わたしの反撃
明確に敵対の意を示したわたしに対して、ヨランダの行動は素早かった。
「御機嫌よう、ロキ様」
ファーストダンスを踊り終えた直後に声をかけてきたのは、目ざとくわたし達を見つけたヨランダだ。婚約者のいる相手からファーストダンスを奪い取るのは難しいと思って、タイミングを見計らっていたんだろう。
「ヨランダ姫か」
殿下は微笑を浮かべてその名を呼んだ。声音の冷ややかさに気づけたのはわたしぐらいのものだろう。
ヨランダは瞳に倨傲さをにじませ、すっと片手を殿下に向けて差し伸べる。殿下は無言のまま微動だにしない。
「いくら婚約者と言えど、特定の方を独占するような振る舞いは品位に欠けますわ。ご理解いただけますわよね、カーレン姫?」
そのごくわずかな間ですら気に喰わないのか、ヨランダはわたしを一瞥した。今日はまだ一曲しか踊ってないんだけど?
「もちろんです。ロキ殿下、どうかヨランダ姫のお相手をしてあげてください。せっかくのパーティーなのにお一人で過ごすのは、あまりにもお可哀想ですもの」
「……それもそうだな。一曲踊ろうか、ヨランダ姫」
飼い主の“よし”が出たので、殿下はヨランダの手を取った。
ヨランダは一瞬舞い上がったように顔を赤らめたものの、わたしのお情けに気づいたのかさっと表情をこわばらせる。殿下はすぐに彼女をエスコートしてホールの中央に向かったので、ヨランダからの反撃はこなかった。
送り出したはいいものの、わたしが一人でうろうろしているのはそれはそれで外聞が悪い。一曲ぐらいなら壁の花になっていてもいいけれど……あ、見つけた。
「ヴェイセル様、少しよろしいでしょうか?」
「……カーレン様ですか。どうかなさいましたか?」
壁際で佇むヴェイセル先輩に声をかける。無愛想ではあるものの、先輩はちゃんと応じてくれた。
「ロキ殿下はどちらに?」
ホールの中央を指し示すと、それだけで先輩は察したらしい。何か言いたげではあるものの、視線はすぐにわたしに戻った。
「殿下がお戻りになるまで、相手をしていただきたくて」
「カーレン様を楽しませるようなことはできかねますが、それでも構わないのであれば」
許可が出たので横に立つ。すると、先輩は意外そうな顔をした。
「ダンスのために声をかけたのではなかったのですか?」
「あら? 手を取っていただけるんですか?」
「……恥ずかしながらダンスは不得手ですので。踊らずに済むなら、それに越したことはありません」
近くを通りかかった給仕を呼び止め、先輩は二人分のグラスを受け取る。片方をわたしに渡した。なるべく先輩の指に触れないように気をつけて受け取ったのは、わたしなりの優しさだ。いつぞやの図書棟の時のように舌打ちされたくないし。
「ヴェイセル様は何故この舞踏会に? 昨日もどなたとも踊っていませんでしたよね」
「私は次男ですから、さほど真剣に未来の伴侶を探す必要がありませんので。それでも参加しているのは、ありていに言えば体面のためです。我がローフォール家は、ノルンヘイム帝室と懇意にさせていただいていますし……そもそもヘズガルズの現国王は、シグルズ陛下ですからね。ヘズガルズ貴族の年若い子女ならば、誘いを断るわけにはいきませんよ」
「なるほど、そういう事情がおありでしたか」
先輩は面倒くさそうに、けれどちゃんと話してくれる。ロキ殿下の婚約者を邪険にするわけにはいかないからだろう。この様子なら、もう少し雑談していても大丈夫そうかな。
「ですが、ここにはこれだけ大勢の方がいるんです。未来の伴侶とまでは言わずとも、目を引く方の一人や二人いらっしゃるのでは?」
「さあ、どうでしょう」
「たとえば、ほら。今ロキ殿下と踊ってらっしゃる姫君。とても美しい方だとは思いませんか?」
「……」
ロキ殿下に関係することだからか、ヴェイセル先輩がもう一度視界に二人を捕捉するのにさほど時間はかからなかった。思った通り、殿下はいい目印になってくれたらしいい。ヨランダを一人でふらふらさせていても、ヴェイセル先輩に気づかせるのはきっと難しいだろう。
「そうですね……あの流れる黒髪は、闇に包まれた静かな夜を体現しているようで好ましいと思います。お顔立ちも整っていらっしゃるかと」
少しだけ困った顔で、先輩はそんな所感を述べる。それが先輩にとって精一杯の褒め言葉に違いない。
ロキ殿下はヨランダと一曲だけ踊ると、すぐにわたしのところに帰ってきた。
ただ、腕にはまだヨランダがひっついている。寒気に襲われたのか、ヴェイセル先輩は鳥肌を立てていた。わたしが話を振ったせいで、ヨランダにひっつかれている自分の姿を想像したのかもしれない。
殿下はさりげなくヨランダを引き離し、わたしの隣に戻った。殿下が先輩を紹介すると、ヨランダは猫なで声で挨拶する。先輩のぶっきらぼうな態度も、ロキ殿下がいるからヨランダは気にしないことにしたらしい。
「ロキ様ぁ、もう一曲ぐらいいいでしょう?」
「俺がいつまでも君を独り占めしていたら、君を誘おうと思っている男に申し訳が立たないからな。チャンスは平等であるべきだろう?」
