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俺の酩酊

* * *


 窓辺に腰掛けワインを呷る。無事に舞踏会から生きて解放されて、愛しい牢の園に帰ってくることができた祝杯だ。


 カーレン嬢に虐めてもらうと快楽がもたらされるが、伯父上のアレは……なんというか、ひどく痛くて苦しそうだからな。

 伯父上はひどい嗜虐嗜好の持ち主だ。伯母上と出逢うまでは、処刑も拷問も日常茶飯事だったらしい。敵対者はもちろん気の置けない身内でさえも、その毒牙にかけていたとか。そんな伯父上の心を射止め、なだめすかして凶暴性を抑え込み……挙句、それを一手に受け止めたのが伯母上だ。そんなわけだから、伯父上の気性を知る重臣は伯母上を「聖女」と呼んで崇めていた。


 俺がまだ子供だった頃は、かつて母上と父上のことをどんな風に嬲っていたか伯父上から聞かされるたびに震えあがったものだ。もしその実物を見せられたり、自分の身をもって味わわせられるようなことがあれば、きっと三日は出奔しただろう。

 伯父上も、そんな残虐な所業を愉快な思い出話感覚で話さないでほしい。躾としての効果はてきめんだったが……恐怖で支配されるまでもなく、逆らう気なんてないんだから。

 母上は止めるどころか楽しそうに話を広げる始末だ。そういうときに頼れるのは父上と伯母上だけだった。もっとも、父上は俺のいないところでなら平然とそんな話に混ざっているし、伯母上の止め方はいつも斜め上。だから、実質俺にはいとこ達しか味方がいない。


 嗚呼、伯父上に難癖つけられて殺されることがなくて本当によかった! 


 それに、ヴェイセルに新しい恋人ができたのも、ユリウスの婚約者が内定したのもめでたいことだ。足元にはボトルが三本ほど転がっているが、まだまだ飲めるぞ。


 ヨドゥンの王女の失踪は、例によって我儘娘の暴走ということで片付けられた。日ごろの行いの結果と言うべきか、彼女の兄がそう決定づけたんだから仕方ない。

 ヨドゥンの王は「使用人ごときにあの子がたぶらかされるわけがない」と食い下がっていたらしいが、兄王子は懐疑的だったようだ。それだけ妹王女に不信感があったんだろう。他人おれにはわからない確執なんかもあったのかもしれない。


 王子がその調子だったので、ヨドゥン側からノルンヘイムやヘズガルズの責任を追及するようなことはなかった。

 ヨドゥン王は駆け落ちではない根拠として、俺との結婚を王女にねだられていた―初耳だ。勝手に話を進めないでほしい―と言っていたが、そもそも俺にはカーレン嬢という正式な婚約者がいる。それを盾にしてかわせば、疑惑の目はすぐに消えた。叶わぬ恋に破れた王女がやけになったのだろう、と。


 事情はどうあれ、他国のパーティーから脱走して忽然と消えたのは立派な侮辱行為だ。賓客としてもてなしたのに、礼を尽くすどころか駆け落ちという不義理の踏み台にされたんだから。

 それでも、伯父上は平和主義の伯母上の不問に処した。だからヨドゥンは、その寛大な振る舞いに対して誠意・・を持って応えなければならなくなった。


 王女にもう少し分別と、感情を制御する意思があれば、また何か違っていただろうに。あるいは王や周りの大人が、愛娘の躾の仕方を間違えたともっと早くに気づいていれば。

 もしそうであれば、カーレン嬢なんていう悪の華に目をつけられることもなかったはずだ。あの悪辣なお姫様を敵に回すには、ヨドゥンの王女では荷が勝ちすぎた。


 子供のための安全な箱庭をただ整えて放置するだけではてんで駄目だといういい例を見たな。やっぱり生物の育成は、自然に身を任せるだけではよくないらしい。“成長”については専門外なので、下手なことは言えないが。


