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閑話3 教師の挫折

* * *


 魔術に秀でて宮廷を如才なく渡り歩く父上と、美しくたおやかな母上。祖国ノルンヘイムにおいて長い歴史を持つ名門伯爵家、その当主夫妻の第三子として私は生まれた。

 健常な体も人としての常識も持たない長兄と、文武に優れるうえに貴族たる者かくあるべしといった気高さをも備えた次兄。両極端な兄二人の下にいる私は、ただ凡庸でつまらない子供だった。


 長兄のカイは日ごろから自室に籠るか王城にいるかの二択で、家人においてはいるかいないかもわからないような扱いだった。

 母を同じくする実の兄ではあるが、その顔や声すら曖昧だ。正直に言えば、物心ついてからもしばらくは私の兄など次兄一人しかいないと思っていた。彼のほうでも、私という弟を認識していたのかはなはだ疑問だ。

 次兄のクヌートは両親よりも家庭教師によく懐き、その優秀さと勤勉さで大人達の舌を巻かせていた。かといって机にかじりつくだけではなく、社交や視察も熱心に行っていた。日々を無為に過ごす私のことを彼がどう思っていたかは定かではないが、私から見れば万能すぎて嫌味な兄だ。


 手本にせよと大人が示すのはもっぱらクヌートで、それについては私としても異議はない。しかし悲しいかな、私にはクヌートほどに優れた頭がなかった。

 かといって、カイほど孤独に浸って動じない心もない。仕方がないので、私は空気を読むことにした。無論幼き日の私はそこまで考えていたわけではないのだが、愛らしさとやらしか武器にできないと無意識のうちに察していたのだろう。


 引きこもりの長男と、才気あふれる次男。おまけの三男は悠々と暮らしていた。

 父上も母上も、貴族としての教育はクヌートにのみ施し、私にはただ愛を注いでいたように思う。だが、溺れそうなそれは私を根腐れさせるものにすぎなかった。

 私は常に空気を読み、人から愛されるよう振る舞っていた。ゆえにわかっていた。両親が心から慈しんでいるのは、クヌートだけなのだと。 


 時に厳しく叱責し、時に気高く賞賛するのはすべてクヌートの成長を思ってのことだった。私はただ、甘やかされているだけなのだ。

 両親も、厳しい愛だけを子に向けることには疲れてしまうのだろう。うかつに甘やかせないクヌートに代わり、そのやわい愛を向ける相手が必要だった。生まれながらにして気味の悪い呪いを背負ったカイではなく、何もできず誰の害にもならない私がそれに選ばれた。


 放置される長兄、健やかに育まれる次兄、そして真綿に包まれるように愛される私。私達兄弟のあり方は、あまりにも交わらなかった。

 私が何をしても、両親や使用人はそれを許容した。悪事をなそうとも決して叱らず、微苦笑のみがあった。子供ながらに悪知恵を働かせて過激さを増すそれをたしなめるはクヌートのみで、しかし結局両親が私を咎めることはついぞなかった。


 甘く蝕む愛は毒に通じる。私はただ、クヌートのように愛されてみたかっただけだった。私が真に欲した言葉は、「お前はありのままでいい」ではなかった。ラシック家の息子として、敬愛する父上に認められたかったのだ。

 それでこそ我が息子だと、我が誇りであると。父上からのその言葉さえあれば、私でも胸を張れる気がした。しかし現実は己の無能さを肯定されるばかりで、私の中には虚無だけがあった。


 そんな日々のせめてもの慰めは、カイの存在だった。影より薄い存在感のこの長兄は、我が家において一番の置物だ。少なくとも私はそう信じて疑っていなかった。両親の口からカイの名を聞くことはほぼなかったからだ。使用人が私達兄弟の出来を比べる時も、カイは常に論外として扱われていた。

 両親の期待を一身に受けるのがクヌートであるならば、両親の愛を一身に受けるのが私なのだ。私と同じくできそこないで、私と違って両親から何も与えられなかった長兄のことを思えば、溺れるほどに苦しい愛であろうと受け取れるだけ幸せだろう。


 私が真実を知ったのは、クヌートの些細な一言がきっかけだった。

 晩餐の最中、領地の視察で見せたクヌートの慧眼が話題になった。そこで私が、さすがいずれ領地を治める者は違うとクヌートを褒めると、彼はなんでもないことのようにこう返した。「家を継ぐのは兄上だからなぁ。私はあくまでもその補佐に過ぎないよ」と。

 穀潰しの長兄に対して配慮したわけでもなく、不出来な末弟に対して謙遜したわけでもなく。そうあっさりと言ってのけたクヌートの言葉は事実だった。苦み走った顔で頷く父上と、「あら、でも実質的に治めるのはあなたよ、クヌート」と能天気に微笑む母上がそれを証明していた。


