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わたしの挨拶

 初めて見るヘズガルズの街は、面白い物ばかりだった。海に面しているので、港町も多い。特に王都の賑わいは目を見張るほどで、国力の違いを思い知らされる。

 フリグヴェリルとヘズガルズの力関係を考えれば、年明けの祝いはヘズガルズで迎えるべきだ。だから早めにヘズガルズに来たわけだけど、その判断はおのぼりさんとしても間違っていなかったと思う。きっと盛大な催しになるだろう。見ておいて損はない。


 ロキ殿下にはちゃんと王都観光の約束を取りつけた。好きな人とのデートで心が踊らない女の子はいないと思う。

 でも、恋する乙女の顔をするより先に、やらなければいけないことがある。ヘズガルズの王宮で、殿下のお母上にご挨拶することだ。


 フリグヴェリルの素朴すぎる城とはまったく違う絢爛な宮殿に圧倒されながらも、謁見の間でお母上がいらっしゃるのを待つ。

 謁見の間には、当然のように高官達が控えていた。あの中にヴェイセル先輩のおじいさんもいるのかもしれない。いるとしたら……きっと、玉座の傍に控えたあの老爺だ。携えているのは、さっきわたしが役人に預けた父様の書状だろう。


 高官達は、値踏みするような目でわたしを見ていた。ただの田舎姫だとあなどられていないといいんだけど。


 やがて現れたのは、侍女を一人連れた菫色の髪の女性だった。跪いてると、顔を上げていいと言われる。

 あどけない少女のような雰囲気の、可憐な女性だ。目元がロキ殿下にそっくりだった。殿下の年を考えれば少なくとも三十代だと思うけど、とてもそんな風には見えない。


 どこか浮世離れしたその高貴な女性は、柔らかく微笑んだ。

 この人が殿下のお母上、元王太子妃エイル・エーデルヴァイス・ヘズガルズか。わたしの未来の義母で、わたしの最大の敵になるかもしれない人。それがこの女性だ。


 ……どんな手段を使っても、絶対にヘズガルズに食い込んでやる。


「久しいですわね、ロキ。変わりはないようで何よりですわ。そちらの可愛らしいお嬢様が、フリグヴェリルの姫君ですの?」

「母上もお元気そうでよかった。その通り、こちらがカーレン姫です」

「カーレン・ラグナ・フリグヴェリルと申します。お会いできて光栄です、エイル様」


 淑女の礼を取る。エイル様は微笑を浮かべたまま小首をかしげた。


「ロキ、貴方のことはわたくし似だと思っていましたけれど……器量のいい子に惹かれてしまうところは、お父様そっくりでしたのね」

「そうでしょう? ところが、女性を見る目のなさは受け継いでいないのです」


 うふふふふ、ははははは、とエイル様とロキ殿下は楽しそうに笑い合っている。

 え、なにこれ。お二人なりの冗談? 慣れているのか周りの高官達は涼しい顔をしているけれど、一部に若干顔色が悪い人達がいる。


 不意にエイル様がわたしに視線を向けた。その目はみじんも笑っていない。


「中立国のフリグヴェリルの王女様が、親ノルンヘイム派であるヘズガルズの王子に嫁ぐというのは……それこそが国家としての回答と、受け取っても構いませんこと?」

「はい。両国とはこれからも友好的な関係を築いていきたいと、フリグヴェリル王ペーザーも申しております」


 それでも毅然として応じると、エイル様は表情をやわらげた。


「ロキが選んだお嬢様であれば、間違いはないでしょう。わたくしがとやかく口を出すことでもありませんわ。ロキだって、小さな子供でもありませんもの」

「そのようなお言葉を賜れるとは、光栄に存じます。わたくしとロキ殿下の婚礼により、ヘズガルズとフリグヴェリルの友好と発展が叶うよう尽力する所存ですので、なにとぞエイル様のお力添えをいただきたく。本日は、ご挨拶が叶ったお礼に心ばかりの品を用意させていただきました」


 ヘズガルズの役人達が、わたしがフリグヴェリルから持ってきた献上品を運び込む。エイル様は感嘆のため息をつき、くも織物を広げさせた。


「こちらはすべてフリグヴェリルの伝統的な工芸品になります。フリグヴェリルでのみ生産され、主に国内で流通している品ではありますが、お気に召していただけますでしょうか」


 貿易大国の支配者なら、これが売り物の試供品サンプルだとすぐにわかるだろう。わたしフリグヴェリルロキ殿下ヘズガルズが縁付くことで得られる利益は、とことんアピールしていかないと。


「フリグヴェリルの方々は器用ですのね。フリグヴェリルは、優れた自給率を誇った素晴らしい農業国だとロキからも聞いていますけれど……土地柄、育てづらい作物もあるのではなくって? それに山間の国ですもの、海の幸も目にしづらいのではないかしら」


 ――――釣れた。


 やっぱりロキ殿下は、事前に話を通してくれていた。やりやすいことこのうえない。ちらりと殿下を見ると、かすかに笑って頷いてくれる。


「おっしゃる通り、食料そのものには困窮してはおりませんが、日々の食卓は他国の方がご覧になれば粗食と思われてしまうかもしれません。ヘズガルズのような華やかな食卓を少しでも再現できれば、民の暮らしもより充実したものになるのですが」


 エイル様はにこやかに頷く。「宰相」横の老爺が反応し、うやうやしく書状を手渡した。宰相ということは、やっぱりあの人がローフォール伯爵のようだ。


「フリグヴェリルには、正式に使者を遣わしておきますわね。祝言を挙げるのは、カーレン様の卒業後になるでしょう。それまでは婚約者として、二人とも節度のある振る舞いをなさってくださいな」

