わたしの寵愛
「ふふ。カーレン様、そんなに緊張なさらないでくださいな」
エイル様に笑みを返す。そう言われても、相手は恋人のお母様で、何より大国の支配者だ。気迫に飲まれないように振る舞うだけで精いっぱいだった。
……だけど、それじゃだめだ。わたしはカーレン・ラグナ・フリグヴェリル。祖国を背負う王女として、これぐらいのことで臆してどうする。
「このような場を設けていただき恐悦至極に存じます、エイル様。お茶もお菓子も、とても素晴らしいですわ」
「そうでしょう? どれもわたくしのお気に入りですの」
砂糖と生クリーム、それから新鮮な果実がたっぷり載ったケーキはまるで財力を見せつけるかのようにテーブルに並べられている。でも、それを平らげるのはこのわたしだ。絶対に手中に収めてみせる。
「ファム、給仕はもう結構ですわ。少し下がっていてくださる?」
「かしこまりました」
唯一ついていた侍女が下がる。これで―少なくとも見える範囲には―わたし達以外の人影はなくなった。それでもまだ動くものがあるとすれば、それはエイル様の傍に控えている巨大な蜘蛛型のモンスターだけだ。
「カーレン様、紅茶のおかわりはいかがかしら」
「ありがとう存じます、いただきます」
ホストの申し出を断るのは失礼だ。エイル様に手ずから紅茶を注いでもらう。……こうやって見ると、やっぱりロキ殿下とよく似ていらっしゃる。些細な仕草や、伏せた目の雰囲気なんかがそっくりだ。
「貴方のことは、カイ……ラシック伯爵から聞いていましたの。ロキが選んで伯爵が認めた方なら、わたくしも安心して迎えられます」
「恐縮です。そのご期待に恥じぬ妃となるべく、努力してまいります」
なるほど、根回しというのはそういう意味だったのか。しれっとお父上とも顔合わせを済ませていたし、太鼓判を押されているなら安心だ。
ただ、伯爵には妙なことを言われているので不安はある。一体どんな風に聞かされているのか、さぐりを入れておくべきだろうか。
ひとまずエイル様の出方をうかがう。先に動いたのはエイル様だった。
「カーレン様。貴方も『物語』を知っているのでしょう?」
「『物語』、ですか」
「伯爵が言っていましたわ。貴方は運命を知る役者のような存在だ、と。……ふふ、実はわたくしも、彼にそう言われたことがあるのです」
頭の中で警鐘が鳴る。駄目だ、ひるむな。隙を見せたら、飲み込まれる。
「神託……あるいは、前世の記憶。ここではないどこかで、この世界の未来を紐解いていた経験が、貴方にもあるのではなくって?」
「……わたしは、そこで見たものを『未来の記憶』と呼んでいます」
「やはりそうでしたのね。わたくしはもう未来は視えないけれど……貴方なら、今の未来が視えるのかしら」
ある程度は、とお茶を濁しておく。わたしが知ってるのは、わたしが生まれてからデア・ミルで過ごす一年間の学園生活までだ。
ここまでバレているならごまかしは無意味だ。正直に答えたほうが心証はいい。もしも鎌かけだったらその時はその時。「エイル様に話を合わせただけ」で押し通そう。
「今の貴方はその記憶において、“主人公”なのかしら? それとも、“存在しない者”?」
「あえて言うのであれば、“主人公”という言葉が適切かと。『記憶』は、『わたし』の行動次第で無限に変わるほどの可能性を秘めていましたから」
「……そう」
エイル様は思案げな顔でわたしを見つめる。
エイル・エーデルヴァイス・ヘズガルズという女性が『記憶』に登場したことは、ただの一度もない。ロキ殿下のお母上という記号だけの存在だった。だから、この人はわたしの『記憶』には関与していないはずだ。
「わたくしは、わたくしの知る『物語』を指針にすることで忌まわしい運命を変えました。結果得たのがこの未来です。『記憶』を知る貴方は、どうするおつもりなのかしら?」
「わたしは、『わたし』の未来を変えたいだけです。それ以上のことは望みません。……そして、起きるはずだったその悲劇はすでに書き換えられました」
