俺の心配
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「難しい顔をしてどうした、ユリウス」
校舎内の廊下で偶然見かけた、しかめっ面の従弟に声をかける。ユリウスは不機嫌そうに俺を一瞥した。三ノ月も半ばまで過ぎたおかげで最近はすっかり春めいてきたというのに、こいつの周りだけ真冬のようだ。
「最後の一人と月末に会う予定なんだ」
言葉少ななのはユリウスにしては珍しい。多分、冬期休暇が終わってから妃選びに本腰を入れ始めたというから、それに関連することだろう。婚約者候補との見合いの話に違いない。
「へぇ。相手はどこの誰なんだ?」
「ヨドゥン王国の姫君だよ」
ヨドゥン……大陸西方の中心国だ。ノルンヘイムよりは格下だが言いなりになることもない、中立国の中でも強い立場の国。この大陸においてノルンヘイムの支配下にない、独立性を保つ三分の一の国家のうちのひとつと言い換えることもできる。
「気乗りしない相手みたいだな」
「彼女とは幼い時に何度か会ったことがあるけど、その時のまま成長していないようなら釣書きを焼いて捨てようと思う」
どうやらユリウスはその姫君のことが相当嫌いらしい。
ヨドゥン王国、王女、ユリウスと仲が悪い。記憶をひっくり返すと、該当する名前がひとつ浮かんだ。
「ヨランダ・マルカ・ヨドゥンか」
俺は直接会ったことはないが……その王女様、エルセの六歳の誕生日パーティーに招かれたはいいものの直前に癇癪を起こして「主役は自分じゃないと嫌だ」と言い放って脱走したという、全方位に泥を塗った筋金入りの我儘娘らしい。
他にも侮辱的な言葉がぽんぽん飛び出ていたとか、それ以前にも素行に問題が見られていたとかで、以来彼女が外交の場に招かれることはなくなったという。子供とはいえ王族だ。むしろその程度で済むなんて、ヨドゥンの王家はよほど尻拭いに手を尽くしたらしい。
その年のエルセの誕生日パーティーにはもちろん俺もいたが、なにせ会場が広かったので騒ぎを知ったのはすべて終わった後だった。その場に居合わせられなくて残念だ。きっと面白かっただろうに。
「本気で縁談をまとめるつもりはないよ。あの時母上が止めていなければ、父上はその場でヨドゥン王家の人間達を斬り伏せていただろうからね。父上を怒らせた張本人を皇室に嫁がせるわけがない。ノルンヘイムの次期皇妃には、彼女よりもっと適した人がいるだろう」
「本音はどうあれ建前を重んじて、仲良しごっこに興じないといけないのは大変だな」
「まあね。だけど瑕疵のある相手なら、こちらも難なく主導権を握れるからさ。……見合いの席を設けてくれと、ヨドゥンの王が頭を下げてきたんだよ。あの禍根を水に流した、ということにしないと姫を他国に披露できないそうだ」
ああ、そういうことか。いかにも伯父上の考えそうなことだ。
自分が優位に立つためなら、血を分けた実の家族でさえも利用する。そして獲物が罠にかかるまでじっと待ち、大義だとか民意だとかを味方につけたうえで敵を蹂躙して骨の髄までしゃぶりつくす。そういう人だ、伯父上は。
「あの一件以来、ヨドゥンには西方の反ノルンヘイム勢力を抑えてさせてきた。それを延長させるためだと思えば、僕の一日を浪費するぐらい安いものだよ。戦争の必要もなく、あくまでも中立でいさせることでどこの反感も買わず、それでいてきちんと伏兵を仕込めるんだから」
「お前達の見合いが何事もなく終われば、結果はどうあれ姫の外交禁止令は解けたことになるからか。それはそれで新しい貸しになる。実際に求婚者が来るかは姫次第だが。……一日で済めばいいけどな?」
「怖いことを言うのはやめてくれないかい?」
ユリウスは憂鬱そうにため息をついた。口では強気だが、だいぶ気が重いようだ。早く心配事がなくなるといいんだが。
「面白そうだから、終わったらぜひ結果を教えてくれよ」
「人の縁談を娯楽にしないでくれたまえ!」
*
悪気はなかったんだが、どうやら俺の言葉は予言になってしまったらしい。今日も今日とてユリウスは不機嫌だ。朝から眉間にしわを寄せてサラダを口に運ぶものだから、俺のベーコンまでまずく感じる。
「律儀に読むなよ。手紙なんてその場で破り捨ててもらえばいいじゃないか」
「何か重要なことが書いてあったらどうするんだい? 確認不足のせいでもっと厄介なことになるのはごめんなんだ。それに、保管しておけば何かあった時のための証拠になるからね」
「伯父上と伯母上はなんて?」
「こんなことで父上と母上のお手を煩わせるわけにはいかないよ」
