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閑話1 騎士の恋慕

* * *


『拝啓、親愛なるオフェリヤ嬢』


 何時間机に向かっていても、ペンはそれ以上の言葉を綴らない。婚約者に送るべき手紙は、一向に白紙のままだった。


「何を書いても返事が来るなら、問題はないだろう……」


 何度呟いたかわからない独り言は、己の無精さに対する免罪符だ。ようやく自分を納得させる。


『昨日は鍛錬に熱が入りすぎて夕食を取り損ねた。ボリス殿が差し入れてくれたハムサンドが美味かった。』


 ……いや、だが、これを読んだオフェリヤに鼻で笑われ、時間の無駄だと思われるようなことがあったらどうする。死んで償うしかない。


「ルークス様、いい加減寝たら? そろそろ寮監が見回りに来るよ。室長が寮則違反なんて、示しがつかないんじゃないの?」


 不機嫌そうなボリスの声に、はっと我に返る。

 消灯時間はとうに過ぎていて、残る二人の同室の生徒(ルームメイト)はすでに寝入っているようだった。


「すまない、ボリス殿」


 慌ててテーブルランプを消した。暗闇の中、ベッドにもぐりこむ。

 隣に置かれた彼のベッドに横たわっていたボリスが、もぞりと身じろぎをする気配があった。


「てごわい課題でもあった? それとも、例の婚約者さん絡み?」

「……」

「答えないってことは、婚約者さんかー」


 噛み殺したような笑い声が聞こえた。「何度も言うが、正式に婚約しているわけではない」せめてこれぐらいはと言い返すが、ボリスは聞いていないようだ。


 私とオフェリヤの婚約は、あくまでも内々に決められたものだ。まだ互いに学生の身の今は、婚約だのなんだのと言った話が正式に定められているほうが珍しい。それは大抵、親同士の口約束か、想い合う子供がまだ自由を謳歌できるうちに交わした精一杯の愛情表現といった言葉で片付けられるものだった。

 私とオフェリヤの関係は、どちらかと言えば前者のケースに分類されるだろう。後者であればいいと思うほど、私は私を過剰に評価していない。


 ラシック家の令嬢オフェリヤ。彼女の父たるラシック伯爵は、皇帝陛下の一の側近と名高い宮廷魔導師長だ。

 常に顔を隠した奇異な姿から“無貌”と呼ばれて恐れられている方だが、その実力と権威は確かなものだった。


 一方、私の父は帝国第二騎士団の団長であり、母は属国の王女にあたる。

 私とオフェリヤ……否、ベルハント家とラシック家が縁付けば、騎士団と魔導師団の結束はいっそう深まることだろう。皇帝陛下の派閥に属国の王家と縁のある者が加わることで、諸外国への支配力と母の祖国への優遇を知らしめることにもなるはずだ。


 故に私達の婚約は、非公式とはいえ結ばれた。我らがノルンヘイム帝国の同盟国たるヘズガルズの王太子、ロキ殿下からの口添えもあったと聞くが、その真意まではわからない。ロキ殿下はオフェリヤを気に入っているようだから、私のようなうだつの上がらない男をあてがうことで彼女を繋ぎ止めたかったのだろうか。

 そうすれば、寵姫としてヘズガルズに連れ帰ることはできなくても、自身が賓客としてノルンヘイムを訪れたときはオフェリヤにもてなしを頼むことができる。オフェリヤもロキ殿下を憎からず思っているようだから、彼女もまんざらではないだろう。

 オフェリヤを気に入っているのは皇太子たるユリウス殿下も同様だ。オフェリヤを外国に渡らせるのは、ユリウス殿下が決して許さないだろう。


 私に口を出す権利はない。何故なら私は皇族に仕える騎士だからだ。私のすべては皇族の方々のためにある。

 ヘズガルズに嫁いだロキ殿下の母君は、皇帝陛下の妹御だ。そうである以上、ロキ殿下もまた尊きお方。無論、自国の君主でこそないためすべてを無条件で受け入れるつもりはないが、少なくとも妻を献上させられる行為は、許せざる横暴の内には入らない。妻のほうもそれを望んでいるのだからなおさらだ。


 しかし世の男というのは、それ・・を許せるほうが少数派らしい。そういうことを顔色一つ変えずにやってのけられるのは、妻に対して愛も情も持ち合わせておらず出世の駒としてしか見ていないか、あるいは妻を心の底から憎んでいる者ばかりだという。

