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わたしの祝賀

 吹きつける風にはまだ冬の冷たさが残っている。街路樹の枝にぷくりと膨らんだつぼみがついていなければ、絶望しながら春を探していたかもしれない。

 冬が長引くのは嫌いだ。越冬のための食料やお金について考えるだけで頭が痛くなる。備蓄の減っていく倉庫を眺めることほど憂鬱なものもそうそうない。


「ニルス君、ほら」

「わっ、ありがとうございます、殿下。ですが殿下がお風邪を召されるようなことがあっては……」

「気にするな。その時は君に看病してもらえばいいだけさ」


 わたしが震えていたのに気づき、隣にいたロキ殿下がすかさずご自分の外套をかけてくれる。暖かい。わたしも上に何か羽織ってくればよかった。……いや、むしろそうしてこなくて正解なのか。


 今日、わたし達は外出届を出して、デア・ミル学園から一番近い街に来ている。休日のお出かけ、すなわちデートだ。正確な目的は、ルークス君が一年監督生に選ばれたことのお祝いの品を買うためだけど。

 ルークス君は秋と冬の定期試験で優秀な成績を修めていたし、家柄も十分。その選考結果は妥当と言える。もしかしてユリウス殿下は、それを見越してルークス君を寮内兄弟ブルーダーにしなかったのかもしれない。監督生の寮内兄弟ブルーダーが監督生なんてややこしいし。


 監督生の任命式は学校行事として予定に組み込まれている。でも、ルークス君が監督生に選ばれたことを祝して、親しい友人を集めたサプライズパーティーを個人的に開こうと言いだしたのはボリス君だ。わたしとしては断る理由はなかった。

 ルークス君とは相変わらず体育の時間にペアを組みつつ、同じ寮の一年生クラスメイトとして良好な人間関係を構築できていると自負している。相変わらず言葉少なな彼だし、ことユリウス殿下絡みの事柄に対してだけは保守的な態度を貫き続けているけれど、それ以外はいたって普通だ。

 それに彼は未来の義妹の婚約者。実質義弟のようなものだ。公表できない関係性ではあるけれど、仲良くしておくに越したことはない。もちろん、彼自身の身分を考えてもだ。


 それに、わたしとしては一つ、気がかりなこともあった。

 『記憶』でもルークス君が監督生になり、それをお祝いするパーティーが開かれていたからだ。

 もっとも、そのこと自体は別におかしくはない。問題なのは、その出来事イベントが起こるのは、『わたし』がルークス君を恋の相手に選んだときだけだったことだ。

 それ以外の分岐ルートでは、一年生の監督生が誰になったのか触れられたことすらなかった。制度としてある以上、誰かしらがなっていたんだろうけど。


 今のわたしの恋人はロキ殿下なのに、何故パーティーがあるんだろう。やっぱり、わたしの知る『記憶』と実際に体験する現実の間で乖離が起きている気がする。わたしが未来を変えたからだろうか。それとも、何か別の理由が……?



 最初、今日の買い出しはわたしとボリス君で行くつもりだった。でも、パーティーのことをロキ殿下にも話したら、いつの間にかボリス君は演出係ということで留守番になっていたのだ。今頃ボリス君は、談話室で予行演出の指揮を執っていることだろう。


「それで? ニルス君、もう店の見当はついているのか?」

「はい。色々と調べてきましたから」


 買い物メモを取り出す。調達するのは会場の飾りつけに使う材料と、足りない食材だ。わたしから渡すプレゼントも忘れないようにしないと。


「心強いな。重いものは俺が持とう。遠慮なく頼ってくれ」

「殿下に荷物持ちなどさせたら、寮内兄弟ブルーダーの名折れですよ?」

「なぁに、たまにはいいじゃないか」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


 今日はあくまでも秘密のサプライズパーティーだけど、厨房の使用許可はちゃんと取ってある。厨房にある大抵のものは使わせてもらえるとはいえ、高級食材過ぎておいそれと手を出せない物のほうが多い。だからそういう罪悪感を軽減するために、参加者からは事前にカンパを募っていた。


 買い物は滞りなく終わった。最後の難関はルークス君へのプレゼントだけど、これもロキ殿下のアドバイスでことなきを得ている。ロキ殿下がついてきた理由の半分はこの件だろう。“自分のいないところで、恋人が他の男ルークスくんのためのプレゼントを買うのが気に喰わない”。実にシンプルだ。

 残りの半分は、“恋人が他の男ボリスくんと二人きりで出かけるのが嫌だったから”に違いない。本人は何も言っていないけど、そこまで鈍い女であるつもりはなかった。


 わたしにとってはただの友達で、ロキ殿下にとっても妹の婚約者。どうあってもルークス君は恋愛対象になりえない。ルークス君だって、わたしのことは男の子ニルスとしてしか思っていないだろうし。