「真面目な奴だ。それにしても一周回って逆にすがすがしいな、その姫君」
傍若無人な伯父上と、博愛主義がすぎる伯母上に知られれば、きっともっと面倒なことになるだろう。どうせ伯父上はヨドゥンが失態を重ねるのを待っていただけだろうし、伯母上は姫君の肩を持ちかねないんだから。
ここまでユリウスを悩ませる姫君について、俄然興味がわいてきた。もっとも、檻の外側から眺められるからこそ無責任に面白がれるわけだが。
多分、当事者として向き合うと疲弊するだけだろう。そういう手合いは、本当の意味で面白いわけじゃない。深入りは禁物だ。
「おはようございます、ユリウス殿下、ロキ殿下」
朝食のトレーを手にしたカーレン嬢が、すっかり定位置となった俺の向かいに座った。そう、このカーレン嬢みたいに、積極的に檻を越えたいと思えるような相手じゃなきゃ駄目だ。
「ユリウス殿下? どうかなさいましたか?」
俺とユリウスも挨拶を返したが、カーレン嬢はユリウスの異変に気づいたらしい。いつもより声が暗いからだろう。ユリウスは説明するのも億劫なようで、ちらりと俺に視線をよこした。
「ユリウスは今、厄介な女性につきまとわれているんだ。これから見合いをするはずだった、他国の姫君なんだが」
カーレン嬢のために事情をかいつまんで説明する。
某国の姫君とのその見合い話に、ノルンヘイム側は最初から乗り気ではなかった。縁談はその場で流すため、形式だけの見合いはすぐに終わるはずだった。
しかし彼女はそう思っていないようだ。どうやらユリウスと結婚できなければ一生修道院暮らしだとでも思っているようで、ユリウスの気を引こうとあの手この手で追いすがってきた。
見合い当日までまだ日があるにもかかわらず何枚にも及ぶ手紙を送っては、心にもない言葉で媚びてきたり自死をほのめかしてきたりと散々らしい。時にはユリウスを浮気者と罵り、他の婚約者候補達をこき下ろすこともあるんだとか。彼女が愛しているのはユリウスじゃなくて自分自身だろうに。
さすがに直接ユリウスが手紙を見ているわけではないが、内容は報告させているという。報告者も大変だ。
今、彼女はノルンヘイム国内にある祖国の王家所有の別荘に滞在しているから、あまりに過激さを増すようならいずれふさわしい対応が取られるだろう。
「もしかして、ヨドゥンの王女ですか?」
「なんだ、知っていたのか。そう、そのヨランダ姫だよ」
ややひきつった笑みを浮かべてカーレン嬢は頷いた。他国に出してもらえない姫とはいえ、俺が思っていたより知名度はあったようだ。……まさか、素行の悪さが知れ渡っているわけじゃないよな?
「ロキ殿下、彼女を焚きつけるようなことはなさっていませんよね?」
「心外だな。俺がそんなことをするように見えるのか?」
いつもより少なめの朝食を食べ終えてユリウスが席を立つと、カーレン嬢が声を落としてそう尋ねた。大げさに驚くと、カーレン嬢は気まずげな微笑を浮かべる。
「無関係ならいいんです。……でも、もしかしてもうすぐ、ノルンヘイムの宮殿で舞踏会が催されるんじゃないですか?」
「耳が早いな。確かに、来月の頭に皇宮で舞踏会がある。皇太子争奪戦の第二回戦といったところだ」
名目上は春季の訪れを祝うために未婚の貴族子女や友好国の若い王族を集めたパーティー、本当の目的はユリウスの妃選び。並みいる令嬢達の中でも優位に立つのは、見合いの席で好感触だった姫君達だ。
だが、皇太子妃の座には一人しか座れない。下働きの少女が見初められるだなんて大番狂わせもあるかもしれないから、ユリウス目当てで参加するうら若い淑女達は真剣だ。目当てがユリウスでないなら、もっと気楽に楽しめるだろうが。
「招待状はヨランダ姫にも?」
「本来なら送られるはずだが、あの様子じゃな。ヨドゥン王にまともな羞恥心があれば、当人は欠席させるかもしれない。兄王子がいたはずだから、来るとすれば彼だけかもな」
娘可愛さでヨドゥンの王が目を曇らせていないことを願うばかりだ。これまで彼女を放置してきた甘さを思うに、ちょっと期待しすぎかもしれないが。
「それにしても、一体どうしたんだ? やけにヨランダ姫のことを気にするじゃないか」
尋ねると、カーレン嬢はわずかに言いよどむ。しかしすぐに観念したのか、「夜にお部屋に伺いますね」と答えた。ここではできない話のようだ。……何か面白いことが起こりそうな気がする。
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