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わたしの婚約

 ロキ殿下が動いたのは、二日目の夜だった。明日わたし達はヘズガルズに向かうから、今日がフリグヴェリルで過ごす最後の夜だ。

 殿下は真剣な顔で父様と母様と対峙している。わたしも当事者ということでその場に居合わせていた。援護の用意はばっちりだ。


「ペーザー王、グンヒルド妃。ヘズガルズの王太子として、お二方にお願い申し上げます。どうかカーレン姫を、我が国の妃として迎えることをお許しいただけないでしょうか」

「そ……それは、願ってもない話だが……しかしロキ王子、カーレンは……その、少々特異な体質で……」


 父様がちらりとわたしを見た。正確には、わたしの髪を、だろう。わたしが持つ魅了の力を可視化したのが、この紫色の毛先だ。

 国王としてか、あるいは一人の父としてか、どうしても気にしてしまうらしい。まあ、一国の王子を異能で誑し込んだなんて、外聞が悪いで済む話でもないだろう。それが露呈したらどうなることやら。


「存じております。私はいっときの錯覚に惑わされてこのようなことを申し上げているわけではございません。私と共にヘズガルズを導いていけるのは姫しかいないと確信しているからです。無礼を承知で申し上げましょう。姫の力を知ったうえで、私は姫を心から愛しているのです」

「父様、母様。わたしも、ロキ殿下のことを愛してる。……はじめてなの、わたし自身を見てもらえたのは。この方は魅了の力など関係なしに、ご自分の意志でわたしを選んでくださったのよ。だからわたしは、この方と共に歩む未来を選びたいの」


 目にいっぱいの涙を溜めて軽く俯く。涙ぐらいは好きな時に好きなだけ流せた。


 正直、魅了の力を持っていてわたし自身が困ったことはほとんどない。無自覚に周囲を魅了してしまっていた頃に、同年代の男の子達がわたしを巡って喧嘩していたことがあるぐらいだ。ニルスと入れ替わってからもそういうことはたびたびあったらしいので、幼いころの刷り込みは強力らしい。


 でも、利用できそうな要素なら利用しないと。


 真実の愛を訴える清廉な王子と破滅の力を持って悩み苦しむ悲劇の姫君という演出は、いい具合に父様達の心に刺さったらしい。父様はすっかり父親の顔をして涙ぐんでいる。でも、母様はすぐにきりっと顔を引き締めた。


「ロキ王子のお覚悟はわかりました。ですが、カーレンの力は多くの人を狂わせます。たとえカーレンが望んでおらずとも、ヘズガルズの宮廷を乱してしまうようなこともあるかもしれません。その時のことを、貴方様は考えておられますでしょうか」

「グンヒルド妃の憂いは当然のものでしょう。一人の男としての言葉は先の通りです。ですから次は王太子として……人ではなく国として、ここに不遜なる宣言をいたしましょう――ヘズガルズは、たった一人の傾国が現れた程度では揺るぎません」


 ロキ殿下は笑う。大国の王太子らしい、傲慢な笑みだった。


「ヘズガルズは、姫の異能を知る私が統べることになる国ですよ? カーレン姫を己の妃に迎えたがっておりますのは、ただ彼女に溺れて腑抜けになった男でも、己の欲望に執着するあまり姫を傷つけてしまう愚か者でもございません」


 朗々と告げる殿下の目は、しっかりと前を見据えている。大胆な物言いには、父様も母様も口を挟めないようだった。


「臣下の中には、姫への叶わぬ恋に惑う者が現れてしまう可能性はあるでしょう。ですが私はその者達すらも許します。この私が選ぶほどの素晴らしい女性なのですから、恋敵の一人や二人は当然予想のうちですとも。それに、欲望に負けて道理を外れた愚かな恋に身を焦がす者が掴む栄華はないと、ヘズガルズという国家は理解しているのです。不貞を目論む不忠義者につく民がいないというのに、なんの脅威になりえましょうか」


 殿下は言う。かつてヘズガルズでは、愛人に溺れて政を疎かにした王太子がいたせいで革命が起きたのだと。

 不貞と革命に因果関係があるかはさておくとして、王家の人ですら追放された事実は残っている。主君の妻を奪おうとしたのが臣下であれば、なおさら民には受け入れられないだろう。他の貴族も味方に引き入れられるかどうか。


 実際のところ、今のわたしは魅了の力の垂れ流しなんてしない。もしわたしの魅了にかけられたと言いだす人が現れたら、冤罪もいいところだ。

 だから母様の不安は言いがかりにすぎなかった。もしかしたら母様の目にはまだ、わたしが何か恐ろしい化け物のように見えているのかもしれないけど。


「カーレン姫を己の妻にと望む国内外からの声は、お二方のもとに届いているやもしれません。ですが、今一度お考えください。その者達の中には、私ほど姫のお心を理解している者がおりますか? 姫の魔性をもっとも受け入れているのは誰ですか? 人を狂わす破滅の姫と、それに狂った者達を寛容できる者は? 何もわからぬ愚かな男達から姫を守るだけの富と権力ちからを持ち、なおかつそれらをフリグヴェリルに一番還元できるのは?」


