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閑話1 騎士の逢瀬

『拝啓、親愛なるルークス様


 お変わりないご様子で安心いたしました。ですが、お食事はきちんと摂ってくださいな。ひとつのことに熱心に打ち込むのはルークス様の美点ですが、あまり御身を蔑ろにされてしまうとオフェリヤはとても悲しいです。……』


 オフェリヤから届いた手紙を見ると、いかに自分が武骨でつまらない男かを思い知らされる。

 流麗な文字が綴られた、可愛らしい便箋が三枚。香水を吹きかけてあるのか、甘い砂糖菓子のような香りがほのかに香った。

 ディー・ミレア学園での生活や近況報告、新しい友人との思い出など、私の知らないオフェリヤの様子はいつまでも読んでいられる。


『来月にはデア・ミルとの交流会があると聞きました。ルークス様にお会いできるのを楽しみにしています。』


 特に繰り返し読んでしまうのはその一節だ。全寮制の男子校であるデア・ミルと女子校たるディー・ミレアでは、学校行事として定期的な交流会が催されていた。生徒一人一人が互いの価値を示す場とも呼べる交流会は、卒業後を見据えた見合いの意味もあるのだろう。


 かつて良家の子女は、家に招いた一流の家庭教師達から教えを受けるのが常だった。しかし今の皇帝陛下が数多くの教育機関を整備されたことで、今度は逆にそういったところで学ぶことがステータスへと変わったらしい。

 特にデア・ミルとディー・ミレアは国内最高峰の学び舎だ。選ばれた者しか入学できず、諸国からも入学希望者が後を絶たない。……皇帝陛下が諸国から人質を集めるために建てた“牢の園”だという見方もされてはいるが、それでも教育の質は本物だ。

 幼いころは家庭教師の下で学び、思春期から成人までを寄宿学校で過ごす。そうした慣習が良家の子女の主流になりつつあることで、婚約や適齢期に関する考え方もこの十数年で少しだけ変わったようだ。すでにオフェリヤという内々の婚約者がいる私には関係のない話だが。


 ディー・ミレアとの交流会は、デア・ミル全体を浮足立たせる大きなイベントのひとつだった。

 そこで良縁を見つけられるかもしれないし、息女を通じて親に顔を売れるかもしれない。あるいは愛らしい少女と知り合いたいという下心を持つ者もいるのだろう。もしも私にオフェリヤがいなければ、私もその喧騒の中にいる一人になっていたのだろうか。


 オフェリヤとはたびたび手紙のやり取りをした。私が何か短い言葉を送り、オフェリヤは丁寧な(ふみ)を返す。オフェリヤのように気の利いたことを言えたらいいのだが、剣を振り馬に乗ることしかしてこなかった私にそういった才能はなかった。

 なら剣術や馬術について書くかと思えば、ようやく筆が乗ってくれたのだが……盗み見たボリスから、とても婚約者への恋文とは思えないと笑われる始末だ。指南書でも書いているのか、と。

 オフェリヤの返事にもそう書いてあったが、『貴方がどんな人なのか、理解しているつもりですわ。それが貴方の好きなことなのでしょう? なら、もっと教えてくださいな』ともあったので間違いは犯していないと思いたい。


 学生の本分たる勉学に打ち込み、オフェリヤと手紙を送り合う。そんな日を続けているうちに、あっという間に交流会の日になった。


「ルークス。これからエルセと会ってくる。オフェリヤも同席するが、君も来るだろう?」

「はっ、お供させていただきます」


 今回の交流会は、ディー・ミレアのサロンで開かれるティーパーティーだ。私を誘ってくれたユリウス殿下の傍にはロキ殿下とヴェイセル、そしてロキ殿下が特別気に入っているニルスの姿がある。


 エルセ殿下はユリウス殿下の妹御、ノルンヘイムの第一皇女で、今年ディー・ミレアに入学した。オフェリヤとエルセ殿下は姉妹のように親しい。

 交流会では殿下達とオフェリヤ、そして私が同席することになるだろう、とはオフェリヤとも話していた。ロキ殿下の一の側近候補であるヴェイセルはともかく、ニルスまでもがいるのが少し意外だったが。


 私の視線に気づいたのか、ニルスはにっこりと微笑む。入学初日にロキ殿下に一目で気に入られたという逸話を持つ彼は、私達一年生の間ではちょっとした注目の的だった。

 小国の王子だというが、線が細く中性的な様子からはどうにも軟弱だという印象をぬぐえない。だが、体力育成の講義でペアを組む時、彼はたびたび私を選ぶ。

 同世代に比べれば体格がよく、父上から実戦に近い鍛錬を課せられた私と組みたがる者はそういないにも関わらずだ。その一点から、ニルスは見かけほど弱々しくはないのだろうと思ってはいた。


 令嬢のための学び舎だからか、やはりデア・ミルとは雰囲気が違う。デア・ミルの内装も華美でこそあるが、ディー・ミレアの華やかさとは性質が異なっている気がした。

 ミレアの学生達が私達のことをちらちらと見ていることもあり、なんとなく落ち着かない。エルセ殿下とオフェリヤはどこにいるのだろう。早く見知った顔と合流したいものだ。


 ようやくエルセ殿下とオフェリヤが待つテーブルを見つけた。広いテラスの一角だ。

 エルセ殿下の冷めた眼差しで、ミルの学生達がすげなく追い返されている。それでも諦めない者もいたが、ユリウス殿下とロキ殿下を見てさっと顔色を変え逃げていった。


「御機嫌よう、お兄様。あともう少しお兄様達が遅ければ、オフェリヤの悪癖が出てしまうところだったわ」

「悪癖だなんて。わたくしはただ、同席する方は大勢いたほうが楽しいと考えただけでしてよ?」


 エルセ殿下は小さくため息をつく。オフェリヤはこてんと首をかしげ、私にキスを求めた。

 手を取ってその甲に口づけると、それではまだ足りないと言いたげに首へと腕が回される。触れた甘やかなぬくもりは、オフェリヤの唇だ。

 ようやく満足げな様子を見せたオフェリヤは、今度はロキ殿下にもそれをねだった。ロキ殿下は「会いたかったぞ、可愛いオフェリヤ」オフェリヤを強く抱きしめて鼻にキスをし、「わたくしもです、ロキ兄様ぁ」オフェリヤは嬉しそうに甘えた声を上げた。

