わたしの嫉妬
――――結論から言えば、ディー・ミレア学園との交流会は最悪だった。
わたしの苛立ちの理由はただひとつ。オフェリヤ・ラシック。異様なまでにロキ殿下に馴れ馴れしいあの女のせいだ。
「ねえロキ、聞いています?」
「……あッ、もち、もちろ……んぅッ!?」
小気味いい鞭の音が響き、四つん這いのままロキ殿下は身をくねらせる。苦痛のせいか、それとも快感のせいなのか。答えは明白だった。
悶える殿下の声が鼓膜を震わせるたびに、おへその下のあたりが疼いて仕方ない。恍惚の表情を浮かべてよだれを垂らしながらわたしを見上げるロキ殿下のお姿に、溜飲が下がっていくのを感じる。オフェリヤ・ラシックは、これほど乱れるロキ殿下のお姿を知るはずもないのだから。
「わたしはおしおきをしてるのに、どうして気持ちよさそうにしてるんですか? ロキは本当に、救いようのない変態なんですね」
わたしが振るう乗馬鞭のせいで、白いシャツの下の肌はきっと真っ赤に腫れ上がっていることだろう。
しなるこの鞭は初心者でも扱いやすい、短くて軽いものだ。それでも本物の鞭であることに変わりはない。
ここはロキ殿下の私室だ。消灯時間はとうに過ぎている。音遮断の魔具を展開しているので、鞭の音も、わたし達の声も、外には漏れない。わたし達二人だけの空間。静止の合図は、こなかった。
「ち、ちが、」
「違わないです。だって、ほら……ああ、汚らわしい」
しゃがんだわたしの視線がどこに向けられたのか、殿下も把握したようだ。殿下はいっそう熱っぽい目でわたしを見つめる。
微笑みながら乗馬鞭のフラップでそっと“そこ”を撫でる。スラックス越しの刺激にもかかわらず、殿下はそれだけでびくんと大きく跳ねて崩れ落ちた。……なるほど、男の人はこうなるのか。
「下着が汚れて気持ち悪いですか? 貴方みたいな気持ち悪い人にはお似合いだと思いますけど」
嫉妬と愛おしさが頭の中をぐるぐる回る。殿下の頭を撫でると、殿下はもっと撫でてほしいと言うようにすり寄ってきた。
だめだ、可愛い。こんなどうしようもない変態なのに、もっともっと好きになる――――もっともっと、彼のことを虐したい。
「もう一度、説明してください。わたしというものがありながら、オフェリヤ様に浮気するだなんて。見損ないました。オフェリヤ様にもこんな風にいじめてほしいんですか?」
「浮気じゃない! あの子は昔からああなんだ。まあ、そこが可愛いんだけどな」
「……ロキにはもう少し、きつめの躾が必要そうですね」
ロキ殿下を仰向けに押し倒し、馬乗りになって鞭を頬に当てる。ロキ殿下はうっとりしながらされるがままになっていた。
「オフェリヤは妹みたいなものなんだ。家族も同然なんだよ。君も、ニルス君とスキンシップぐらいはするだろう? それと同じだ。ハグもキスも、あの子にとってはただの挨拶だぜ」
「だからといって、限度があると思いますが。とても婚約者のいる令嬢の振る舞いには見えませんでしたよ。ルークス君が文句すら言わないのが不思議なぐらいです」
伯爵令嬢オフェリヤについて、思ったことを率直に言うとすれば。あれはそう、世間知らずの脳内花畑女だ。
顔立ちは確かに可愛かったし、華奢な身体に反する豊かな胸は魅力的と言えた。微笑みを絶やさず、中身のない褒め言葉や軽いわがままばかりを口にする。感情表現は素直で大げさ、特にボディタッチが多い。愛されるか、嫌われるか。極端なその二択しかなさそうな子だった。
そんなオフェリヤに、ロキ殿下やユリウス殿下、それからルークス君はずっとでれでれしっぱなしだ。やれティーカップが空だのやれお茶菓子のおかわりはいるかだの、三人はずっとオフェリヤを気にかけていた。特に行動が顕著なのはルークス君とロキ殿下だ。
