閑話2 伯爵令嬢の求愛
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「君は本当に、悪いところばかり両親に似たな」
お父様は、ことあるごとにそうおっしゃいます。
けれどその時のお父様は、とても優しい目をしてわたくしを見てくれるので、嫌な気はしません。
それに、今日はわたくしの十歳の誕生日なのです。いつもわたくしを可愛がってくださるお父様が、そんな楽しい日にわたくしを馬鹿にするわけがありませんでした。
「お父様、わたくしのお父様とお母様はどんな方なのですか?」
「卑屈で臆病な男と、我儘で強欲な女だよ」
わたくしをお膝の上に乗せ、お父様は頭を撫でてくれました。
お父様に抱きつくと、お父様は抱きしめ返してくれます。人と触れ合うこのぬくもりが、わたくしは大好きです。お父様もきっとそうなのでしょう。
「可愛いオフェリヤ。君の両親は、いつだって君の幸せを願っているからな。……僕とあいつの愛の形は、他人には理解されないものだ。だから君がどんな愛を知ったって、僕はそれを応援しよう」
普段は隠れてよく見えない、お父様のお顔。わたくしにしか見せない、お父様の弱いところ。それを受け止めてあげたくて。わたくしとそっくりの鼻筋をそっと撫でて、鼻の頭を甘く噛みました。
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「オフェリヤ、殿方を誤解させるような言動はつつしむべきよ」
「わたくし、何かしてしまっていて?」
皇妃殿下のお茶会の時、エルセはこっそりわたくしにそう囁きました。
同い年のエルセは一番の親友です。ユリウスの妹ですので、少しユリウスに似ています。エルセは何でも話せる、強くて格好いい女の子です。
それに、とても可愛いのです。ふわふわの桃色の髪はとっても素敵なのに、一生懸命まっすぐにしようとして毎日髪をこっそり引っ張ってみるところとか、虫が嫌いなのに悲鳴を上げないようにぷるぷる震えるところとか、もう十歳なのにぬいぐるみがないと眠れないのは恥ずかしいと思って、必死に隠そうとしているところとか。
「さっきみたいに、お顔に触ったりだとか、抱きついたりとか……そういうことは、大人がすることよ」
エルセは真っ赤になってぷるぷる震えていました。虫がいるのでしょうか。
辺りを見回してみたけれど、見つけられません。わたくし達に話しかけたそうにしている男の子達がいるだけでした。
「どうしてでしょう? 好きなもののぬくもりを感じたいと思うのは、当たり前のことですわ。好きなものを好きと表現するのに、年齢は関係ないはずでしてよ」
「でも、ペミエ伯爵のご子息とは、今日が初対面のはずだわ。シエート男爵のご子息ともよ!」
「だって、これから好きになるかもしれませんもの。もちろん、嫌いになったら近寄らせませんわ」
「貴方って子は……。ラシック伯爵はなんとおっしゃってるの?」
「お父様? お父様もだめとおっしゃるけど、今はいらっしゃいませんもの。ですから大丈夫でしてよ」
わたくしはただ、愛を表現したいだけなのに。それの何がいけないことなのでしょう。
「そういうわけにはいかないなぁ。奔放な妹をきちんと見張っていろと、伯爵から仰せつかっていてね。いつまで経っても甘えん坊のオフェリヤお嬢様、君のことは俺が存分に甘えさせてやろうじゃないか。だから余所見はしてくれるなよ」
「ロキ、それじゃあ逆効果だろう」
「ロキ兄様! いらしていたならおっしゃってくださいな!」
大きく広げられたロキ兄様の腕に飛び込みます。兄様は難なく受け止めてくれて、ぎゅーっとわたくしを抱きしめてくれました。
兄様と一緒に来たユリウスは呆れた顔をしていますが、気にしません。意地悪なユリウスには、挨拶なんてしてやらないことにします。
「あら? 兄様、その方はどなた?」
「ルークスだ。ベルハント侯爵のご子息だよ」
「ルークス・ベルハントと申します。お目にかかれて光栄です、エルセ皇女殿下」
エルセがユリウスにそう尋ねていました。思わずそちらを見てしまいます。ユリウスの少し後ろで、知らない男の子が騎士の礼を取っていました。エルセもそれに応じています。
髪も目も、純粋なノルンヘイム人の色ではありません。属国の血が流れているのでしょうか。混血自体はよくあることです。
けれど……なんて力強くて、まっすぐな目なんでしょう。「オフェリヤ?」あの綺麗な目にわたくしを映してほしくて、気づいた時には兄様から離れてルークスに近づいていました。
名を名乗り、淑女の礼を取ります。ルークスはわたくしに小さく頭を下げました。灰色がかった蒼の瞳は、わたくしを見定めるかのように静かなままです。
「わたくしとも仲良くしてくださると嬉しいですわ。ね、ルークス様」
「……もったいないお言葉です、オフェリヤ様」
お近づきのしるしに、手を繋いであげました。