 ヴェイセルはいつも通り、一歩引いたところで呆れた顔をしていた。ニルスも驚いているらしい。


「待たせて悪かったね、エルセ。オフェリヤは……もう少し、淑女たるもののなんたるかを学ぶべきだ」

「確かにそうだな。オフェリヤはルークス君の婚約者なんだから、少しはわきまえないと」


 オフェリヤが伸ばした手をぴしゃりとはねのけ、ユリウス殿下は厳しい声音で告げた。だが、ロキ殿下が追従すると、ユリウス殿下はロキ殿下に対しても胡乱な眼差しを向ける。


「ロキ、僕は君にも反省を求めたいところなんだけど」

「何のことかわからないな。なあルークス君? お前も、婚約者がどこの誰とも知れない男に愛想をよくしていたらいい気はしないだろう?」

「はぁ。私は、オフェリヤが心のままに振る舞っていてくれれば、それで十分なのですが」


 私が口を開くと、オフェリヤは花が咲いたように笑った。


「わたくしはただ、色々な方と仲良くしたいだけですのに。ロキ兄様もユリウスも意地悪ですわ。少しはルークスを見習ってくださいな」

「……ルークス、君が甘やかすから、オフェリヤがつけあがるんだよ?」

「も、申し訳ございません」

 

 ユリウス殿下に睨まれてしまった。オフェリヤの“共有”は、ロキ殿下とユリウス殿下に選ばれた方にしか許されない。そういうことなのだろう。


「ところでロキ兄様、そちらの方がお手紙でおっしゃっていたニルス様ですの?」


 味方が私だけでは不利と悟ったのか、オフェリヤはさっと話題を変える。

 ニルスはにこやかに「ニルス・ナレク・フリグヴェリルです。ルークス君とは寮生(クラスメイト)で、同じ一年同士エルセ様やオフェリヤ様とも仲良くしていただけたら嬉しいです」と微笑んだ。

 「そう」エルセ殿下は眉一つ動かさずにティーカップを持ちあげ、「ええ、仲良くしてくださいましね」オフェリヤは何が楽しいのかはしゃいでいる。

 まさかニルスは、選ばれた(・・・・)のだろうか。ロキ殿下とユリウス殿下を見るが、お二人の真意は読めなかった。


「ロキ殿下とオフェリヤ様は、お親しいのですね」


 ニルスが意味ありげな眼差しをロキ殿下へと向けた。オフェリヤが殿下を「兄様」と呼んだからだろう。


「俺は五歳ごろまで、ノルンヘイムで育てられていたからな。その時の教育係がオフェリヤの父君なんだ。だから、実の兄妹みたいなものさ。なあ、オフェリヤ」

「ええ、兄様」


 影のある愁いを帯びた、どこか大人びたロキ殿下も、オフェリヤの前では年相応の少年のような顔を見せる。春の妖精のように朗らかで無邪気なオフェリヤは、ロキ殿下の心をも溶かしてしまうのだろう。


 ロキ殿下の祖国たるヘズガルズは、内乱で少し荒れた時期があった。国内の情勢が落ち着くまでは、と母君の祖国であるこのノルンヘイムに預けられていたという。

 そのため、ロキ殿下は従兄弟であるユリウス殿下とは兄弟同然に育っていた。ユリウス殿下の側近候補として傍にずっと控えていた私もよくしてもらっていたものだ。

 

「なるほど……」


 一瞬、ほんの一瞬、ニルスの纏う空気がぴりりとしたものになる。思わず軽く立ち上がってしまう。

 反応できたはいいが、まさか殿下達の御前で何もしていないニルスに掴みかかるわけにもいかず、きょとんとした視線を浴びながら気まずく座り直した。


「ルークス、どうかして?」

「いや、気にしないでくれ。その……虫が、虫がいたんだ」

「まあ。どこにいってしまったのかしら。まさか殺してはいませんわよね?」

「ああ。逃がしてやったから、安心してくれ」


 意外と虫の好きなオフェリヤはきょろきょろと周囲を見渡している。エルセ殿下はわずかに身体をこわばらせていたが、仮に虫が出てもオフェリヤがどうにかすると思ったのだろう。すぐに平静を取り戻したようだ。その頃には、ニルスも普段通りの様子に戻っていた。


 供されるお茶や菓子を適度に味わいながら、他愛もない話に花を咲かせる。といっても、私とヴェイセルは聞き役に徹するだけだが。

 オフェリヤのおおまかな話にエルセ殿下が説明を加え、それをユリウス殿下とロキ殿下が掘り下げるというのが主なパターンだ。ニルスは早々に打ち解けたらしく、あっさりと会話に加わっていた。


「少し風が強くなってきたわね。そろそろ中に入りましょうか」


 エルセ殿下が立ち上がった。ユリウス殿下が彼女をエスコートする。オフェリヤは当然のように私にエスコートを求め、私もそれに応じた。

 秋風がオフェリヤの愛らしいローズレッドの髪を揺らす。私の固く厚い手に柔らかな指を絡ませ、オフェリヤは甘やかに笑った。


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