わたしの理由
*
物心ついた時にはもう、その『未来の記憶』はわたしの中にあった。
悪逆非道の帝国に滅ぼされた祖国。無残に処刑された大切な家族。踏み躙られた国民と、荒れ果ててしまった国土。だから『わたし』は復讐を誓った。
そして、憎い皇帝の息子をはじめとした諸国の名家の子息達が集まる学園に、身分と性別を偽って進学した。彼らの暗殺の機会をうかがい、果ては帝国を内側から蝕むために。
そこで出会った男達との間に芽生えた絆と、己に課した復讐という使命の間に揺れて――――『わたし』は何度も恋をして、何度も恋を殺して、何度も使命を捨てていた。
『記憶』の中で、『わたし』は同じ一年を何度でも繰り返すことができた。違う男の手を取り、そのたびに悩み苦しみ、復讐者としての生き方を貫くか、それとも過去を捨てて愛を取るかの選択を迫られた。
わたしは、そんな『わたし』の半生が未来の自分の可能性であることを、幼心に知っていた。
無意識のうちに『未来の記憶』と呼んだそれこそが、前世の因果が手繰り寄せた運命なのだ。
どうしてわたしにそんな『記憶』があるのかはわからない。だけど、使えるものはなんでも使うべきだし、妄想だと笑い飛ばして後悔するぐらいなら妄想に踊らされて後悔したほうがましだ。
――――だからわたしは、『わたし』のような生き方をしないように『記憶』を頼ることにした。
初めて『記憶』を利用したのは五歳の時だ。
父様の元に、他国からの使者が来るという噂があった。
フリグヴェリルのような何もない国に、他国から人が来るのは珍しい。だからみんな、外国人が何か面白いことをしてくれたり、面白いものを持ってきてくれたりしていないかとわくわくしながら待っていた。わたしもそうだった。だからこっそり謁見の間に隠れて、内緒で使者と父様の話を聞こうとした。
使者は言った。父様も反ノルンヘイム同盟に加わらないか、と。
フリグヴェリルは農業と手工芸品で生計を立てる小さな国だ。国全体が農地と言ってもいい。そもそもの国土が狭いせいで、輸出用に大量生産ができるわけでもないけれど。
フリグヴェリルの手工芸品は、どれも特殊な材料を用いている。採集量には限度があるし、一般受けもしづらい素材だ。あくまでも自分達で使うために作っているだけで、そうそう数は作れない。農作物もそうだが、手工芸品は国内での使用が主だった。珍品好きの好事家や原材料を気にしない鷹揚な人の元に行商に向かうのが年に数回あるぐらいだ。
高値で取引できるような資源もないし、鍛え上げられた軍隊も、莫大な財源もない。国全体で酪農をやっているおかげで大体のことは自給自足でまかなえているけれど、だからこそ余剰な蓄えなんてなかった。
一方のノルンヘイム帝国は、大陸のほとんどを掌握している。とても豊かで強い国だ。それまでノルンへイムに侵略されなかったのは、フリグヴェリルが田舎すぎて攻める価値もなかったからだろう。一応守りらしい守りだけならあるが、そんなものは帝国が本気になれば軽く踏みにじれると『記憶』が証明していた。
なんとか属国に収められることもないまま独立を貫けていたけれど、どうせ存在を忘れられていたからに違いない。そんなフリグヴェリルに声をかけるなんて、反ノルンヘイム同盟とやらはよほど緩いか、人手が足りていないかのどちらかに決まっている。
父様は悩んでいた。すぐには答えられないから少し考えさせてほしいと返事をした。
でも多分、このままだと父様は使者の言葉にうなずいてしまうのだろう。そして帝国にたてついた罪で、反ノルンヘイム同盟に加盟している国々はあっさりと帝国に滅ぼされ――――わたしは、『わたし』と同じ運命を辿る。
それは嫌だ。だってわたしはフリグヴェリルが好きだから。父様も、母様も、双子の弟のニルスのことも、フリグヴェリルで生きている他の人達のことも好きだった。みんなを失うなんて耐えられない。
だから、わたしは行動を起こした。
使者を殺すのはとても簡単だった。だってわたしはあらゆる場所の抜け道を知っていて、どこにだって秘密基地を作っていたし、山の中にたくさんのモンスターがいて、わたしには彼らを操ることができたからだ。
わたしの大好きなフリグヴェリル。この平和をおびやかそうとしたんだから、死んで当然だろう。
使者がいなくなってしまったので、父様は困ったようだ。消えた使者を、城の人総出で探しに行った。
使者の死体はひとけのない場所で見つかった。使者のことは、人里に降りてきた凶暴なモンスターと遭遇してしまった、不幸な事故として処理された。わたしの予想通りだ。そして父様は、反ノルンヘイム同盟のことを聞かなかったことにした。これで一安心だ。
『わたし』は七歳の時にノルンヘイムのせいで何もかもを失った。でも、わたしは七歳になっても一人ぼっちにはならなかった。
父様がいて、母様がいて、ニルスがいて、大臣もちゃんといるし、メイドのララも、兵士長のイオ爺さんもいる。町を歩けば、町の人達も明るく声をかけてくれる。フリグヴェリルは平和だ。
わたしの幸せは、こうして守られた。わたしは、正しい道を選べたのだ。
*
「カーレンが男の子だったらよかったのになぁ」
わたしは狩りが好きだった。馬と一緒に風になる時間も好きだった。父様の政務を見ているのも好きだった。農作業のお手伝いもする。勉強だって嫌いじゃなかった。剣術は苦手だけど、魔術だったら得意だ。
けれど、わたしが何かするたびに、父様はそうため息をついていた。
父様が残念そうにするのを見るのは悲しいので、あまり好きなことをしないほうがいいのかな、と思ったこともある。苦手な機織りやお裁縫の練習をして、少しでも上手にならないと、と。
すると母様から「あなたはあなたの思うままにしていればいいのよ」と言われたから、好きなことをやり続けた。あまりにも不器用なわたしを見兼ねた母様の優しさだったのだろうか。
いつの間にか、わたしは子供達の中で一番狩りがうまくて、父様のやっていることもなんとなく理解できるようになっていた。
だけどニルスはだめだめだ。ニルスは優しいけれど、それだけだった。ニルスは身体が弱いし臆病で、楽しいことしかしたがらない。しょっちゅうめそめそしているし、頭もあんまりよくなかった。それに何より、人前に出ることが苦手だった。それは体質のせいでもあるから、仕方なくはあるけれど。
ニルスは畑に出たこともないし、薪を割ったことすらない。おまけにウサギの一匹すら捕まえられないときた。家畜の鶏を締められないのはさすがにどうかと思う。ニルスのことはもちろん大好きだけど、それはそれ、これはこれだ。
「カーレンがお兄ちゃんだったらよかったのに。それか、僕とぜんぶ交換しようよ。僕がカーレンになって、カーレンが僕になればいい」
「試してみる? 服を交換したら、きっと誰も気づかないわ」
そして、わたしはふわふわの長い髪を切った。
一瞬で伸ばす方法は知っていたから惜しくはなかった。代わりにニルスの髪を伸ばして、梳かしてあげた。
見た目だけなら、わたし達はとてもよく似ていた――――自分でも、目の前にいるのがカーレンだと思ってしまうぐらいには。