「仰せのままに、母上」

「ありがたき幸せです、エイル様」


 これはかなりの好感触ではないだろうか。ロキ殿下が言っていた通り、あっさりと婚約は結ばれた。あとは結婚の日を待つだけだ。


「堅苦しい話はおしまいにしましょう。貴方達、下がってよくってよ」


 エイル様が高官達に向けて命じると、彼らは敬礼して謁見の間を出ていく。献上品も運ばれていった。それでもローフォール伯爵だけは残留を許されていて、いかにこの老人が重用されているかよくわかった。


「ファム、庭園でお茶の用意をしてくれるかしら。女性だけで話がしたいの。構いませんわよね、カーレン様?」

「お招きいただけるのであれば、喜んで同席させていただきます」


 どうせ拒否権はなさそうだ。できるときに覚えをよくしておいたほうが得策だろう。


 エイル様の背後に控えていた侍女は、はきはきと返事をして退室した。


「それにしても、カーレン様。貴方からの贈り物、どれも見事な品々でしたわ。特にあの織物……。蚕の糸ではなく、蜘蛛の糸を使っているのでしょう? 特定の蜘蛛型モンスターの糸でなければ織れないと聞いていますけれど、貴方、その蜘蛛の育て方は知っていて?」

「ええ、知識としてであれば。ですが飼育は容易ではありませんから、そちらの方法をお伝えするわけには……」

「いやですわね、製法を盗む気などありませんわ。ただの個人的な興味でしてよ。わたくし、蜘蛛が好きですの」


 エイル様は楽しそうに笑っている。そういえば、ロキ殿下もそんなことを言っていたっけ。


「あの織物で何を仕立てるか、考えただけで胸が躍ります。……ところであの織物は、ロキ、貴方の差し金かしら? 色合いに、何か恣意的なものを感じてしまったのですけれど」

「偉大なる伯父上に敬意を表しただけですよ。それに母上は好きでしょう、ああいうお色。輝くしろと、月のような黄金きんなんて特に」

「……あらあら。貴方の目に映る母は、ずいぶんと可愛らしい乙女ですのね。そんな風に思われていただなんて、恥ずかしいですわ」


 そう言うものの、エイル様は機嫌がよさそうだ。事前にこの人の好みをロキ殿下に聞いておいて正解だった。


「母上、カーレン嬢とは正式に婚約したことですし、俺とオフェリヤの関係を説明しても構いませんか?」

「……ロキ殿下?」


 待って。どうしてここでオフェリヤの名前を聞くの?


「それは、結婚してからでも遅くは……ああ、そうね。もしかして、何か不安にさせてしまうようなことがあったのかしら。オフェリヤはあの人に似て、愛されたがりの寂しがりやさんですもの。素直な分、あの人より可愛げがありますけれど」


 エイル様がため息をついた。“あの人”? 誰のことだろう。


「カーレン嬢。これは、俺が君との交際を真剣なものと考えていて……なおかつ、それが国家間の約束として正式に取り決められたからこそ打ち明ける機密だ。君への信頼あいの証だと思ってほしい」

「か……かしこまりました。ではわたくしも、殿下の誠意にふさわしい覚悟あいを示しましょう」


 破談になってしまえば、どうせ何を言われても忘れてしまう。それなら、早いうちに秘密を共有するのはいい判断だ。もちろん、破談になんてさせる気はみじんもないけど。


「前にオフェリヤのことを、俺の妹分だと言っただろう? あれは嘘じゃないが正しくもない。……俺達は本当に全血兄妹きょうだいなんだよ」

「……えっ?」


 ロキ殿下のお父上……ヘズガルズの元王太子って、とっくに故人なんじゃなかったっけ。オフェリヤが生まれてすぐに亡くなった? じゃあなんで、あの子はノルンヘイムの伯爵令嬢なの?


「俺の本当の父親には、君にももう会ってもらってるんだ。ラシック伯爵のことは覚えてるだろ?」

「教育係の……宮廷魔導師長……」

「この秘密は、俺の両親とローフォール伯爵、それからノルンヘイムの皇帝しか知らない。だから君も、他言無用で頼むぜ」


 つまりロキ殿下は、ヘズガルズ王国の王位継承者だけど、本当は正統な後継者じゃない?


 だけど……殿下の継承権は保障されている。殿下がヘズガルズの王太子であることは周知のことだ。ノルンヘイム皇族の血を引いているという事実にも変わりはなかった。

 よし、何も問題ない。それどころか、オフェリヤに殿下を略奪される可能性がほぼゼロになった。これはかなりの朗報だろう。


「もう。それならそうと早くおっしゃってください。わたくしはオフェリヤ様に、ずっと見当違いの嫉妬をしてしまっていたことになるじゃないですか」

「だから言っただろう、不純な仲じゃないって」


 そうとわかれば一安心だ。ごめんね、オフェリヤ。ずっと敵愾心を燃やしていたことについて、心の中で謝罪をしておく。今度ニルスに頼んで、お詫びのお菓子でも渡しておこう。


 そして殿下は、わたしにだけ聞こえるような声で囁いた。


「簒奪者の息子と、王位簒奪を目論むお姫様。俺達が結ばれるなら、実に面白いとは思わないか?」

「素敵。やっぱりわたし達、とてもお似合いだと思います」


 殿下の手を取る。せっかくここまで来たんだもの。この人のことは、決して逃がさない。

 信頼の名のもとに共有する二人だけの秘密は、きっと強い楔になるだろう。歪めた性癖の扉? 別に、開けっ放しでも困らないじゃないか。わたしだけが知っていればいいんだから。殿下みたいな真性の変態に付き合えるのはわたしだけだ。


 わたし達の秘め事を魔術で簡単に忘れるなんて、絶対にさせないんだから。

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