 父上にオフェリヤとの婚約を願い出たとき、そう釘を刺されて徹底的に絞られたものだ。オフェリヤをユリウス殿下やロキ殿下の愛妾にさせるなど二度と口に出すな、と。

 父上は情の深い方だ。かつて起きた戦の折に、数多くの武勲を上げた若き日の父上に褒賞として下賜された敗戦国の美姫こそが他ならぬ母上だった。

 そのような経緯で嫁いできたにもかかわらず、母上は父上を深く愛している。それだけの何かが父上にあったのだろう。そのような父上だからこそ、私が抱くオフェリヤへの愛の形が理解されないのも仕方なかった。


 だから私は、“花園”でのことは一度たりとも口外しなかった。

 ユリウス殿下の秘密の離宮。ロキ殿下に連れられて、初めて目にした禁断の園。立ち入りを許されているのは私達三人、そして主役たるオフェリヤだけだ。

 ロキ殿下はめったに来ないが、“花園”に招く客の選別にはかかわっている。三年前、ユリウス殿下に“花園”を作らせたのもロキ殿下だという。


 私がそこに呼ばれる前に、“花園”の中でオフェリヤの純潔を散らそうとした愚者が出たことがあったらしい。激情にかられたユリウス殿下がその少年を殺しかけ、以来ロキ殿下も見張りのために顔を見せるようになったとか。

 “花園”のルールを守れない者、あるいは“花園”から逃げ出す者を招いてしまうことがないようお二人が目を光らせた結果、選ばれたのが私だった。以降、違う男は見ていない。“花園”が生まれてからずっと、オフェリヤの純潔はいまだ守られている。


 オフェリヤには、ありのままで在ってほしい。何故なら自由な彼女が一番美しく、一番愛らしいからだ。

 天真爛漫な姫君、それこそ私が好ましいと思ったオフェリヤ・ラシックという女性だ。


 私達の婚約は、オフェリヤから持ち掛けられた。

 二年前、「ルークス。わたくし、貴方と一緒にいる時がいっとう楽しいですわ。貴方はどうかしら」そうオフェリヤが私に尋ねたことがあった。

 いつもの冗談だと思い軽く肯定したところ、それから一週間と経たずにラシック伯爵から婚約の打診があったのだ。父上はひっくり返りながらも私の意を問い、それを私が承諾したことで縁談が内定した。


 殿下達の間を蝶のように軽やかに舞うオフェリヤの姿を見つめる私に、彼女は何か興味を見出したのだろうか。

 だが、その気まぐれは私にとって好都合だった。オフェリヤを理解(わか)らない男が、その虫籠に彼女を閉じ込めるなどあってはならない。私なら、彼女を永劫自由にさせてやれる。

 伯爵家の令嬢から、侯爵家の次期当主夫人に。社交嫌いの偏屈屋と名高い父親に育てられたわりに、オフェリヤはその転身をあっさりと受け入れた。


 私がこの秋からデア・ミル学園に入学したのと同様に、彼女も淑女の学び舎たるディー・ミレア学園に入学している。私が騎士として、侯爵家の次期当主としての生き方を学ぶ間、彼女は侯爵夫人としての生き方を学ぶのだろう。


「でもさ、婚約者さんって妾腹なんでしょ? それでルークス様の婚約者になれるなんて、ノルンヘイムって身分に関しては結構緩いよね。皇妃殿下も平民出身の方なんだし」

「……そうだな。諸国に比べればさほど厳しくはないのだろう」


 これがどこぞの暗愚な貴族にでも言われていれば、民を愚弄するなと言い返していたかもしれない。

 だが、ボリスも血筋を辿れば平民の生まれだ。異国の成金貴族……大きな商家の息子である彼にあるのは、平民への侮蔑でも平民を娶る貴族への嘲笑でもない。ノルンヘイムであれば、平民でも王侯貴族と縁付けることへの関心だろう。


 ラシック伯爵は独身だ。オフェリヤは娼婦との間に生まれた娘らしい。ラシック伯爵は家督を弟御か甥御に譲る気だったらしく、正妻を娶って嫡子を生ませるわけにはいかなかったのだろう。

 母親はひそかに領地で妾として囲われていると聞くが、誰もその姿を見たことはなかった。母親のわからない娘を次期当主夫人とすることに分家筋からの反発こそあったが、その父親が皇帝陛下の寵臣である事実を盾にして押しきった。


 オフェリヤのことを聞き出そうとするボリスを生返事でかわし、毛布を目深にかぶる。

 オフェリヤに送る手紙の内容を頭の中で推敲しているうちに、いつの間にか私の意識は深い眠りへと落ちていった。

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