だから後は自由に、ノルンヘイムに蹂躙されないだけの力を手に入れるだけだ。ロキ殿下との恋路なんて、『記憶』はサポートしてくれない。
「それを聞けて安心しました。貴方は、わたくしが思っていたより強い子のようですもの。貴方がヘズガルズに嫁がれる日が楽しみですわ」
「未熟な我が身ではありますが、エイル様のご後援をいただけるのであればこれほど心強いことはありません」
多分この人、わたしが自分の目的の邪魔になると判断したら排除するつもりだったんじゃないだろうか。直感だけどそんな気がする。
もしも、未来を知るわたしが好き勝手にやろうとしていたなら、この人は問答無用で実力行使に出ただろう。それで親子の関係にひびが入るかもしれないけど……。
「エイル様。参考までに、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」
「あら、なんでしょう」
「エイル様の望みとは、一体なんだったのですか?」
ふと、そんなことを尋ねる。それはただの興味でもあり、地雷の把握のための実用的な質問だった。
「我が祖国ノルンヘイムの栄光と、愛する家族の幸福。これ以外に願うことなどなくってよ」
エイル様は微笑んだ。そのさまは、まるで可憐と邪悪の権化のようで。
……絶対怒らせないようにしよう。
*
ロキ殿下とのお忍び城下町デートは楽しかった。殿下はやけに街の様子に詳しくて、景色のいい場所や穴場の商店なんかを教えてくれる。市井の人に混じって手を繋いで歩いている時だけは、身分を忘れて普通の恋人同士になった気がした。
おしゃれなカフェで軽食を食べたり、買い物をしたり。殿下はいつもわたしを優しくエスコートしてくれる。まさに理想の人だ。二人きりの、閉ざされた部屋で跪く下僕の顔も大好きだけど。
学園に戻れば、わたしと殿下は寮内兄弟に戻る。こうして堂々と手を繋いだり、寄り添って歩くことはできない。
もちろん、それでも誰より傍にいられるし、二人しかいない空間なら恋人として振る舞える。……だけど、こういう機会は貴重だ。できる時に満喫しておかないと。
今日は年明けの祝いの日だ。ヘズガルズの王宮では盛大な夜会が催される。学園主催のダンスパーティーより一足先に、ロキ殿下にエスコートしてもらう形になった。
わたし達の婚約も無事発表された。ヘズガルズの重鎮達は「フリグヴェリル? どこ?」という顔をしていたけれど、異を唱える声は上がらない。エイル様とロキ殿下の影響力の賜物だろう。
わたしと顔を繋いでおきたい貴族達や、ロキ殿下の愛妾を狙う令嬢達の突撃は、ヴェイセル先輩がうまくかわしてくれた。
前者については、わたしとしても挨拶ぐらいならやぶさかではない。けれど、込み入った話をされるのは困る。まだヘズガルズでの地盤を固められていないから。
揚げ足でも取られて「王太子の妃にはふさわしくない」なんて方向に持っていかれたら大変だ。だから対応はヴェイセル先輩の人捌きとロキ殿下のスルースキルに頼らせてもらった。
後者は論外。わたしから殿下を奪おうなんて女がいるなら、徹底的に戦ってやる。勝つのはわたしだ。
「カーレン、今日はなんだか妙な凄みが出てるな。いつも君は綺麗だが、今日はもっとゾクゾクする」
「そうですか? 貴方を狙うご令嬢を牽制しているだけですよ。それから、貴方がよそ見をしてしまわないように」
「よそ見だなんて、そんなもったいないことをするわけがないじゃないか。君ほど面白い人はいないんだぜ? たとえ一瞬でも君を見逃してしまったら、きっと後悔するだろう」
ロキ殿下は跪いてダンスの相手を願い、わたしはそれに応じる。殿下の手を取ると、わたしを睨むように見つめていた令嬢達が悔しげに目をそらした。殿下の視界に、彼女達は入っていない。
流れる音楽と殿下のリードに合わせてステップを踏む。殿下が選んでくれた、真っ赤なヒールは殿下の足を抉らない。でも、殿下はとても嬉しそうだ。わたしもずっと胸がどきどきしていた。