わたしの本質
一年生向けの特別講義の初日、ロキ殿下がわたしを迎えに来たのは昼休みだった。講師のラシック伯爵は、昼休みから準備のために学園に来ているらしい。
殿下に連れられて、外部講師用の教務室に向かう。周囲は静まり返っていた。この辺りはあまり来たことがない区画なので、廊下を歩くだけでも少し緊張する。
「兄上、貴方にラシック家の誇りはないのか!?」
そんな静かな空間だから、だろうか。その怒鳴り声はいやに響いた。
「私とクヌート兄上が継ぐべき才を根こそぎ奪ったくせに、さらにその血を家に還元しないなど許されていいはずがない! 貴方は父上からの贈り物を独占して、私達に何も残さなかった! ならせめて、次代に与えるのが義務だろう!?」
ちょうどロキ殿下がノックしようとしたドアの中からだ。わたし達は一瞬顔を見合わせたが、殿下はそのままノックした。「失礼します、伯爵」入室の許可を待たず、殿下はそのままドアを開けてしまう。
まだ昼だと言うのにカーテンが閉め切られ、照明の点いた部屋の中で、コンラード先生が白髪の男性に掴みかかっていた。
コンラード先生に詰め寄られ、胸ぐらを掴まれている人がラシック伯爵だろうか。よく見れば、髪の一房が紫色だった。
コンラード先生とは兄弟らしいけど、こうして並んでいても似ているかどうかよくわからない。伯爵は白いマスクをつけていて、目から下が完全に隠れているからだ。オフェリヤと似ているかすらも判別できない。
「何度言われても、オフェリヤはお前のところに嫁がせない。あの子の婚約者も内定済みだ。……オフェリヤにはオフェリヤの人生がある。あの子は、お前のそのどうしようもない劣等感を満たすための道具じゃない」
コンラード先生を払いのけ、ラシック伯爵は白いローブの襟を正す。先生には一瞥もくれなかった。
「お前も父さんの息子なら、お前にだって魔術の名家の血は流れてるはずだ。自分が無能なことを僕のせいにするな。父さんを振り向かせたいなら一人で勝手にやっていればいい」
「貴方は……ッ!」
怒りに顔を歪め、コンラード先生はなおも食って掛かろうとする。でも、視界の端にちょこんと佇むわたし達にようやく気づいたようだ。はっとして取り繕おうとしているけれど、色々と遅い。
「コンラード、先約があるって言っただろ? この通り、先約が来たからさっさと帰れ。こっちはわざわざ講義のためだけに城を離れて来てやってるんだ、お前のくだらない八つ当たりに付き合ってるほど暇じゃない」
伯爵にそう言われ、コンラード先生は悔しげに出ていった。
「久しぶりだな、ロキ王子。それから……はじめまして、ニルス王子。だけど、入室許可を出した覚えはないぞ。次は少し待つように」
伯爵は、じとっとした目をわたしと殿下に向ける。その目の色は金色だった。
そういえば、聞いたことがある。白髪金目という、生まれつき日光に弱い体質の人がいると。だからこの部屋はカーテンが閉じられているんだろう。長袖の厚手のローブは、冬場ということを加味するとさほど妙な格好でもないけれど、この人にとっては日除けの意味が強いのかもしれない。
「仕方ないだろう? あの調子じゃ、いつまで待っても気づいてもらえない気がしたからな。まったく、コンラード先生にも困ったものだ。オフェリヤと結婚したって、貴方を凌ぐほどの魔力を持つ子供が生まれる保証なんてどこにもないのに」
「末っ子はなんでも欲しがるんだよ。魔術しかない僕とは違って恵まれてるくせに、それだけじゃ満足できないらしい。だから、未来に希望の夢を見たいのさ」
伯爵に示されるまま、わたし達はソファに座る。ティーセットがひとりでに動いて給仕をするのは、きっとそういう魔道具だからだろう。
「それで? わざわざ講義の前に会いに来たんだ、何か大事な用事なんだろうな?」
「俺の優秀な寮内兄弟を、伯爵にも紹介したくてね」
殿下はそう言って胸を張る。殿下にそうまで言われると、わたしとしても誇らしい。「身内贔屓はしないからな」伯爵はうんざりとした様子で吐き捨て、じっとわたしを見つめた。
「……」
数秒の沈黙の後、伯爵は深いため息をついて天井を仰ぐ。ロキ殿下は意外そうに目を丸くした。
「どうかしたか、伯爵。そんな反応をするなんて珍しいじゃないか」
「別に。血は争えないと思っただけさ。……まったく、どこで見つけてくるんだか」
「……?」
緊張が走る。何か粗相をしてしまったのかもしれない。マナーに瑕疵があっても、自分ではなかなか気づけないものだ。
「ああ、大丈夫だ、ニルス君。君が何かしたわけじゃないから安心してくれ。実は伯爵は、他人の本質……いや、天から与えられた使命といったほうが正しいのかな? とにかく、それがわかるという異能の持ち主なんだよ。どうやら君の背負ったものは、伯爵の予想外のものだったらしい」
「殿下、それはなんの慰めにもなりませんよ? むしろもっと不安になってしまうのですが……」
ただでさえ、この前ヴェイセル先輩に魔性がどうのと言われたばかりなのだ。このうえさらにラシック伯爵にまで人間性を否定されたら、さすがのわたしも傷ついてしまう。
「……ニルス王子、だったか。君、何か運命を知っているだろう?」
「えっ……!?」
どきりとする。わたしの知る運命、それは『記憶』のことだろうか。
「君が何を知っているかについての興味はないんだ。どうせ聞いたところで理解できないと思うし。でも、君は何か確固たる未来の指針を持っていて、そうなるように……あるいは、そうならないように生きてるんじゃないか? 世界をひとつの舞台とみなした時、運命を自分の望む結末へと書き換えるため演者の中に混じっている……そういうものが、君から視える」
ああ、やっぱり。この人は、わたしに『記憶』があることがわかったんだ。それは異様なことだから、ここまで驚いたに違いない。
「せいぜい、その固定観念に囚われないようにするんだな。僕から言えるのはそれだけだ」
「……ご忠告、ありがとうございます」
確かにわたしは、祖国を『記憶』の二の舞にさせたくない。でも、もう『記憶』の災禍は過ぎている。だからわたしが目指しているのはその先だ。すなわち祖国に繁栄を――――わたしに玉座を。
何があっても、それは揺らがない。その目的のためなら、わたしはなんだって利用する。愚かしくも大切な片割れも、美しくて愛おしい王子も、わたしの願いを叶えるための礎だ。