 家族の晩餐において、席すら用意されていない影法師こそがこの家の次期当主————偉大なる父上の後継者。その事実は、にわかには受け入れがたかった。


 だが、よく考えればそれは当然のことだった。我がラシック家は魔術の名家。しかし私はおろか優秀なクヌートであっても、その名にふさわしいほど魔術の扱いに長けているかと言えばそれは否だったのだ。

 魔導師の家系に、魔術の使えない当主はそぐわないだろう。それにもかかわらず、分家から養子が取られた事実はない。つまり後継の座は実子でまかなえるということだ。その地位には、存在も忘れられたような長兄がぴたりとあてはまった。


 父上に目をかけられたはずのクヌートですら、あの長兄の代替だった。長男に足りない社交性や教養を補うべく教育された次男、それがクヌートだったのだ。

 嫡男たるカイが引きこもるのを許されるのは、陽光を嫌う特異な体質でありながらラシックの名を名乗れるのは、負の要素を差し引いても足りるほどの力を持っていたからだった。父上は宮廷魔導師長としても、ラシック家の魔導師としても、カイほどの才能をみすみす手放すわけにはいかなかったのだろう。

 私は何も見えていなかったのだ。あれほど羨み欲した、父上からの期待。それが本当は誰に向けられるべきものだったのかを、私ははじめて思い知った。


 魔導師としてのラシック家を背負うカイ、貴族としてのラシック家を背負うクヌート。二人の兄にはそれぞれ役目があった。私だけだった。私だけが、何をも背負わず燻っていた。


 たまに屋敷の中で見かける、菫色の髪の可憐な少女がいた。とても使用人の子供には見えない、高貴さを纏ったその謎の少女は、少し目を離した隙にいつも消えてしまっていた。

 無論、言葉を交わしたことなど一度もない。誰に訊いても彼女のことは知らない、見ていないという。だから私は彼女の影を感じるたびに、もしや私にだけ見える妖精ではないか、と浮かれていた。


 その正体が、カイに会うために忍んで我が家を訪れていた王女殿下だったと知ったとき、あれほど見下していた長兄がひどく遠く恐ろしいものに感じられた。

 父上の期待のみならず、王族からの寵愛をも受けるカイのことがたまらなく憎かった。私と同じ、何も持たない者のはずだったのに。何故、何故私を置いていくというのだろう。


 私がどれだけ魔術を学んでも、長兄の座す高みには到底辿り着けなかった。

 私がどれだけ帝王学を学んでも、次兄の見る世界に至ることは叶わなかった。

 それにもかかわらず、失望されることはなかった。損なわれるような信頼など、はじめからなかったからだ。

 父上も母上も、私には何も望んでくれなかった。不出来な私を見捨てることも、呆れることもしなかった。それはつまり、最初から将来に期待など寄せていなかった証左だ。無償の愛を注がれるだけの人形であれと、ただそれだけが私の価値として許されていた。

 

 私にとって、父上とは絶対的な存在だ。堂々たる佇まいと、その身にあふれる高貴の光。その威風は、国王を前にしても霞みはしない。宮廷魔導師長として宮廷を闊歩する父上の権威は、伯爵という位階では測れなかった。

 しかしその父上の子である私はどうだ。上の兄二人に比べ、あまりにも劣っている。


 愛玩人形としてだけ家に置かれる現状に倦み、次第に矜持も塗り替えられていく――――ゆえに私は、いつからか逃避ばかりを選ぶようになった。


 そびえる壁から目をそらし、面倒なことから逃げるようになった私は、家にいるのもつらく感じていた。

 そんな私の世界が一気に拓けるきっかけがあった。社交界へのデビューだ。


 そのころ、宮廷魔導士として仕官したカイはめきめきと頭角を現し、領地にて家令と共に采配を振るうようになったクヌートはその手腕を遺憾なく発揮していた。

 一方の私はと言えば、社交界で居場所を見つけた。どうやら私の空気を読む力は、家族以外にも効果があるらしい。特に女性が相手であれば、年齢を問わずよき友人となってくれたのだ。年上の女性は初々しい私をもてはやし、こぞって世話を焼きたがった。同い年の少女は私を取り合い、私の眼差しや微笑を強く求めた。


 社交界でも、私は愛玩人形だった。どこに行っても付きまとうその事実に空虚は残る。私は、愛されることでしか生きることを許されない。

 しかし、社交界では兄達の陰などみじんも見えなかった。優秀な二人と比べて私を嗤う幻聴も聴こえない。このとき初めて、コンラード・ラシックという個を認められた気がしたのだ。

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