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わたしの片付

 ユリウス殿下は、今日もミナギサのお姫様と踊っていたらしい。二日連続でパートナーに選ばれたのは彼女だけだそうだ。

 舞踏会が盛り上がる中、わたしは早めに部屋に戻ることにした。昼間の疲れがまだ残っていたし、ヨランダの様子も確認できたからだ。目的は果たしたから、長居する必要もなかった。

 ロキ殿下に送ってもらい、寝る支度を整える。部屋付きの使用人達には「静かにゆっくり眠りたいし、手を煩わせたくないから、部屋には近づかないで」とお願いすると、彼らは心得たというように下がってくれた。


 目覚めたのは、野生の勘みたいなものだ。

 子供の時から山で野宿することは多かった。狩りや採集のついでの、ちょっとしたキャンプだ。オスの獣やモンスターが魅了の力に引き寄せられてしょっちゅう傍に来るから、寝ている時でも気配には敏感になった。珍しい獲物をみすみす逃がしたくないし。どこでも眠れるようになったのも、野宿のおかげだろう。


 わたしがここにいることを悟られないように、身じろぎはせずに目を開ける。寝室のドアの前に人がいるようだ。窓から差し込む月がその影を照らす。よく見えないけど、体格のいい男だろう。『記憶』ではそうだった。


 今日は舞踏会の二日目の深夜。『記憶』の通りであれば、ロキ殿下に扇動されて発狂したヨドゥンの王女がユリウス殿下に媚薬どくを飲ませ、使用人に『わたし』を襲わせようとする日だ。


 煽りに煽った結果、ヨランダのターゲットはロキ殿下とわたしになった。ユリウス殿下と未来のお妃様が害されることはないだろう。


 『記憶』のようにロキ殿下が裏で手を回したわけではないので、ヨランダは媚薬どくを持っていないはずだ。だからそっちの心配はしなくていい。

 人払いもしてあるので、巻き込まれる無関係な他人もいなかった。人を遠ざけたのはわたしだから、ノルンヘイムの警備責任が問われることもないだろう。


 さて、どうしようかな。魅了の力でこの男をたらしこんでもいいけど、状況が状況だ。結局襲われるようなことがあってはいけない。


 男が徐々にベッドに近づいてくるのが感覚でわかる。羽毛布団に手を伸ばすためだろう。

 この男には、目深にかぶった羽毛布団を剥ぐ必要がある。殺すだけならそのままでいいけど、侵入者の目的は殺害じゃない。わたしの純潔を奪い、消えない心の傷を刻むことだ。

 二度とロキ殿下の隣に立てないように、そもそも男の人に触れられないように。ヨランダの中では、それが身の程知らずの田舎娘に施すにふさわしい教育なんだろう。


 悲鳴が聞こえた。防音の魔道具はとっくに設置済みだから、どれだけ騒いだところで助けが来ることはない。


「すごいな、カーレン。本当に暴漢が来たぞ。どうしてわかったんだ?」


 ベッドの下から這い出る。ふかふかのじゅうたんが敷かれていたおかげで冷たくもなく、思っていたより居心地がよかった。

 サイドテーブルの上のランプをつける。赤く染まった羽毛が散っていた。のけぞる男に、ロキ殿下が容赦なく追撃している。そこに落ちている大ぶりのナイフは男が持ち込んだものだろう。危ないので拾っておいた。


「来ないなら来ないでよかったんですけどね。来てしまったなら、相応のおもてなしをしてあげないと」


 冷気を纏った剣を手にしたロキ殿下は、男が逃げないように蹴飛ばしてその胸を踏みつけた。羽毛布団は雑に飛ばされて床へと落ちている。散った羽毛の出どころはあそこらしい。


「ロキ?」

「あとでちゃんと直すから、そう怖い顔をするなよ。魔術を使えばすぐ元通りだ」


 わかっているならいいんだけど。

 わたしの部屋で乱闘の痕なんて残せば、あとあと誰に勘繰られるかわからない。一切の証拠も残してはいけなかった。この部屋に侵入者なんていないし、この男はわたしの部屋に来ていないんだから。


「さて。お前、ヨドゥン人だな? 誰が何のためにお前をよこしたか、一応聞いておいてやるよ。ただし、時間はないから手短にな」


 そう言って、殿下は凍てつく剣の切っ先で男の首を撫でた。




「すごいですね……」


 思わず感嘆の呟きが漏れる。ロキ殿下が生み出した氷の彫像はそれほどみごとなものだった。証拠隠滅のために砕いてしまうのが惜しいくらいだ。


「俺は、氷の魔術が一番得意なんだよ。こいつは魔術で凍らせているから、中身ごと完全に凍結してるんだ。術者おれが命じない限り溶けも砕けもしないが、つまり術者おれが命じれば簡単にそうなるってことさ」