 ああ、やっぱりこの人は生まれついての支配者だ。

 これはおどしに他ならない。殿下が意図しているかはわからないけれど、少なくとも父様と母様にとってはそう聞こえてしまうだろう。

 わたしとしては、報復の刃がフリグヴェリルに向かなければそれでいいし……実際にそんなことをするほど殿下は馬鹿な人じゃないとわかっているから、別に構わないけれど。


「もしも求婚者達の中に、私に並ぶか私以上の男がいるというなら、姫のお気持ちを確かめたうえで誠心誠意その男と競いましょう。……どうかお二方におかれましては、姫の幸せと国の安寧の二つを叶える選択をしていただればと存じます」


 父様達は、すぐに答えを出してくれた。

 明日の出立までには、婚約締結に同意するヘズガルズ宛の書状を用意してくれるらしい。外堀は順調に埋まっている。あとは、ロキ殿下のお母上に認めてもらうだけだ。


*


 父様達と別れたあと、わたし達は殿下の客室に戻った。


 そもそもの人手が足りないので、客室に控えている使用人はいない。もてなしを兼ねて、滞在中はわたしやニルスが殿下のお世話をすることになっているから、わたしと殿下が二人きりで部屋にいても怪しまれることはなかった。この城の警備、もともとザルだし。


「ロキ、素敵な演説でしたよ」

「ご両親に納得してもらえてよかったぜ。あとはうちの母上だけだが……これもどうにかなるだろうな。根回し・・・はしてある、悪いようには思われていないはずだ」


 事前に手紙でわたしのことを色々と話していた、ということだろうか。義母になる人に、どういう風に伝えられているかちょっと気になる。この様子なら、印象は大丈夫そうだけど。


「ああ、そうそう。ロキにプレゼントがあるんです。今のうちに渡しておきますね」


 ちょっと待ってもらえるよう頼み、自室に戻る。音遮断の魔具は殿下の荷物の中に入っているはずだ。殿下にはその用意もお願いしておいたから、客室に帰るころには発動しているだろう。


 内緒でフリグヴェリルの職人に注文していた物は、初日のうちに確認済みだ。惚れ惚れするほどの出来栄えで、これならきっと殿下にも満足していただけると自信を持っていた。


 プレゼントの箱を抱えて急いで戻る。ロキ殿下はきちんと“待て”ができていた。


「気に入っていただけるといいんですが」

「カーレンからのプレゼントならなんだって嬉しいさ。開けてみてもいいか?」


 にっこりと頷く。しゅるり、ロキ殿下が箱のリボンを外した。


「……これは」


 殿下は驚いたように目を見開く。けれど次第に歓喜が広がり、蕩けたようにわたしを見つめた。


「きっと貴方に似合うと思って。つけてあげますから、そこに跪いて?」


 素直に跪いた殿下の元に歩み寄り、贈った首輪に手を伸ばす。ペリドットがあしらわれた、華やかな純金のそれはチョーカーと言っても通じそうだ。でも、伸びた鎖がこれをただの装飾品とは思わせない。

 金属製の丈夫な首輪は、大型の家畜モンスターにはよく使われる。わたしが何かペットを見つけたと思ったのか、昔から懇意にしていた職人は依頼をすぐに受けてくれた。こんな高級なものをねだるなんてどれだけ珍しい生き物モンスターを捕まえたんだ、と冗談めかして笑われたけど。

 確かに、材料費の時点でかなり値は張った。個人の貯金でなんとか工面はしたものの、こんなに高価なもの、普段のわたしならめったに買わない。


 ――――だけど、これほど美しい毛並みで高貴な血統のひとなんだもの。首輪だってそれに見合ったものでないと失礼でしょう?


 かちゃり、鍵を外した。殿下は潤んだ目でわたしを見上げている。わたしの指は、興奮からか小さく震えていた。

 冷えた金属が彼の肌に触れた瞬間、甘い吐息がかすかに漏れた。反応は上々らしい。用意したかいがあった。

 鍵をかけ、サイドテーブルに置く。鍵穴は首の後ろ側にあるから、殿下一人では首輪を取るのは難しいだろう。


 とっておきの首輪は、殿下にとてもよく似合っていた。

 なんてきれいなんだろう。このひとは、わたしだけのひとだ。


「苦しくないですか?」

「ああ。少し冷たいが、そのうち馴染むだろうしな。それに、今はこれぐらい冷たいほうがちょうどいい」


 頬を紅潮させ、殿下はうっとりとした様子で首輪に触れた。気に入ってもらえたならなによりだ。


「まさか首輪を嵌められて悦ぶなんて。とても一国の王子とは思えない、みじめなお姿ですね。ほら、そこに姿見があるでしょう? ご自分のだらしないお顔、よく見てみたらいかがです?」


 わざと音を立てて鎖を引っ張る。よろめいた殿下はバランスを取るために両腕を床につき、従順に啼いた。

 荒い呼吸に混じってこぼれる媚を含んだなまめかしい彼の声が耳朶に触れるたびに、わたしの中を巡る血も熱くなる。


 この鎖はまるでわたしと殿下を繋ぐ運命の糸だ。この絆は、絶対に離さない。

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― 新着の感想 ―
真面目に熱く真摯に「娘さんください!」演説した王子様に、まさか娘が密室で首輪をプレゼントしてるとは、ご両親も思うまい‥(泣)
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