまり近づきすぎるな。あのお二方は――私達とは、違うんだ」
それだけ言って、ルークス君は足早に寮に戻っていってしまった。自分が言われたわけでもないにもかかわらず、ボリス君は「なぁにあれ、感じわるーい」と不機嫌そうに顔をしかめている。
「気にすることないよ、ニルス殿下。キミのことが面白くないだけでしょ。ロキ殿下の寮内兄弟ってことは、それだけユリウス殿下の目に留まることも多いわけだし」
「できればルークス君とも仲良くしたいんだけどなぁ」
寮に入ってボリス君と別れ、『記憶』を辿りながら自室に戻る。
「ユリウス殿下とロキ殿下に近づくな」、それは『わたし』もルークス君に言われた言葉だった。
『わたし』が誰かを選ぶ前……まだ誰かの分岐ではない、共通の時間。そこで、ルークス君は必ずそんな忠告をする。その真意は、彼が忠誠を捧げたユリウス殿下を神格化しているからで、ユリウス殿下と対等に渡り合えるロキ殿下のことも特別視しているからだった。
ルークス君にとって、突然現れてユリウス殿下達の気を引く『わたし』は日常をおびやかす異分子に他ならない。実際、『わたし』の目的は復讐を果たすことだ。彼の警戒は間違ってはいないだろう。
そんな風に最初はかたくなだったルークス君と根気強くかかわることで少しずつ打ち解けていくのが、ルークス君と恋仲になる場合の道筋だ。
ルークス君、そしてボリス君は『記憶』にも登場する、『わたし』の恋人候補だ。今は、わたしの婿候補と言える。
この学園にはたくさんの男の子達がいるから、篭絡しようと思えば誰でも狙えるだろう。けど、やっぱり『記憶』を通してすでに性格やら嗜好やらを把握できている人達のほうがやりやすい。
あと、単純に恋人候補達はずば抜けて顔がいい。あの五人は、それぞれタイプこそ違えど他の生徒に比べて格段に見目麗しい。もしも顔の造形で戦闘力が決まるのなら、間違いなくあの五人は最強だ。
例外はロキ殿下くらいだろう。ロキ殿下も、恋人候補に数えられるべきだったぐらいには顔がいい。というか、わたしはロキ殿下が一番好きだ。婚約者が既にいるのが惜しまれる。
五人の恋人候補達のうち、わたしが狙っているのは二人いる。そのうちの一人がルークス君で、もう一人がヴェイセル先輩だ。
一番権力があるのはもちろん帝国の皇太子たるユリウス殿下だけど、彼を婿に取ることは絶対にできない。わたし達が結婚するとしたら、フリグヴェリルの王女がノルンヘイム皇室に嫁ぎ、フリグヴェリルの王位もユリウス殿下が継承する……そんな形になるだろう。
どうせ女の子はフリグヴェリルの王様にはなれないし、王子を王様にする気もないから、王位継承自体はそれでもいい。でも、それだとまず間違いなくフリグヴェリルの自治権は奪われる。
ノルンヘイムの皇帝は、ノルンヘイムの王位の他にヘズガルズの王位も持っているという。それでもヘズガルズは独立した国として扱われていて、内情はどうあれノルンヘイムの属国とはみなされていない。
けれど、それはノルンヘイム皇室の姫がヘズガルズ王室に嫁いだからだし、何より皇帝はロキ殿下が成人するまでのつなぎとしてヘズガルズの王位を継承したはずだ。
甥の後見として国を預かるのと、花嫁の持参金として国がついてくるのでは全然違う。フリグヴェリルの場合だと、あっという間に飲み込まれてしまうだろう。
わたしが欲しいのは、わたしの言うことをきちんと聞いてくれる夫だ。わたしの代わりに王冠を戴き、フリグヴェリルにおんぶにだっこにならない程度の……むしろフリグヴェリルのために行使してくれるような後ろ盾も持っていて、かつわたしと一緒に国を治めてくれる人。それがわたしの理想だった。
ノルンヘイムの旗下に入ればフリグヴェリルは絶対に安泰だけど、独立した国ではいられなくなるに違いない。フリグヴェリルの国力を引き上げたいから他国の男の人と結婚したいのに、いくら守るためとはいえ乗っ取られてしまっては本末転倒だ。