ルークスの手はまめがたくさんあって、ほんの少し汗ばんでいました。
それ以降、ルークスはたびたびユリウスと一緒に現れて、わたくし達と遊ぶようになりました。
ルークスはユリウスやエルセのように、わたくしに淑女の心構えがどうのと苦言を呈することはありません。されるがまま、抱きつかせてくれたり頭を撫でさせたりしてくれます。
ルークスの緑色の髪は少し硬くて、けれど暖かい匂いがするから好きです。騎士見習いのルークスは筋肉ばかりで抱き心地は悪いですが、わたくしのことをしっかり受け止めてくれます。それに、心臓の音がよく聴こえるのも悪くありません。
同じくわたくしの自由にさせてくれるロキ兄様は、ノルンヘイムにいないことのほうが多いです。でもルークスが来てくれてから、ロキ兄様がいない寂しさは埋められました。
お父様、ユリウス、エルセ、ロキ兄様、それからルークス。わたくしの大好きな人達。お友達はたくさん欲しいけれど、この人達が一番好きです。
最近、エルセが真っ赤な顔をしながら読んでいる本がありました。城下で流行っている恋愛小説らしいです。そういう物に関心を持つのは恥ずかしいことだとエルセは思い込んでいるから、内緒で読んでいるつもりなのでしょう。
けれどこの前の誕生日、若い侍女にこっそり小説を買ってくるようねだっていたことも、匿名のファンレターを秘密で出していたことも、わたくしは知っています。親友に隠し事ができると思わないでいただきたいものです。
「オフェリヤは、好きな人はいるの?」
「一番好きなのはお父様ですわね。エルセのことも大好きですわ。ロキ兄様とルークスのことも。ユリウスは……口うるさくないときは好きでしてよ」
「そ、そういうことではなくってよ!」
「まぁ。ふふ、ではどういうことなのでしょう」
意地悪をしすぎてしまったでしょうか。エルセは真っ赤な顔で口ごもっています。エルセの好きな人を聞こうとしても、教えてくれませんでした。
それにしても……好きな人、ですか。
お友達はたくさんいますが、恋人や結婚相手という意味ではあまり考えたことはありませんでした。
お父様のことは大好きですが、お父様と結婚したいと言い出すほどわたくしは子供ではないのです。
ロキ兄様は兄様なので、結婚したいとは思いません。わざわざ結婚しなくても、兄様は大好きな兄様ですもの。
ユリウスと結婚すれば、エルセのお姉様になれます。けれど、ユリウスはきっと今よりうるさくなるでしょう。そんなことになったら、ユリウスを嫌いになってしまうかもしれません。
ユリウスのことは好きなので、嫌いになりたくありませんでした。それに、わざわざ義理の姉妹にならなくても、エルセとわたくしはとても仲良しです。
それなら、ルークスはどうでしょう。ルークスはわたくしが何をしても怒らないし、いつも優しくしてくれます。ルークスを嫌いになってしまうようなことはないのではないでしょうか。
結婚しなくても、ルークスは大切なお友達ですが……誰かと結婚すると、そうも言っていられないかもしれません。
だって、家庭教師が口を酸っぱくして言うんですもの。わたくしの愛情表現は過剰すぎるから慎みを持ちなさい、と。
けれど、ルークスならそんなことは言いません。わたくしが誰と仲良くしていても、気にしないでくれます。ルークスと結婚すれば、わたくしはわたくしのままでいられるのではないでしょうか。
それに、ルークスは“花園”に来る一人です。“花園”を知っているルークスなら、絶対に安心できました。
これはとても素晴らしい思いつきです。さっそく次の日、騎士達の城にいるルークスに会いに行きました。
ルークスは騎士見習いなので、普段から登城が許されています。今日も剣の稽古をしているようです。真剣な眼差しのルークスは、次々と他の騎士見習いと戦っていきます。
模擬試合、というものなのでしょうか。対戦相手を次々と負かすルークスは、いつもと変わらず涼しい顔をしていました。
お昼休みになって日陰に戻ってきたルークスに、持ってきていたバスケットを見せます。中身はもちろん、お父様に内緒で作ってきたお弁当です。
ユリウスやエルセを入れた四人―ロキ兄様がいらっしゃる時は五人ですが―で一緒に遠乗りやピクニックに出かけるときは、こうしてお弁当を作っていました。「私だけのために、わざわざご用意なさったのですか」それなのに、どうしてルークスは不思議そうな顔をしているのでしょうか?
「ルークス。わたくし、貴方と一緒にいる時がいっとう楽しいですわ。貴方はどうかしら」
「はい、私もです」
二人で一緒に木陰でお弁当を食べます。わたくしの問いに、ルークスはあっさりと答えてくれました。嬉しくなって、ルークスに抱きつきました。
「まあ! それなら、わたくし達は両想いですわね」
「お、恐れ多い……!」
帰ったらお父様に、ルークスと結婚したいとおねだりしましょう。お父様は優しいので、わたくしのわがままはなんでも叶えてくださるのです。