 でも、わたしが女の子カーレンだと知っている以上、ロキ殿下の中には割り切れないものがあるはずだ。その嫉妬はむしろ心地よかった。だって、それだけ殿下の中でわたしの存在が確立しているということの証明になるからだ。


 ……うーん、これも試し行動のひとつになってしまうのだろうか。

 それなら、何も知らないころにわたしとオフェリヤを引き合わせた殿下を一方的に責めたのは、やりすぎだったかもしれない。でも、殿下はお仕置きにも悦んでいた。だからどっちもどっちかな。わたし達は似たところがあるのかもしれない。



 学園に戻って早速飾りつけに取り掛かる。普段なら夕食の時間として食堂が解放されている時間帯をパーティーに充てているので、それまでに終わらせないと。ルークス君の行動は、陽動係の生徒達がうまく操ってくれる手はずだ。


「それじゃあな。ルークスもきっと喜ぶぞ」

「はい。今日はありがとうございました」


 ロキ殿下はひらひらと手を振ってお部屋に戻っていった。今日のパーティーには、ロキ殿下もユリウス殿下も参加しない。誘ったけれど断られてしまった。きっと、身分の高い先輩がいると後輩が委縮して純粋に楽しめないと考えたんだろう。

 せっかくの私的なパーティーなのに、それではあまりに可哀想。わたしや主役のルークス君は平気だけど、他の一年生はそういうわけにはいかない。わたしのことを想いながらも気遣いができる人なのだ、ロキ殿下は。


「おかえり、ニルス殿下。頼んだものは買ってこれた?」

「当然。さ、準備を進めよう」


 会場にいるのはわたしとボリス君を入れて十人だ。ああでもないこうでもないと言いながら、壁にタペストリーを飾ったり造花をかけたりしていく。結構みんな頑張っているけど、それでも微妙にぐちゃぐちゃだ。かくいうわたしも手先が器用だとは言えないので、たいして役には立てていない。

 結局素人丸出しのクオリティだけど、それでも全員力を出し切った。完璧なのはテーブルセッティングぐらいだ。王侯貴族が実際に主催するパーティーとは比べものにもならないけど、こういう手作り感がのちのちいい思い出になったりするのだ。多分。お金で買えないものにも価値はある。


 時間になったので、陽動係がルークス君を連れてくる。談話室に入ったルークス君は、何が起きているのかわからないというように目をぱちくりさせていた。


「ルークス君、おめでとう。君みたいな人が監督生になってくれるなら、僕達も安心してついていけるよ」

「あ……ああ、ありがとう、ニルス殿。ところでこれは……」

「ボリス君が主催したんだ。お礼なら彼に言ってくれよ」


 水を向けると、ボリス君は得意げに胸を張った。ルークス君は照れくさそうに礼を言い、他の面々にも感謝を伝える。ルークス君のはにかみという中々珍しい表情を引き出せたからか、参加者はみんな満足そうだ。


 パーティーは特に問題なく進んだ。みんなで美味しいものを食べて、好きに話している。王侯貴族らしい礼節もしがらみも忘れて、普通の男の子達みたいに。

 その間、ルークス君がわたしに対して気のあるような振る舞いをしてくるようなことは一切なかった。『記憶』だと、偶然顔が接近してしまってどぎまぎされる……という流れがあったはずなのに。

 まあ、当然と言えば当然か。その頃の『記憶』のルークス君は『わたし』の性別を疑いだしていたけれど、今のルークス君はわたしを男の子だと信じ切っているんだから。


 けれどこれで、『記憶』と同じ出来事イベントが現実に起きたとしても、そのことと『記憶』での状況には関連がないことがはっきりした。ついでに、強制的に『記憶』の状況を再現されることはないっていうことも。

 『記憶』にはいなかった、ルークス君の婚約者。殿内定したというその婚約は、現実においてきちんと効力を持っている。ルークス君がオフェリヤ以外の女の子に目移りしない保証はないけれど、少なくともわたしがその対象になることはないだろう。

 ルークス君がそうであるなら、他の人達も同様のはずだ。ボリス君、ヴェイセル先輩、コンラード先生、そしてユリウス殿下。ロキ殿下という『記憶』にない選択肢を選んでも、彼らは火種になりえない。


 わたしは今、『わたし』とはまったく別の人生を歩んでいる。『記憶』の残滓はまだあるけれど、そのせいでわたしの進む道が邪魔されることはないのだ。それは、わたしにとっては間違いなく福音だった。

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