「残念だったな。どうあっても戦争は起きそうにないぜ? それとも、この状況のほうがお望みか?」


 ヨドゥンはことを大きくせず、引き下がることを選んだ。ノルンヘイムは侮辱の代償を、血ではなく利権で贖わせた。

 そしてなにより、嫉妬に駆られたヨドゥンの王女は、フリグヴェリルを滅ぼせない。


 だから、この話はこれで終わりだ。このことはきっと歴史に残らない。世界は今日も平和だった。そう、わざわざ観測する価値なんてないぐらいに。

 大きな岐路に立たされた人間は、何も起きない静かで平坦な道を選んだ。それが世界の運命の選択だ。平和だからこそ、歴史に記録されることはない。


「なんにせよ、“これ”が今の世界だ。満足したならさっさとどこかに消えてくれ。わざわざ観測されるほどの面白い見世物になる気はないんでね」


 虚空に向けて空のグラスを投げる。今日も返事はこないまま、グラスだけががちゃんと割れた。


 幼いころ、母上に聞かされたお伽噺があった。真っ白な世界を飛びながら人々を導く蝶と、その蝶の行く手を阻む蜘蛛の話だ。

 蝶は世界を自由に飛ぶが、蜘蛛は蝶を捕えようとする。やがて蜘蛛は蝶を食らい、代わりに自分が先導者の座に至った。蜘蛛はやがて世界の果てに辿り着き、そこで神に出会う。神は蜘蛛の健闘を讃え、望むように世界を彩る栄光を与えたという。

 この物語を語る時の母上は、とても幸せそうな顔をしている。俺もこの話は好きだ。


 ただこのお伽噺、役が一つ足りない。母上の時代ではこれで正しかったかもしれないが、実はもう一匹登場する動物がいる。

 俺はそれを猫と定義することにした。猫には蝶も蜘蛛も狩る力があるが、丸まったまま何もしない場合もあるからだ。それに猫は、人間のいい友人にも傲慢な主君にもなれる。まさにうってつけだ。


 母上の語ったお伽噺を俺が語り直すなら、きっとこうだ。

 蝶と蜘蛛が競っている間、猫は我関せずで昼寝を続けるかもしれないし、戯れに虫達を追いかけ回すかもしれない。気まぐれな猫が何を選ぶか、その時にならなければわからない。

 だから物語の続きが知りたければコインでも振って好き勝手に展開を決めるか、猫をその目できちんと見張っていろ────と。


 ただ、俺は他人に観察されることが大嫌いだ。だからできれば、ぶしつけな観測者にはさっさとどこか別の世界ばしょに行ってもらいたい。おれには世界の果てを目指すつもりなんて欠片もないし、観測者に褒められるほど上等なことを為す気もないんだから。

 そんな俺だが、いつでも不作法者を引っ掻けるよう爪はきちんと研いである。猫は構われるのが嫌いだと、一度痛い目を見ればわかってもらえることだろう。


 実のところ、神は世界の果てで待っているわけじゃない。いつもどこかで人間を見下ろしている。好き勝手に人を観察しているくせに、自分のことは観察させないなんてとんだ卑怯者だ。


 神の気持ちなんて、神でもない俺にわかるわけがない。だが、母上のお伽噺をもとに推察することはできた────神は、世界の行く末を娯楽とみなし、いずれ辿る運命けつまつを見たいんだ。


 人がどんな歴史を紡ぐのか、その目に焼きつけたい。ただそれだけのために、神は蝶の羽搏きを待つ。時にはよそから蝶を連れてきて世界に放つ。けれどだんだん飽きてきたから、蜘蛛まで連れてきた。

 そうやって神が好き勝手にやったせいで虫が増えたから、猫の昼寝が邪魔される。迷惑なことだ。世界が白かろうが彩りに溢れていようが、猫には何の関係もないのに。


「何度だって言うけどな。俺の爪は、白紙の本せかいを引き裂くためにあるわけじゃないぜ」


 立ち上がり、替えのグラスと新しいボトルを用意する。コルクを抜くのにやけに時間がかかった。おかしい。手元がおぼつかないな。まあいいか。魔術でボトルの口を切り落とせば済む話だ。


 赤い雫をとくとく注ぐ。一気に呷って、もう一杯。窓辺に戻った。月を見上げながら飲む酒はどうしてこんなに美味いんだろうな。


 神は、ともすれば猫より身勝手だ。生態系ことわりを壊してまで、よその世界から蝶を持ち込むんだから。

 しかも、蝶が羽搏くだけじゃ面白くないからって蜘蛛まで呼び寄せた。所業は神に等しいが、主義信条は侵略者のそれだ。

 これだから外来生物はろくなことをしない。侵略させるだけ侵略させてあとは野放しなんて、まったくもって迷惑の極みだ。


「“終わらせる者”なんていうのは、お前達が勝手に定義づけた名前だろう? 今いる領域セカイを終わらせて、次なる宇宙ソラに旅立ち観測者カミの仲間になれ? まったくもってつまらない話だ。勝手に期待して勝手に役割を押しつけるな」