「こんな風に死体を凍らせれば、永遠に保存できるということですか?」


 そうしたら、すごく喜ぶ人がいるんじゃないだろうか。たとえばヴェイセル先輩とか。ヴェイセル先輩しかいないけど。


「ああ……そうだな、そういうこともできなくはない。だけど、それだと美術品にしかならないからな」


 殿下は笑って言葉を濁し、彫像を窓辺に運んで指を鳴らす。氷そのものと化した侵入者の死体はたちまち砕けて粉々になった。肉片とも呼べない微細な欠片は、わたしが魔術で生んだ風に乗って夜闇に消えていく。


「さて、俺はヨランダ姫に挨拶に行ってくる。密会の約束を取り付けてあるんだ」

「ちょっと待ってください。それは初耳なんですけど?」


 ヨランダが今日動くから、対処に協力してほしいとロキ殿下にお願いしたのはわたしだ。私の部屋にヨランダの送り込んだ暴漢が侵入するから、それを返り討ちにしたうえで元凶を断ちたい、と。だけどまさかロキ殿下が単身で乗り込むなんて。


「もう夜も遅いからな。君も十分疲れただろう? あとは俺に任せてゆっくり休んでくれよ」


 部屋は魔術で元通りになったから、ここで人間が一人消されたなんて気づく人はきっといないだろう。殿下の言う通り、安心して休むことができる。


「でも……」


 言い淀むと、殿下はわたしの頭を撫でて、冷えた手の甲にキスをする。

 その慈しむような眼差しで心が決まった。殿下になら頼んで大丈夫だろう。きっと悪いようにはしないはずだ。


「殿下、ヨランダ姫のエスコートはヴェイセル先輩に任せてあげてくださいね。美しい人ですから、先輩も気に入ってくれるはずです」

「なるほど、そういう心配か。わかったよ、ちゃんとあいつに渡しておくからな。あいつなら、誰にも見つからずに死体を運ぶ方法も心得ているだろうから安心だ」


 わたしが傷物になったところで、ロキ殿下の婚約者の座はヨランダには回ってこない。ヨランダの目論見はことごとく外れている。

 でも、ヨランダの計算違いなんてどうだっていい。先に喧嘩を売ってきたのも、手を出してきたのもヨランダ。だから、それに応じた報復をする。それだけだ。


*


 ヨドゥンの王女が連れて来た使用人と駆け落ちしたという噂は瞬く間に広まった。一度ならず二度までもパーティーに泥を塗られて、ノルンヘイム側はさぞご立腹だろう。わたしには関係のない話だけど。


 それでもパーティーは問題なく続いた。このパーティーにはヨドゥン以外の王族も数多く参加している。招待客の一人が駆け落ちした程度で他の賓客から楽しみを奪うわけにはいかない、というのが皇帝陛下の決定だった。

 何よりこのパーティーは皇太子の花嫁探しのためのものだから、脱落した女の失踪なんて些事に過ぎない。そんなことに左右されるわけがなかった。その傲慢さは、さすがは大陸を支配する悪逆の帝国といったところだろう。捜索に人手は割いているらしいけど、皇帝陛下が本当に関心を寄せているのはヨドゥン国王の尻拭いの方法に違いない。


 それに、ヨドゥン人以外の招待客達は誰もヨランダの失踪を気にしていなかった。もともとヨランダに友人がいなかったせいもあるだろう。面白おかしいゴシップとしてだけ消費されている。可哀想とはみじんも思わなかった。ヨランダが消えるように手を回したのはわたしだし。


 わたしも普通に過ごした。庭園でオフェリヤとエルセ皇女、そしてその妹のウルリカ皇女をはじめとする令嬢や令息達とお茶会を楽しんだ。


「カーレン様」


 日が傾いてきたので部屋に戻っていると、廊下で声をかけてくる人がいた。


「どうかなさいましたか、ヴェイセル様」


 ヴェイセル先輩だ。狩猟服を着ている。そういえば、何人かで森に狩りに行くとロキ殿下が言っていた。先輩も随行していたようだ。


「昨夜の素敵な贈り物についてお礼を申し上げます。貴方からだと、ロキ殿下がおっしゃっていたので」


 どこで自分の嗜好を知ったのか、追及する気はないらしい。わざわざ問い詰めるまでもなく、ロキ殿下という全幅の信頼を置く人が間にいるからだろう。


「わたしからのほんの気持ちです。友情の証と思ってください。気に入っていただけたならわたしも嬉しいです。……わたしは殿下の婚約者ですよ。殿下が認められたものを、わたしが否定するわけがないでしょう?」

「お気遣いに感謝を」


 先輩は跪いてこうべを垂れた。口調は淡々としたものだったけど、喜んでいるのは雰囲気でわかる。

 よかったね、ヨランダ。きちんと愛してくれる人が見つかって。

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