オフェリヤはそれを当然のものと受け取っていて、甲斐甲斐しく尽くす三人にしなだれかかって侍らせる。ずっとそのありさまだ。
しかも、オフェリヤはロキ殿下を「兄様」と呼んでべったりだった。婚約者のルークス君より馴れ馴れしい。よくルークス君も怒らないものだ。
女嫌いのヴェイセル先輩は引いていた。もう一人の同席者であるエルセ皇女殿下は、まったく動じていなかったけど。
「親しい相手の前だったからな。俺に呼ばれた君なら大丈夫だと思ったんだろう。知らない連中の前だったら、オフェリヤだってもう少し取り繕うさ」
男の人の言う妹みたいなものは、信用できない。
ロキ殿下の恋人は、わたしなのに。
「オフェリヤ様を紹介したのは、わたしを嫉妬させたかったからなんでしょう? だからわざと見せつけた。ロキは悪い人ですね」
「まさか。ただあの子を紹介したかっただけだ。もちろん、仲良くなってくれとまでは言わないけどな」
「でも、期待はしてたんじゃないですか? わたしが嫉妬して、こうなるんじゃないかって」
ロキ殿下は答えない。つい先ほどまで快感に悶えていたとは思えないほど、すべてを見透かすような凪いだ目をしていた。
「……わたしは貴方に、魅了の力を使いました。貴方がわたしに抱く好意は、後から植えつけられたものです。だから、もし、わたしが何もしなければ……貴方は、オフェリヤ様を選んでいましたか?」
「それだけは絶対にありえないぜ、カーレン」
殿下は微笑み、そっとわたしの手に触れた。殿下のほうに顔を寄せる。
オフェリヤに向ける愛とわたしに向ける愛はまったく別種のものだと囁いて、殿下はわたしの火照った頬にキスをした。
「確かに俺は、君の魅了に囚われた。だが、それはただのきっかけだ。俺は俺の意思で、君を選んだんだから」
「……」
「もしあれからも君が魅了をかけ続けていれば、俺は君以外のすべてをどうとも思わなくなっただろう。オフェリヤのことも、妹離れをしたはずだ」
確かに、そうなる可能性は非常に高い。わたしのことで頭をいっぱいにさせて、それ以外のことは考えられないようにする……そこまでの誘導であれば、魅了の力で実行可能だ。制御できないのはそこから先、すなわち「わたしに恋したことでどう暴走するか」なのだから。
「でも、そうはなってない。君は魅了をかけるほどに俺のことが好きなのに、俺との約束を守ってくれた。……ありがとう、カーレン」
金の斑点がいくつも浮かんだ黒みの強い青の瞳は、まるで星の散らばる夜空のようだ。その奇妙で美しい目は、わたしだけを映していた。
「まさか……わたしが約束を守っているか、試したかったからだったんですか?」
「どうだろうな。君の嫉妬深い一面を見たかっただけかもしれないぜ。そしたら君の言う通り、俺はもっと愉しいことを味わえるかもしれないんだから。……実際、なかなか刺激的だった」
殿下が乗馬鞭を一瞥する。どうやらお気に召してくれたらしい。
「あまり人を試すようなことはなさらないでください! わざと煽られるのも嫌です」
「悪かったよカーレン、ちょっとした出来心なんだ。俺に怒りをぶつける理由がないのに加虐行為を続けると、君がつらくなるんじゃないかと思ってな」
「もう。そんなことしなくたって、ロキが望むのならいつでも虐めてあげますから安心してください」
「そうか。それはいいことを聞いたなぁ。君も、愉しくなってきたのか?」
言葉の意味を問う前に、殿下のキスで口を塞がれた。
目を閉じて、求められるまま舌を委ねる。酸素が足りなくなったのか、頭がぼぅっとしてきた。
離された口の間を銀糸が伝う。ぺろりと唇を舐め、ロキ殿下は愛おしげにわたしを抱き寄せた。