 観測者カミは発見した。全宇宙に偏在する、ありとあらゆる領域セカイの人類において、“重なり合う者”という異形が突如として生まれることを。


 ソレはいわば幼虫だ。完全変態する虫のようなもの。ソレはいずれ人類から逸脱した存在……世界ほしの導き手になる可能性を持つ。世界ほしの導き手に辿り着いて、ようやく蛹だ。観測者の目ではちっぽけな幼虫と蛹の区別はつかないのか、混同している様子もあるが。

 そして世界ほしの導き手が羽化する時に、世界は終わる。羽化したソレは己を育んだ世界を飲み込み、すべての因果を収束させ、己のなかで統合して新たな世界を産み落とす。それこそが、生命が至る究極の成長の形だ。


「そんなずさんな謳い文句で、一体何人の世界ほしの導き手がなびいた? どうせ答えないだろうから当ててやるよ。三人だ、たったの三人! お前達がいつからこんな不毛なことをしているかは知らないが、望み通り終焉を迎えた世界はわずか三つだなんて割に合わないと思わないか?」


 だが、俺はそのありようを否定する。

 世界に触れた第二の摂理、知恵を示す【万物の教導者】。生命が生命である限り逃れられない普遍の理を司る世界ほしの導き手の中で、第二の摂理が表すのは“進化”だ。進化という概念そのものとしては、ただひとりがヒトの極北を超えてカミの座に至ったってつまらない・・・・・


 しかし少なくとも、かつてこの世界にいた【万物の教導者】は己の変化を肯定した。生命としての位階を引き上げ、それまでの世界を終わらせて新しい世界を創り直した。

 だからきっと、すべての領域ソラに共通する、世界ほしの導き手という種族の“進化”の流れに従うのが正しいんだろう。本来なら。


 彼だか彼女だか、とにかく俺の前の【万物の教導者】は、ただでは神の座に至らなかった。己の選択がもたらしたものを神話として残し、偶像てんしを作り、置き土産として人間に『種』をばらまいたうえで、邪神として世界から消えた。

 わざわざそんなことをした理由はただ一つ。後悔したからだ。究極の変化を経た結果、自分がいかにつまらない選択をしたのかそいつは知ってしまった。

 だから、新しい世界に世界ほしの導き手が生まれた時に、その変質を拒んで悪趣味な観測者を退ける方法があることを伝えようとしたに違いない。


 ……というのは全部俺の想像だ。いくら“進化”の代理人メタファーとして世界ほしの導き手の存在意義メカニズムる俺だって、自分以外の【万物の教導者】の考えなんてわからない。だから俺は、俺に都合のいいよう解釈することにしている。


「種はとっくに蒔かれてるんだ。あとは発芽させるだけさ。世界の終わりなんかより、もっと面白いものを見せてやろう。いいか、俺が終わらせるのは──」


 



「ロキ! こんなところで寝ないでください。お風邪を召してしまいます」


 ゆ、揺すらないでくれ。頭が割れるように痛いんだ。


「お酒臭いですっ。まさかこのボトル、全部お一人で飲んだんですか!?」


 返事の代わりにくしゃみが出る。カーレン嬢は呆れたように俺の手を引いて立ち上がらせ、ベッドの上に突き飛ばした。


「今日は体調不良で欠席だと連絡しておきますね。二日酔いで講義なんて受けられないでしょうから」

「助かる……」


 一度ベッドに寝そべると、もう起き上がるのも億劫だ。水が飲みたい……。


「もう。飲みすぎですよ。ほら、紅茶を淹れるので少し待っていてくださいね」


 おとなしく従う。紅茶のいい香りがふわりと漂った。


「熱いのでお気をつけて。……どうかしましたか? なんだか楽しそうですけど」

「別にどうもしないぜ。ただ、君のことが愛おしいと思っただけさ」


 やっぱり俺には、ヒトを超越して世界を終わらせるなんてことはできそうにない。

 猫は暖かいベッドの中でぬくぬくと丸まって、飼い主に可愛がられながら過ごしたいだけなんだ。


 いや、ひとつ訂正しなければならないことがある。……カーレン嬢が相手だと、俺は猫というより犬だったな。


 * * *

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