「そうですよ。それに、同じ相手と続けて踊るのは品位を欠いた行為ですから」
わざとにっこり笑いかける。ヨランダは不愉快そうに扇子を握りしめた。
わたしとヨランダの間に散る火花に気づいたのか、ヴェイセル先輩はフェードアウトを試みている。でも、それは失敗に終わった。
「ヴェイセル様、わたくし、喉が渇いてしまいましたわ」
「はぁ。少々お待ちを」
素直にロキ殿下に頼んでもうまく行かないと踏んだのだろう、ヨランダの甘え声がヴェイセル先輩に纏わりつく。搦め手のための当て馬にされた先輩は、しぶしぶ給仕を探しに行った。
一瞬殿下と先輩が交わした意味深なアイコンタクトは、どうせ「俺の分はいらないから」とかだろう。「大国の姫君だから失礼のないようにな」は、紹介した時点で伝えていたし。
ヴェイセル先輩はすぐに戻ってきた。グラスはヨランダの分だけだ。ヨランダは礼を言い、しっかりヴェイセル先輩の手を包み込むようにしてグラスを受け取った。ロキ殿下の嫉妬を煽りたいのかもしれない。
「あっ……」
けれど、ヨランダは不意によろめく。コルセットの締めすぎか、あるいは思っていたより体力を消耗していたか。傍らのヴェイセル先輩を勝手に支えにしたから、倒れ込むことこそなかったけれど……なるほど、守ってあげたくなる儚さと恋敵への挑発、そして本命に嫉妬させることを同時にできるうまい手だ。
……せっかくさっき手が触れた時、ヴェイセル先輩が振り払うのを我慢してくれていたのに。せっかく見せた優しさがか弱さの演出に塗りつぶされるなんて先輩も可哀想なことだ。
どうせなら、我慢なんてせずに突き飛ばしてあげればよかった。そのほうが演技に真実味が生まれるから、ヨランダも喜ぶだろう。
「カーレン!」
「大げさですよ、ロキ殿下。ジュースがかかっただけですから」
これが見知らぬガラス瓶からぶちまけられた液体であれば、もうちょっと慌てもするけれど。ヴェイセル先輩が給仕から受け取ったばかりのジュースだから、大丈夫。
「ごめんあそばせ、カーレン姫。わざとではありませんのよ?」
空のグラスを手にしたヨランダが嗤う。グラスに注がれていたはずのオレンジジュースを飲みほしたのはわたしのドレスだからだ。
「せっかくのお召し物が台無しになってしまわれましたわね。ですが、かえってよかったのではなくて? だって、着替える機会ができたんですもの」
生者嫌いのヴェイセル先輩は、すっかり固まってしまっている。先輩から離れ、ヨランダ姫は悲しそうな目をして扇子で口元を覆い隠した。
「貴方にとっては精一杯のお洒落だったのでしょうけど……ねえ? そんな下品な色のドレス、殿下のパートナーにふさわしくありませんもの。まるで卑しい娼婦のよう」
今夜のドレスは、濃いめの明るい紫色。ふわりと咲く花のようで気に入っている。これも殿下が仕立ててくれたものだ。
「なんだって? そう見えてしまうのか? カーレン姫、君にはすまないことをした。そうとは知らず、俺の趣味の悪さを押しつけて……」
「滅相もありません。わたしはとても好きですよ、殿下にいただいたこのドレス。悪趣味だなんてひどいです」
横目でヨランダをうかがう。失言に気づいたのか、目を見開いてわなないていた。
夕方に来た時、「ドレスはわたしが選んだ」と言ったから、きっと勘違いしてしまったんだろう。選んだのはわたしだけど選択肢を提示したのはロキ殿下、と丁寧に教えてあげる義理がなかったから言わなかっただけなのに。
ごめんね、ヨランダ。台無しにしちゃった。
わたしが着替える隙をついて、殿下をパートナーにしたかったんでしょう? 殿下の前でドレスをこき下ろされたわたしに、恥ずかしくて殿下の隣に立てないと思わせたかったのに。
「そう言ってもらえてよかったよ。君が喜んでくれたなら、それで十分だ。……だが、確かに台無しになってしまったな。着替えてくるか?」
「いいえ、この程度なら大丈夫です。……其は流れ、うねり、溜まり、渦巻くもの。其は熱く、冷たく、濁り、澄み渡るもの。我が招くは青き祝福、ここに汝が名を呼ぼう。衣を濡らした雨を拭いさるために。雨よ、天に還りたまえ」
こんな小さなことのために魔術を使うなと言われそうだけど、使える技術は使わないと。
ドレスのしみからオレンジ色の球体がぷくりと浮かび上がる。しみはたちまち消えてなくなった。球体はあっけにとられるヨランダの元にまっすぐに飛び、グラスの中でぱしゃんと液体に戻る。
「お返ししますね、ヨランダ姫」
ヨランダはもごもごと何か言った。ロキ殿下が何かに気づき、別れの挨拶を告げてわたしをその場から連れ出す。ヴェイセル先輩もついてきた。
さりげなく振り返ると、ヨランダが彼女に似ている男性と青年と話しているのが見えた。きっとヨドゥンの王族だ。
これ以上絡まれても面倒なだけだから、引き際としてはちょうどいい。ヨドゥン王家に埋められるような外堀なんてないけれど。むしろ外堀を埋めたのはわたしのほうだ。
ヴェイセル先輩。わたし、貴方が死人を好きだと言ったこと、ちゃんと覚えてますからね。