わたしの恋話
皇帝陛下のお墨付きを得られたし、定期試験の結果も上々だったので、とてもすがすがしい気持ちで夏季休暇を迎えることができた。
フリグヴェリルに帰って自然を満喫し、故郷の空気で羽を休める。フリグヴェリルは今日も平和だ。父様も母様も、わたしとニルスが元気かつそれぞれうまくやっていることにとても喜んでいた。ノルンヘイムとヘズガルズの庇護の傘は、フリグヴェリルの安寧を末永く約束してくれるに違いない。
対ノルンヘイム同盟にフリグヴェリルを加わらせなくて大正解だった。もしもあの時に使者を生きて帰していたら、きっとこの平穏は訪れなかっただろう。
強大な力は、味方につけるに限る。わざわざ敵対するなんて馬鹿らしい。
それを飲み込める力があるなら飲み込んでしまうのもひとつの手だけれど、ないものねだりなんて無意味の極み。無理して手中に収めるより、手のひらの上で転がしたほうがよっぽど楽だ。
「ねえ、カーレン。話したいことがあるんだけど」
「いいよ。じゃあバルコニーに行こう。今日は星がよく見えるから。きっと綺麗だわ」
今日は朝からいい天気。日中は山でハイキングをしてきたので、少し疲れた。でも、大事な片割れの頼みだ。いくらでも都合は付けられた。
バルコニー……というのは、わたし達が勝手にそう呼んでいる場所だ。
城のてっぺんにあって、昼間は洗濯物が干してある。別におしゃれな設備があるわけではないけど、風が気持ちいい。それに夜には誰も来ないので、空を見たいときや静かに話したいときにはうってつけだ。城内の壁、わりと薄いし。
音を遮断する魔具、わたしも個人で所有しようかな。高価なものだから、気乗りはしないけど……。
「僕、いつ死ねばいいかな」
膝を抱えて座るニルスは、いきなりそう切り出してきた。声音に悲壮感はない。明日の朝食のリクエストを尋ねるような、淡々とした素振りだった。
「卒業後のほうが都合がいいんじゃない? 早いほうが嬉しいけど、わたしの結婚式が近いと誰かが勘ぐっちゃうかもしれないから、そこは離したほうがいいかも」
「じゃあ、どれだけ早くても三年後か……」
ニルスは小さくため息をつく。「何が不安なの?」尋ねると、ニルスは顔を伏せたまま答えた。
「……先生、それまで待ってくれるかなって。先生は、卒業したら一緒に暮らそうって誘ってくれたけど……心変わりされないとは限らないじゃないか。だから、早く手に入れたいんだ」
幸福の証明を。愛する人の桎梏を、今すぐ手に入れたいと思うのは当然だ。
「先生と将来の話をするたびに、早くその日が来ないかなって思うんだよ。どうして今すぐじゃ駄目なんだ。本当に実現するかもわからないのに。だけどすぐに実行しちゃえば、少なくとも今だけはその幸せを味わえるんだよ? それなのに先生は、僕が学生だからって許してくれないんだ。先生だって心の中では、早く僕と一緒になりたがってるのに」
わたしだって、ロキ殿下が逃げ出さないように悦楽の檻に閉じ込めている。でも、ニルスの場合はその枷がない。コンラード先生が目移りしてしまわないように、確固たる軛はあるべきだ。
「どれだけ取り繕われても、僕には本音が聴こえてきちゃうからさ。たくさんたくさん待たせておいて、いざその時になったら飽きられて余所見されるなんてこと、絶対に耐えられないよ……。それなのにもし三年後に先生が心変わりしてたら、その残酷な本音はどうやったって僕に届くんだ!」
「ニルスの気持ちはどうなの? 先生と一生一緒で大丈夫? 三年後に心変わりしてるのはニルスのほうかもしれないよ。後悔しないって言いきれる?」
「考えてもわからない未来のことなんかより、今がよければそれでいい。今の僕は、先生がいいんだ。……未来のことを考えたせいで今の幸せを我慢した挙句、未来に幸せが来なかったら意味がないじゃないか。だったら絶対、今この時に幸せになったほうがいいよ」
知ってる。わたし達はそういうタイプだ。好きな食べ物は、断然先に食べるもの。だけどそれなら話は簡単。
「そっか。……なら、我慢なんてする必要ある? 今のこともこれからのことも、全部幸せなものにすればいいんじゃない?」
お皿の上のものを全部幸せなことに変えてしまえば、問題は解決なんだから。
「ちょっとずつでいいから、先生の全部をニルスで染めちゃいなさいよ。先生に捨てられるのが嫌なんでしょう? だったらニルスが卒業するまでに、先生をニルスなしじゃ生きられないようにすればいいじゃない。そうすれば、わざわざ今すぐに結婚しなくたって、愛されてるって実感できるわ。そういう風になっていく先生を見るの、きっと楽しいし」
ねえニルス。わたし達、そういうのって得意でしょ?
「そうだね。カーレンの言う通りだった」
ニルスはようやく笑ってくれた。安心しきった片割れの顔を見るとほっとする。やっぱり、大事な弟には幸せになってもらいたい。
わざわざお揃いのものを身に着けたり、呪詛めくように愛情を問いただしたりする必要はない。物や言葉に頼らなくても、頭と心そのものに結びつければいいだけだ。
たとえば場所。たとえば料理。同じ時間を共有すればするだけ、存在が心に刻みつけられる。たとえその場にわたし達がいなくても、似たような経験をした瞬間によぎる記憶にはわたし達の影がある。
胃袋を掴んだり快楽のスイッチを握ったりするのも、本質的には同じこと。愛する人が離れていくのが不安なら、愛する人自身に離れたくないと思わせるのが一番だ。決して自分からは離れられないように。
結婚という首輪をまだ嵌められなくても、精神的な束縛ならいくらでもできる。ニルスなら、きっとニルスなりの鎖を見つけられるだろう。もしかしたら、もうとっくに見つけているのかも。それできちんと束縛できるか……自分の考えが合っているか、わたしを通して確かめたいだけだったりして。
そんな相談ならいつでも歓迎だ。人の恋路に自分から首を突っ込む趣味はないけど、助力を持ちかけられるなら喜んで協力する。
「わたしはニルスのこと、応援するからね。ちゃんと幸せにならなきゃだめよ?」
「ありがとう、カーレン。やっぱりカーレンはすごいや。相談できてよかった」
星々の瞬きの下で、わたし達は未来の幸福を語り理想を思い描いた。どういう風に王子を死なせるか、今のうちから脚本の骨子を考える。細部はもっと実行の日が近くなってから詰めることになるだろうけど、下準備にかける時間が長くて困ることはなかった。
たとえ進む道が違っても、わたし達の行く末が祝福されたものだということに変わりはない。だってそうであるために、徹底的に道のりを整えるんだから。
目指すべきものはちゃんとわかっている。どんな手段を使っても、そこに辿り着ければそれでいい。邪魔なものは全部、全部取り除いて。利用できるすべてを利用して、輝く夢を掴んでみせる。
願いを叶えるためにお互い頑張ろうね、ニルス。