その点、ルークス・ベルハント君なら問題ない。ノルンヘイムの侯爵家の嫡男である彼なら、彼自身の後ろ盾は十分だ。ノルンヘイム式の騎士の鍛え方をフリグヴェリルに広めてくれるかもしれないし。
それに、ルークス君は脳筋なので、政務をわたしに任せてくれる可能性が高い。わたしの代わりに王様を名乗りつつ、わたしに国政を取り仕切らせてくれるなんて最高じゃないか。
唯一の懸念は、彼の母親が帝国の属国の王族であることだろうか。
ベルハント家の人間と結婚することで、フリグヴェリルもノルンヘイムの属国になったと思われないといいけど。
コンラード・ラシック先生もルークス君と同じくノルンヘイムの貴族だけど、国主としてはどうなのかな、と思わざるを得ないタイプの人だ。親しみやすいと言えば聞こえがいいが、ようは軽薄すぎる遊び人なのだから。
コンラード先生は三人兄弟の末っ子で、一番上のお兄さんがすでに家督を継ぎ、真ん中のお兄さんがその補佐をしている。だから、先生は別の職を選んだのだと『記憶』にはあったけど……だからこそ、上に立つ者としての責任感はないように思える。教師として生徒を導くことと、君主として民を導くことは違うだろう。
だったらコンラード先生よりも、ヘズガルズ貴族のヴェイセル・ローフォール先輩のほうがいい。先輩はローフォール伯爵家の次男で、おじいさんはヘズガルズの宰相を務めている人だとか。政治的駆け引きの手腕は幼い頃から磨かれているだろう。
次男だから問題なく婿に取ることができるし、実務の能力も期待できる。なにせ『記憶』のヴェイセル先輩は、ロキ殿下に「一番信頼している文官」と言わしめた人だ。
少し口が悪くて冷たいところもあるけれど、親しくなればそれはただの照れ隠しへと変わっていく。唯一の難点は女性恐怖症気味なことだけど、彼の分岐はそれを克服させるためのものだった。問題はないだろう。
一方で、他国の成金貴族の養子であるボリス・アンディーズ君は論外だ。商家から成りあがった家を盛り立てたい、家格しか持たない他の貴族を見返したいというその上昇志向には共感する。けれど、彼には残念ながら権力がない。
『記憶』では、ボリス君はもともと下女を母に持つ私生児で、母親の死後に父親の認知を受けて引き取られたそうだ。当然と言えば当然だが、義母や異母兄弟には冷遇されているとか。彼自身の才能はともかくとしても、後ろ盾はないに等しい。
フリグヴェリル程度の小さな国といえど、数年前まで平民だった人に君主の座は重すぎるだろう。というか、わたしが王様として認めない。それでいいなら、初めからフリグヴェリルの人と結婚している。
ボリス君の家が一国の予算に匹敵するほどの財産を持つほどの大富豪ならまだ一考の余地はあったけど、そういうわけでもないようだし。もちろん友人としてなら、いい関係を築きたいとは思っている。でも、それだけだ。
というわけで、わたしが恋人候補達の中から花婿を選ぶなら断然ルークス君かヴェイセル先輩だ。
ルークス君は同じ寮だし、『記憶』と同様ロキ殿下を仲介にすればヴェイセル先輩とも簡単に会える。あとはカーレンとして、ニルスを通じて二人と仲を深めればいい。
ロキ殿下やユリウス殿下と良好な関係を築いて可愛い後輩の地位を確立しつつ、ルークス君やヴェイセル先輩と姉王女の仲を取り持ち、ボリス君とお互い目標のために切磋琢磨していく。もしボリス君が商人として頭角を現すなら、ビジネスパートナーとしていいお付き合いができるかもしれないし。
うん、完璧な計画だ。コンラード先生は世代が違うけど……まあ、人脈は幅広いほうがいいか。味方の教師を作っておけば、少なくとも学園内では便利に使えるだろうし。
ゆったりとした部屋着に着替えてベッドに飛び込む。入学から早一ヵ月、滑り出しは順調だ。